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February 17, 2007

世界最速のインディアン

監督:ロジャー・ドナルドソン
脚本:ロジャー・ドナルドソン
音楽:J・ピーター・ロビンソン
出演:アンソニー・ホプキンス、クリス・ローフォード、アーロン・マーフィほか
上映時間:127分
(公式サイトはここ

「隠し味なし」

バート・マンローという爺ちゃんが世界最速を目指す話です。もっと簡単に説明すれば、母を訪ねて三千里のマルコ・ロッシをバート・マンローに置き換え、目的を母親探しから世界最速へ、目的地をアルゼンチンからアメリカに置き換えたような話です。かえってややこしい?詳しいストーリーは公式サイトや他の映画系サイトをご覧下さい。

さて、この映画はバート・マンローの魅力一つにかかっている映画です。序盤はかなりダラダラしているのですが、それもアンソニー・ホプキンスの演技でどういうわけか誤魔化されます。ただ、地元の珍走団と対決するシーンまでは、映画の中ではバート・マンローの人の良さが説明されるのですが、観客にはなかなか伝わってこなかったような気がします。冒頭で何か一つ、大きなイベントを入れれば、観客はより簡単に感情移入できたことでしょう。

ターン1までの評価「B」

このバート・マンロー、やっていることは変人なのですが、話すと相手の心を掴み取る天性の才能をもったかのようなお爺ちゃんです。監督のロジャー・ドナルドソンは、駆け出しの頃に本人のドキュメンタリーを製作したらしく、いつかはこの人で映画を作りたいと思っていたそうですが、数十年経つ間にバート・マンローに対する敬愛の念は異常に膨らんだのか、はたまたもともと憎めないお爺ちゃんだったのかは分かりませんが、主人公は完璧なまでに「いい人」の設定になっています。実は、やることだけでなく、もっといろんな面で変人らしくしてくれないかな、と最後まで期待していたのですが。

主役だけでなく、あらゆる脇役もいい人ばかりです。同性愛者に対する差別やイラク戦争に対する暗喩的な非難も盛り込む欲張りな設定です。このあたりはあざとさを感じるのですが、バート・マンローのいい人ぶりを示す上では、いいエッセンスになっているのかもしれません。それにしても終始いい人たちばかり。盗人が出ないかな?とか、マシンを壊す奴がいないかな?とか期待したのですが、それもありません。つまり、主人公を成長させるこれといった壁がありません。まあ、お爺ちゃんはいろいろな経験をしてきたので成長する必要がないともとれますが。

ターン2までの評価「B」

ただ、脇役も根拠なくいい人なのではなく、最初は少しだけバート・マンローに立ちはだかろうとしますが、彼の魅力にあっけなく土俵の外に押し出されて、早ければそのシーンのうち、遅くとも次のシーンでは味方になってしまいます。この心の動きは、映画の中のキャストが動くだけだと説明不足で映画そのものがしらけてしまうのですが、バート・マンローのセリフがなかなか面白いのと、何よりもアンソニー・ホプキンスの演技力がこの映画全体を支えているようです。そして、いつの間にか、観客もバート・マンローの魅力に惹き込まれてしまいます。

とにかく、このバート・マンローの魅力は驚異的で、最初は怪訝な表情をうかべていた隣人やタクシードライバー、モーテルの受付嬢?や中古車販売会社の社長、大会運営者、なんでんかんでんのおやじとスタローンを足して2で割ったようなおっさんまで、その他の脇役も含めみんないい人にしてしまいます。悪いのはガラガラ蛇ぐらい。これほどまでいい人ばかりで、それでいて映画として成立しているのはある意味、凄いかもしれません。その希少価値を湛えて評価しました。

最終評価「A」

悪い人が全くいないので、物足りない部分があるかもしれませんが、団塊世代に贈る映画として、あるいは何歳になっても夢を諦めてはいけないという部分で学校の文化祭でも安心して上映できる映画といえるでしょう。残念なのは、世界記録の説明がややこしく混乱してしまうこと、展開が早すぎる割に終わり方まであっさりしてしまったことです。バート・マンローには観客まで惹き込む魅力があるので、世界記録を登場人物や観客みんなで達成したという感覚はあるのですが、個人的には「お前なんか無理だよ」というような人(こういう人物もいるにはいるが、すぐに味方になってしまう)を出して、世界記録してやったり、という展開のほうがより一層感動を呼ぶのかもしれません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年2月15日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:6人/122席
感涙観客度数:33%
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

