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April 17, 2007

既得権益

東国原宮崎県知事が定例会見の是非をめぐって番記者と口論になりました。どうやら定例会見以外にも取材攻勢を受けているので、あえて開く必要がないのでは、という理論のようです。その時間をほかに割けるのではないか、と。これに既得権益が脅かされると察知した番記者が猛反発。説明責任を振りかざし反発しているという構図のようです。

記者クラブは、マスコミだけに与えられた既得権益です。一等地に部屋を提供してもらい、ここに加盟していれば横並びで情報を提供してもらうことが出来ます。IT社会が到来し、誰でもインターネットなどから情報を得られるようになり、マスコミの存在そのものが危ぶまれましたが、実際は取材先にそれなりの圧力をかけながら、一般人に公表するネタと自分達が得られるネタを振り分けてもらったり、公表のタイミングをずらしてもらうなどの方法で逞しく生き残っているのが実状です。むしろ結束力が高まっているのかもしれません。

記者クラブの存在の是非については、当時の長野県の田中康夫知事による脱・記者クラブ宣言が記憶に新しいところです。彼は結局記者クラブを閉鎖して、県民が自由に出入りできるプレスルームを作ったはずですが、マスコミは「こいつらと一緒にするな」とばかりに猛反発していました。おまけにずるいのは、長野県では大手マスコミの支局や地方紙などが田中氏とドンパチやっているのに、本社やキー局ではこの件に関して批判するわけでもなくだんまりを決め込んでいたことです。たかが地方の話といえばそれまでですが、脱・ダム宣言を打ち出すなど、就任当初は国民や県民の追い風を受けていた田中氏の批判の手を緩めていたともとれます。

マスコミが説明責任を振りかざすのは分かりますが、当事者の説明(情報)をマスコミが県民や国民の代表者として受けながら、都合のいいように端折って加工しながら県民や国民に説明(報道)してしまうことを疑問視する見方が多いのも事実です。今の時代は同じニュースでもインターネットなどいくつものルートを通って情報が伝達されてきますから、情報を誇張したり捻じ曲げたりすると、すぐにばれてしまいます。それでもなお、捏造や事実を歪曲して伝える事例が後を絶たないところをみると、この問題は日本のマスコミの体質そのものなのかもしれません。

横並びといえば、大相撲の優勝力士のインタビューもそうかもしれません。僕の記憶違いでなければ、それまで表彰式までの間に支度部屋で行っていたインタビューを、思い切って土俵脇でやってしまえという考え方で始まったはずです。これも僕の記憶違いでなければ、この手法を導入した当初(数年~10年ぐらい前?)は、支度部屋でのインタビューもなかったように記憶しています。それが今はどうでしょう。土俵脇でも、支度部屋でもインタビューが行われています。土俵際でインタビューがあると、会場を訪れている観客は盛り上がりますが、それ以上の意味をなさないのではないかと思えてきます。

記者クラブに加盟していれば、会見もきちんとセットされ、オフレコの懇談などにも出席できます。首相や閣僚を取り囲むインタビュー(ぶら下がりといいます)も、イレギュラーで行われているようにもとれますが、この場所でこの時間ぐらいにぶら下がりなさいという取り決めがあり、記者の代表が面白くないガチガチの質問をします。台本通りのプロレスみたいな感じです。ちなみに、安倍首相の話が面白くないといという話をよく聞きますが、きっと質問がくだらないからでしょう。小泉さんはそのくだらない質問でも自分なりに噛み砕いて答え、安倍さんはストレートに答えてしまう差だといえます。小泉さんの珍言の多くはぶら下がりの時に産まれたことを考えると良く分かると思います。もちろん、安倍さん自身が面白くないのが一番の理由かもしれませんが。面白くない映画を観て感動するぐらいですし。

東国原知事が定例会見が不要だと思うのなら、緊急時にはきちんと説明することだけを約束して、会見をイレギュラーにしてもいいと思います。その分、公務に時間を割くのは道理にかなっているともいえます。ただし、昔の付き合いとかで特定のマスコミだけ取材に応じたりすれば、マスコミの横並び意識が再び首をもたげ、大混乱となるでしょう。これまでの東国原知事の問題行動?や失言?などが極めて軽微に取り扱われたのは、国民や県民の追い風に批判の手を緩めざるを得ないマスコミの匙加減によるものが大きかったといえますが、ひとたび「批判」のスイッチが入れば、どんなことも針小棒大に扱われてしまう危険性があります。

また、東国原知事は「県民が知りたいことと、あなた方(記者)の感覚が違う」旨の発言もしていますが、確かにその通りだと思います。我々ニュースの受け手は、胴体着陸や公園や学校の遊具の事故が起きたからといって、暫くは似たようなニュースを拾い集め、日常茶飯事に起きているかのように伝えることを求めているわけではありません。JR西日本の事故直後では、その定義すら理解せずに連日報じられたオーバーランのニュースが垂れ流されていましたし。東国原知事の行動を批判するのなら、彼のいう感覚の違いとは何なのか、考えてみるべきではないでしょうか。

大手マスコミの正義の味方ぶりをみると、どうもアメリカと重なってきてしまいます。周囲の意識とはかけ離れた自分なりの決まりを正しいものだと信じ込んで、正義の味方を演じ、その姿に陶酔しているような感じがするのは、気のせいでしょうか。
Nekobachi

