« September 2006 | Main | November 2006 »

October 31, 2006

薬指の標本

CinemaX第111回目。

監督:ディアーヌ・ベルトラン
原作:小川洋子
脚本:ディアーヌ・ベルトラン
音楽:ベス・ギボンス
出演:オルガ・キュリレンコ、マルク・バルベ、スタイプ・エルツェッグほか
上映時間100分
(公式サイトはここ

「日仏融合」

何かと注目の「薬指の標本」です。いわゆる単館映画は、まさしく掘り出し物の場合と、メジャーの配給会社がまたいだなりの理由がある映画に2分されるのですが、最近は邦画が供給過剰の状態にあることに加え、内容云々より韓流というだけでおばちゃんが殺到するなど映画そのものの実力以外でロードショーの規模が決まる傾向にあるので、単館系映画でも案外掘り出し物に出くわすことが多いような気がします。ハリウッドで連発されるCGアニメもそうですね。つまらない内容なのに絵柄で騙されたり、キャッチした大手配給会社がテレビ局や広告代理店とタッグを組んで「声優初挑戦」の人気タレントを起用するのも真の名作が日の目を浴びない原因かもしれません。

映画を観終わって分かったのですが、薬指の標本は、小川洋子原作の小説を映画化したものでした。本編中、これは極めて文学的、しかも日本文学に共通する部分があるなと思ったのも無理ありませんね。何でもかんでも標本にすることで安心するというテーマは、なるほどなという気がします。雰囲気としては、大江健三郎の「奇妙な仕事」っぽい感じもしますが。

本編は、瓶詰め工場からスタートします。炭酸飲料の中で踊る幻想的な水玉など眺めているだけで引き込まれるようなシーンに続き、透明感のある女優、オルガ・キュリレンコ演じるイリスの痛いシーンが全てをかき消します。その後の映像表現も痛さと美しさが混在する、ハリウッド映画には真似できないような芸術性の高いものに仕上がっています。そして、流れ流れて標本の研究所へ向かうイリス。ちょっと不思議系の話では、日常から非日常へのギアチェンジが非常に難しいのですが、この難関も映像で見事にカバーしています。

ターン1までの評価「A」

自分のフィーリングにがっちり合った面白い本に出くわすと、ちびちびとかみ締めるように読みたくなりますが、薬指の標本の序盤はまさにそうです。「誰かが自分の心を癒すために何かを標本にしてもらうために持ってくる」という観客を惹きつけるシステムが確立していますから、あとはこの設定をベースに話がどのように展開されていくかを楽しみに読み進めるだけ…こういうシンプルなストーリーは、なかなかお目にかかれません。例えば、バトル・ロワイアルのヒットの秘密は、生徒と生徒がそれぞれの人間関係の中で殺し合いを演じるというシステムが序盤に確立され、読者は誰がどのように行動するかを読み進めれば誰にでも物語の世界に入り込めるという、ストーリーのシンプルさにあるように思います。

薬指の標本は、中盤になって冒頭のシーンと繋がってきます。少女は何故、汚れたキノコを標本にして欲しいと来たのか、理由を聞くとああ、なるほどなと思います。シーンの並べ替えをしなくてもストーリーは成立するのですが、ここは、フランス映画らしいひねりが効果的に使われているような気がします。そして、遠まわしにエロい行動を仕掛けてくるエロ博士にいつの間にか惹かれていくイリス…ちょっと一緒に行動したからといってバンバンやりまくってしまうハリウッド映画とは正反対です。

薬指の標本は、足フェチ、うなじフェチの方にはたまらない映画といえるでしょう。足にこだわって、赤い靴をプレゼントするエロ博士、そして、作り手はうなじフェチではないかと確信するように、汗ばむイリスのうなじが随所に出てきます。足フェチのひげっちさんにはお勧めかもしれません。

ターン2までの評価「A」

薬指の標本は、後半に入ってテンポが鈍るシーンがあります。それは、エロ博士とイリスが交わった後から。つまり、間接的なエロから直接的なエロに切り替わった後です。それでも、イリスが火傷の跡を標本にしてくれとやってくる少女に抱く嫉妬などは納得出来るものであり、それがラストシーンに向けたイリスの決意に繋がっていくわけです。赤い靴がいつの間にか貞操帯のような存在になっていたり、イリスが他人の標本に嫉妬するようになっていたり、予想もつかないことが、いつの間にか当たり前のような設定になっていることに驚かされます。

