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December 23, 2006

硫黄島からの手紙

監督:クリント・イーストウッド
製作総指揮:ポール・ハギス
原作:栗林忠道、吉田津由子
脚本:アイリス・ヤマシタ
音楽:クリント・イーストウッド
出演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志ほか
上映時間:141分
(公式サイトはここ

「一万円のステーキの脂身」

硫黄島2部作の第2弾。日本側から見た硫黄島です。父親たちの星条旗は、残念ながら後半に失速してしまった感は否めませんが、中立的で場合によってはアメリカ自身を非難するような内容がこれまでになく斬新な印象でした。果たして第2弾の硫黄島からの手紙は、CinemaXの評価やいかに。

硫黄島からの手紙は、日本人の登場人物は皆、日本語を話します。たいしたことはないようですが、ハリウッド映画の部類に入る映画が、全編外国語、特に日本語で制作されたというのは珍しいのではないでしょうか。万国共通語ともいうべき英語の力は強大で、ハリウッド映画では宇宙人であれ、どこの世界の人だか分からない生物や動物や虫でさえ当たり前のように英語を話す訳ですから。

特に英語力の弱い日本人にとって、硫黄島からの手紙は極めて親しみやすい映画だといえます。父親たちの星条旗では、硫黄島で戦った元軍人の孫が、元軍人たちから話を収集するというエピソードがあるのですが、これがやたらまどろっこしく、テンポを悪くする元凶になっていました。硫黄島からの手紙でも同じようなことになっていないかと心配したのですが、手紙は小さなエッセンスの一つであり、現在(というより戦後)と戦時中の硫黄島を繋ぐエピソードは「穴掘り」を効果的に使うという、シンプルなものでした。

映画は、渡辺謙演じる栗林忠道中将という、アメリカ帰りで硫黄島に指揮官として着任した、陸軍将校としては型破りな人間を中心に展開します。彼は戦前戦中の日本男児の教育の基本である根性や気合、体罰は無意味だとか、戦略には統率が重要で突撃や玉砕は戦力が低下するだけで無駄だとか、極めて合理的な考えの持ち主です。ところが周りを囲むのは、文字通り旧態依然の軍人たち。その彼らも少しずつ変化していきます。一人の人間が集団に入り込むことによって周りの人々に影響を与えていくという点では、シェーンや最近の邦画では踊る大捜査線と共通する部分があるといえるでしょう。

ターン1までの評価「A」

父親たちの星条旗は、擂鉢山に星条旗にまつわるエピソードを散りばめたものですが、硫黄島からの手紙というからには、手紙が大きな意味を為すのかと思いきや、実はそうでもありませんでした。栗林中将は子供に宛てて手紙を書き続けるのですが、これは過去の記憶をもとに書き綴っているだけ。どうせ泣かせるのなら、硫黄島という生きて日本に帰れない厳しい戦場にいながら、子供にはアメリカで頑張っていると架空の内容の手紙を書き続けているぐらいの大法螺吹きのような設定も面白いのではないでしょうか。もう一人の主人公、二宮和也演じる西郷も妻に宛てて手紙を書き続けますが、これも大きなインパクトはありませんし、女房役の裕木奈江はさらにインパクトなし。恐らくこの映画にとって、手紙というのは戦後と米軍侵攻当時を繋げる調味料程度の要素しかないのでしょう。

後半は硫黄島から帰った後のエピソードが中心となる父親たちの星条旗とは違い、硫黄島の手紙は、硫黄島での戦闘が中心になります。とはいえ、ほとんどが塹壕の中なので、父親たちの星条旗に比べれば極めて地味です。ここが、父親たちの星条旗を作った余力で作った映画だと揶揄される所以なのでしょうが、ただし、CGバレバレのそこらへんの邦画に比べれば、比べ物にならないほどリアルで、天と地ほどの違いはあります。翁浜、二ッ根浜をびっしりと埋め尽くす艦船などの映像を目の当たりにすると、潤沢に金を使えるハリウッド映画の資金力を実感してしまいます。

ターン2までの評価「A」

米軍による硫黄島侵攻が始まると、塹壕の中の日本軍は段々と統率がとれなくなっていきます。特にアメリカナイズされた栗林中将の考え方に反発した将校がここぞとばかりにバラバラに指示を出すため、塹壕の中はダメ会社のようになってしまいます。「ああ、うちの会社と一緒だな」と感じたサラリーマンも多いはず。それにしても硫黄島の戦闘は、住民を本土に疎開させた後なので日米双方の陣取り合戦状態。これがさらに戦争の無意味さ、悲惨さを助長しているようです。

ちなみに、社内にバラバラに指示を出して失敗する会社は山ほどありますが、一方で成功した例が、カルロス・ゴーンを受け入れたあとの日産自動車といえるでしょう。成功の秘密は、横から口出しすることなくゴーン氏に会社の命運を一任した塙義一会長以下役員の態度にあるといわれています。少しでもゴーン氏の考え方を批判し悪口を言っていたなら、人事から車のデザインまで足の引っ張り合いをしていた以前の日産と何ら変わりがなく、今はもう会社自体が存在しなかったかもしれません。

栗林中将はいわば、カルロス・ゴーンのような存在であり、彼がいなければ硫黄島は1ヶ月以上も持ちこたえるとなく、米軍の目論見通り5日で攻略されていたことでしょう。ただ、玉砕や自決はするなと言っていた栗林中将や西大佐の最期はどうも腑に落ちないのですが。このあたりになると、父親たちの星条旗のように話がバラバラになってきているような気がしなくもありません。

最終評価「A」

硫黄島からの手紙は、アメリカから贈られた、一万円のステーキの残りの脂身で作ったような映画だといえるでしょう。ここで言う肉はもちろん、父親たちの星条旗です。たとえ脂身であれ、日本映画では限界といわれる二千円で買ったステーキに比べれば美味しい。しかも一万円の肉汁も残っていますから、ご飯にかけても美味しい。硫黄島2部作は、ハリウッド映画でありながら、父親たちの星条旗ではアメリカ側の私情を殆ど挟まず、硫黄島からの手紙では、日本の戦争映画にありがちな、「過度に」戦争を美化するような部分も感じられませんでした(日本兵は窮地に追い込まれると自刃を選んでしまうので美化するような雰囲気がどうしても残ってしまうのですが)。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年12月14日
劇場:丸の内プラゼール
観客数:300人/540席
感涙観客度数:不明(広すぎ)
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

硫黄島2部作は、どちらも中立的な立場で作られたような映画ですが、気になるのは、劇場自体が中立的に上映しているのかどうかでしょう。基本的に日本では2作とも上映しているようですが、アメリカ国内ではどうなのでしょうか。父親たちの星条旗だけを上映して、硫黄島からの手紙を上映しなかったのでは、この映画の存在価値は薄れてしまいますから。確かに一万円の肉と脂身ですから、中には肉だけ、脂身だけを食べたい人はいるはずですが、それは観客の選択に任せればいいでしょう。クリント・イーストウッド監督は、これだけの意味のある映画を作ったわけですから、劇場側が観客の選択肢を狭めるようなことは決してあってはなりません。

ついでに紹介!

年末年始読書三昧の方へ。

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