インディアンは、差別用語であるとしてネイティブ・アメリカンという呼称が意図的に広められていますが、さすがにマシンの名前をネイティブ・アメリカンに変えるわけにいかなかったのでしょう。邦題のタイトルにまで使ったのは、いいことだといえます。もちろんインディアンを差別用語か否かについての議論も続いていますが、何よりもこういう用語を単に覆い隠すのではなく、差別を助長しないように配慮しながら必要に応じて露出させるのが必要だといえます。

話は変わりますが最近、「メクラ」「オシ」「ミツクチ」など差別用語を使用した魚の呼称を変更する動きがありますが、これも覆い隠すだけでは全く意味のないことといえるでしょう。たとえば「メクラウナギ」の名前を初めて耳にした子供は、その意味を聞くでしょう。そこで、魚には使われているが、人間に対して使ってはいけないと説明することが出来るわけです。もとより魚の呼称は簡潔で的を射たものが多いですから、魚の特長そのものを見過ごすことになりかねませんし、呼称そのものを変えたのでは差別用語について話合う機会すら存在しないことになります。100%覆い隠せるならまだしも、情報は必ず漏れるものです。子供たちがその言葉の重みを知らず面白おかしく使ってしまっては全く意味がありません。

最近、ニュース番組で「つんぼ桟敷」という言葉を使った解説者がその場で謝りました。翌日、あるキャスターは別の番組で「ナントカ桟敷」という表現をしていました。「つんぼ」はもちろん差別用語ですが、「つんぼ桟敷」に代わる上手い表現が出来る言葉がないのも実状です。他にも「めくらめっぽう」など。新たな言葉を捜していくのも必要ですが、予め断った上で使っていくのは決して悪いことではないと思います。そこで、多くの人が差別用語について話し合う機会が生まれれば、なおさらです。そうすることで差別用語は自然消滅していく可能性もありますから。

…映画からかなり逸れてしまいましたが、世界最速のインディアン、是非ご覧下さい。

ついでに紹介!

世界最速のインディアンを観てふと思い出した映画たち。

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February 16, 2007

趣旨

そのまんま東こと、東国原英夫知事が話題になっています。毎日のようにテレビで取り上げられています。大手メディアの支局記者や地方紙の記者で閑散としていた宮崎県庁内は、さながら国会や首相公邸内のように色めき立っています。恐らく、中央から記者が大挙して送り込まれた県庁周辺は、踊る大捜査線で観たような捜査本部のような状態になっていることでしょう。格差社会はここにも発生しています。

東国原知事の当選により得た宮崎県のPR効果は絶大といわれていますが、それもメディアがいつまでこのことを取り上げるかにかかっています。最も心配なのは、このお祭騒ぎで官製談合や裏金問題がウヤムヤになってしまわないかということです。宮崎県、特に東国原知事を取り上げることによって、読者や視聴者に何を伝えたいのかをしっかり考えて報道する時期が来ています。お祭騒ぎで国政や国内経済の動きを見失わないように注意しなければなりません。

さて、東武東上線ときわ台駅で発生した警察官と女性の人身事故で、警察官が亡くなりました。勤務していた交番には、近所の住民はおろか、はるばる遠方から駆けつける人、人、人。この駅前はショボいロータリーになっているので、ある程度のスペースは確保できるのですが、連日これほどのマスコミが押しかけたのでは、追悼もクソもないでしょう。喧嘩や手を合わせるたびに「どういう関係か?」「事故をどう思うか」などインタビューされるのですから。

確かに殉職した警察官の方の行動は立派ですが、ワイドショーなどで過度にお涙頂戴の内容満載に編集してしまうのも問題があるような気がします。この事故で、警視庁あるいは全国の警察官は気を引き締め直したでしょうし、これから警察官を目指す人、ひいては世の中の多くの人々が、俺も何かをやらなければいけないと感じたことでしょう。そう考えると、単にお涙頂戴の内容だけでは意味がないことが分かります。残念ながら警察官が亡くなったことで騒動は収束に向かっています。これ以上、この警察官や家族、周辺の動向を取り上げるのなら、報道を通じてどのようなことを伝えたいのか、しっかりと趣旨を考えていく必要があるでしょう。

むしろ、毎年、定期的にでもこの事故を取り上げることによって、命の大切さを訴えるべきなのかもしれません。亡くなった警察官の方を「無駄死」にさせないために。数年前、新大久保駅でホーム下に転落した酔っ払いを日本人と韓国人留学生が救出しようとして電車に撥ねられて亡くなりました。今もその日になると新聞やテレビの隅っこで取り上げられますが、このような事故も風化させてはなりません。ただ、残念なことに、風化が進んでいるのは、ニュースキャスターが日暮里駅の事故と間違えたり、この事件を扱った韓国映画を取り上げて、日本人青年が全く出ていないのに「この事故は風化させてはいけない」ともっともらしく考えている人が多いことなどからうかがえますが。