最終評価「A」

薬指の標本にも欠点はあります。観客に投げかけた伏線を殆ど拾っていないということ、そして、悪人が出ないということです。イリスと同じ部屋に住んでいて、反対の時間帯で生活する男のことは、殆ど何も拾うことなく、イリスとの接点もどうでもいい展開でぶった切ったまま彼女の前から去らせたりしています。他にも、イリスが最初に履いていた靴はどうなったのかとか、研究所の老女は何者なのかとか、面白い要素としてバラまいているものの、拾うことなく映画は終了します。ただ、拾う必要はないなと思うエピソードも沢山あるのですが。悪人が出ると映画の独特な雰囲気を壊す可能性はありますが、イリスとエロ博士は、最初はちょっとした対立があったりなんかすると、その後の嫉妬が際立っていいのかもしれません。

日本とフランスは、文学において類似点が多いといわれています。薬指の標本を観ると、お互いの国民が曖昧な感情や表現を理解し合えることを確信することが出来るでしょう。ハリウッド映画もいいですが、たまには、こういう洋画を観るのもいいですね。願わくば、下らない邦画なんか上映するのはやめて、こういう掘り出し物の単館映画がもっともっと全国で観られるようになってほしいものです。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年10月26日
劇場:ユーロスペース
観客数:20人/92席
感涙観客度数:不明
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

「薬指の標本」原作本と何となく紹介したい「奇妙な仕事」

| | Comments (43) | TrackBack (1)

October 30, 2006

ザ・ブレイクアップ

CinemaX第110回目

監督:ペイトン・リード
脚本:ジェレミー・ギャレリック、ジェイ・ラベンダー
出演:ヴィンス・ヴォーン、ジェニファー・アニストン、ジョン・ファブローほか
上映時間105分
(公式サイトはここ

「誰も背中を押せない」

往路の機内はシートごとにモニターが設置され、好き勝手に映画が観れたのですが、睡眠時間を確保せねばならず、不都合な真実を帰りは思い切り楽しむぞと思いきや、復路はスクリーンでもしも昨日が選べたらと、往路でちょこっと観たものの「こりゃだめだ」とチャンネルを変えてしまった、このザ・ブレイクアップが放映されていました。同じ鼻トンガリ系の女優ながら、ローラ・リニーはOKで、演技が文字通り鼻にかかりすぎる感じがするジェニファー・アニストンは苦手であるなど、既にスタートからテンションが低いのですが、果たしてCinemaXの評価やいかに。

原題は「JUST BREAK UP」です。この映画が紹介されると必ず枕元で話す主役2人の絵が使われるので英語力のない僕は「ちょうど起きた」と早合点してしまい(そりゃウェイク・アップですって)、ピロートークばかりを繰り返すドラマかと思いきや、破局という意味なんですね。邦題は「ザ・ブレイクアップ」とそのままなので、同じような誤解をしてしまう人がいるかもしれません(いないか)。だったら、「ザ・破局」という邦題のほうが、しっくりくるかもしれません。ちなみに米国では人気コメディ俳優であるヴィンス・ヴォーンと、テレビドラマで未だに人気があるらしいジェニファー・アニストンの2人が付き合っているのではないかという話題性からか、封切後何週間かは興行収入上位に食い込んでいました。

ターン1までの評価「D」

話題性がある、興行成績が良いからといって、面白いわけではないのが不思議なところです。日本でも未だにゲド戦記が上位を迷走(?)していますし。とくにこのザ・ブレイクアップは、破局を題材にしているのに、2人が付き合い始める場面から描き始めて、だらだらと展開し、家庭内別居をするのは中盤近くになってからです。その過程も目新しいものがなく、だらだらと展開してしまう始末。先日のたったひとつの恋で、主人公が当然のようにセリフで好きだの嫌いだのをストレートで言ってしまうのには開いた口が塞がりませんでしたが、それには及ばないものの、極めて退屈なくっついたり離れたりが展開します。ケンカのシーンもシットコムと勘違いしているのではないかと思うほど場当たり的でだらだらとしています。

ターン2までの評価「D」

主役2人のケンカの一番の問題は、観ているこちら側が、どちらのキャラクターにも背中を押したいという気持ちが起こらないというものです。つまり、感情移入を行う余地がないということ。主役の行き当たりばったりな人格や行動も感情移入の妨げになりますが、周囲の人物がタイミング良く分からず屋になったり、思い込みを繰り返したりするのも観ている側をしらけさせます。いったい何を訴えたい映画なのでしょうか。

