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November 26, 2006

プラダを着た悪魔

CinemaX第115回。

監督:デヴィッド・フランケル
製作総指揮:ジョセフ・M・カラッシオロ・Jr、カーラ・ハッケンほか
原作:ローレン・ワイズバーガー
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
音楽:セオドア・シャピロ
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラントほか
上映時間:110分
(公式サイトはここ

「階段オチ」

「プラダを着た悪魔」です。タイトルだけでは全くピンと来ない映画の割に宣伝はあまり行われていないようです。興行収入も出だしは良かったとはいうものの、いまいち観客数が伸びていないという声も。宣伝が行われない映画の場合は「宣伝するに足らない映画」あるいは「宣伝せずとも口コミで興行収入は増加する」という2パターンが考えられるのですが、全米興行収入で粘りをみせたことを踏まえると、後者の可能性が高いと思うのですが…いろいろと勘ぐりを入れたくなる「プラダを着た悪魔」ですが、果たしてCinemaXの評価やいかに。

「プラダを着た悪魔」は、冒頭から洒落た感じが伝わってきます。ちょっと粗めで赤っぽい映像は、女性が好みそうな雰囲気です。この映画は、音楽が大きな特徴なのですが、U2、マドンナなどの曲がさまざまなところに効果的に使われています。思えば、キャストはメリル・ストリープ以外はお世辞にも一線級とはいえないラインナップなので、金をかける場所が違っているのかもしれません。これは、かえって長所になっているともいえるのですが。

映画、というよりはシナリオの重要な要素の一つに「主人公の登場はかっこよく」というものがあります。良い映画の多くが助演、脇役、チョイ役が脇を固めたうえで、満を持して主人公が登場するという流れになっているはずです。その点では、メリル・ストリープ扮するミランダの登場はあまりにもかっこよく、観客を映画に引き込むという大きな役割を果たしています。最近、地味な時代劇が派手に宣伝されていますが、主役と脇役をきっちり分けているという意味では、プラダを着た悪魔のほうが、より時代劇に近いといえるでしょう。

ターン1までの評価「A」

「プラダを着た悪魔」は、随所に見られる服やカバン、靴などのファッションも見物ですが、何といっても作りこまれたミランダのキャラクターが魅力的です。橋田壽賀子のシナリオを彷彿とさせるような脅威の長セリフ。長さだけでなく機関銃を撃ちまくるような勢いがあります。もう一つ、野暮ったかったアンドレアの垢抜さ加減も見物ですが、これは女性の変身願望を満たすとともに、何となく男心を惹きつける要素ではないかと思うのですが。メガネを取って大変身するクラスメートを見るような感じです。

「プラダを着た悪魔」は、ネタバレにならないよう説明すると、上司に絶対服従してペコペコするのを嘲笑していた会社に飛び込んだ、いわばミイラ取りともいえるアンドレアがミイラになっていく話です。ただ、全体が軽めなので「観やすい・分かりやすい」という長所がある反面、「薄っぺらい・軽い」という印象が残ってしまいます。特にアンドレアの階段の上り下りで感じるギャップとかを深く描くと、もっと見応えのある映画に仕上がったのかもしれません。

ちなみに、ここで説明する階段というのは、そこらへんの階段ではありません。人間はそれぞれステイタスという階段に立っているのですが、人生の何度かは上ったり下ったりしなければならない瞬間が訪れます。映画でもサクセスストーリーに載ったヒーローなりヒロインが、恋人とのギャップが埋められず別れてしまうという話がよくあります。実際にもスポーツ選手や芸能人の多くもステイタスが上がるにつれ、一般人の恋人や妻と別れるというケースをみかけます。理由はよく分かりませんが、階段を上がりすぎたことによるパートナーとのギャップが埋められなかったことも大きいのかもしれません。

そのアンドレアは、映画の中で何段か階段を上らなければならないシーンが出てきます。そのうちの何回かは、冴えない恋人のことを思い、踏みとどまります。初心を忘れないということで、これは立派だと思うのですが、恋人がそんなに魅力がないというのが致命的です。貧しくても向上心があるとか、地味でもとびきり優しいとか、下手をすると人生を大きく左右するイベントに何度も直面している恋人を踏みとどまらせるほどの器量が伝わってこないのが残念でした。「そんなこと説明しなくてもいいだろう」という人もいるかもしれませんが、劇中で漫才がちっとも面白くないのに劇中の観客だけが大笑いしているのと同じ。リアルな観客にも何かを訴えるような工夫が必要なのではないでしょうか。

ターン2までの評価「B」

「プラダを着た悪魔」の長所はほかにもあります。シナリオにおける重要な要素である「省略」です。アンドレアは、名のある記者(編集者?)に書いた原稿を見せてみてと言われ、実際にそのシーンはないのですが、ちゃんと話の中には自然に組み込まれています。彼女は終盤でにっくき上司、ミランダのために心から奔走するのですが、この間でも無理すれば組み込むことができたはずのシーンがいくつかあるようです。こういったシーンは、スムースにストーリーが進むのでしょうが、テンポが落ちるという両刃の剣のようなものなので、注意しなければなりません。つまり、良い映画ほど余計なシーンが少ないといえますが、「プラダを着た悪魔」は、ストーリーはともかく、無駄なシーンはほとんどないといえるでしょう。良い映画の要素の多くが取り入れられています。

さて、終わり方です。原作モノなので、本筋を変えるわけにはいかなかったのかもしれませんが、これが理想の終わり方なのかな?と感じる部分もありました。ここから先は、ネタばれになるかもしれないので、鑑賞後に読んでいただきたいのですが、アンドレアがわざわざ一旦上った階段を下りて元のステイタスに戻るほどの動機やきっかけがあったかどうか疑問です。前述の通り恋人が物凄く魅力があるわけではありませんし。映画を通して感じるキャラクターはその方向に向かいたがっていないのに、原作に合わせて無理矢理着地点に持っていったというような感じです。例えば、ミランダは後任に自主的に編集長のポストを譲り、自分は今度こそ家庭を守ろうとしたという180度転換したような終わり方にしても面白いのかもしれません。

最終評価「A」

中だるみがあるのは否めないですし、アンドレアの最後の行動は無理矢理な感じもしましたが、最後はミランダが彼女を認めていたというエピソードは日本人好みなのかもしれません。アンドレアに出会ったことで、変わっていないようでもどことなく変化のあったミランダと、変わったものの元の場所に戻ってきたアンドレアは、それぞれの心境に変化があったとみることが出来るでしょう。そう考えると、良い映画としての多くの要素を備えた作品と評価出来ます。

「プラダを着た悪魔」は、軽いがゆえに手軽に観ることが出来ますし、いろんなファッションが楽しめるという点で、デートの時に観る映画として最適かもしれません。それほど悪い人も出ないので毒もありませんし、何よりも元サヤに戻るという点で、安心して映画に誘うことが出来ます。また、アンドレアも絶世の美女というわけではないので、より多くの女性が感情移入することが出来るでしょう(宝塚時代の鳳蘭という声も)。欲を言えば「プラダを着た悪魔」というタイトルがどうにかならないものかと。何だかタイトルで損をしているような気がしてなりません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年11月25日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:30人/296席
感涙観客度数:不明
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