確かに、異国の地で勇気ある行動により命を落とした韓国人留学生のことを決して忘れてはなりませんが、同じ行動をとった日本人青年がいたこと、そして、最初に転落した酔っ払いにはJR東日本がきちんと賠償請求していたことなど、当時の状況を定期的に振り返る必要があるでしょう。そうすることによって多くの人に「軽はずみに自殺してはいけないな」と感じてもらうことが出来るわけです。マスコミは当時の過熱報道で読者や視聴者から涙を搾り出し切ってしまったのか、あまり積極的ではありませんが、定期的に取り上げるのは、やはり重要なことだといえるでしょう。

ときわ台駅の話に戻ります。一連の報道で果たして視聴者や読者は「軽はずみに自殺してはいけないな」と感じるでしょうか。警察官の普段の行動や主を失った家族など涙を誘いそうな内容ばかりがチョイスされているような気がしてなりません。警察官を巻き込んだ女性についての行動が全く報じられませんから。重傷を負ったものの命をとりとめたので、報道する側も人権やら何やらに配慮したいのかもしれませんが、やはりこの女性が非難される部分は多分にあるはずです。

正直言うと事件が起きた時に「死ぬのなら周りの人を巻き込むな。一人で死ね」と憤った人も多いはずです。ただ、この女性は、警察官の分まで強く生きていかなければならない定めを負いました。もちろん周囲の過度な非難は問題ですが、自分が起こした軽はずみな行動を反省し、自分なりにしっかりと生きていってもらいたいものです。
Simbashineko0702

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February 13, 2007

どろろ

CinemaX第122回。

監督:塩田明彦
原作:手塚治虫
脚本:NAKA雅MURA、塩田明彦
音楽:安川午朗、福岡ユタカ
出演:妻夫木聡、柴咲コウ、瑛太、原田美枝子ほか
上映時間:138分
(公式サイトはここ

「油断してんじゃねーぞコノヤロー!」

という、柴咲コウの活舌の悪いCMが印象的などろろです。漫画の手塚治虫、小説の司馬遼太郎、映画監督の黒澤明。既に鬼籍にある彼らの作品は、どれをとっても名作で決して批判してはいけないという風潮があります。どろろも、封切後から「大ヒット上映中」のCMを垂れ流すという異常事態で興行収入も首位独走中。果たしてその看板に偽りはないのか、CinemaXの評価やいかに。

今でこそ漫画を全くといっていいほど読みませんが、実は、小学校ぐらいまでは7歳年上の兄と競うように漫画を読みまくっていました。ただ、7歳離れると好きな漫画家は異なり、藤子不二雄作品の読破を目指していた僕に対し、兄は手塚治虫や横山光輝などの漫画を買い漁っていました。当時人気のあった松本零士はどちらにも属さず中間。それでも風邪で学校を休んだりすると、兄が揃えている漫画を無性に読みたくなるので、大抵の手塚作品も読んでいます。もちろん、どろろも。

ただ、どろろについて、他の作品に比べ内容を全く憶えていないところをみると、子供心に馴染まない内容であったか、面白くなかったかのいずれかということでしょう。映画の冒頭を観て、ああ、そういえばと思い出したくらいでしたから。むしろ、家にあったレコードの方が印象的です。一休さんの声優で知られる藤田淑子さんがひたすら「ホゲタラホゲタラ」と歌う歌詞は衝撃的でしたから。

冒頭、中井貴一扮する醍醐影光が登場します。まるで、梟の城を彷彿とさせます。そして嫌な予感。CGがバレないようにするためか、何を意図したのか分からない暗めの映像はとにかく見辛い。北野ブルーのように、監督のセンスだけでこんな加工を施したのなら問題があると思います。まるでVTRを無理矢理映画のように加工したような映像…何だかキャシャーン阿修羅城の瞳を思い出します。さらに嫌な予感。

ターン1までの評価「C」

予感は当たりました。まず、百鬼丸の生い立ちが長すぎる。何のために旅しているのか、説明するのが遅すぎる。その一方で、あれだけ親殺しにこだわる、どろろの生い立ちが淡白で、さらにそれを説明するのが遅すぎる。登場人物はシリアスな演技をしようとしているのですが、頭の中で「???」が並んでいるのがみてとれます。演じる側が理解していないのですから、我々観客が感情移入出来ないのは当たり前です。失敗映画の典型的な例といえます。

