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September 29, 2007

火中の栗

火中の栗
ミャンマーの暴動を取材中だった日本人フリージャーナリストが流れ弾に当たり亡くなりました。まずはご本人の冥福を祈り、銃弾を受けてもなおカメラを離さなかったジャーナリスト魂に敬意を表したいと思います。

日本の新聞や特にテレビでは海外で事件や事故があると「日本人に死傷者はいません」と胸をなで下ろすだけというヘタレな報道が目立つのですが、今回はあたかも仕事仲間が戦死したような報道内容もありました。これまでも戦場でフリージャーナリストが命を落とした時の報道も同じようなものがありました。

仲間?あほか!

日本の大手マスコミの記者はサラリーマン化しているので絶対といっていいほど危険な取材をしません。せいぜい台風中継ぐらいでしょう。イラク戦争を例にあげると、開戦前には大手マスコミの記者はさっさと近隣の安全な国に逃亡し、一時的に米軍がイラク国内を制圧した際、米軍の戦車に守られながら凱旋入国しました。記者たちがヘルメットを被って戦車や輸送車に乗ってイラク軍の塹壕などを取材していたあれです。その同じ口でイラク戦争には大義名分がない、自衛隊が給油という形で後方支援したのではないかなどと騒ぐ訳ですから、不思議なものです。

危険な取材を讃える理由はないのですが、だからといってフリージャーナリストに火中の栗を拾わせながら、自分たちも同じジャーナリスト魂があることをひけらかす大手マスコミの姿勢にも疑問を感じます。イラク戦争の時はバグダッド市民を特派員に仕立てて開戦後のイラク国内を取材しようとしたテレビ局もありました。結局ただのおっさんなのですぐに化けの皮が剥がれましたが。

大手マスコミの方々は、戦争どの取材では、こうしたフリージャーナリストの方々が命がけで撮影した写真や映像を利用して飯を食っていることを忘れてはならないでしょう。加えて今回は彼らの「仲間」が亡くなったのですから、ミャンマーの暴動の取材は自分たちの実力で行うような意気込みを見せてもらいたいものです。

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September 19, 2007

古田でダメなら仕方がない

古田でダメなら仕方がない
東京ヤクルトスワローズの古田敦也選手兼任監督が現役引退そして退団の意向を示しています。今年は岩村選手を失い、リグスは故障、投手では五十嵐、石井(弘寿)の両ストッパーと先発のガトームソンに逃げられゴンザレスは故障という苦境の中で昭和50年代後半の武上暗黒時代を彷彿とさせる歯ごたえのない試合が続いています。

最下位にいながら青木、ラミレス両選手は首位打者争いをしていたり、グライシンガー投手の最多勝とラミレス選手の打点王は濃厚。ほかにも最優秀防御率、本塁打王も狙えそうな状態にあるという無駄に豪華な状態にあります。だからこそ諦めずにいられるのですが、少なからず監督の采配に問題があったことは否めないでしょう。

ファンは古田兼任監督に期待を裏切られた部分も多いはずです。肩が衰えたとはいえ古田捕手をもっと見たかったはずです。打力がなくなろうと「代打・オレ」をもっと見たかったはずです。采配にしてもそう。野村ID野球の申し子と言われながら極めて堅実な采配が目立ちました。それが弱気ともとれ、逆に裏目に出て敗戦してしまうことも多々ありました。もっとスクイズやヒットエンドラン、ダブルスチールなどID野球の醍醐味を味わいたかったのですが、去年は試合を重ねるごとに、そして去年よりは今年と機動力は目に見えて落ちていきました。

これも主力選手を悉く欠いたことによる弱気から来ているのかもしれませんが、一つ忘れてはならないことがあります。

「古田でダメなら仕方がない」

ファンにとって1990年代の黄金時代から支えた古田捕手はスワローズそのものだといえます。優勝など夢のまた夢と考えていたファンにもう一度夢を見させてくれた主要メンバーの1人なのですから。だからこそ古田選手のグラウンドでボロボロの姿を見ないとファンは納得しないでしょう。走られ放題でも打席で三振しまくっても日本一の捕手や首位打者の称号は決して汚れることはありません。