サントラを買うのは「海の上のピアニスト」以来です。

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November 22, 2006

小馬鹿バーナ

自民党の復党問題が一段落しそうです。今のところ平沼氏を除く各議員が一括復党する方向です。これだけでも国民をバカにしたようなものですが、無所属でもなお強固な地盤看板カバンを持つ平沼氏は自民党にとっては魅力的なはずです。仮に郵政民営化に反対するまま彼を復党させたり、落選議員を復党させたりすれば、何が何だか分からなくなってきます。その場合は国民新党の合流も現実味を帯びてきますし。郵政民営化は何だったの?という疑問もさることながら、自民党など連立与党は、昨年の衆院選の大勝で増税などあらゆる政策を数にモノを言わせて可決成立させてきたことを決して忘れてはなりません。

郵政解散後の数々の悪政は、選挙に大勝した連立与党のおごりと、過去の失敗を付け焼刃の政策で覆い隠そうとする官僚の思惑が一致したということなのでしょうが、このことを棚に上げて、自分達の政党を守ろうとする姿勢は、憤りを通り過ぎて情けなさすら感じています。特に公明党は自前の理念を捻じ曲げてまで、政権にしがみつくしがみつく必要があるのか、と他人事ながら心配になってきます。強固な支援母体があるので崩壊することはないのでしょうが、180度に近い政策転換を行って帰るところを失ってしまったかつての日本社会党を思い起こさせます。これで将来、連立与党を離れて野に下った場合、政権政党を批判する資格があるのかすら疑わしく思えてきます。

国民にとっては、特に主婦層を中心に、昨年の衆院選では小泉さんが可愛そうとか言いながら、何も考えずに投票をして、そのお礼に財産をむしりとるだけむしりとられて、医療制度改悪など様々な恩恵を受けてしまいました。これを放って置いて、自民党はかつての仲間を復党させようとは何事か!小なる理解力しかないと見くびっていると、いつかしっぺ返しを…くらわないのでしょう。どうせ今の国民の反発も来年にはほとぼりが醒めて、連立与党の強大な組織票とそこそこのタレント議員を並べて無党派層から票を掻き集めるのでしょうから。仮に投票率が低くても、組織票の比率が高くなるので連立与党の思うツボ。その一方で民主党は肝心のところで自滅を繰り返しますし。国民はバカのままでいいというのが、今の政治家や官僚の考えなのでしょうか。全く頭に来ます。

さて、夕張市の復興策が波紋を呼んでいます。増税、行政サービスの削減などを柱にした政策は、市民に重点的に負担を求めるという、ミニ日本のような構図になっています。周辺の市町村に逃げ出す住民も増えているようですが、町を離れることが出来ない人もいるはずです。そうした人は低水準の行政サービスと増税に苦しむ毎日。まさに生き地獄です。正直者がバカを見る状態といえます。日本は、言葉の壁と海という物理的な壁があります。自分達はぬくぬくと生活が保障されながら、次々に国民に負担を強いる国会議員や官僚は、そのうちしっぺ返しが…やっぱりこないのでしょうね。悲しいことですが。

日本国内に目を向けると、非正社員が増えるなか、派遣労働についてのトラブルが頻発しています。この先、日本経団連、つまり大手企業らのゴリ押しで、サラリーマンのサービス残業が法的に認められる方向にあるようです。そんななかで安倍内閣は再チャレンジという絵に描いた餅をバラまき続けます。国民は、いつかは安倍さんが拉致被害者奪還の刀を抜いてくれることを夢見ながら耐え続けるのでしょうが、別人のように歯切れが悪くなった安倍さんの態度や、周囲を取り囲んでいる人間を見ると、結局は抜かずじまいに終わってしまうような気がしてなりません。

我々国民は、やれといわれても再チャレンジをする気力すら奪われた状態で、自民党は最大の再チャレンジである、復党問題ばかりに奔走するのは、見ていてバカバカしくなってきます。国会全体もいじめ問題がこれだけ深刻化するなかで、ちょこちょこっと改定するだけのしょーもない教育基本法改正ばかりに拘るばかり。いつから審議入りとか、与野党間の駆け引きとか、審議を欠席することを期待して投票したのではありません。そこには有権者の声は届かないのでしょうか。それを面白おかしく扱う大手マスコミも同類のような気がします。まあ、彼らも勝ち組なのですから、真に再チャレンジを願う人々の心なんか理解出来ないのでしょう。
Kurokuro

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November 21, 2006

父親たちの星条旗

CinemaX第114回。

監督:クリント・イーストウッド
原作:ジェームズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ
脚本:ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイルズ・Jr
音楽:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチほか
上映時間:132分
(公式サイトはここ

「一万円のステーキ」

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作第1弾。アメリカ側から見た硫黄島です。数人の兵士が星条旗を有名な写真の裏側に隠された真実を扱った意欲的作品です。ナチョ・リブレと同様に鑑賞から更新まで半月のスパンがありますが、殴り書きのメモがどこまで復元できるか、果たしてCinemaXの評価やいかに。

冒頭から大変な戦場だということが分かります。この手のシーンは、プライベート・ライアンやシン・レッドラインにもあったのですが、これらの映画に比べるとかなり地味です。特に衛兵が死にかけの日本兵の隣で米兵を必死に救うさまは、戦争の理不尽さを物語っています。このシーンだけで、戦争の悲惨さを物語っています。

この映画の特長は、時系列がバラバラだということです。現在と過去、過去同士の映像もシーンによってバラバラに分解されています。観ている側は、頭の中で組み立てていく必要があるのですが、意図的にシーンをバラバラにしたといわれるTAKESHIS’のような、困難な作業を必要としません。例えば、①朽ちて割れた花瓶②花瓶に枯れた花③花瓶に花を生ける人のシーンをバラバラに流しても、観ている側は③→②→①の順番なのだなと判断できます。シーンの並べ替えの難易度は、その程度のレベルなので、観ていて混乱することはないでしょう。

ターン1までの評価「A」

映画そのものは、第二次大戦に参加した兵士の孫だかが、硫黄島の戦いを振り返るため、生存者のインタビューとともに戦争を振り返るという、割とオーソドックスな形式です。こういう方法をとらなくてもいいような気がするのですが、恐らく第2弾の「硫黄島からの手紙」は、この手法を使わないと、説明できない部分が多いはずなので、インタビュー形式で統一したのでしょう。と、肝心の「硫黄島からの手紙」を観ずに判断しているわけですが。

この生存者が語っていた「本当の兵士は戦争を語らない」というのは、かなり説得力があります。生存者が僅かだったにも関わらず、世の中には「俺は大和に乗っていて助かった」という爺さんがどれほど多いことか。ちなみに僕の祖父が、憲兵で捕虜虐待の疑いでMPにしょっ引かれたこと、実は虐待していたのは他の兵士で、祖父は捕虜にこっそり食糧を与えていたこと、その証言を捕虜が行ったため無罪となったことなどは、全て死後に聞いたことです。もちろん周りの家族は知っていたのですが、僕に語った戦争の話というのは、ケチャップをかけて飯を食ったとか、今思うと肩透かしのような話ばかりでした。決して口を割らない旧731部隊の兵士しかり、戦争の悲惨さを間近で見た人ほど、多くを語らないのでしょう。一方でその悲惨さを語ることも、罪滅ぼしにはなると思うのですが。