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April 16, 2007

情痴アヴァンチュール

CinemaX第133回。

監督:グザヴィエ・ジャノリ
脚本:ジャック・フィエスキ、グザヴィエ・ジャノリ
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:リュディヴィーヌ・サニエ、ニコラ・デュヴォシェル、ブリュノ・トデスキーニほか
上映時間:107分
(公式サイトはここ

「一反もめん」

東急の株主優待券にはA券とB券があります。一般的にはB券が価値があり、間違って買ってしまったばかりに観てしまった情痴アヴァンチュール、ちょこっとリュディヴィーヌ・サニエが気になる今日この頃ですが、果たしてCinemaXの評価やいかに。

情痴…は、冒頭から暗めの映像とどうでもいいような情景をだらだらみせつけられます。これはフランス映画ならではといえます。邦画でこういうテイストを真似た映画もありますが、英語で俳句をやるのと同じ。邦画では馴染みません。そんな映像が流れた後に主人公、ジュリアンは、美しい女性、ガブリエルが夜の街を裸足で歩いているのを目撃します。序盤は、なんとなく気になる彼女を追い回すという展開です。

ジュリアンがガブリエルに対する、さりげなく、それでいてストーカーさながらで大胆な追いっぷりは、観ている側もひきこまれます。夢遊病を題材に扱っているのですが、キャラクターが直接的に病名を口にすることなく、モンタージュ?によって上手く説明されています。この辺りの設定は、昔ちょこっと話にしようと思っていただけに期待が持てます。ガブリエルの徘徊も「再発」ということでごく自然に説明されています。

ところで、フランス映画の多くは、登場人物が常に下心で動いているような感じがするのは気のせいでしょうか。下心といってもハリウッド映画のようにちょっと共通体験をするとすぐに寝てしまうような直接的なものではないのですが、登場人物の多くが、上品にふるまいながら、結局は下心だけで行動しているような印象を受けます。

ターン1までの評価「B」

情痴…は、出足が良かったものの中盤から失速しはじめます。まずは、ガブリエルが何故か突然ジュリアンとその恋人、セシルの家にやってきます。簡単に接点を作ったという感じでかなりご都合主義の展開です。おまけに、このセシルというキャラの設定がいい加減で、どうでもいいことばかり喋るナレーションは、セシルのモノローグであるにもかかわらず、彼女の行動は行き当たりばったりで、せっかくいい流れで展開しようとしていたストーリーを破壊してしまいます。

ターン2までの評価「C」

後半はもうやりたい放題です。何の脈絡もなくかつてレズだった片鱗をみせたり、浮気相手を簡単に家に上げたり、状況によって会うことを許したり、気まぐれで怒ってケンカしてみたり、いきなり引っ越してみたり、とにかくガブリエルとジュリアン、セシルによる、ご乱行(乱交ではない)のオンパレード。映像が綺麗なのが救いなのですが、フランス人とはこういういい加減な人たちが多いのだと錯覚してしまいそうです。そもそも、彼らの善悪の基準がさっぱり分かりません。

さらに問題なのは、誰が主人公だか分からなくなってしまうというところです。ナレーションはセシル、行動の中心はジュリアンだったのですが、どうも終盤の主役はガブリエルのようです。例えば、海のトリトンの原作本のような主人公が簡単に変わってしまう困った映画です。

最終評価「D」

ゲゲゲの鬼太郎が何度目かのリニューアルを果たし、再びお茶の間に登場しました。今回は便乗して実写版の映画も公開する段取りです。ヤッターマンやガッチャマンも実写かが予定されていて、最近、予告で目にするのは歌謡曲をモチーフにしたオムニバス映画です。安易に昔のコンテンツを利用しすぎのような気がします。これでは頭を使わない安易な開発を続けるパチンコ業界と同じです。

前置きが長くなりましたが、情痴アヴァンチュールは一反もめんのような映画です。出だしはなかなかなのに、一反もめんの尻尾の先のようにうやむやになって終わってしまう…いい役者を揃えただけにもったいない映画といえます。ちなみに今回の文章自体にまとまりがなく、どこか投げやりな感じなのは、この映画のせいです(笑)

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年4月13日
劇場:シネマスクエアとうきゅう
観客数:20人/224席
感涙観客度数:皆無

ついでに紹介!

フランス映画のテイストさながらといえる「隠された記憶」僕はこの映画の良さがさっぱり分かりませんでしたが。フランス映画(厳密にいえば日仏合作)で記憶に残るのは「薬指の標本」ですが、どことなくその雰囲気が漂う「マッチポイント」もおすすめです。

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April 15, 2007

主役捏造・主役不在

ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手がデビュー戦を飾りました。例年に比べ数倍の観客が訪れ、77年ぶりとなる新入生の開幕戦初先で6回1安打無失点の好投でした。ただ…相手は東大ですよ?体育会系のクセに頭が良かったり成績優秀で野球をちょっとかじっていました程度の人が集まっているともいえる東大が、スポーツ推薦が当たり前の私大に混じってリーグ戦を戦うというのは無理があると思うのですが、このチームを相手に好投をしたからといって大はしゃぎをするのはちょっと疑問です。今回のテレビや新聞報道では、東大のチーム力に関してはタブーとばかりに触れないのはもとより、相手が東大だったことすらまともに紹介していないケースもありました。マスコミ業界では、石を投げれば早大政経に当たるという言葉も聞きますから、大はしゃぎしたい気持ちがあるのは分かりますが。

ハンカチ王子が入部当初から開幕投手が確定していたわけではないと思うのですが、注目度を考えると可能性は高かったといえます。それを見越して東京六大学野球連盟が対戦相手を組んでいたとすれば、やらせと言わないまでも、きな臭さを感じます。特に野球界ではプロアマ問わず裏金疑惑が飛び交っていますので、独占放映権を得たテレビ局などから裏金が渡っているんじゃないか?と勘繰ってしまいます。主役捏造?