それでも終盤、完全に別居した2人が、数年ぶりに再会します。それも街中で、実にタイミング良く。こういう場面設定は珍しくはないのですが、良い映画の場合は、上手いセリフやその後の展開で御都合主義を忘れさせてくれます。ただ、ザ・ブレイクアップの場合は、単に世間話をして、そのうち飯でも食おうと言って別れるだけ…それってドラマになってないでしょ?シーンの無駄、時間の無駄のように感じました。一度観たことのあるもしも昨日が選べたらが珠玉の名作に思えたほどですから。

最終評価「D」

感情移入不能の映画です。腹を抱えるようなユーモアもなく、綺麗な映像もなく、飛びぬけて美しい俳優が出るわけでもなく、特徴のない映画として、忘れ去られるその他大勢の映画といえます。ただ、観る人によっては「そうだよね」と感じる部分はあるかと思いますので、念のためチェックしてみてもいいかもしれません。恋愛映画としては全く盛り上がらないので、デートでは観ない方が良いでしょう。むしろマックでお喋りしていた方が有意義です。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年10月23日
劇場:機内先行上映
観客数:不明
感涙観客度数:皆無
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

若い女性には結構話題になっていたらしい、「迷い婚~すべての迷える女性たちへ」ジェニファー・アニストン主演。ザ・ブレイクアップが封切られる時も結婚前のターゲットを絞って劇場に足を運ばせるよう騙す(?)のでしょう。あまりにも有名な「メリーに首ったけ」は、ユーモアのセンスだけで当初の予想とは裏腹にヒットしてしまった映画。まだまだ下っ端だったキャメロン・ディアスの株価も跳ね上げることに。そう考えると、ソフトバンクは金かけてますね。

| | Comments (4) | TrackBack (2)

October 29, 2006

喉元過ぎれば

素っ裸の男が暴れて警察官を刺して暴れたり、村八分(?)にされたと子供たちに突っ込み、ナタや拳銃を持って暴れる男が現れたり、事件に遭わないよう慎重に生きていてもいつどこで被害に遭うか分からない世の中になっているようです。特に警察官を刺して暴れた男は、当初は大々的にニュースが報じられたものの、男に精神疾患で入院歴が分かると一気にトーンダウン。実名すら伏せられて、その後は防刃チョッキの弱点に話題が摩り替えられ、その後はニュースとして報じられることすらなくなりました。翌日発生した後者の事件は続報が次々に報じられるのに比べるとあまりに扱いに差があることに驚かされます。

マスコミの豹変ぶりは、かつてのニセ宮様の事件に対する報道を思い出します。ニセ宮様がどういう人なのかが分かると、当のニセ宮様の話題は取り上げられなくなり、操作していた女性の素性や、騙されてパーティに出席した芸能人ばかりに焦点が当てられました。人権に配慮したものなのでしょうが、マスコミがある日突然、報道のスイッチをオフにするという手法には違和感を感じます。精神障害のある方、精神疾患を患っている方々が起こした事件を過度に報道することは、偏見の助長になるという危険性も孕んでいますが、一方で突然、人を傷つけ、それでいて責任すら問われない人々があなたのすぐ隣に生活しているかもしれないということを覆い隠してしまうという一面もあり、難しいところです。

さて、郵政民営化に造反した議員の復党問題で自民党が揺れています。というより、周りは揺れているとみているだけで、当の自民党は復党の流れで一致しているように感じるのですが。結局、さきの衆議院選挙で当選した新人のうち、一部の知名度の高い議員や小泉前首相の呼びかけに逆らって即座に派閥入りした姑息な議員を除き、復党組に押し出される形で捨て駒として次の選挙では落選してしまうのでしょう。正直者がバカを見る構造がここにもあります。自民党にとっては逆風の中、選挙を勝ち進んだ造反議員は知名度や実力のある人が多いはずですから、ビギナーズラックで当選したような議員をシコシコと育てるよりは、遥かに旨みがあるのでしょう。