いろいろな映画に登場する米兵を見て感じるのは、愛国心って何?ということです。旧日本兵は、天皇や両親に命を捧げることが愛国心として、場合によっては自決の道を選んできました。ところが米兵のアバウトさからは、愛国心というものが伝わってきません。生活のために職業として戦っている人もいるようですし、そうでなくとも何故戦うのかといえば、友人のために戦うのだということが、この映画を観ると伝わってきます。ただ、その友情も戦場で培ったものであるため、戦場に赴く動機にはなりません。統制の取れた旧日本兵やドイツ兵に比べると、あまりにもアバウト過ぎるような感じがするのですが。

ターン2までの評価「A」

星条旗を揚げたとされる6人に注目が寄せられますが、それは、真実の周りを嘘で塗り固めたものだということが分かります。このやらせを見ていると、イラク戦争を思い出します。フセイン像を倒す演出をしたことや、普通の病院から女性兵士を救って、拉致された兵士を奪還!と大々的にPRしたり。ただ、以前と異なるのは、マスコミがそのまま踊らされることなく、事実を追求して批判したことです。これが仮に日本のマスコミなら、公表された情報をそのまま垂れ流しにしていたことでしょう。権威に対する弱腰ぶりをみると、むしろ日本のほうが危険だといえるでしょう。

CGを観ると、やはりハリウッド映画の資金力、技術力を感じます。邦画でこの手の戦争を取り扱った場合、がっかりすることも少なくはないですから。第2弾の「硫黄島からの手紙」もハリウッド映画といえばそうですが、それだけで喜び勇んではいけません。ハリウッドの威を借りて、悲惨な戦争を再現した邦画として観るべきでしょう。そして何よりも肝心なのは、2本の映画とも確実に上映することです。太平洋戦争を取り扱った洋画として、唯一とも言っていいほど中立的なスタンスです。恐らく硫黄島からの手紙も同じテイストなのでしょう。「パール・ハーバー」を観て「感動しました!」などとぬかす若者を見て殴ってやろうかと思いましたが、硫黄島2部作こそ、同一の映画館で立て続けに上映されないと意味がないといえるでしょう。「父親たちの星条旗」だけを上映したのでは、全く意味がありませんから。特に米国の劇場の動向が心配です。

ハリウッド映画と邦画の差は、よくステーキとラーメンに例えられます。この話は第2弾で触れましょう。「父親たちの星条旗」そしてアメリカでは注目度が低いはずの日本側からの硫黄島を取り扱った「硫黄島からの手紙」は、日本の映画市場の洋画に対する包容力と市場そのものの大きさを象徴しているといえますが、生前の黒澤明を前にして、直立不動で顔を真っ赤にして緊張しながら話をしていたというクリント・イーストウッドならではの映画なのでしょう。だからこそ日本を見下さない。「硫黄島からの手紙」が楽しみです。

最終評価「A」

スタジアムで岩山のセットに向かう3人の兵士の場面あたりで「この映画は歴史に名を残す」と身震いすら感じましたが、終盤はかなりグダグダになってしまいました。結局、主人公がインディアン(一応、差別用語です。ネイティブアメリカンという言葉を使います。使用を控えるのは全く意味がないと思うのですが)出身の兵士、アイラのような感じになってしまったり、現在のシーンに移った後のフォローも焦点がボケてしまいました。終盤はまるで別の映画のようになってしまいましたが、戦争を美化しない映画として、やはり名を残す作品となるのでしょう。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年11月6日
劇場:丸の内プラゼール
観客数:200人/540席
感涙観客度数:不明(広すぎ)
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

もともとは日本をさんざんコケにした内容で、日本での公開にあたり改変を余儀なくされた「パール・ハーバー」と、いわゆるバンザイクリフの直前で信じられない寸劇が繰り返された「ウインド・トーカーズ」ともにCMでは涙を流す観客をつかまえて「感動しました!」
太平洋奇跡の作戦キスカ」は、太平洋作戦を扱った邦画としては奇跡的にボロの少ない映画。伊豆大島の全島避難を彷彿とさせる奇跡的な作戦といわれるだけに、手に汗握ります。怪獣映画ではありません。

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November 20, 2006

へぼ

今晩のニュース23で、福岡県内の小学校校長が自殺した問題で、校長の名誉を回復するような内容の報道が「突然」なされました。いじめ問題に関しては、マスコミの吊し上げが激しく、校長を自殺に追い込んだのは、マスコミ自身だという批判もありますが、地方局が製作した内容だとはいえ、張本人であるマスコミがこうした報道をすることは、ある意味、画期的なことなのかもしれません。ただ、状況報告だけだったのが非常に残念でした。せめて、この件だけでもマスコミの報道が過熱しすぎたと謝罪…そこまでいかなくとも反省するような勇気があれば、と思うのですが。これではまるで、同業他社に責任を擦り付けているような印象です。

この件に関しては、小学生が同級生に金銭をたかるという、そもそも、いじめからは逸脱した行為をいじめとして報道してきた、マスコミや教育委員会の初動体制に問題があったとの見方もあります。報道では亡くなった校長が問題に取り組むさなかに自ら命を絶ったと報じ、校長の名誉を回復して欲しいと泣きながら訴える父兄の姿もとらえています。たかった側、マスコミ報道的にはいじめた側の生徒や父兄も恐らく混じって大団円に学芸会が行われたというのは俄かに信じがたいのですが、そこまで問題の解決がなされていた段階で小学生が自殺をして、校長も自殺に追いやられたのだとしたら、残念としかいいようがありません。

いじめという、曖昧な表現を見直したほうがいいという声も多いのですが、やはり恐喝や傷害といってもいいような事例もいじめという中途半端な表現でまとめてしまうのは、止めたほうがいいのかもしれません。例えば、立派な売春であるのに援助交際という言葉を使ったり、強姦を乱暴とソフトにいいくるめてしまうのは、被害者に配慮するうえでは意味があるのかもしれませんが、犯罪の抑止力になるかといえば疑わしい部分もあります。土をコンクリートやアスファルトで覆い隠してしまうように、不味いものを見えなくするのが現代社会の特徴ともいえますが、時に人間の醜さや生々しさを感じる場も必要だと思います。

さて、港区のマンションで高校生が事故死した、シンドラー社のエレベータの取替え工事が行われたことが報じられました。全てのエレベータが交換されたわけではありませんが、最初は港区長が仰々しく乗り込んで最上階まで安全確認するという、妙なセレモニー付き。このエレベータは、最近も月に10件以上のトラブルが発生しているとのことですが、当時はちょっとしたトラブルが一件起きただけで鬼の首をとったかのように針小棒大に報じていたのに、飽きてしまえばこのザマです。いじめ問題もそのうち、飽きて報じなくなってしまうのでしょうか。
Peropero