セリフも説明しすぎです。例えば、百鬼丸が「殺気が」と言いながら戦う必要もありませんし、他にも見た目で分かるはずの感情をセリフで説明しようとしているシーンが多すぎます。結局、行動とセリフの二重の説明になってしまい、映画のテンポが落ちます。妻夫木聡と柴咲コウを揃えたので、漫画やアニメで親しんだどろろのファンよりもむしろ若者…それもかなり若い層をターゲットにしているように思えるので、セリフを平易にする必要があったのかもしれませんが、その割に際どいシーンが多く、PG-12指定。何だか戦略がチグハグです。

ターン2までの評価「C」

既に救いようがなくなってきましたが、終盤は百鬼丸が自分を捨てた父親を殺せるか否か、死ぬだの死なないだの、仇討ちを諦めるだのあきらめないだの、ダラダラとした展開が続きます。時間稼ぎのよう。恋愛に悩む主人公は前に進んだり戻ったりするテレビドラマかよ!と突っ込みたくなります。どろろはTBSが派手に絡んでいるのでリアルな突っ込みになってしまいそうですが。

最終評価「D」

TBSは封切前後に派手なPRを繰り返し、その後も海外での上映が決まったとか宣伝材料に事欠かないどろろですが「全く新しいエンターテインメント」とは一体どういう意味なのでしょうか。僕には全く理解出来ません。日本の映画界は今、シネコンブームに乗って活況です。どんな映画を作ってもある程度の収入は見込めます。ただ、その状況に甘えて雑な邦画が増えているのも確か。特に漫画原作の映画化のように安易な映画も目立ちます。これらの全てが当たったわけでもありませんが、いずれもテレビでは「大ヒット上映中」とCMが打たれました。今後もゲゲゲの鬼太郎が映画化されますが、話題性のあるキャストを集めているのをみると、やっつけの映画になっていないか心配してしまいます。

我々観客はそんなにバカではありませんから、あまりに下らない邦画が連発されれば、邦画ばなれ、ひいては映画ばなれで業界が再び冷え切ってしまうことも考えられます。インターネットの普及でテレビ局が危機感を募らせているのは分かりますが、テレビはテレビ、映画は映画で少なくとも考え方を分ける必要があるのだと強く感じます。どろろに関しては、映画を心から楽しんだ人が大多数なのならともかく、映画を作ったテレビ局自身が影響力が極めて大きいテレビを通じて「大ヒット上映中」と報じ、これだけの人を掻き集めるのは詐欺に近いような気がします。まるで大本営発表のよう。

「映画人気に油断してんじゃねーぞコノヤロー!」

さらに心配なのは、この映画がアカデミー賞ごっこ…もとい、日本アカデミー賞を総ナメにしてしまわないかということです。そして、DVD化の際にはいろんなおまけをつけて、コレクターズエディションと称してカットしたカス映像をくっつけて3倍近くの映像量に水増しして発売されることを危惧しています。どうか心配だけに終わりますように。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年2月10日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:300人/549席
感涙観客度数:20%
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

映画はコケにしましたが、妻夫木聡はかなりかっこいいです。一方で柴咲コウのキンキン声はちょっと…。どろろは、感涙ポイントは終盤にありますが、これは登場人物が死んだことによるもの。それ以外の積み重ねがありません。何度も言いますが、人が死んで悲しいのは当たり前。それだけで感動したと錯覚しないようにしましょう。映画の本筋を見失いかねませんから。

ついでに紹介!

どろろ原作と怖いもの観たさののあなたに「梟の城」CGがグンバツ。そういえば梟の城は司馬遼太郎の原作ですね。

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February 12, 2007

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式

CinemaX121回目。

監督:馬場康夫
原作:ホイチョイ・プロダクションズ
脚本:君塚良一
音楽:本間勇輔
出演:阿部寛、広末涼子、薬師丸ひろ子、吹石一恵、劇団ひとりほか
上映時間:116分
(公式サイトはここ

「良くも悪くも、好景気とはこういうこと」

バブルを振り返る映画が出てきました。10年ひと昔とはいいますが、もうそんな時期にさしかかっているのですね。数年前にEXILEがZOOの「ChooChooTRAIN」をカバーした時、もうそんなに時間が経ったのかと思ったものです。EXILEのカバーは特殊な例といえますが、バブリーな時代はやはり遠い昔になりつつあるのだなといえるでしょう。