さて、主役不在といえば、新庄選手が引退した北海道日本ハムファイターズが最下位に低迷しています。成績に比例するようにマスコミに全く登場しなくなった選手がいます。背番号1を引き継いだ森本稀哲選手。新庄選手の後継者と直接指名を受けながら、マスコミは知らんぷり。昨年は新庄選手に引っ張られて打撃成績が向上したといえますが、もともとは守備の選手です。もちろん地元北海道での扱いは違うと思いますが、そもそも発言時のテンションや内容の多くが、空気が読めているかスレスレの微妙なものが多かったような気がするので、よほどの打撃成績をおさめないと全国区で再び扱われることはないでしょう。新庄選手なら三振でも大々的に扱われたというのに、このマスコミの扱いの差はあんまりです。

主役不在でもう一つ。4月に入り飯島愛がブラウン管(今なら液晶とかプラズマディスプレイとでもいうのでしょうか)から消えました。それ以降のサンジャポを観ているとどこかテンポが悪くなっているような気がします。大して変わらないなと思っていたのですが、彼女がいなくなると、絶妙なタイミングで周囲の話を強引にさえぎりながら、視聴者レベルの素朴な疑問を他の出演者にぶつける人がいなくなっていることが分かります。今になって考えると番組としては大きな痛手じゃないのかと思えてきます。飯島愛は、いろんな番組で脇役をつとめながら実は、存在は主役級といことだったのでしょう。この点に関しては僕も過小評価をしていたような気がします。
Jingu070403

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April 12, 2007

犯人探し

留年通告を理由に女子学生が自殺しました。通告を行った准教授は懲戒免職となりました。そんな理由で死を選んでしまう学生がいたことにも驚きですが、大学側の処分の重さ、そして異例の早さにも驚きました。身内に甘いくせに企業などが問題を起こすと犯人探しをして何かと処分が甘いと食いつくマスコミですが、今回の大学側の対応に批判の手を緩めてしまったような気がします。

留年の原因となった課題は、難易度が高かったといわれていますが、一概にこれを批判していいものかと思います。例えば、大学教授や講師は、一般的にその大学のOBか、外部の場合はその大学のレベルより高い大学を卒業した人間が招かれる傾向にあるようです。実際僕が通っていた大学にも国立大や有名私立を卒業した教授や講師がウジャウジャいました。教育熱心な人もいましたが、天下りとでも考えているのか、学生を見下した言動を繰り返すバカもいました。「東大では、君らと違って生徒と呼ぶんだ」「どうせ君たちには理解出来ないだろうけど」とか。

自殺した女子学生が通っていた高崎経済大学は、最高学府でも私立の難関校でもありません。ただ、どのレベルの大学にも向学心に燃える学生が必ずいるはずです。学生は単に偏差値で輪切りにされているに過ぎませんから。それらの学生に難しい課題を出すことが、果たして批判に値するかと考えると疑問です。亡くなった学生は真面目、完璧主義者だという声もあります。留年というのが人生の大きな傷になると判断したのでしょうが、そうした心のケアが出来る友人や家族がいなかったのかと思うと残念です。ケアできなかった学校や准教授を批判する声もあります。准教授が女子学生が自殺するとメールを送って放置していたことも批判されていますが、学生生活の何から何まで学校や講師に面倒をみろというのは違うような気がします。

准教授の懲戒免職の理由に言動がおかしかったことも挙げられています。例えば、キャミソールワンピを着た女子学生に「ピンサロ嬢みたいだ」と言ったとか。教育者の立場で発言する言葉ではありませんが、一方的に非難するのも行き過ぎなような気がします。ビジネスではスーツが必要ですが、講義を受けるのにキャミソールワンピは必要ですか?このほかにもおかしな言動があったといわれていますが、一方で授業が面白いという意見も。どちらも一方的な意見なので、これらの声だけを汲み取って判断するのは危険だといえるでしょう。

さて、水晶岳でヘリコプターが死傷事故を起こしました。マスコミは犯人探しに躍起です。座席の一部が外されていたことで乗客の生死を分けたという見方がありますが、会社側の弁明では、当日の飛行ルートの判断を含め、全ては亡くなった機長に一任されていたという「死人に口なし」の状況に追い込もうとしているようにもみえます。一方でテレビや新聞では今後、先日の胴体着陸後の過熱報道のように、ヘリコプターのちょっとした事故を針小膨大に取り上げることでしょうが、日本全国のヘリコプターが全て危ないものだと勘違いしないよう、注意しなければなりません。