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November 17, 2006

ナチョ・リブレ 覆面の神様

CinemaX第113回。久々の更新。

監督:ジャレッド・ヘス
製作総指揮:スティーヴ・ニコライデス、デイモン・ロス
脚本:ジャレッド・ヘス、ジェルーシャ・ヘス、マイク・ホワイト
出演:ジャック・ブラック、エクトル・ヒメネス、アナ・デ・ラ・レゲラ
上映時間:92分
(公式サイトはここ

「元木」

ナチョ・リブレです。鑑賞してから更新まで2週間、こうなるとメモ帳の文字が解読出来なくなります。脳内に上手いこと還元出来るかどうか、果たしてCinemaXの評価やいかに。

ナチョ・リブレは、超内輪的表現をすれば、シモセとハツを足して2で割ったような主人公が活躍するタイガーマスクみたいな映画です。今さら何でプロレスなの?という感じもしますが、パンフレットやチラシで多くの人が感じた通りのテンションです。全体的に学生が撮りそうな自主映画の雰囲気がプンプンしているのですが、ストーリーもシンプル。冒頭に主人公、イグナシオ(ナチョ)の幼い頃のシーンが出るのですが、これで大人になった主人公、イグナシオそしてナチョの行動が全てが説明されてしまいます。何気ないようで、秀逸なスタートといえます。

ターン1までの評価「A」

修道院で育てられたナチョは、幼い頃からルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)に憧れていた一方、プロレスは教会ではテレビ観戦すら禁止されている状況でした。そんななかで彼の背中を押したのは、修道院での生活でたまった鬱憤と、修道女、シスター・エンカルナシオンという舌を噛みそうな修道女の登場でした。と、詳しいストーリーは実際にご覧になるか、他の映画系サイトをご覧頂ければいいのですが、バカバカしい展開の一方で、ナチョ・リブレは主人公の動機と貫通行動がしっかりしているところがポイントです。見た目はともかく、映画としての重要な要素を隠している曲者といえます。

ちなみにシスター・エンカルナシオンを演じるアナ・デ・ラ・レゲラも舌を噛みそうな名前ですが、彼女の銀幕に登場したばかりのペネロペ・クルスを髣髴とさせる容姿は、小汚い男優ばかりが出てくることもあり、眩しく見えます。修道院の手伝いをする男が、修道女に妙なセックスアピールを繰り返すのは破廉恥もいいところなのでしょうが、暴走してしまうのも頷けるような気がします。アナ・デ・ラ・レゲラの眩しさは、スクリーンで是非、体感してみてください。

ナチョは、ここまでというぐらい不細工に演出した「ヤセ」と組んで見事にプロレスラーとなり、キン肉マンに出てくるような奇妙なレスラー達と対戦していきます。ところが、トントン拍子のようで一度も勝てないところがポイントです。勝ち続けると単なるお話になってしまいますから。負けが重なっても、自分の夢と修道院の孤児達に上手いものを食わせたい、いつかはシスターにもカッコいいところをみせたい、と思いながら禁止されているプロレスのリングに立ちつづけなければならないのは、バカバカしいようで主人公にとっては大きな葛藤です。葛藤とは葛と藤のつるが絡み合ってややこしくなっているさまを表しますが、複数の悩みが絡み合っているナチョの心境は、その表現の通り見事な葛藤といえます。

ターン2までの評価「A」

主役と並んで大きな存在となるのが、ぶっきらぼうな演技が印象的な太った子供です。彼は、ナチョの心を読み取るように秘密を隠し、そして間接的に背中を押します。そして、プロレスラーとしての生活が続くなか、ホームレス状態で食べ物を盗んで暮らしていたヤセの心が変わります。そして、破門されて近くにキャンプを張っていたナチョも心変わりをして、最後のリングに立ちます。登場人物の心変わりは、映画としての重要な要素です。見た目はともかく、必要な要素を秘めています。繰り返しますが、この映画は曲者です。

リング上、つまりクライマックスのシーンでは、ナチョとヤセ、そして最強のレスラーとの対決が待っていますが、最も感動するシーンはこの後にやってきます。画的にはムチャクチャです。ネタバレになりますが、修道女とナチョと同じ覆面を被った子供達が競技場(?)に駆けつけてくるシーンです。本当に見た目はメチャメチャなシーンなのですが、これまでの積み重ねがあるだけに、感動してしまいます。こんな画で感動させる映画、ナチョ・リブレ、恐るべし。

最終評価「A」

プロレスが、メキシコで絶大な人気を誇ることを予め理解する必要がありますが、決してプロレスに詳しくなくても楽しめる映画といえるでしょう。ナチョは、シスターに下心丸出しなのですが、それでいて実際の行為に出ることなく、映画そのものは極めてソフトなエンディングで終了します。ナチョがシスターを大事にしたいのだな、というのが充分、伝わってきます。鑑賞後も良い余韻を残すというのも良い映画の重要な要素です。繰り返しますが、見た目はともかく。

ナチョ・リブレは、中途半端な恋愛映画を観るよりは、デートコースにも含めても良い映画といえるでしょう。ただ、ナチョは何か重要な行動をする瞬間に屁をしてしまうという、場合によっては致命的な行動をしてしまうので、付き合いだして間もないとか、相手がいかなる不潔も許さない潔癖症という場合は別ですが。マニアックなエンドロールもあわせてお楽しみ下さい。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年11月3日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:25人/156席
感涙観客度数:若干
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

ジャック・ブラックが珍しく真面目な演技をみせるキング・コングと、つまらない映画はパンフレットをクソ高くして元をとろうとすることを証明してくれたオール・アバウト・マイ・マザー。ペネロペ・クルス出演。

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November 11, 2006

平行線

会計検査院が役所の無駄遣いを指摘しました。2005年度で総額452億円。労働局では総額78億円にものぼり職員が大量に処分されました。税金を無駄遣いしやがって、と頭に来ますが、我々の怒りは彼らに届くことはありません。ほんの少し懲戒解雇をされただけで、あとは批判が喉元を過ぎるのをじっと待つだけですから。それに、今回は目に余る無駄遣いをした労働局がヤリ玉に挙げられただけで、目に見えないものは沢山あります。例えば平日夜、霞ヶ関をぐるっと取り巻く大量のタクシーが、夜遅くまで残業する職員を待ち受けています。これだって、仕事を早めに切り上げて電車で帰れば大幅な経費削減になります。確かに仕事が多く、大変な思いをしている職員もいますが、それだったら、コピーとかお茶くみしかさせないアルバイトでなく、職員を採用すればいい。一時的な人件費は増しますが、経費削減であっという間に相殺されるはずです。アルバイトの多くが身元のはっきりした綺麗どころのようです。いわば役人のお嫁さん候補。ただ、地味すぎる正規の女性職員(特にキャリア)と比べてしまうからか、仕事をしに来ているの?と思われるような身なりの人も多く、こういう人にもっと仕事を与えるのも職員の負担を軽減し、めぐり巡って経費削減になるのかもしれません。ボーナスみたいなものも出している訳ですし、ちゃんと働いてもらっても文句は言えないはずですから。