さて、バブルへGOは、バブル崩壊前夜に戻り崩壊を食い止めるという実にシンプルな内容です。それは、バブルの崩壊が人為的なものによる影響が大きいからといわれているからです。1990年3月の大蔵省通達「不動産融資の総量規制」これが致命的なボディブローとなりました。それでもバブル景気は人々の心の中まで浸透していたので、少しの間はバブルは持ちこたえたのですが、テーブルの足を細くしていっているようなものなので、それから2年ほどで突然、崩れ始めました。

僕はバブル景気の頃は、高校卒業から大学入学に差し掛かった頃でしたから、1年の時の4年は皆、10月1日の内定解禁日にスキーとか旅行に「拘束」されていました。すげーなあと思っていた矢先、バブルは崩壊、次の歳の解禁日は少しだけ夢の跡が残っていましたが、それ以降はあっという間に景気が悪くなり、僕が4年の頃は就職氷河期、1年下は超氷河期、さらにその下は超々氷河期と泥沼に向かって行きました。

バブルの頃は、何流の大学であろうと、高卒を含めまんべんなく就職を募っていた企業は一変し、氷河期には一流大学の学生へのアプローチのルートを別に作り、それ以下の大学生には形だけ試験を行うという血も涙もないシステムが確立されていきました。青田買いはエスカレートし、早くから有名無実化した内定解禁日も廃止になりました。また、バブル期は本来は理系の学生しか採用しなかった分野まで、「こういう仕事は文系の発想が必要だ」とか、「むしろ文系のほうが頭が柔らかくていい」という理論までまかり通り、理系の仕事に就いた多くの人間がその後、不景気という状況下で押し付けられた困難な仕事やノルマに挫折し、会社を去っていきました。

とまあ、就職だけでもこれだけ思うところのあるバブル期を扱った映画ですから、もっと注目を集めてもいいような気がするのですが、どうも封切のタイミング上、同じフジテレビか絡んでいる「それでもボクはやってない」と被ってしまうのか、派手なPRが出来ないかとみています。公開する劇場も直前まで確定していなかったようですし。ShallWeダンス?以来の監督作品として鳴り物入りで登場した周防正行の映画は、テレビで派手なPRを繰り返していた割に内野安打ぐらいでとどまっている状況では、観客の食い合いを避けたいのもよく分かりますが。

バブルへGOの脚本は、「踊る大捜査線」などを手がけた君塚良一氏です。もともとコント作家で、冬彦さん現象を生んだ「ずっとあなたが好きだった」あたりから脚本家として注目される存在です。最近では「役者魂!」が玄人はだしのドラマファンを惹き付けました。この人が絡んだドラマや映画の多くが、口コミでブレイクするというパターンをたどっているのですが、恐らく、面白くなさそうな(地味な、あるいはコケそうな)話でも物怖じせず、綿密に汲み上げていくことにより観客を惹き付けているということなのでしょう。

バブルへGOは、コケそうなパターンの典型といえます。おまけに、多くの映画が大失敗しているタイムマシーンによるタイムスリップもの。多くの映画は、現実との接点をどう関連付けるかで失敗しているのですが、バブルへGOは、Yahoo!のTシャツやメガネ、100円玉、そしてエジソン?で強引に説明をつけます。おまけに、我々観客だけでなく、それらの小道具を使って、映画の中の登場人物をタイムスリップというあり得ない設定について説得していきます。つまり、登場人物は、分かったふりをしているのではなく、生身の人間として分かっている(理解している)のです。この映画、ただものではない。

最終評価「A」

ややもするとB級映画となりそうなバブルへGOを踏みとどまらせているのは、設定と脚本、そしてキャストです。ルパンⅢ世のように基本2枚目、時に3枚目の役がハマってきた阿部寛はもちろん、広末涼子もなかなか頑張っていました。デビュー当初から垢抜けなかった薬師丸ひろ子は、歳を重ねて雰囲気がマッチしてきたような感じがします。

昭和ブームの昨今、バブルへGOで昭和の最後の爪あとともいうべきバブルを扱うのは、単にブームに乗って「バブルの頃を振り返ろう」というワンアイデアでやっつけた映画なのかなと思いましたが、実際は緻密な計算で作り上げた映画でした。設定はムリムリな部分もあるので、梁一つ取ってしまえば崩壊しそうな危なっかさも魅力のひとつと言えるでしょう。

途中から気になっていたのは、映画の着地点でした。つまり、過去に戻っていろいろやったけど結局、バブルは崩壊したのか、景気はそのまま続いたのかという2点に絞られるのですが、これがどちらに転ぶのか、あるいはどちらの歴史も塗り替えられるのか、これは実際にご覧になるといいと思います。本来ならリアリティを増すために現在の状況に着地するのが妥当だとは思うのですが、これだけ嘘、こじつけを見事に汲み上げている映画なのですから、どんな結末になっても納得できる映画だといえるでしょう。

