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October 20, 2009

きみがぼくをみつけた日

監督:ロベルト・シュヴェンケ
製作総指揮:ブラッド・ピット、リチャード・ブレナー、ミシェル・ワイス、ジャスティス・グリーン
原作:オードリー・ニッフェネガー
音楽:マイケル・ダナ
脚本:ブルース・ジョエル・ルービン
出演:エリック・バナ、レイチェル・マクアダムス、アーリス・ハワード、ロン・リヴィングストンほか

「安普請」

「きみがぼくを見つけた日」です。ベストセラー小説を「ゴースト/ニューヨークの幻」の脚本化が担当したという売り込みで今週末、封切られる映画です。原題の「THE TIME TRABELEAR’S WIFE」がどうしてこんな邦題になったかと言えば、ヒロインが「きみに読む物語」のレイチェル・マクアダムスだから。また「きみ読む」みたいに「きみぼく」とか略して売ろうとするのが目に見えて腹立たしいのですが、実はそんなにヒットしないような気もする今日この頃。果たしてCinemaXの評価やいかに。

タイムスリップを扱った映画は山ほどありますが、ほとんどが失敗に終わります。何故か。それは現在との接点がないからです。はるか未来を扱った映画もまあタイムスリップのようなものですが、この場合は現在、つまり現代と共通するテーマがあるかないかなどが成否を分けます。いずれにせよ、現代人がしっかりと理由もなくいきなりタイムスリップした時点で、どう面白く描こうとしてもそれはB級映画になってしまいます。

タイムスリップの好例が、バック・トゥ・ザ・フューチャーでしょう。変人だから行くなと言われた博士の家に少年が行ってしまい、イベントに巻き込まれてしまいます。この映画は同じ土地で祖先から子孫まで、現在としっかりと繋がっているからこそ、観客は引き込まれてしまう訳です。「戦国自衛隊1549」もタイムスリップものですが、あちこちの時空がねじれているとかタイムスリップの伏線を描いているのですが、いかんせん日常生活で時空がねじれるなどということはありませんから、観客はおいてけぼりを食らってしまいます。

「きみぼく」(?)の主人公、ヘンリーは意思に関係なくタイムスリップを繰り返すのですが、その理由を「血縁」によるものとしています。ある意味、それで完結した理由にはなりますから、まあ仕方ない?でしょう。いわゆる「なぐり」で始まる冒頭シーンは印象的ですが、実は後のストーリーには大きく関係しないのが残念です。

そのヘンリーは、過去にタイムスリップして、幼い頃のクレアと出会います。そのクレアが大人になってヘンリーと結婚してしまうのですが、ヘンリーの記憶がなかったりとか、巧みな設定でボロを隠しています。結婚のきっかけはヘンリーが手を出すのではなく、クレアが探し当てると言う設定なのですが、それは純愛のようで、実は見方を変えれば教師が世間の男を知らないうちに教え子に手を出すような不純さも感じられます。

ヘンリーは幼少時に事故死した母親と、後にクレアが産む娘とも出会います。タイムスリップは本人の意思に関係なく時代や場所も関係なく起きるので、都合よく誰とでも会うことが出来ます。冒頭の「なぐり」のシーンは母親が事故死するエピソードなのですが、大人になったヘンリーと生前の母親が出会うシーンなどは、感涙ポイントにも成り得るので、もっと丁寧に描いたほうがよかったのかもしれません。

逆に、後に生まれる娘と出会ってしまうシーンはいりません。名前が分かった程度ですから。根無し草でタイムスリップを繰り返しているわけではないと楔を打つためか、父親も登場するのですが、この必要性もよく分かりませんでした。

タイムスリップを題材にした映画の殆どが、時空間を説明出来ないという矛盾を抱えています。例えば1分前にタイムスリップしたなら、現在の自分に加えて1分前の自分、その間には無数の自分が存在することになります。時間を輪切りにしたように世界が存在するのですから、都合よくいろんなことが出来る反面、飛び道具ばかりで話をぶち壊してしまいねない部分もあります。「ぼくきみ」にも矛盾がごろごろしていますが、恋愛に主眼を置いているためか観客の意識が逸らされ、ギリギリセーフといった感じになっています。