恐らくマスコミは今後、造反組の復党を淡々と報道することに終始するでしょうし、国民も郵政解散の前後でどのような悲劇が生まれたかを思い出すことなく「平沼さん、野田さん、戻れてよかったね」とほっと胸を撫で下ろすことでしょうが、本当に造反組みが自民党に復党すると、刺客を立てられて失意のまま落選した元議員や、当選したものの自民党を離れた国民新党の議員などの処遇も問題になってくるでしょうし、それ以上に郵政民営化を争点に戦ったはずの選挙なのに、その後の国会で増税や保険料負担増を求める法案が次々と可決されたこと全てが有耶無耶になってしまいます。つまり、あの選挙は、全て数合わせだったということになります。

名簿に名前を貸しただけの八百屋(?)のおっさんや、新婚生活が忙しいのか、ブログが未だリニューアル中のあの議員や、「主婦の目で政治をやりたい」と言いながら新人なのに講演があるからといって国会をすっぽかした議員夫人の議員、議員になりたいと政党関係なく公認をとりつけるべくなりふり構わず行動していた議員、議員になりたくてもなれず、ようやく夢がかなったピンク一色の議員などは、次回の選挙を乗り切れるか心配です。さきの衆議院選挙で「小泉さんが可愛そうだから」という理由だけで投票した人々は、この状況をどう考えるのでしょうか。まあ、そんなことすら忘れている人が多いのでしょうが。
Akitaken

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 26, 2006

パンドラの箱

パナウェーブ研究所の代表が亡くなりました。テレビや新聞では白装束の集団を「日本中を騒がせた集団」と表現していますが、「マスコミが日本中を騒がせているように面白おかしく取り上げた集団」というのが正しいでしょう。話題になる数年前から各地をキャラバンしていたのに話題にもならず、ごく一部のテレビ局などが潜入取材を試みると、オウムばりの過剰な反応を示す集団の信者(?)の行動が異様で面白く、鬼ごっこのような取材が行われたのは記憶に新しいところです。結局この集団は移動することもままならず、ある土地に根付き活動を続けながら、カラスの餌付けなどを行い近隣住民とトラブルになり、テレビなどで定期的に住民達の怒りの声を取り上げていましたが、あの集団を定住させるよう追い込めたのは誰かを考えると、典型的なマッチポンプの構造だということが分かります。

さて、高校での履修不足が問題になっています。テレビや新聞では、この問題の根幹が机上でものごとを判断する文部科学省などと学校現場との乖離であることにあまり触れることもなく、履修不足が発生している都道府県や学校、単位の数ばかりが競うように報じられています。マスコミはいま、教育現場において開けてはならなかったパンドラの箱を開けようとしています。恐らく、金融問題などのような利権や強い力が働くような問題ではないので、箱の中は根こそぎ暴かれることでしょう。

履修不足が発生している学校の種別をまだ把握していないのですが、恐らく、公立高校が中心になっていることが考えられます。また、原因の一つに週休2日制の導入に関係していることが考えられます。週休2日制の導入で、絶対的な授業時間は減少しました。一方でゆとり教育の方針に基づき、補修などを詰め込むことが許される風潮にないばかりか、水曜日は早めに授業を終了したりするなど学校現場では「100円で200円のものを買え」と命令されているような理不尽なカリキュラムを強いられる状況になっています。週休2日制度導入当初から、正課クラブやホームルームなどの時間を削って授業を行うということが問題になっていましたが、その後問題にならないなと思いきや、一部の高校では水面下で受験に役に立たない授業が削られていたことになります。

全ての高校が週休2日制を導入すれば、これほど大きな問題にならなかったのかもしれませんが、制度の導入当初から大きな格差が発生していました。それは、進学率の高い私立高校を中心に土曜日を休みにしなかったことです。表向きは休日ということにして、土曜日に集中的に補習を行っていた学校もあります。これでは授業数に格差がつくのが当たり前で、公立とはいえただでさえ進学状況の改善に躍起になっている学校現場では、格差を埋める方法を考えなければなりません。そこで、受験には関係のない授業が削られるということになったのだと考えられます。

恐らく、履修不足の学校はさらに増える可能性がありますし、公立だけでなくより進学実績の確保に貪欲な一部の私立高校でも同様のことが行われている可能性があります。そして、開けてはならないパンドラの箱の中を暴けば暴くほど、醜い責任転嫁の状況が浮き彫りになってきます。まずは「生徒から受験に関する種目を集中的に勉強したい」と言われたといって世界史などの授業を削った学校側、そして「卒業出来なくては困る」という生徒たち。単位不足を知らなかった生徒には気の毒ですが、父兄を含めて「今までの卒業生はそのまま卒業している。我々だけ卒業出来ないのは不公平だ」という声には身勝手さを感じます。