現在は、国や大手企業がいくら景気が良くなっていると力説しても一般の我々にはピンときません。それは、過去の景気に比べ成長率が桁違いに低いからです。水道の蛇口を水が出る最低限までひねっているのが今の景気、一方で昔の景気は水がジャンジャン出ていました。水は同じように出ているので、どちらも景気が良いことになるという、とんちのような発想で、今は景気が良くなっていると判断されているわけです。

バブルへGOの世界は、ちょっと行き過ぎた感もあるのですが、街頭で配っているティッシュのように夜の街などでタクシーチケットが飛び交っていたのは事実ですし、企業も使いきれないぐらい交際費や販促費を抱え、あちこちにバラ撒いていました。映画の中の世界と今の世の中を比べて、景気が良いとはどういうことなのかを改めて考えるというのも面白いかもしれません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年2月10日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:30人/262席
感涙観客度数:不明
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

泣けませんが、感動する部分は何ヵ所かあります。この映画は、ブレイクする前の飯島直子も当時の設定で本人が登場します。ただ、解せないのはAV女優の過去を完全に消し去っている飯島愛で、彼女はディスコのシーンで登場するのですが、当時はAVデビューするかしないかの頃でバブルとは全く関係ありません。どうせ出すなら荒木師匠でも出せばいいのに。あるいは、ディスコを取材してはしゃぐ山本監督とか。飯島愛は、AV女優の経歴を通じてテレビ出演につながり、タレントとなり、作家となっているわけですから、どうしてここまで封印したがるのか、やはり僕には解せません。ましてや周囲の多くの人間にとって周知の事実なのに。

ついでに紹介!

CDはこのほか、レコード各社がコンピレーションアルバムを発売。

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February 11, 2007

モンスター・ハウス

CinemaX第120回。

監督:ギル・キーナン
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、ジェイソン・クラーク、ロバート・ゼメキス、ライアン・カヴァノー
脚本:ダン・ハーモン、ロブ・シュラブ、パメラ・ペトラー
音楽:ダグラス・パイプス
出演:ミッチェル・ムッソ、サム・ラーナー、スペンサー・ロックほか
上映時間90分
(公式サイトはここ

「技術を愉しむ」

モンスター・ハウスです。鑑賞から更新まで半月以上あいてしまいました。こういう場合は①単に忙しかった②映画の内容の理解に苦しんだ③更新するのが億劫なほどがっかりした、のいずれかなのですが、果たしてモンスター・ハウスの評価やいかに。

この映画、導入部からネジが一本外れたような歌から始まります。枯葉が舞う映像は、CGもここまで来たかと感心するレベルなのですが、このキャラクターデザインには終始悩まされました。舞台は、老主人が芝生に入ることを許さないネバー・クラッカー家とその前に住む主人公、DJと友人のチャウダー、優等生のジェニーの3人を中心に繰り広げられます…まあ、それだけなのですが。

ターン1までの評価「B」

何でも飲み込んでしまうモンスター・ハウスの設定そのものには心惹かれるのですが、この映画の最大の欠点は、面白くなるまで時間がかかりすぎるということです。仲睦まじいDJの両親や、不真面目なベビーシッターのエピソードなんかはどうでも良いわけで、とにかく主役の3人が家に入るまでに時間がかかりすぎます。

加えて問題なのは、スケールの小ささです。ネバー・クラッカーが病院に運ばれて以降、DJらは向かいの家から道路一つ挟んだその家の中に入ろうとして断念したり、また入ろうとして失敗したり、ストーリーは数十メートルの範囲内で展開します。生垣一つ挟んだだけの世界でストーリーが展開した森のリトル・ギャングでもそうでしたが、スケールの小ささを感じずにはいられませんでした。

ターン2までの評価「C」

これは、映画によっては仕方のない部分なのかもしれませんが、だったら表現の仕方を工夫するべきなのかもしれません。映画の観客は、映画を鑑賞することによって非日常を疑似体験したいという部分もあるでしょうから、もっと奥行きのある設定に出来たはずです。特にモンスター・ハウスは、得体の知れない家の中(=閉鎖された空間)という緊張感のある設定が目の前にあるのですから、家の手前でだらだらしているのなら、とっとと入り込んで主人公たちにいろんな経験をさせればいいのに、と強く感じました。