犯人探しがもう1つ。小学校でワーワーロープなる遊具が破損し、小学生が軽傷を負いました。一部のテレビ局は定期点検を行っていた業者に詰め寄り「責任を感じませんか?」「点検ミスということですか?」と詰問していました。まともに答えない業者の態度も不可解なのですが、そういう報道をすることに何か意味があるの?という気がします。そもそも、ワーワーロープは、PTAが贈った遊具ですから、箱ブランコの事故のように製造業者を吊し上げることが出来ないので、点検業者を犯人としたいのでしょう。学校側に一定の責任があっても何年も経てば教師は入れ替わってしまうことや、遊具を贈った当事者であるPTAも役員は入れ替わり、そのそもマスコミはPTAを批判することに及び腰ですから、犯人探しに腐心すれば、矛先は業者に向かうということになります。

遊具による事故が発生したことで、いつものように日本全国の学校や公園の遊具が危ないともとれるような報道がなされることでしょう。ただ、ブランコの足元ですら人工芝になるなど過保護な遊具が増えるなか、ワーワーロープのようなスリルのある遊具が学校から消えてしまうのは残念なような気がします。子供は、少々危険な思いをすることで成長します。そういったチャンスを塞いでしまうことは、成長の目を摘むことと同じだといえます。これでは、頭と身体は昔より成長しても人の痛みが理解できない子供が増えてしまいます。

マスコミは、犯人探ししてはしゃぐするよりも、むしろ無菌社会の危険性について議論すべきではないでしょうか。関西テレビのやらせ問題に関する激甘処分などのように、身内すらまともに裁けないのですから、正義の味方のような顔をする資格はありません。
Kiso

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April 08, 2007

ロッキー・ザ・ファイナル

CinemaX第132回。

監督:シルヴェスター・スタローン
製作総指揮:ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー
脚本:シルヴェスター・スタローン
音楽:ビル・コンティ
出演:シルヴェスター・スタローン、バート・ヤング、アントニオ・ターヴァーほか
上映時間:103分
(公式サイトはここ

「薄めたカルピス」

ロッキー・ザ・ファイナルです。言うまでもなくロッキーシリーズの完結編(多分)。ロッキー、ランボーで一世を風靡したものの、その後はいまいちパッとしなかったスタローンが、最後のどじょうを狙って自らメガホンをとった映画です。数えてみるとシリーズ6作目?果たしてしっかりとダシがとれているのか、CinemaXの評価やいかに。

行きつけのトイレに時折、月刊少年ジャンプが捨ててあるのですが、捨て賃代わりに試写会の応募券だけ破って応募して、この試写会が当たってしまいました。ロッキーシリーズは最初のやつとソ連に行った話だけ観ているのですが、特に興味はないので、試写会が当たっていなければ観ることはない映画と言えるでしょう。ただ、観るからにはよほどひどい映画で寝てしまわない限り、しっかりと観るようにしています。

冒頭から、スタローンの老け具合が気になります。スタローン地震、50代前後での不摂生がたたったのか、今ごろになって鍛えてもどうしてもボロが見え隠れしてしまいます。ただ、老けた菅直人みたいな風貌は、哀愁たっぷりなので、これから這い上がるぞという設定なら、案外とマッチするのかもしれません。

ターン1までの評価「B」

ところが!です。せっかく過去の栄光を取り戻そうとしているのに、ロッキーの位置づけが極めて曖昧です。どうせ這い上がるのなら地の底に落ちていればいいのですが、レストランを経営したり、今でも人気があったりとそこそこの成功者だったりします。これでは跳び箱を飛ぶのに踏み台がないようなもの。ロッキーがだらだらと昔話を繰り返しているような展開が続きます。

中盤もロッキーは思い出に浸りながら笑い、泣き、怒るのですが、この感情が観客には伝わってきません。一体いつになったら試合を決意するのか、本当にだらだらとした展開が続きます。映像も暗めなせいか、窮屈な座席で何度も何度も意識を失いそうになりました。

ターン2までの評価「C」

一時間以上もロッキーの昔話を聞かされ、試合する、しないとモゴモゴしてやっと試合を決意するのかと思いきや、妻、エイドリアンの墓に。墓参りしすぎです。これまでのシリーズでエイドリアンが死んだのか、今回までの間に死んだ設定にしているのかちょっと分からないのですが、無理に殺す必要はなかったのではないかと思います。

ちなみにロッキーが好意を寄せる女性が出てくるのですが、エイドリアンへの気持ちを捨てきれないのか、友達以上にすらならなりませんでした。男女がちょっと仲良くなるとすぐに寝てしまうハリウッド映画では極めて異例であり、そのくせ寅さんのような悲哀さは滲み出ることはなく…時間稼ぎのために作ったような設定のように感じました。この映画、よほどのロッキーファンでない限り、最初の一時間は不要だといえます。

ロッキー・ザ・ファイナルでは、ロッキーと息子、ロバートとの親子愛みたいなものも描こうとしているようですが、これも中途半端です。むしろ、オースティン・パワーズのDr.イーブルと息子、スコットのほうが親子愛に満ちているような気がしました。スコットとロバートの風貌が何となく似ているので比べただけですが。

最終評価「C」

それでも、試合が始まるとそれなりに迫力はありました。テレビ観戦をしているような演出のほか、試合中のパンチまで迫力があるように演出されているので見応えはありました。還暦を過ぎたとは思わせない動きですが、こういう演出がないとさすがに厳しいのでしょう。これまでのダラダラした展開などを踏まえると、出涸らしのお茶、あるいは薄めたカルピスのような映画でした。