「ぼくきみ」は、シーンごとに感動の要素が含まれていますが、全体を見渡せばボロがあちこちにボロが隠れています。安普請の建物のようです。小説形式で長い期間読者を虜にする場合はそのボロも人間の曖昧な記憶力に救われて覆い隠されてしまうのでしょうが、2時間弱に凝縮するとそうはいきません。例えばヘンリーの父親のエピソード、ヘンリーと娘が最初に会うエピソードは、恐らく原作に引っ張られたのでしょうが、逆にストーリーの際立ち加減を打ち消す要素になってしまったようです。

評価に移ります。

【基礎点】

一般の洋画(15点)
・15点

【技術点】

テーマははっきりしているか(10点)
(一言で説明出来るか/魅力的だったか)
・7点
意思に関係なくタイムトラベルを繰り返す男が、定点で生きる女性と結ばれる話。

そのテーマは時代にマッチしているか(10点)
(今の時代に当てはまるような要素があるか)
・7点
愛は不変のもの。

観光要素はあったか(10点)
(何か目新しく感じられる要素はあったか)
・0点
ない。

観光要素は魅力的だったか(10点)
(その観光要素は魅力的なものだったか)
・0点

主人公に貫通行動があるか(10点)
(主人公の目的=欲望がはっきりしているか)
・3点
話の途中からヘンリーは受動的にクレアを愛し始める。
貫通行動はむしろこのクレアにある。

【芸術点】

印象に残る人物はいたか(10点)
(多くても1、2名に限る。それ以上いたら逆効果なので減点)
・3点
クレア。演じるレイチェル・マクアダムスはハイシーLの頃の牧瀬里穂を髣髴とさせる。

印象に残るシーンはあったか(10点)
(多くても1、2シーンに限る。それ以上だと逆効果なので減点)
・2点
最後のシーン。ヘンリーは死後、残されたクレアと娘に会いにタイムトラベルをするのだが、意思に関係ないとはいえ「いつかまた来れる」という要素が残ってしまうので泣けなかった。巧いこと工夫してここに「もう二度と会えない」というカセをつければ泣けたのかもしれないが、恐らく原作ではこういう終わり方をしているのだろう。小説の読後感を映画で表現するのは難しい。

泣けたか(10点)
(ストーリーの流れで泣けた部分はあったか=単に人が死んだとか、物理的な悲しさは評価外)
・2点
最後のシーンはもったいない。あと、ヘンリーが娘と出会うタイミングをもう少し遅くすれば、感涙ポイントは際立ったと思う。タイムスリップをして母親と会うシーンも同じ。ところどころが雑でもったいない。

笑ったか(10点)
(ストーリーの流れで笑った部分はあったか=主人公の仕草とかで笑いを誘った場合は評価外)
・2点
本人の意思に関係なくタイムスリップをしてしまうヘンリーは面白い。替え玉の結婚式、間に合わなかったクリスマス。面白い要素が沢山あるが、ストーリーの中に活かしきれていない。

怒りを覚えたか(10点)
(ストーリーの流れで怒りを覚えた部分はあったか)
・0点
この映画には悪い人が出ない。そのせいか昨今のケータイ小説を原作にした映画のような草食感が漂う。女性好みの雰囲気かもしれないが、パンチがないとやがて忘れさえられてしまう。

【減点項目】

・減点なし。
ただし「ゴーストの脚本化が手がけた、きみ読むのヒロイン主演の映画」というのはどこか引っかかる。「ニモのスタッフが贈る(ただし監督抜き)」という表現と同じ。どこがどう影響されているかは、洋服作りでいうパタンナーの違いを見破るようなもの。脚本やスタッフが同じでも、監督や原作が違えば、全く別物になってしまう。この触れ込みに騙されないように。

基礎点(15)+技術点(17)+芸術点×1.5(14)-減点(0)=CinemaX指数(46)

「F」評価(59点以下)

原題をそのまま訳すと「タイムトラベラーの夫」みたいな感じでしょうか。もしウィル・フェレルが主人公だったら邦題は「俺たちタイムトラベラー」だったのでしょうか。きみに読む物語は「THE NOTEBOOK」で味気ないものでしたから、「きみ読むファンを巻き込もう」という配給会社の下心は見え見えでも、原題をそのままカタカナにして邦題にしてしまうよりはましなのかもしれません。

2009年10月5日/一ツ橋ホール
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