さて、先日文部科学省に送られた自殺予告の手紙の「実行日」がやってきました。当事者の生徒が手紙を投函したとされる豊島区内の学校では、夜通しで警戒していたようです。まるで凶悪犯に対峙するかのように。最近ではこの手紙に追随するように同様の内容の手紙が数通、同省に届きました。内容は「あなたが自殺すれば私も後を追います」と行動も追随するようなものばかり。面白おかしく当事者が自殺するよう追い込んでいるようにもとれますが、主体を他の人に押し付けてしまうような部分では、電車の中などで騒いでいる子供に母親が「おじさん(おばさん)に怒られるよ」と注意しているのと共通点があるのかもしれません。マスコミも今日、自殺者が出るか出ないかを追うのではなく、この挑戦状に対して、各地の教育委員会や学校がどのような対応をとったのかを徹底的に調べてもらいたいものです。労力はむしろそちらに向けるべきでしょう。

赤ちゃんポストが議論を呼んでいます。海外で多くの乳児を救った実績のある赤ちゃんポストを熊本県内の病院が設置しようというものです。この件に関しては、捨て子を助長するという声もありますが、中絶を減らし、置き去りで命を落とす乳児を救うことが出来るというメリットがあります。また、子供がなく養子を希望する方々の需要もあるでしょうし、少子化対策の遠因にもなるでしょう。ただ、これは当事者となる子供以外の視点です。子供の視点からみれば、親の愛情を知らずに育ち、養子で幸せに育てられたとしてもどこかに歪みは生じます。大人になって産みの親を探すにも確率は天文学的の低さといえるでしょう。無責任な親に捨てられたことは、一生の傷となって心の中に残るかもしれません。その後、温かい人々に囲まれて育っても、その傷がなかなか癒えることはないでしょう。

曲者なのは、もっと遠い視点から、この問題を見下す人々の視点です。若者の乱れを助長するとか、法律違反だとか、単に赤ちゃんがかわいそうとか、乳児をモノ扱いするとは何ごとだという見方です。もっと議論が必要との声もありますが、そうやって問題を先送りする間に置き去りになった乳児が命を落とす可能性は充分にあります。そういったことも考えずに、結論が出ないようなことを議論しろというほうが無責任なような気もします。前述の通り視点によって解釈が大きく変わる問題ですから、結論などあってないようなもの。

赤ちゃんポストは、まずは設置することが重要だといえるでしょう。これから寒い時期に入るからなおさらです。設置を決めた慈恵病院の理事長は、周囲の反発に負けないでもらいたいと思います。この理事長は、設置を決めた理由の一つに若い女性が乳児をトイレで産み落として殺したという事件を挙げています。子供が嫌いでも実際に赤ちゃんを手にすると変わると強調する人もいますが、そういう人もいれば、そうでない人もいるはずです。この若い女性も、赤ちゃんの顔を一度でも見ていれば気持ちが変わっていたのかもしれませんが、トイレで産み落とされては、そういうプロセスすら存在しませんから。

赤ちゃんポストに乳児を投函(?)すると法律違反に問われるという専門家もいます。確かに違法性はあるのかもしれませんが、例えば、城南電気の社長はかつて、食管法に反発して役人とケンカをしながらヤミ米を売り、硬直化していた米の流通に風穴を開けました。その結果、農家は良い米を作れば高い値段で売れることや、消費者も少しお金をかければ美味しい米が食べられることを知りました。結果は後からついてくるはずですし、そこから議論を始めても遅くないような気がします。人命が関わることなので、議論する前に、赤ちゃんポストを設置してみることが先決だといえるでしょう。履修漏れなんかより遥かに重要な問題です。
Daimonneko

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November 10, 2006

見限り

タウンミーティングでのやらせが発覚しました。2001年から始まったタウンミーティングは、小泉内閣が行った特徴的な取り組みの一つともいえますが、発端の経緯は、田中康夫前長野県知事が始めた「車座集会」に対抗したものだという噂もあります。田中氏は当時「あれは車座集会の猿真似、しかも出席者が予め決められているので民意が反映されない」類のことを言って反発していたことを思い出します。熱心な支援者がいる某与党の集会ならともかく、投票率が5割を切るような政治に無関心な人で溢れかえっている世の中で、こうした集会に市民が積極的に参加して、活発な意見交換が行われるというのは、コンセプトそのものが誤っていたといえるのかもしれません。

そして、ここで噴き出したやらせ。安倍首相の「美しい国へ」発刊日にいわゆる富田メモが財界の機関紙ともいえる日本経済新聞にスクープ記事として掲載されました。これまでの一面トップ記事のほとんどが、大手企業のリークとか、景気が良くなっているとか、上場企業のボーナスが増えたとか、株価が上がったとかいう内容であったことを考えると、極めて異質な記事が紙面を飾ったことは記憶に新しいところです。ほかにも教育基本法改正に取り組む安倍内閣の足を引っ張るように、いじめを苦にした自殺や高校の履修漏れが発覚しています。このタイミングの悪さは、単に偶然では片付けられないような気がします。

安倍内閣では、森内閣から長く続いていた首都機能移転担当大臣が消えました。首都機能移転は、1990年に国会で決議され「いつかは分からないが、そのうち移転する」ということになっていますが、期限に加えて首都の機能を全て移転するのか、皇居まで移転するのかなどさまざまな課題が残されたままになっています。人口の一極集中を避け、都市部の環境問題も緩和できるなどメリットが大きいといいながら、実効性が全くないという、まさに壮大な田舎対応といえます。この担当大臣が消えたということは、首都機能移転に関する見限ったということなのでしょう。結局は栃木・福島、 岐阜・愛知、三重・畿央の人々をぬか喜びさせただけでした。

そう考えると、今さら飛び出したタウンミーティングでのやらせは、面倒臭い行事を見限るには格好の材料となるのでしょう。タウンミーティングに借り出される大臣など国会議員にとっても、直接票には結びつかないような地方にいちいち出向いてお手盛りの議論を繰り返すのは難儀でしょうから。安倍内閣は、このやらせの実態把握が終わるまで、タウンミーティングを中止して、その後は安倍内閣なりのミーティングを開くと言ってはいますが、恐らく今のような規模ではなくなるでしょう。やらせを演出した官僚の処罰も考えているようですが、たとえ更迭してもとかげの尻尾切りに過ぎず、当事者は出世の芽を奪われてもどこかに天下って悠々自適な老後を送ることは約束されるのでしょうから。全て出来レース。ばかばかしい限りです。
Hanahanahana

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November 09, 2006

田舎対応

最近、更新作業を会社近くのモスバーガーで行うことが多いのですが、この店、行くと必ずオーダーミスに遭遇します。原因は一人のおばあちゃん。最近はファーストフード店などでお年寄りを積極的に登用する動きがあるので、その一環なのでしょう。ところがこのおばあちゃん、レジ打ちは間違えるわ、オーダーした商品を揃えるかと思いきや突然、掃除を始めたり、その手で食べ物を触ったりと仕事ぶりが凶悪です。他にも付け合わせを忘れたり、番号札を無視して後から来たお客さんに商品を渡してしまったり。度々他の店員が注意しているのを見かけますが、言い訳ばかり。それでいて次回も同じミスを繰り返すので、学習効果は全くありません。

年齢に関係なく雇用することは、素晴らしいことだと思いますが、歳を重ねると人間は頭が固くなるもの。採用する側もその点を踏まえて従業員教育をするとか、高齢化社会に向けて受け入れ態勢を整える必要があります。でなければ上っ面の取り組みに終わるだけ。これではおばあちゃんも、お客さんも悲しい思いをするだけです。ちなみにこの店は、このおばあちゃんが働き始めてお店全体の歯車が狂っているらしく、他の店員さんまでオーダーミスを起こしたり、奥のほうでは食器をガチャガチャ割りまくっています。リーダー格の人がいつ行っても見当たらないのですが、店長や時間帯のマネージャーがいないはずはありません。ということは、お店にリーダーシップを発揮している人間がいないということなのでしょう。だから、お店が機能していないのでしょうか。もったいないことです。がんばれ、おばあちゃん!

