宮廷画家ゴヤは見た
CinemaXは評価方法の見直しなどを含めて再開に向け作業中ですが、ここで休止直後から現在までに鑑賞した映画をいくつか紹介していきます。
「宮廷画家ゴヤは見た」
監督:ミロス・フォアマン
製作総指揮:ポール・ゼインツ
音楽:ヴァルハン・バウアー
脚本:ミロス・フォアマン、ジャン=クロード・カリエール
出演:ハビエル・バルデム、ナタリー・ポートマン、ステラン・スカルスガルド
「セリフのない主人公」
原題は「GOYA’S GHOST」です。邦題は「家政婦は見た」を彷彿とさせますが、本編もそんな感じです。ゴヤはレポーター役といったところ。18世紀末のスペインでゴヤの目を通じて見た神父と女を描き、イデオロギーが変われば立場が逆転する人間関係のもろさを浮き彫りにしています。
宗教に抑圧され、救いの手を差し伸べたはずの神父にも犯されて廃人同然となってしまった女、その神父も宗教に抑圧されるものの、侵略者に便乗してスペインに舞い戻り、立場が逆転したかと思いきや、侵略者が去って再び宗教に抑圧されてしまう。コロコロ変わる後ろ盾によって他人を裁くという矛盾を見事に描いています。
見所は、ナタリー・ポートマンの演技です。裕福な商家の娘として何不自由なく暮らす艶やかな女と、異端審問という無意味な裁判にたまたま引っ掛かり、何年も地下に閉じ込められてしまった後の落差は壮絶です。激痩せ、顔はストレスでねじ曲がり、精神的に病んでしまう女の演技は鬼気迫るものがあります。
加えて、その女の娘の役も演じるのですが、これがつかみどころのない娼婦。見た目は母親の若い頃と同じように艶やかなのですが、全く別の人格という女を見事に演じています。
登場人物もさることながら、映画の舞台であるスペインも翻弄され続けます。周囲の国に好き勝手に侵略され続けます。この点では、宗教とイデオロギーに翻弄され続ける神父や女に共通するものがあります。世の中に絶対などないのに、絶対と思えるようなもの(でも絶対ではない)を見つけ、それを盾にして人と争い、裁き、侵略する。当事者は命をかけているはずなのに、少し離れた場所から見ると滑稽にすら感じてしまうのが不思議です。
何も演じない、何も喋らないスペインが、この映画の主人公なのかもしれません。
最終評価「B」
2008年10月7日/新宿ミラノ座
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