履修不足は、かつて奇妙な事象と取り上げられたものの、実は日本中のあちこちで起きていたガードレールの謎の突起物のように、ごく身近に発生している問題といえるでしょう。テレビや新聞などでは、これだけ大きく取り上げたのですから、そのまま放置せずきちんと問題提起をしてもらいたいものです。例えば、学校現場で自分たちより優秀な人間を輩出することなく、いつまでも優越感に浸れるようなゆとり教育を浸透させて妙な人間を社会に送り出し、混乱させてしまった文部科学省などの官僚や、自分達のコピーのように権利や義務、自由や平等ばかりを訴える妙な子供ばかりを育ててしまった日教組など教員集団のあり方について、とか。でなければ、今回もまた文部科学省がそこそこの特例を出して生徒を卒業させ、その後は何が学識経験なのかさっぱりわからない、学識経験者を集めて検討させて「これが民意だ」ということで制度を面倒くさくない程度にちょこちょこっと変えるだけの誤魔化しで煙にまかれかねませんから。
U2101
U2102

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 25, 2006

不都合な真実

監督:デイヴィス・グッゲンハイム
製作総指揮:デイヴィス・グッゲンハイム、ジェフ・スコール
音楽:マイケル・ブルック
出演:アル・ゴア
上映時間:96分
(公式サイトはここ

「もう一つのアメリカ」

地味で堅い映画ながら、一時は全米興行収入の上位に食い込んだアル・ゴア元副大統領の講演を中心に収録した変化球ドキュメンタリー(?)映画、CinemaXの評価やいかに。

ゴア元副大統領といえば、現在のブッシュ大統領と2000年の大統領選で伯仲し、いい加減なフロリダ州の投票用紙の解釈が世論を二分したものの、結果的に時間切れという形でブッシュ陣営に破れた人物です。不服申し立ての過程で一瞬だけ大統領に認められた経緯があると記憶しているのですが、それで彼は映画の冒頭に「一瞬だけ大統領になったゴアです」という登場の仕方をして拍手喝さいを浴びます。

ゴアが大統領になっていれば、9.11も起こっていなかった可能性があり、これを発端に起こったアフガン侵攻、イラク戦争などを含め多くの犠牲者を出すことはなかった可能性があります。そして何よりも、この映画の主題である地球温暖化について世界的な取り組みとなる京都議定書を二酸化炭素排出大国である米国が間違いなく批准し、先進国を中心とした世界的な取り組みとして、地球を救う動きは今とは比べ物にならないほど活発化していたことでしょう。石油利権まみれのブッシュ政権が批准せず、独自の大甘な環境政策をとった挙げ句、昨年は地球温暖化の影響で巨大化する傾向にあるといわれるハリケーンに相次いで襲われ、甚大な被害を蒙ったのは皮肉としか言いようがありません。

ターン1までの評価「B」

この映画では、地球温暖化のメカニズムとそれにともなう影響を、分かりやすいグラフや実際の映像、CGなどを駆使して見せてくれます。例えばユーモアのセンスが全くない日本人が、大学の講義のように解説するのなら、これほど退屈なものはないのでしょうが、普段はイライラすることもある英語独特の言い回しは、こういう場合は緩衝材のような存在として、退屈さを解消してくれるような気がします。温暖化が進む中、氷の中をさ迷い、まさに取り付く島(ここでは氷)もなくなったホッキョクグマのCGは、ユーモラスな映像の裏に寂しさすら感じられます。

ターン2までの評価「B」

エピソードで興味深かったのは、渡り鳥がやってくるタイミングと、イモムシが地上に出てくるタイミングのズレです。温暖化で春の訪れが早くなった地域で、渡り鳥がやってくるタイミングが早くなり、それにともないヒナの孵化も早まります。ただ、イモムシが地上に出てくるタイミングは渡り鳥のそれに追いつかないというものでした。これは、ヒナが生まれてもエサがないということを意味します。それをグラフを交えて解説するので、とても分かりやすかったりします。