古田捕手の引退試合は10月初旬に予定されているようです。スワローズとしては若松前監督の現役引退以来の大物の引退試合になりそうですが、当日はフル出場しないとファンは納得しないでしょう。盗塁を心配するのなら石井(一久)投手と組んで全て三振をとればいい。

古田兼任監督は、これまで支えてきた何名かの中心選手と心中するかたちで現役引退・退団する可能性が高いと思いますが、石井投手はまだまだ現役バリバリで頑張りたいと思うのなら、四死球を出せば死ぬぐらいの覚悟で古田捕手の引退に花を添えて欲しいと思います。

と勝手に決めつけてしまいましたが。出来ればコーチ陣を一新して監督として今後も采配をふるうか、何年か修行した後に帰って来て欲しいと思います。

「古田でダメなら仕方がない」この声が本人に届くことを強く願います。

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September 12, 2007

ウンコをもらす

ウンコをもらす
社会保険庁や市町村職員による年金保険料の着服が次々と明るみになっています。何億もの着服があれば納付期間が狂っている人がいるのも当たり前なのですが、年金保険料に関する一連の問題が明るみになるまではいくらクレームを入れても立て板に水でした。

もちろんこの自信は、必要最低限以上の労働を避けるという日本一健康的な職場だった社会保険庁の職員がきっちりと作業をしていることを前提としてのこと。それがこのていたらくですから、泣き寝入り状態にある「被害者」の方はやり場のない怒りを感じていることでしょう。

舛添厚労相は盗っ人は逃がさないと着服職員の洗い出しを打ち出しましたが、日に日にトーンダウン。結果的に血気盛んな民主党の社会保険庁へのヒアリングの方が目立ってしまいました。

それにしても社会保険庁側の稚拙な言い訳の数々には呆れてしまいます。外局の小役人がこの調子ですから、キャリア官僚はもっと難敵です。稚拙な言い訳でも難解な単語を使って煙に巻こうとしますから。例えば、社会保険庁が解体されても実際には機能がどこかに残り、消えるのはこれまでのていたらくに対する責任だけだったりするように。

さて、舛添厚労相を任命した安倍首相が先ほど辞任を表明しました。マスコミは就任時こそ夫人の天然キャラをひっくるめてちやほやしたものの、小泉前首相とは違って一般庶民(というより視聴者)の注目を集めにくいキャラだとわかると一斉に追い落としに入りました。その方が注目を集めるとでも思ったのでしょう。テレビや新聞の影響は大きいですから、結果的に内閣支持率の急落や自民党の参院選大敗の一因になったとも考えられます。

もちろん一般庶民も安倍首相の仕事ぶりにはがっかりしています。就任以前は北朝鮮に強行的であったのにいざ首相になると借りてきた猫状態。結局は閣僚を含め都合の悪いことは黙っていればいいという、ガキの考えるような悪しき風潮を国会に残してしまいました。

それにしても辞めるタイミングがあまりにも悪すぎます。「遅きに失した」「拙速」という言葉がつきまとう安倍内閣を象徴しているかのようです。例えば外で今にもウンコをもらしそう(退陣しそう)なのを我慢していた子供(安倍首相)が、まわりの勧める野グソ(参院選大敗後の退陣)を断って「おうちに帰る(任期満了)まで頑張る!」と立ち上がって歩き始めた途端にウンコをもらしたようなもの。まわりは本当に大迷惑です。

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September 09, 2007

メモ

今日、明日と黒澤明監督作品の「天国と地獄」「生きる」のリメイク版がテレビドラマとして放映されます。年末には「椿三十郎」テレビでやること自体失礼なような気もしますが、シナリオの師が当時の黒澤明に絡んでいた人で、「生きる」はともかく「椿三十郎」特に「天国と地獄」は事あるごとにエピソードを述べていたので、記憶していることをここにまとめます。師の明らかな記憶違いと思われる部分もありますが、恐らく本として著わしていないと思うので、口伝として語り継がれるべき話なのかもしれません。