終わり方には賛否両論あるでしょうが、これはロッキー特有の展開であり、日本人好みの終わり方かもしれません。さんざん待たせて一試合しかしないのは、ビートルズ日本公演や人気絶頂時のタトゥーの来日公演のようです。ともあれ、ラストシーンはそれなりに印象的でした。貧乏のどん底にあるとか、過去の栄光が失墜しているとか、もうちょっと這い上がる前の反動があれば、面白い映画になったのかもしれません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年4月4日
劇場:よみうりホール
観客数:1000人/1100席
感涙観客度数:20%程度
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。
コアなロッキーのファンやよし泣くぞ!と意気込んで劇場に行った人は、それなりに泣くことは出来るでしょう。

ついでに紹介!

ロッキー・ザ・ファイナルと並び同じく遅きに失した感のある「氷の微笑2」ちなみに、VHS絶版、未DVD化ですが「写楽」はフランキー堺が長い構想期間を経て念願の映画化にこぎつけたものの、歳をとりすぎたため写楽役を真田広之に譲りました。片やシリーズもの、片や一発映画?なので比べるのは難しいですが、どうせやるなら、後進に譲るぐらいの思い切りも必要なのではないでしょうか。

ロッキーといえばテーマ曲があまりにも印象的ですが、エンドロールではオリジナルのテーマ曲がしっかりと流れていました(多分)…やっぱりいいものですね。ミッションインポッシブルみたいにテレビシリーズに比べスピード感を殺すようなアレンジがなされていないのが好印象ですが、実は開映前などに流れるテーマ曲は結構ダサいアレンジがなされています。ロッキーのテーマは、悲しいかな、アレンジすればするほどユニバG物語(大神源太主演)を思い出してしうのは僕だけでしょうか。

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April 06, 2007

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

CinemaX第131回。

監督:松岡錠司
原作:リリー・フランキー
脚本:松尾スズキ
音楽:上田禎
出演:オダギリジョー、樹木希林、内田也哉子、松たか子、小林薫ほか
上映時間:142分
(公式サイトはここ

「下手クソ」

サラリーマン限定、飲み会つき試写会というものに行って来ました。映画を観た後に、居酒屋に移動してあれこれ話し合うというもの。目新しい企画なのか、テレビカメラを含め取材も多かったような気がします。ちなみに、偏見かもしれませんが、試写会の安かろう悪かろうという雰囲気を作っているのは、中高年の女性(もちろん全てではありません)のような気がするので、男ばかりでも何となく上品な感じがしたのは気のせいでしょうか。

さて、リリー・フランキーの同名小説の映像化では恐らく3回目、昭和ブームに絡めてフジテレビが2時間ドラマと連ドラ今回は日テレが3匹目のどじょうを狙います。ブームの後追いは東映のお家芸が始まったのかと思いきや、松竹でした。何を今さらというような気もしますが、果たしてCinemaXの評価やいかに。

この映画は、1つの特長があるように思います。1つ目は、時代を超えたカットバックです。幼少時、上京時、現在がカットバックのように繋がっています。これは、幼少時からだらだらと時系列順に他人の自伝を見せられるこれまでのドラマに比べ、かなり分かりやすいといえます。キャスティングもボクの母親を樹木希林の若い頃を娘の内田也哉子が演じたり、ボクは子役からオダギリ・ジョー手前まで、比較的似た顔の子供を集めたりと、それなりに苦労のあとがみえます。ただ、机上では成功しているようでも、実は樹木希林母娘で演技力が月とスッポンだったりとか、ボク役の子供が途中でいきなり声が高くなったりとか、気にしなくていいような細かいところが妙に引っかかったりしたのも事実です。

ターン1までの評価「B」

特長の2つ目は、ナレーションを多用していることです。一種の飛び道具のようなものなので、観客には登場人物の心情やシーンの状況がダイレクトに伝えられますが、一方で映画全体の動きがなくなり、紙芝居のような映画になってしまいます。カットバックが激しい割に上手いことシーンが繋がっている映画だと思うので、ナレーションを省略して、もう少し冒険してみてもいいのかな、と思いました。

3つ目は、重要なシーンをカットしていることです。そもそも脚本にないのか、監督が演出上カットしてしまったのか、肝心なシーンまで端折られています。僕が記憶している範囲でも①オカンがミズエに指輪を渡す②オカンの臨終③オカンがミズエに宛てた手紙の内容の3つが省略されています。原作には事後報告のような方法で表現している部分もあるのですが、①は別れていてもオカンの前では恋人であり続けねばならない葛藤、③は物語を締めくくるうえで欠かせない要素といえます。箱開けてボクに泣かせるのなら、ミズエも手紙を読んで何で泣いているのか、観客にきちんと説明しないと。観客全員が原作を読んでいるわけではないのですから。そして②は、樹木希林のこれまでの迫真の演技を台無しにするもので、何を意図して省略したのか、さっぱり理解できませんでした。