さて、病気腎移植は、日が経つにつれ手術例が増え、関わった病院も次々に明らかになっています。今度は、患者を呼んできて感謝の辞を述べさせる不思議な会見も開かれました。病気腎といえども手に入りにくいものを移植することが出来たのですし、成功したというのなら感謝はするでしょうが、それぞれの事例とルール不在の臓器移植を一緒くたに考えるのは問題があります。こういう浅はかな対応をみると、情けなくなってきます。こうした情報をそのまま垂れ流すマスメディアは、履修漏れの一件とは正反対に、事実を報じるということに終始しているような気がするのは、僕だけでしょうか。方や校長などを吊し上げまくったのに、「病気ならとっちゃって、誰に移植してもいいじゃないか」などと嘯く医者の話はそのまま聞いているだけ。この温度差には何か裏があるのではないかと勘繰りたくもなります。

僕は、浅はかな対応のことを田舎対応と呼ぶことにしています。その場を取り繕うような対応で、表向きは良いのですが、何も考えていないので、すぐに化けの皮が剥がれてしまうようなものを指します。かつて市町村などが非核宣言都市や平和都市などと宣言しまくったのも、表向きは良く、議会では全会一致で可決されるものの、実効力のない田舎対応だといえるでしょうし、埼玉県内の市町村などが競うように打ち出したオウム信者の子供達の受け入れを拒否する条例(?)は、学校に通いたい子供達をたらい回しにするだけで、何の解決にもならない田舎対応といえるでしょう。他にも、たまごっちブームに便乗してタクシー会社が打ち出した「たまごっちタクシー」は、商標権などを考えれば問題があるのは素人でも分かるはず。直後に「ひよこっちタクシー」と中途半端なネーミングにしたのも、痛々しい田舎対応といえます。

病気腎移植で分かったことは、医者は嘘ばかりつく、何か問題を隠そうと思えば、いくらでも隠し通し続けられるということです。そもそも、この問題は、ケチな臓器移植患者が、車だけでなくドナーに約束通り報酬を支払っていれば明るみにならなかったかもしれないことなのですから。ちなみに日本医師会は、病院の株式会社化に対し、頑なに反対しています。政府が規制緩和の一環で打ち出した特区構想では、ロボットが街中を歩けるように認めるロボット特区、民宿などがどぶろくを製造して客に振る舞うことを許可したどぶろく特区などユニークな特区が誕生しましたが、僕の記憶違いでなければ、株式会社としての病院を認める特区に関しては、日本医師会などが強行に反対しました。理由は、全国各地で均質な医療が受けられなくなるかもしれないということなのですが、少なくとも都市部では、名医がいて、入院したくても名家と呼ばれる人がでないと果てしなく待たされる病院とか、到底、金持ちしか通えないような病院があちこちにあります。この時点で均質な医療ではないのかもしれませんし、臓器移植一つとっても方や正規のルートでドナーを待ち続け、方や病気の腎臓といえど脱法同然で移植が行われるのですから、均質という表現は既に矛盾しているような気がします。それにしても、同じ隠蔽体質でありながら学校と病院で何故こうもマスメディアの対応が異なるのでしょうか。医者は恐れ多く、病院は聖域だからか、単に死者が出ていないから問題視されていないのか、不思議です。
Daimon

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November 08, 2006

挑戦状

先日、中高生からのものと思しき手紙が文部科学大臣宛てに届きました。文部科学省や教育委員会、学校現場は当事者探しを進めています。文部科学大臣も何かあればせっかく大臣の椅子を得たばかりの自分の首が飛ぶことに危機感を感じたからか、当事者に呼びかける異例の会見を開いています。

手紙そのものは、内容が様々ないじめのオンパレードであったり、いろいろな人に宛てた手紙も同封されるなど、これまでの事件を総合したようなものなので、少し怪しい感じもするのですが、教育行政や学校現場の立場にある人たちが、これまでのようないい加減な対応をすると万が一と言うこともあるぞという、一種の挑戦状ともとれます。それでもなお、教育委員会や学校が今回の手紙に対し機能せず、事なかれ主義が貫かれるような状況が続けば、教育委員会そのもののあり方を問う必要があるでしょう。

当事者探しの進め方にも問題があるように思われます。最初に判読出来た「豊」の字に当てはまる郵便局が所在する学校で重点的に対応を進め、教育委員会や学校によっては、残る字が「島」らしいということで対応をやめたりするケースもあるようですが、凶悪犯を追い詰めるように消印の判読過程で対応を変化させる考え方は、妙な気がします。せっかく、当事者探しを通じて全国の小中学校でいじめに対する話し合いを持つ場としてのチャンスを得たというのに。

仮に当事者が真剣に自殺を覚悟して手紙を投函したとするならば、自分が通う学校で対策が遅れてしまったにせよ、全国的にいじめに対する理解が深まり、真剣に考えるようになった段階で何か感じるものがあるはずです。それなのに、多くの教育現場でその機会が放棄される状況にあります。全て事なかれ。多くの父兄が「自分の子供がいじめられていない」と分かってホッと胸を撫で下ろし、対岸の火事のように考えてしまうことに似ているような気がします。いじめでは、被害者より加害者が圧倒的に多いのですから、この場合はいじめられているかだけではなく「自分の子供はいじめに加担していないか」と心配するべきなのに。

マスコミの報道も異常です。当事者の生徒が通っている可能性が高いとされる、豊島区内の小中学校のうち、ほとんど対応がとられていない学校があるかもしれないということを、一部のテレビ局などが数人の生徒から聞いただけで、あたかもスクープのように報じています。これは早合点もいいところ。あまりにもサンプル数が少なすぎます。これでは、JR西日本の事故に関する取材で、取材に応じた少数派の組合が述べた会社に対する不満をあたかも社員の総意であるかのように報じたあのケースと同じような気がします。こうしたマスコミの学習能力を疑いたくなります。

もちろん、教育行政や学校現場も学習能力がありません。100%豊島郵便局を経由したことすら確定していないのに、豊島郵便局の区域内の学校に通う生徒と決め付けたように対応がとられはじめましたが、仮にこの郵便局を経由して手紙が届いたとしても、通学途中に差し出したとか、そういう可能性を考えないんですかね?凶悪犯を追い詰めるような対応をするのなら、脅迫状が他の地域から投函された事件は沢山あるでしょうに。田舎の郵便局なら、その区域内の生徒である可能性は高いかもしれませんが、都市部では越境通学が当たり前ですし、交通網の発達で移動も簡単ですから、安易な絞り込みは危険なような気がするのですが。