師が特に語ることが多かった「動機」と「身代金」のエピソードを書き出します。まずはそのままお読み下さい。

<動機>
天国と地獄(1963年3月公開)は、同年3月に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件をきっかけに「誘拐とは卑劣であり許せないものだ」として、黒澤氏が当時撮影していた映画を中断して、わずか数ヶ月で製作された。原作は1959年に発表されたエド・マクベインの「キングの身代金」で、東宝関係者を渡米させ映画化権の取得交渉に入る。既に映画化の話が進んでおり難航したが、黒澤氏の動機に賛同したマクベイン本人が映画化を承諾し、撮影に入った。

・吉展ちゃん事件は公開の後に発生していて、犯人は天国と地獄の予告編を動機の一つとして挙げていることから、雅樹ちゃん誘拐殺人事件(1960年5月)の記憶違いかもしれません。当時の誘拐に対する罪の軽さに憤っていたことが動機になっていますから、製作前の誘拐事件が引き金になった可能性が高いといえます。中断した映画や製作期間は確認のしようがありませんでした。

<身代金>
洞察力に優れた黒澤氏は、既に国鉄の特急車両の洗面所の上に僅かに開く窓を発見していて、天国と地獄の撮影に当たって使用することを思い立った。確認のため、関係者と東京駅に出向いた。立ち会った駅員は、特急車両は窓が開かないと思っていたので驚いていた。酒匂川の河川敷に落として、警察署が何分で駆けつけるかも計算した。犯人が逃げられないとリアリティがないので。酒匂川鉄橋を挟む2つの警察署に河川敷にどれぐらいで駆けつけられるか問い合わせた。

・おおよそ原作とはかけ離れることが多い黒澤映画なので、エピソードのようにもともと思いついていたアイデアをガッチャンコしたというのが適当でしょう。師からは既に一般的になっている撮影のため民家の一部を取っ払ったという話も聞きましたし。警察署は再編や新設があれば違うかもしれませんが、小田原署ともう1ヶ所は松田署あるいは大磯署だと思われます。通報で最短で到着する時間を割り出し、犯人が逃げられるかを考えたようです。おそらく地元の人の多くがこだわらないと思われる部分までリアリティを追求するのは、映画に対する執念以外の何者でもないでしょう。

ちなみに天国と地獄はモノクロですが、後半に登場する煙だけ色を使いました。黒澤氏は、極彩色の絵コンテを用意することも有名ですが、最後までモノクロ映画にこだわり続けました。色は観客の頭の中で再生欲しいという考えがあったのだとかもしれません。ラジオドラマにおいて聴取者の頭の中で映像を再生してもらうように、色に関してはモノクロの方が観客それぞれの頭の中で100%理想的な色で再現出来ますから。やがて天然色の流れに圧されて黒澤映画もカラーになっていきますが、逆に輝きを失って行ったように思えるのは気のせいでしょうか。

ちなみに椿三十郎ですが、原作の日々平安には椿三十郎自体が登場しません。試写会で山本周五郎は「面白い映画を作ってくれてありがとう。だが、これは私の作品ではない。お金はもらえない」と述べたものの、黒澤氏は「あなたの原作がなければ、この作品は存在し得なかった」と言ったとか。いつも通り役者には過酷で、蜘蛛の巣城でトリックで矢を射られた三船敏郎は、エンディングで水路に浮かぶ三十郎のシナリオを読んで「今度こそ本当に殺される」と怯えたとか。黒澤映画は共同脚本のメンバーにも過酷で「黒澤に殺される」と東宝関係者に泣きついて来ることが何度もあったとか。

ただ、黒澤映画が面白いのはモノクロかつ共同脚本の頃で、今はハリウッド映画などで共同脚本が一般的になっているところをみると、時代の先端を行っていたといえます。その後、共同脚本の方法はあまりとられなくなりました。黒澤氏を初め、共同脚本を担っていた脚本家の多くが単独で執筆した映画があまりヒットしていない実状をみると、やはりアイデアを出し合って脚本を考えていくことの重要性が感じられます。特に今の邦画はテレビドラマの延長でやっつけのようなものが目立ちますから。こうした共同脚本を言葉を吟味しながら作詞する阿久悠の詞とするならば、今の邦画は彼が「自分の狭い世界しか書けない」と嘆いていた多くのシンガーソングライターにあたるのかもしれません。もちろん歌詞も楽器の一つと考えるスタイルもいいとは思うのですが。
Sneko