最終評価「B」

映画自体はそこそこ面白いのですが、先行したドラマの粗悪品だったためか、やはり何を今さらという印象が残りました。そもそもこの原作の内容は、オカンに感情移入できない限り、女性にはなかなか共感を得にくい内容のような気がするので、ベストセラーになったからといって安易に映像化すること自体が間違っているような気がします。ただし、20~40代の男性以外の層も引き込もうと、過去の粗悪品のように「昭和」にやたらこだわったり、配役で女性を惹きつけようという、あざとい考えはみられないので、一応、原作に忠実な雰囲気を持っているのかな、と思います。ミスキャスト?と噂されたオダギリジョーは案外、かっこよくみえなかったですし。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年4月3日
劇場:松竹試写室
観客数:65人?/70席?
感涙観客度数:10%程度
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。
男ばかりで気兼ねなく泣けといわれてもそれはそれで酷です。

個人的な話ですが、うちの母親は東京タワーの前半だけ読んで一言「うちのほうが凄い(ひどい)」と。確かに東京タワーに登場するオトンとオカンに比べれば、うちのほうが遥かにバイアスが振り切れているような気がします。ただ、ボクと僕を比べると遠く足元に及ばないのですが。波乱万丈の人生を過ごしてきた僕の母親は、身体が弱り東京タワーの本の後半を読むことが出来ませんでした。先行した粗悪品を観て、これが東京タワーだと思うのもしのびないので、この映画のDVDが出たら贈ろうと思います。そういう意味では、良くも悪くも原作の雰囲気に近い映画だといえます。

ついでに紹介!

原作本と出演者の不祥事でスミが付き、ヒットのタイミングを逃した感のある。東京タワー(大泉版)。連ドラ(もこみち版)を含め「昭和」にこだわりすぎです。ブームとはいえ、何をいまさら。

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April 04, 2007

デジャヴ

CinemaX第130回。

監督:トニー・スコット
製作総指揮:テッド・エリオット、チャド・オマン、テリー・ロッシオほか
脚本:テリー・ロッシオ 、ビル・マーシリイ
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:デンゼル・ワシントン、ポーラ・パットン、ヴァル・キルマーほか
上映時間:127分
(公式サイトはここ

「台無し」

デジャヴをモチーフにしたサスペンスアクション…ということになっていますが、看板にやや偽りがあるような…果たしてCinemaXの評価やいかに。

冒頭シーンは、フェリーの爆発事故です。楽しげな乗客をテンポ良く撮影する一方で車の中でその時を待つ爆弾との対比が上手く描かれています。爆発シーンはCGに頼らず実写なのですが、無駄に船や車を沈めた割には、大きな効果がなかったような気がします。これも敏腕プロデューサーの成せる業なのでしょうか。

ターン1までの評価「B」

ちょっとしたネタばれですが、この映画は、フェリーの爆発前と現在を接点にして展開されます。それが世間一般的なデジャヴかといわれれば、そうではありません。劇中の時間の接点は携帯電話や留守番電話で、一見、オカルトチックな話かと思いきや、実はそうではありませんでした。実はとあるシステムを使うのですが、これが映画をぶち壊しにするほど唐突で、中盤はそのシステムの開発にあたっての薀蓄やルール説明に終始してしまうので、リアリティは一気になくなってしまいました。

このシステムがクソで、都合がいいところで追跡機能が備わっていることを説明したり、肝心のシーンは巻き戻しが出来ないとか、後付けでルールが開示されていきます。これでは観ている側が全く集中出来ません。挙げ句の果てにタイムマシンまで登場します。思えば、冒頭から前半までは、全くこんな映画とは思いませんでした。つまり、前ぶれがない。フランス料理の途中でエビチリが出てくるようなものです。自主映画じゃないんですから、製作者の勝手で観客を振り回すことのないよう、最低限のルールは守ってもらいたいものです。

ターン2までの評価「C」

デジャヴに登場するタイムマシンには、同僚を潜入させて失敗、死なせてしまった主人公、デンゼル・ワシントン演じる捜査官が乗り込みます。この捜査官も意味不明の場所で大笑いしたり、シリアスなシーンでふざけたりします。この人格の壊れ具合は「インサイド・マン」で彼が演じた刑事を彷彿とさせます。「クリムゾン・タイド」ですげーと思ったデンゼル・ワシントンですが、最近はがっかりする役回りや演技が多くなったような気がするのは僕だけでしょうか。ちなみにこの捜査官は、デジャヴ?で出会った女性を守るため、ひたすらカーチェイスや水泳?など派手なシーンを演じます。それなりに見応えがあるのですが、どうも製作者が敷いたストーリーの線路が丸見えのような気がして、緊張感があまり感じられませんでした。

デジャヴは、数日前に戻って事件を解決するというアイデアはいいと思うのですが、素材が良くても料理が不味ければ台無しです。まるで、自分が作ったゲームで世界チャンピオンになるようなもの。デジャヴは、製作者側の都合の良いように作られた映画といえます。組み立て方を変えて、前半のオカルトチックな要素をなくせば、もっと面白い映画になったのかもしれません。最後のシーンがなかなか良いだけに、もったいないような気がします。

最終評価「C」

ところで、デジャヴで登場するタイムマシンは、洗濯機サイズだった「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」に比べ、やたら大きかったりします。スターゲイトみたいです。どうでもいいことですが、この辺りは日米の技術力の差なのかななどと考えてしまいました。質量を小さくというのは共通なのですが、被験者が泡まみれになる日本製に対し、米国製は心配停止するという恐ろしい性能の差です。おまけに前者は年単位で移動出来るのに対し、後者は時間単位でしか移動出来なかったりします。もちろん作り話の範囲ですが、公開時期が近い映画だけに比べてみると面白いかもしれません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年3月24日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:50人/100席
感涙観客度数:50%以上
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

薄っぺらい演出で泣いてはいけません。素材が良くても料理人の腕が悪かった、もったいない映画。

ついでに紹介!

