グラン・トリノ
監督:クリント・イーストウッド
製作総指揮:ジェネット・カーン、ティム・ムーア、ブルース・バーマン
音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
脚本:ニック・シェンク
出演:クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリーほか
「優等生」
クリント・イーストウッド監督がここ数年産み出す作品は鬼気迫るものがあります。歳を重ねたからこそ描ける世界もあるのでしょうが、逆に考えるとあと20年若ければと思います。ただ、少なくとも10年前に観た「トゥルー・クライム」は面白くなかったので、やはり年齢と経験によって生み出されたものなのでしょう。80歳を目前にして最も脂の乗った監督による「グラン・トリノ」、CinemaXの評価やいかに。
グラン・トリノは観れば観るほど緻密に仕上がった作品です。まずは、主人公、コワルスキーの偏屈ぶり。人物の性格を周囲の人に言わせる手法は、記憶違いでなければ「欲望という名の電車」へのオマージュでしょうか。脚本で悪い人や偏屈な人を主人公にするのはかなり難しいのですが、セリフや行動でこれだけひねくれた性格を見せられると、どこか愛嬌すら感じてしまいます。「恋愛小説家」の主人公もそうでしたね。ひねくれ者。
グラン・トリノは隣人に越してきたモン族とのふれあいを通じた物語です。1970年代までの映画なら、白人の世帯が暮らす静かな街が、移民によって変化する状況を上手く描いています。時代を切り取ったような映画なのですが、それをひけらかすようなあざとさは感じられません。
「ドラマは変化である」(新井一氏)とあるように、良い映画の多くが主人公の心の変化を巧みに描いています。グラン・トリノもそうです。差別用語を連発していたコワルスキーもモン族と触れ合うことで心が変化し、下心みえみえの息子やその家族よりも身近な存在として受け入れるようになります。脚本のセオリーの中には登場人物の性格をあらわすために喧嘩をさせる手法があるのですが、偏屈なコワルスキーもしっかりと喧嘩させています。
グラン・トリノの秀逸なところは、ストーリーの本筋に絡む登場人物が少ないというところにあります。主人公のコワルスキーとモン族の姉弟、スーとタオです。本編では弟のタオの心の変化をしっかり描くことでストーリーの重厚感が増しているのですが、実は姉のスーの存在が、トロい弟との対比とコワルスキーの心の変化を生むタネになっていることに注目すべきでしょう。
グラン・トリノが優等生たる所以はまだまだあります。モン族のチンピラという、分かりやすい悪役を使っていることです。ストーリーが秀逸でも悪役が出ないために大団円の二流作品になった映画も少なくないのですが、グラン・トリノではこれでもかというぐらい悪い奴が設定されています。シンプルな悪役なので、観客が揃ってこの連中への憎しみを共有することが出来ますし、コワルスキーが長く心の中に抑えていた朝鮮戦争時代の心の傷を引き出す要素ともなります。
また、このチンピラはタオを巻き込もうとすることでトロいが真面目な性格と、スーの勝気で頭の回転が早い特徴を上手く引き出すエッセンスにもなっています。
グラン・トリノの秀逸な点はまだまだあります。例えばイタ公の床屋のシーン。コワルスキーと床屋の店主がタオに妙な修行させるシーンは笑えるのですが、ストーリーも後半に入りいきなりこの床屋が出てきたのではご都合主義と受け取られかねません。ところが、この床屋は前半にさらっと紹介されています。しかもコワルスキーの偏屈ぶりを補強する意味のあるシーンとして、さりげなく伏線を仕掛けているわけです。
この床屋のシーンでは、コワルスキーが「俺が大人のやりとりを教えてやる」とタオを連れて行くわけですが、コワルスキーがこの床屋に行けば店主と悪口の言い合いになることを観客は学習しているので、しっかりとした笑いを拾えるわけです。おまけに、このシーンに限ったことではないのですが、良い意味で期待を裏切られます。床屋のシーンでは「コワルスキーと店主が言い合いになってタオには参考にならない」という予想を裏切るシーンになっていました。
ベターよりもベストのシーンを繋いでいくことが良い映画作りの絶対条件ともいわれますが、恐らく私や多くの観客の方が予想していたシーンはベター、でも実際にはクリント・イーストウッド監督は苦労しながらベストの選択を見出したのでしょう。グラン・トリノは、あちこちに観客の喜怒哀楽の感情を発揚させてくれますが、そういった感情の繰り返すうちに我々は映画のストーリーに惹き込まれ、コワルスキーやモン族の姉弟などに親しみを感じるようになるのです。これはストーリー作りの王道ともいえます。