モンスター・ハウスの魅力は、CGのグレードの高さといってもいいでしょう。細かな描写やサスペンスドラマ顔負けのズームやアングルの多さは、CG映画の新たな可能性を感じることが出来ました。キャラクターデザインの相性が悪いからか、登場人物には全く感情移入できませんでしたが、クラッカー夫妻の悲しいエピソードは多少のエッセンスとなったのか、最後の最後で映画はちょっとだけ引き締まりました。

最終評価「C」

CGを愉しむだけなら、おすすめします。モンスター・ハウスとの決闘は、ハウルじゃねえかと思いましたが、迫力はありました。ただ、モンスター・ハウスはバカバカしい設定の映画のようで、悲しいエピソードが入り込んでいたり、笑い飛ばしたい反面、ムカつく設定の脇役が多く、どう判断して良いのか分からない映画といえます。エンタテインメントに徹したいのか、観客を泣かせたいのかを明確に打ち出されていれば、もっと面白い映画になっていたのかもしれません。もちろん、これらの要素は同じ映画に混在していいと思うのですが、シーンごとに何を伝えたいのかを考えていれば、これほど支離滅裂な内容にはならなかったのかもしれません。CGが素晴らしいだけに、残念です。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成19年1月20日
劇場:シネプレックス新座
観客数:5人/133席
感涙観客度数:40%程度
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

クラッカー夫妻のエピソードは少しだけ悲しいものがあります。これをもっと前面に押し出しても面白くなったかもしれない映画。でも、いろいろ欲張り過ぎて、結局は支離滅裂。

ついでに紹介!

個人的に人間型CGアニメの傑作ポーラー・エクスプレスと狭い敷地でちまちま動きすぎた感のある森のリトル・ギャング

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February 08, 2007

匙加減

更新をサポっている間に、柳沢厚生労働大臣の発言が物議を醸しています。前後の発言を削除して「産む機械」と表現した部分だけを問題視して騒ぐのはマスコミの常套手段なのですが、それ以前に厚労大臣の立場でありながら、頭の中で思っていてもこういうことをポロッと言ってしまうのはセンスを疑ってしまいます。その一連の騒動に踊らされたのは、一般庶民ではなく野党の国会議員という始末。辞任を要求するのは分かりますが、審議を拒否するのは国民を無視しているとしか思えません。その頃には女性が街頭に立ってシュプレヒコールのように「やめろ、やめろ」と繰り返し、2つの地方選もそのことばかりが争点となってしまいました。もともと革新の地盤でもある北九州市長選は民主系候補が勝ちましたが、あたかも柳沢発言の影響だけで自民系候補が負けたようにマスコミは騒ぎ立てました。もううんざり。

そして、先日の「2人以上子供を持ちたい若者は健全」という第2の柳沢発言につながります。人間は追い詰められたら何を言うか分からないものですが、これも頭のどこかで考えていたことをポロッと漏らしてしまったのでしょう。これも揚げ足をとるようにマスコミや野党が騒ぎ立てました。発言するたびに語尾や言い回しを悪いほうにとられて攻撃されるのは、森元首相のようです。ただ、考えてみるとこのような問題発言は、すっかりマスコミを飼い慣らしてしまった小泉前首相もしていますし、議員でなくてもみのもんたなどが、テレビでもかなり際どいことを言っています。これが柳沢大臣の発言だったら、同じように騒ぎ立てられるのかなと思うような発言も結構あります。そのことを考えると、特定の人間の発言を問題にする、しないのさじ加減をマスコミが握っていることに問題があるように思われます。マスコミの捏造体質があちこちから噴き出していることを考えると、なおさらです。

さて、センスのない厚労大臣を、安倍首相は今なお守り続けています。拉致問題に果敢に立ち向かう強い日本を期待した国民は、仲間内の保身に終始するこの首相にがっかりしています。口下手、真面目、面白くないことも手伝って、支持率は悪化するばかり。これでは「小泉さんは良かった」ということになりかねませんが、こういう世論が大勢を占めるのも危険です。何故なら、与党は官僚は「小泉時代の政策に間違いはなかった」と曲解するからです。そうなれば改善する気などさらさらない年金改革も年金支給年齢が引き上げられるばかりで、増税や定率減税の廃止など国民の負担増を迫る政策に拍車がかかることが予想されます。