バブルへGO!!と実はコアなファンが多いインサイド・マン。残念ながら僕にはこの映画(インサイド・マン)の良さが分かりませんでした。

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April 03, 2007

概況(19年3月分)

国会議員の事務所経費の問題で、自民党は領収書の添付見送りを固めたようです。単に事務処理が面倒くさいとか、誰と飲み食いしたのかバレるとか、いろいろな心配があるようですが、これでは高い水を飲んでいると豪語するウソつきを無罪放免するようなものです。それにしてもこの時期に話題になるというのは、石原都知事の勝利がほぼ決まったと確信してのことなのか、あるいは統一地方選が終わる9日以降にバラそうとしていたのを記者が抜いたのか分かりませんが。それにしても選挙中はブログなどを更新できないなど候補者はいろいろ制約がありますが、その一方でテレビや新聞の格好のネタとなる世論調査が野放しなのは違和感があります。これでは好き勝手に情報操作が出来るじゃないですか。例えば、東京都に出入する記者にとってみれば、何かと話題性がある石原都政のほうが他のどんな候補よりも面白いに決まっています。単なる集計ならともかく、質問の仕方や結果の報じ方で世論調査ならぬ「世論操作」になりかねませんから。

さて、国会議員の規制が見送られるなかで、官僚には天下り管理の一元化が図られようとしています。これは、遊び人で何もしない親(国会議員)が、勝手にルールを決めて息子(官僚)に「真面目になれ」と言っているようなものです。ところがこの息子はずるがしこいので、親がどんなきまりを作ろうが、ワル知恵を働かせて切り抜けてしまいます。出身省庁に関係する天下りを禁止すれば、それ以外の場所に行くでしょうし、公益法人まで網をかけなければ意味がありません。ほかにも公益法人改革で多くの公益法人が衣替えした独立行政法人という極めて中途半端な企業?にも天下りさせないようなルールが必要です。

一方で天下りを完全に否定するのを懸念するむきもあります。成績も良くそれなりに頭の良い人種なので、一般社会でもそれなりに使い勝手が良い局面もあるでしょうし、それ以前に官僚が退職まで残ってしまえば、役所は人で溢れかえってしまうという懸念もあります。中央官庁は特に、多く人材を採用し、出世を競わせる日本社会の典型的な場所ですから、あぶれてくれば必然的に外に出ざるを得なくなります。

民間でも大企業を中心に同じようなシステムなのですが、この場合は子会社に出向や転籍することで人員調整が行われます。官僚でもこの方法自体は悪くないとは思うのですが、天下りする公益法人などに問題があります。似たような業務を複数の団体が行っていたり、単なる補助金のトンネルとなっているような団体がゴロゴロあります。高度経済成長期のような時代なら許されるのでしょうが、今の日本は限られたパイを争わないと生き残れないような時代ですから、野放しにしていいわけがありません。

そうなると、きちんとルールに則った天下りのシステムが必要です。官僚にもモチベーションが必要です。お供えのような状態でも大企業の役員になれたり、ロクに仕事がなくても業界団体の名誉職になれたりする夢を抱くことが出来るぐらいの仕組みは必要なのではないでしょうか。渡辺行革担当相は、このルール作りに奔走していますが、ここはひとつ、聖域・抜け道がなく、官僚のモチベーションを維持できる、そして何より国民が納得できるようなルールを作ってもらいたいものです。

3月の概況です。

普段の仕事:60(±0)
シナリオ:35(±0)
その他:5(±0)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

「普段の仕事」増減なし

Sさんの仕事がほぼ丸ごとまわってきたので3月末は死にそうなぐらい忙しかったです。一方のSさんは、資料ひとつ綴じるのも「分からない」「出来ない」の一点張り。結果として何もしなくていいようになるのですから楽なものです。つくづく、どうしてこのような状態で50歳手前まで社会で生き延びてきたのが不思議になります。

「シナリオ」増減なし

引き続き頑張っています。

「その他」増減なし

スポーツクラブに通ったのは6日。前月比2日増。プログラムは1日1本が限界のようです。先日、つい動きすぎて足を痛めてしまいました。体重を減らさないと危険です。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」+1㎏

良く行くお気に入りのトイレにちょくちょく月刊少年マガジンが放置してあって、捨て賃代わりに試写会のページだけ破って応募しています。これがたまに当たる。問題はそれほど乗り気でない映画なのと、試写会には安かろう悪かろうみたいな客が多いことです。飲食厳禁のホールでも平気で飲み食いして散らかしたり、エンドロールが始まるや否や通路側の観客を掻き分けてゾロゾロと帰っていったりとか。ま、タダなので仕方ないですが。

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April 01, 2007

ハッピーフィート

CinemaX129回目

監督:ジョージ・ミラー
製作総指揮:ザレー・ナルバンディアン、グレアム・バークほか
脚本:ジョージ・ミラー、ジョン・コリー、ジュディ・モリス、ウォーレン・コールマンほか
音楽:ジョン・パウエル
出演:イライジャ・ウッド、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマンほか
上映時間:108分
(公式サイトはここ