観客が映画に感情移入できるからこそ、最後のシーンにもコワルスキーと一緒にその場に行くことが出来るわけです。ただし衝撃のラストという説明もありますが、個人的にはそんなに衝撃的でもありませんでした。裏を返せば、コワルスキーが生身の人間として実在するならば、自然な行動であったということかもしれません。登場人物の心の変化を描くとは綱渡りのようなものです。怖いからといって綱を進まなければ映画としての魅力も薄れ、逆に人格が変化するほどの心の変化を遂げてしまえば、別人ということで観客の心は離れ、綱から落ちてしまいます。
きちんと着地したからこそ、衝撃のラストと感じられなかったのかもしれません。
【基礎点】
一般の洋画(15点)
【技術点】
テーマははっきりしているか(10点)
(一言で説明出来るか/魅力的だったか)
・10点
偏屈な白人至上主義のじいさんが、隣人の少数民族の子供を守る話。見事な対位法。
そのテーマは時代にマッチしているか(10点)
(今の時代に当てはまるような要素があるか)
・8点
多民族国家、人種の坩堝といわれる米国だが、融和はまだまだ。人口が減少に転じた日本でも例外ではない問題。
観光要素はあったか(10点)
(何か目新しく感じられる要素はあったか)
・8点
モン族という存在。これを期にベトナム戦争のモン族の立場を調べてみるとあまりにも悲しかった。
観光要素は魅力的だったか(10点)
(その観光要素は魅力的なものだったか)
・8点
モン族は華やかな民族衣装が特徴のよう。本編にもきちんと出てくる。
主人公に貫通行動があるか(10点)
(主人公の目的=欲望がはっきりしているか)
・8点
コワルスキーが隣人を守ろうとするのはストーリーでの必然的な流れ。貫通行動は朝鮮戦争での心の傷を清算するほうにウェイトが置かれているのかもしれない。
【芸術点】
印象に残る人物はいたか(10点)
(多くても1、2名に限る。それ以上いたら逆効果なので減点)
・10点
スーの勝気で頭の回転の早さは魅力的。コワルスキーが心を開くのは理解出来る。
印象に残るシーンはあったか(10点)
(多くても1、2シーンに限る。それ以上だと逆効果なので減点)
・9点
コワルスキーが医師に診断してもらい、家族に電話をするシーン。セリフで診断結果を言うこともなく、カルテも遠巻きに移すので結果は分からない。だが、シーンを観ていれば観客にも通じる。
泣けたか(10点)
(ストーリーの流れで泣けた部分はあったか=単に人が死んだとか、物理的な悲しさは評価外)
・8点
個人的には衝撃のラストとは思わなかったが、このシーンは心が泣いた感じ。むしろ葬式に参列するスーの派手な民族衣装が対比されているようで泣けた。グラン・トリノは誰にあげるかは分かっていたし、そういう意味ではニュー・シネマ・パラダイスは衝撃だった。
笑ったか(10点)
(ストーリーの流れで笑った部分はあったか=主人公の仕草とかで笑いを誘った場合は評価外)
・9点
偏屈なコワルスキーの行動はかなり笑える。もはや絶滅してしまった感のある身内や町内に必ず1人はいた近所の頑固なおじさんを見ているよう。
怒りを覚えたか(10点)
(ストーリーの流れで怒りを覚えた部分はあったか)
・8点
モン族のチンピラは分かりやすい悪なので、シンプルに怒りを抱くことが出来る。
【減点項目】
・減点なし。
ただし、神父の存在は微妙だった。個人的な立場だったら復讐(チンピラをぶっ殺す)も辞さないという神父は斬新だったが、そこまでストーリーに絡む設定は必要ではなかったのではないかとも感じた。
基礎点(15)+技術点(42)+芸術点(44)×1.5-減点(0)=CinemaX指数(123)
「A」評価(120点以上)
シナリオを勉強している方々にとっては、お手本のような映画と言えるでしょう。クリント・イーストウッドの渋い演技と声も魅力です。
ちなみに、スーがコワルスキーにモン族の特徴を説明するシーンで「相手と視線を合わさない、叱られるとニヤニヤする」と言っていますが、これは日本人のアルカイックスマイルにも共通するものです。欧米では今にも死ぬという緊迫した場面でもニヤニヤする日本人を理解出来ないので、アジア人共通の行動パターンなのかもしれません。



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