ところで、既に一部の政治家や教育専門家などが口にしていますが、いじめによる自殺や履修漏れ問題に対する教育現場へのここ最近のマスコミの吊し上げは異常です。マスコミ側は「そうでもしないと隠してばかりで喋らない」というのも一理ありますが、単に校長などの担当者を泣かせてしまうだけで満足しているだけのような気がします。取材がやりにくいのか教育委員会や文部科学省という本丸を責めず、標的にしやすい足軽ばかり槍で突いているような気がするのは、僕だけでしょうか。
Kuroneko_1

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November 07, 2006

バタリアン5

CinemaX第112回。

監督:エロリー・エルカイェム
製作総指揮:ウラジミール・ドスタル、トム・フォックスほか
脚本:ウィリアム・バトラー、アーロン・ストロンゴーニ
音楽:ロバート・ダンカン、ラルフ・リッカーマン
出演:ジェニー・モーレン、エイミー=リン・チャドウィックほか
上映時間:95分
(公式サイトはここ

「空気を読め」

1985年に一世を風靡して、日本では「オバタリアン」の語源ともなったバタリアンは、パート5を迎えました。といっても、これまでシリーズを通じて一度も観たことがなく、何故いきなり5を観たかと理由を考えると、恐らく仕事でストレスが溜まりまくって…。
ムシャクシャしたからやった(観た)。
誰でも(どんな映画でも)良かった。
ということになるでしょう。ちなみにファンの間では「タールマンが復活した!」と話題になっていますが、タールとは僕の実家近辺に出没すると噂になっていた(B君以外目撃者がいないので、彼の作り話との疑惑も)ホームレスのおじさんのニックネームに過ぎません。

本編スタートです。このあたりの映画の基本は、美人の主人公(♀)が半裸でいろいろストーリーを引っ掻き回し、持ち前の弱気ゆえに「あーあ、やっちゃったよ」と友人がぶっ殺されていき、話が進むにつれて主人公が精神的に強くなっていき、最後は敵に立ち向かうというのが典型的なパターンのようです。ちなみにバタリアン5では、トライオキシン、つまりダイオキシンよりさらに強力な毒を吸ったり飲んだりすると、人間がゾンビになってしまい「ブレインズ!」と叫びながら人を追い回します。これはバタリアンの基本情報なんですかね?

冒頭から能天気な学生が繰り出す乱痴気パーティーが繰り広げられます。女子学生がすぐに裸になったりあちこちで交尾が始まるパーティーは、B級臭のプンプン漂う映画でよく見かけるのですが、果たして本当にこんなことが日常茶飯事のように行われているんですかね。この手のホラー映画はいわば、プロレスみたいなものなので、残酷ながら明るく、朗らかに、そして笑いが取れるぐらいだと安心して観ることが出来ます。バタリアン5もそうです。一方で異種格闘技ともいうべきジャパニーズホラーは、ガチンコの怖さで人気があったのですが、さすがに食傷気味のように感じます。米国で封切られた呪怨の続編がどこまで粘れるか。日本国内でも携帯電話が鳴っただの鳴らないだのという映画にこだわっていた秋元康氏が離れたのを見ると、既にブームは下火なのかもしれません。氏は金の臭いのするところに流れていく習性があるといわれていますから。逮捕前までホリエモンに熱心に取り付き、今はオタクの方々を強引にねじ伏せたようなショーに夢中のようですね。

ターン1までの評価「C」

先に進めば進むほど、マスク2を髣髴とさせるようなストーリーの破綻ぶりと空気を全く読んでいないキャラクターたちのノリが気になってきます。ストーリーがかなりショボいので、楽しみといえばおバカな映像とお色気ぐらいしかなくなるのですが、冒頭のパーティーの露出度に反して、その後は女性の裸はあまり出て来ません。さらにお色気度のボルテージが上がると期待されたハロウィンパーティーでは、笑い飯みたいなインターポールに服を盗まれた2人の女性ぐらいです。彼女らはお約束で素っ裸でバタリアンに追い回され食べられてしまいます。

ちなみにこの笑い飯みたいなインターポールが最も空気が読めないキャラクターで、余計なところで下らないギャグを言ったり、コメディリリーフが必要な場面で何もしなかったりと最悪だったりします。彼らのゾンビに対する処置も出鱈目で、そりゃないだろうという殺戮を繰り返し…まあ、米軍の「ゾンビ対処法」もメチャクチャなわけですが。

ターン2までの評価「C」

女性の露出度がどんどん低くなるバタリアン5は、脇役・チョイ役もさることながら、主人公の女性の露出度が致命的に低くなります。最初はホットパンツにタンクトップ(と記憶している)のですが、一番盛り上がるハロウィンパーティーでは、Tシャツやトレーナーならまだしも、地味な色のウィンドブレーカーと長ズボンという露出度ゼロという凄盛り上がりのなさ。まるで、オートポリスのプレオープニングイベントで、わざわざ招待したピケやナニーニはF1マシン(ベネトン・フォード)に乗ることなく、ペースカーでスピンするだけという地の底まで落とされたようながっかり感。

さて、話題のタールマンですが、ちょっとネタばれになりますが、話に直接絡むことなくドラム缶から抜け出して、パーティー会場に向かおうと最後までヒッチハイクをしています。見るからに凶悪そうなゾンビの拍子抜けしそうなののん気ぶりは笑えるのですが、これは古参のファン的にはどうなんでしょうか。

最終評価「C」

何も考えずに楽しめます。プロレス的なホラー映画は、一服の清涼剤のように爽やかではありませんが、たまに観るのもいいかもしれませんね。ちなみに「ブレインズ」と叫びながら人間の脳味噌に食らいつくゾンビですが、何故か脳味噌本体は食べず、クモ膜や硬膜のような部分にムシャムシャかぶりつくのはちょっと拍子抜けです。鮭のハラミしか食べないクマのようです。ちなみにゾンビ具合によって脳味噌だけでなく内臓や肉を食べたり、男性の局所に食いついたりするというのは笑えます。この辺りの設定の曖昧さから判断してもB級映画の資格充分です。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年10月30日
劇場:銀座シネパトス
観客数:15人/177席
感涙観客度数:皆無
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

シリーズ第5弾のホラー映画というだけあって、やはり通っぽい風体の方々が、映画が楽しみなのかそれなりの挙動で劇場内をウロウロしていました。コアなファンがいる映画というのも魅力がありますね。作り手は幸せです。

ついでに紹介!