辞任すれば安倍政権が倒れかねない柳沢大臣は、まだまだ居座るかもしれませんが、こんな人を野放しに出来る与党はけしからんと思っている人がいるのなら、批判するだけでなく統一地方選や次の参議院選でしっかり投票するべきでしょう。どうせ変わらないと投票に行かなかったり、政策は納得できないが、この人は別という投票をしてしまったりすれば、与党の思うツボです。幹部を3本束ねても矢が折れそうな民主党は心細いですが、これまであれだけ大風呂敷を広げてきたのですから、解体前に一度ぐらいは政権を任せてもいいのではないかなと思います。何も民主党ではなく、国民新党や社民党、共産党でもいいのですが。世襲が公然と行われて同族企業のようになっている自民党は限界が来ているような気がします。
Ttt

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February 04, 2007

概況(19年1月分)

2月に入り仕事の内容が大幅に変わりました。半分程度を新人さんに、これで仕事が軽減されるかと思いきや、新しい仕事が2つ廻ってきてしまいました。一つは、ナンバー2から廻ってきた仕事。この仕事は毎日忙しいということはないのですが、休日出勤が増える可能性があります。もう一つは、Sさんの城だった記者クラブ。この引継ぎがあまりにひどいので聞いてくださいな。

①「すぐに戻ってくるから」
Sさんは、1月31日、周囲にそう言ってクラブを去ったそうです。もともと僕は会員に登録されていて、Sさんと新人さんを入れ替えるはずだったのですが、Sさんはそんな作業もせず自分が脱退しただけでした。意味不明。小悪党かお前は。ちなみに他社の人間が「もう戻って来なくていいですよ」よ心をこめて挨拶をしたにも関わらず、彼は冗談だと思って笑っていたそうです。それが周りの人間の本心だということに気付け!

②「使わなかったら返してね」
引き継ぎの条件の一つが、クラブの机の清掃でした。ゴミの山でしたから。最初は机の下にゴミを隠しただけで周りから注意され、心を入れ替えたのか、2月1日に乗り込んでみると、そこそこ片付いていました。ただ、それは見た目だけ。後ろの椅子にてんこ盛り。どう見てもゴミの山なのに、周りの人に「資料だから、使わなかったら返してくれって言ってたよ」と伝言。これ、全部いらないのですが。それに、どうやって返せというのでしょう。怒りが沸々と込み上げてきます。

③「メモちょうだいね」
Sさんは、彼の担当に関連のありそうな話が出たら、逐一メモをくれと言っています。僕に今までそんなことしてくれましたか?有休などの際の引き継ぎもそうですが、Sさんは人にモノを頼む時は自分に出来ないことまで要求してきます。自分の能力を考えたらそんなこと出来ないでしょうに。それに、この場所は膨大な仕事があるのに、引き継ぎは手書きの汚いメモ一枚だけ。クラブは居心地が悪いので今まで殆ど寄り付かなかったのですが、Sさんが戻らないよう死守しようと思います。

ちなみに、無線LANの設定をしてあげたのに「行き付けの電気屋はエッジを勧めたから」とそちらに靡きました。Sさんははその電気屋の言うことが絶対だと思い込んでいるので仕方ありませんが。だから、スペックが低く機能が全然ついていない明らかに肩落ちのパソコンを値引きなしで売りつけられたり、先日のハードディスクの修理費をボッタくられる訳です。ちなみに行き付けの電気屋とは、大手家電量販店です。それは行き付けの電気屋と言えるのか?

さて、1月の概況です。

普段の仕事:55(+10)
シナリオ:30(-10)
その他:15(±0)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

「普段の仕事」10ポイント反発
引き継ぎに終始しました。会社は、仕事が手一杯なら切り離して周りに振り分けろと言いますが、計算など一部の作業を振り分けても結局最後は戻ってきてしまうので二度手間になってしまいます。減給されたSさんは仕事をする気が全くありませんし、新人さんはまだまだペースを掴めずにいます。2月も引き継ぎ作業が続きますが、前述の内容の通り、結果的に仕事量は増えていることになるかもしれません。会社は、僕を繋ぎとめる意思があるのでしょうか。

「シナリオ」10ポイント続落
ほとんど何もやっていません。

「その他」増減なし
スポーツクラブに通ったのはゼロ。1月4日未明に発生した腰痛の小爆発が後を引いています。腹筋・背筋が落ちているのか、今回は立ちっぱなしだと腰が抜けそうなぐらい痛くなるという厄介なものです。立食形式の新年会ではフカフカの絨毯が腰にはとても悪いようで、後半はかなり治ったものの、本当に辛い1月でした。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」-2㎏
これまでは新年会が立て込む1月の減量は絶望的だったのですが、食えないほど忙しかったのが結果的に幸いしました。といっても体重は少し戻っただけ。筋肉の減少は計り知れません。
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