「芸は身をたすく」

最近は鑑賞から更新まで10日前後開くことが多くなりました。今のところデジャヴ(3月24日鑑賞)の更新待ち、4月は4日、5日に試写会に行く予定です。新年度は迅速更新を目指します。

さて、冒頭はからCGの特徴を活かした壮大な絵で始まります。南極のほんの狭い範囲を中心とした話のはずなのに、なぜか地球規模の映像が繰り広げられます。この部分は無駄と言えば無駄なのですが、観て楽しければそれでいいのでしょう。

さて、主役のマンブルが暮らす皇帝ペンギンの世界は、美しい歌をうたえることが必須条件。それなのに、マンブルはド音痴。ところが、その理由というか原因もしっかり説明されていて、突然変異で生まれたのではないということがきちんと描かれています。少しだけパフュームの主人公が産まれつき匂いに敏感であったことをきちんと説明しているところに似ています。この辺りをきちんと説明しないと、ご都合主義になってしまいますから。

ターン1までの評価「A」

それにしても映像が壮大です。とにかく子ペンギンがかわいい。子ペンギンが産まれながらに言葉…しかも英語を喋るのは妙なのですが、よく考えるとペンギンが歌ったりステップを踏んだりする映画なので、特に不思議ではないことが分かります。ただ、背景や親ペンギンの描写がリアルなだけに、序盤はナンセンスのハードル調整に戸惑う人も多いかもしれません。

マンブルは、音痴なために周囲から次第に阻害され、父親からも避難されてコロニーから去っていきます。ここでのルールである歌がうたえないだけで。この辺りは人間社会に似ているような気がします。今、評価されるのは勉強が出来る人です。ただ、勉強も人間が考え出したものです。方程式は多くの人がごく普通に生きていくうえでは何の役にも立ちませんが、子供のうちに頭を柔らかくする効果があると偉い方々判断して取り入れられているようです。

ただ、これも一定のルールと同じで、ルールを丸暗記出来る人間が価値があるとみなされがちです。僕の周囲には、頭が良くても日常生活の基本を全く知らない連中(この手の人々の多くはそんなこと覚える必要はない、と言います)がいる一方で、地を這うような成績の割にやたら生活力が長けている人間もいます。たまたま人工的に編み出されたレギュレーションに合うか否かで生きる価値があるか否かを決めるのは危険なような気がします。

特に受験はテクニックですから、最近は技術を習得した人間や技術を施している一定の経済力のある家庭に育った子供だけが高い学歴を得られるという格差が生じています。親の七光りや事務所の強さ、代理店の後押しで勝敗が決まってしまう芸能界における格差にも似ているような気がします。芸能界や政界には二世、三世がはびこっていますが、本当に実力があるのなら、プロ野球選手にも二世、三世がゴロゴロいてもおかしくないはずです。そうでないのは、実力勝負だから。海外で評価されたというだけで今さらながらマスメディアに追い回される菊地凛子のようです。

ターン2までの評価「A」

コロニーを追い出されたマンブルは、別の国?に移動します。そこはアデリーペンギンのコロニー。ダンスが出来ればモテるという、違うルールが支配している世界です。日本でダメなら世界に飛び出せば?と言っているような感じです。自分のサイズやパターンに合わなければ、合う場所に移動しろということでしょうが、一方で多くの若者が、この志を持つだけで行動せず挫折していくという恐ろしい考え方でもあります。特にミュージシャンを志す若者に多いような気がしますが。この考え方を体現しているのは、研究者に多いように思います。特に皇帝ペンギンのコロニーの長老の頭の堅さは、前例がないだのと難癖つけてなかなか前に進もうとしない様々な局面における日本社会を象徴しているような気がします。

この映画、ペンギンは可愛いのですが、ヒョウアザラシやゾウアザラシ、シャチやトウゾクカモメはやたら恐ろしく描かれています。人間の視点からみれば、どれも愛嬌があるのですが、これはペンギンの視点の映画。この視点のギャップはかなり面白いと思います。特にペンギンに危害を加えないのにやたら恐ろしいゾウアザラシは必見といえます。

最終評価「B」

前半の勢いがなくなり、後半はグダグダになってしまった感があります。マンブルが人間に立ち向かうシーンまでは涙を誘うのですが、その後の説明がかなり端折られています。水族館で天国かもしれないな、と魂を抜かれたようなペンギンたちは、ガラスの向こうのペンギンを見てかわいいとはしゃいでいる我々人間にとって考えさせられるものがあります。

最後は「芸は身をたすく」ばりの展開なのですが、説明があまりにも端折られすぎです。強引な終わり方なのですが、映像に加えて音楽も楽しい映画なので是非、劇場でご覧になることをお勧めします。ただし、こんなやり方もあるのかと最初は感心するエンドロールは、真剣に観ようとするとやたら目が疲れるので注意してください。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年3月20日
劇場:シネプレックス新座
観客数:8人/130席
感涙観客度数:50%程度
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。
中盤までは結構泣けると思います。

ついでに紹介!

「皇帝ペンギン」と「ばけつでごはん」ペンギン好きの御貴兄に。

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