お買い得!「バタリアン」と既にどれがオリジナルか分からない「オバタリアン」本。ちなみに「ファミコンミュージックDVD~ナムコット編~」に収録されているバトルシティーは、最初に登場したビデオゲームでは「タンクバタリアン」でした。バタリアンつながり。この頃のナムコは、ドルアーガの塔、ワープマン(ビデオゲームではワープ&ワープ)など子供心をワクワクさせるゲームを次々とファミコン向けに移植してくれていました。ナムコはその後、バンダイナムコホールディングスを持株会社にバンダイナムコゲームスなどを展開、タカラとトミーが合併してタカラトミー、セガはCSKからサミーの傘下に入りセガサミーホールディングスに、スクウェアとエニックスが合併してスクウェア・エニックスと水とアミューズメント業界は油を混ぜるような群雄割拠の時代が続いています。時代は流れているんですね。

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November 06, 2006

制度ウオッチャー

臓器移植のあり方がいま、問われる事態になっています。兄弟医師の移植ネットワークも凄いですが、どうせ取り出したものだからどう使おうがいいじゃないかという兄の万波誠医師の開き直りも負けてはいません。肝臓では発症までの時間差を利用したドミノ肝移植というものがありますが、癌などの病気で摘出したばかり腎臓ですら需要があるということは、それだけドナーの少なさを物語っているのでしょう。絶対的なドナーの数もさることながら、臓器移植制度そのものに欠陥があるのかもしれません。死体からでも臓器移植が可能な腎臓ですらこの有様ですから。

見境いなく行われる臓器移植は、最近話題になった代理出産のケースに似ているような気がします。たった一つのケースをみれば、腎臓病に苦しむ患者が救われるという美談ですが、それが野放図に繰り返されると話は別。マスコミも兄弟意思やそれを取り巻く人間の行為ばかりを追うのではなく、臓器移植制度とその実態について、国民が理解を深めるように促すのも必要ではないでしょうか。

さて、農林水産省が、海外の日本食レストランに認証制度を設定すべく動き出しました。海外でメチャメチャな日本食を口にしてがっかりする人も多いことから、すぐにでも制度化してくれとの声もきかれますが、今回も有識者会議を集めて審議会を開き、まず制度化という流れで審議を重ねて答申を示し「これが民意だ」と予算要求をして制度化する安易なお役所仕事。他に方法はないのでしょうか。

有識者会議はともかく、これから注目しなければならないのは、農林水産省が直接認定を行わない場合、どこに作業を委託するかということです。お役所にとっては数年前の公益法人改革などどこ吹く風ですから、例えば、新たに財団法人日本食認定センターとか、独立行政法人日本食研究機構とかいう天下り先が作られないか注意しなければなりません。また、既存の認定制度に同じようなものがないかどうかにも注目しましょう。縦割り行政の悲劇でエコマークや省エネラベルのように、コンセプトは同じじゃないの?というようなものも世の中にはありますから。

また、既存の公益法人に委託する場合、その法人が普段、どういう仕事をしているかにも注目すると、いろいろなものが見えてきます。制度そのものが邪な発想で立ち上げられた場合は、特定の公益法人の救済だとか、特定の業界に金が還流される仕組みになっていたりします。これまでも様々な省庁の天下り団体で、表沙汰にはなっていないものの、予算の流用はあちこちで発生していますから。

このほか、認定制度そのものが将来にわたって品質を維持出来るか、その仕組み自体を研究するのも面白いかもしれません。かつては企業などがこぞって取得したエコマークも、結局は金で買えるマークのため、消費者からの信頼が低下したという見方もあります。このほか家電量販店などでやたらとみられるようになった省エネマークも、いつの基準の何%なのかがさっぱり分からず、多くの消費者が内容を理解出来ずにとりあえずマークのあるものを買っている実状を踏まえると、経済産業省や省エネルギーセンターが胸を張るほどの効果はないといえるでしょう。

新しい制度が立ち上がるというのは、①時代の要望②外圧③利権④話題性のいずれかに当てはまるといえます。利権にしがみついているという印象が強い国会議員が農林水産大臣に就任していきなり飛び出した制度ですから、③ではないかと勘繰りたくもなりますが、いずれにしても海外で安心して日本食が食べられるのは良い事だといえます。ただ、もしも特定の誰かの財布が潤うだけで、国家財政をさらに苦しめるような制度になるのなら、これは時代に逆行していると言わざるを得ないでしょう。今後の動向に注目しましょう。
Tennozneko

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November 01, 2006

概況(18年10月分)

履修不足問題で、とうとう校長が自殺するという事件が発生しました。その一方で、遺書を残して自殺した女子高生はいじめられていた、いや、いじめられていない、と二転三転する高校もあります。この2つの自殺は全く別の問題に起因するのですが、生徒も先生も、いとも簡単に(という印象に思える)自殺して命を絶ってしまうというのは、恐ろしいことだと言えます。いじめ、履修不足の対応に取り組むのも必要ですが、簡単に自殺してしまうこの風潮をどうにかすることがまず、先決なのではないでしょうか。
Risyu

さて、10月の概況です。

10月の重心指数
普段の仕事:45(+5)
シナリオ:40(+5)
その他:15(-10)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~10月の概況~
「普段の仕事」5ポイント反発
繁忙期に入りますが、退職した人をカバーするため、残った何人かがカバーして、増えた仕事の分、手当を支給するというアイデアが出ましたが、立ち消え。「みんな」「平等」という言葉が大好きな某氏が「みんなでカバーするものだ」と抵抗し、結局は自分に回ってきた仕事を周りに丸投げするだけ。なけなしの給料が増えるかもしれないという期待も消滅。11月からは妙な機構改革(?)で「独裁」から「みんなでやる」体勢に変わるらしいです。ただ、この会社の「みんなでやる」は「誰かがやる」ということなので、猛烈にストレスが貯まりそうです。この会社で働き始めて6年が経過しますが、権利とか義務とか、自由とか平等とかいう奴に限って、裏腹なことをやる人間が多いことを思い知りました。

閑話休題、久々にS氏の話題を。

Sさんは、自分のノートパソコンを修理に出しました。2ヶ月前、Cドライブは写真のデータを保存し過ぎて残り数百KB、逆にDドライブは全く手付かずで使用量数百KBといういびつな状況に「写真をDドライブに移動したほうがいいですよ」という忠告をしたら「分かってるよ!」と逆切れしたSさん。作業をしてあげようと思ったのですが「個人情報だから」の一点張り。やがて、シャットダウンに数十分を要するようになり、程なくしてパソコンが立ち上がらなくなりました。電器屋に診断してもらうと「ハードディスクとDVDドライブの破損」ということらしいです。恥ずかしくても「Cドライブに写真が詰まりまくっています」と説明すれば、違った結果になったかもしれないのに。費用8万円。減価償却などといって、会社に請求するつもりだったらしいですが、それは考えが甘すぎ。データが完全に消えることも修理に出した後に初めて知るも後の祭り。「思い出も消えちゃうよ」と嘆いていましたが、自業自得です。

「シナリオ」5ポイント続伸
10月末締め切りのフジテレビヤングシナリオ大賞、橋田賞はそれぞれ見送り。毎年、切羽詰ってチューブの底をひねり出すように半ば無理矢理応募していたのですが、そんなに慌てなくなったのは、ちょっと成長したのかもしれません。11月末は、テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞の締め切りですが、これも流れに任せようと思います。

「その他」10ポイント下落
仕事がらみで初めて、海外に行きました。その前にはプロ野球やサッカーとスポーツ観戦とイベントの多い1ヶ月でした。毎年、何となく調子が落ちる10月ですが、自分史上最も多忙だったような気がします。スポーツクラブに通ったのは5日。前月比3日減。サボっているつもりはないので、11月からまた復帰することでしょう。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」±0㎏
2㎏増の水準で推移していましたが、滑り込みで前月並みに。
Yokohamaneko

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