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September 07, 2007

問題のウラ

問題のウラ
台風が日本列島を縦断中です。久々の首都圏直撃とあってか、マスコミのボルテージも上昇していたようです。

特にテレビは大はしゃぎで、何時間も前の八丈島の映像を穴があくぐらい流したり、街で風雨に悪戦苦闘するOLや女子学生の映像が流れていました。

この手のちょいエロな映像はいわば公然の盗撮みたいなもので、テレビカメラなら甲子園でのチアリーディングやビーチバレーで選手の姿態の撮影もOKです。一般人がなら警備員にしょっぴかれてしまいますが。

先日もビーチバレーの人気選手がギャラリーに身体を触られたとして、マナーを問う報道がありましたが、自分たちの報道が一般人を煽っていることに気付いているのでしょうか。ビーチバレーの試合結果もろくに報じず、最近ではペアを組む相方の選手も全く取り上げないくせに。

こうした煽りは台風の報道も同じです。犠牲者の多くが海岸や川の様子を見に行って被害にあっていることを考えると、不必要に台風の猛威ばかりを面白おかしく取り上げることに疑問を感じてしまいます。

リポーターは今でこそパフォーマンスとばかりにヘルメットを被りますが、危険な場所で撮影すればするほど、一般人の好奇心を煽ってしまわないか心配になります。もちろん自然の猛威を伝え、災害に対する警戒を訴える必要はあると思うのですが。

そう考えると、速報性のあるテレビの使命は、現在の状況を伝えながら台風に対する警戒をひたすら呼びかければいいということになります。一般人の土嚢積みとか、三宅島のキャバクラなどの話は何度も使い回すべきではありませんし、今日一日を振り返ってどうしたいの?と聞きたくもなります。

さて、エスカレーターでサンダルが挟まれる事故が相次いでいます。カラフルな輸入サンダルが引き込まれるケースがほとんどで、このメーカーの日本法人の「ステップの黄色い枠内に乗れ」と述べるだけのドライなコメントはいかにも外資系といった感じで辟易しますが、報道はそれだけで終わっていいのでしょうか。

現在の報道はこのサンダルの材質とエスカレーターの構造に終始していますが、雨に滑らない材質とステップとガードの隙間を極限まで埋めたエスカレーターの構造は限界にまで達しています。そう考えると手詰まりのようですが、よく考えると一つ見落とされている部分があることがわかります。

『駆け上がり』です。

駆け上がりはエスカレーターに相当な負担がかかります。新品のエスカレーターは乗り心地も滑らかですが、やがてステップがゴツゴツと跳ねたりするようになります。この駆け上がりにより、恒常的あるいは一時的にガードとステップの間の隙間が発生し、サンダルを巻き込んだ可能性が考えられます。先日、子供の履いていたサンダルが巻き込まれた事故は、東京駅のようですから、可能性はさらに高まります。東京には右側に立ち止まる利用客がいると、舌打ちや咳払い、時に顔を覗きこんでまでして払いのけるようなせっかちなサラリーマンが多いですから。

人間が歩けば体重以上の衝撃が地面に伝わるので、エスカレーターには立ち止まった場合の何倍もの衝撃が伝わります。ましてや階段なのでベタベタと歩く人も多く、しかもステップの片側だけ衝撃が加わりますから、あちこちのエスカレーターがしょっちゅうメンテナンスを受けているのも頷けます。

先日、駅のステップの欠けた部分に挟まれて女性足の指が切断された事故がありましたが、これも駆け上がりにより靴の先などで直接衝撃を受けた可能性が考えられます。直接的でないにせよ、駆け上がりによるステップの歪みなどで衝撃が加わり欠けた可能性もあります。

また、エスカレーターのガードの部分にステップとの摩擦によるすり傷を見かけることがありますが、これは駆け上がりの衝撃を受け続けたことによりステップが傾いて発生したものと推測出来ます。エスカレーターが日々過酷な条件下で稼動していることがよくわかります。

被害に遭われた方も黄色い枠内に立っていれば事故を回避出来た可能性が高いといわれていますから、駆け上がりの是非を含め、サンダルやエスカレーターの安全性を問う前に、我々が適切な使い方をしているのかどうかを考える必要があるのかもしれません。

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