最終評価「B」

映画なのかといわれれば、アクションもありませんし、主人公のラブストーリーもありません。ただ、観ている側の感情は動きます。このままでいいのか、と。日本でも温暖化対策に向けた取り組みが進められていますが、企業が中心で、一般市民は夏をクールビズで過ごしたり、企業が売り出す省エネ機器を利用する程度にとどまっていて、それを啓蒙しようと官僚の天下り機関などが予算使いまくりで役人好みの芸能人(東大卒のK.Rとか、クリーンなイメージのN.Yなど。プロ野球選手に食べられてしまったN.Kも独身時代はお役人に人気があったようです)を登場させるCMを垂れ流して、そのうち「お上はちゃんとPRしていたのに、ほら、いわんこっちゃない。お前らがちゃんと取り組まなかったから温暖化が進んだじゃないか。対策をとるために税金を上乗せするぞ」というのが規定路線として考えられているとの噂もあります。

ブッシュ政権でさらに露呈されてしまった利権ばかりを得ようとして周囲に影響を与えまくる意地汚いアメリカに対し、同じ主張するアメリカでも、こういうアメリカもあるのかということを、感じてください。一度敗北した大統領候補が再度大統領選に担ぎ出されるという可能性はほとんどありませんが、出来ることならこのゴア氏にもう一度立ち上がってもらいたいような気がします。学校教育でも使えそうな内容ですが、ちょっと政治がらみの話も入るので、その部分では中立性に欠け、教材としてはなじまないような気がします。劇場でご覧になると、目の前で彼の抗議を受けている臨場感が得られるかもしれません。近日公開。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年10月19日
劇場:機内先行上映
観客数:不明
感涙観客度数:皆無
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

同じ大統領選を戦った男なのに、ここまで扱いが違うものなのか。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

October 24, 2006

風まかせ

シンドラー社のエレベータによるトラブルがその後も相次いでいたことが発覚、発表しなかったシンドラー社を非難する記事が一部の新聞で報じられましたが、暫くは発表にたよることなく自力で情報を引っ張ってきては針小棒大に面白おかしく煽っていたくせに何を今さら、という感じがします。話題性やタイミングによってニュースとしての扱いが変ってしまうのは問題だと思うのですが、北朝鮮の核問題やいじめなど一連の情報がマスコミにとって目新しさがなくなった今、もう一度シンドラー社のエレベータに対する批判がぶり返す可能性があります。ご注目ください。

さて、いじめによる青少年の自殺、介護を苦にした老人が配偶者を殺めたり自ら自殺したりする事件が相次いでいます。老人は今、増税や医療負担の増大に苦しめられています。社会保障制度の改悪が明るみになった少し前「これでは死ねというのと同じ」と嘆く老人の声も聞かれましたが、まさにその通りの出来事が発生しています。景気がいいとはいえ、優遇されるのは金持ちばかりで、成長しない日本経済において、限られたパイを一部の人間が占めるという異常な事態になっています。これでは好景気の恩恵が一般庶民にまで行き渡るはずがありません。それでも最高の好景気と大企業向けにごまをするだけの某経済紙は、いつまで我々をぬか喜びさせ続けるつもりなのでしょうか。

学校でのいじめに関して、都道府県ごとに実態調査が行われました。また、いじめ問題相談強化週間というものも設定され、多数の電話相談が寄せられたようですが、そもそも、いじめ対策というのは、教員レベルで大きな差が出る性質のものなので、風通しの悪い学校組織や教育委員会自体にやる気がなければ問題として取り上げることすら出来ないのでしょう。福岡県の中学校では、自殺した生徒のクラスで記名でアンケートをとったとのことですが、実名を書いて真実を伝える勇気ある生徒がどれほどいるか、まともに考えれば分かるはずです。あほか。

いじめは過去、社会問題にまで発展した校内暴力を徹底的に抑えこんだ結果、内向きな暴力として水面下に隠れてしまったという経緯があります。例えば結核やガン、エイズなどのように不治の病を根絶しても、必ず新たな不治の病が発生し人類の脅威となること、社会においても、ヤミ金を封じ込めた結果、オレオレ詐欺を蔓延させてしまうなど犯罪を表向きには抑え込んでも他のものに伝播してしまい犯罪そのものは残ってしまうことに似ています。

あらゆる問題に共有しますが、対策の過程で気をつけなければならないのは、徹底的に封じ込めるほど、奥深く潜り込んでしまい、見えない存在となってしまうことです。国家間の交渉ごとにおいては、抜け道を作ることが鉄則であるはずのに、教育現場では、相次ぐ自殺者を重く見て、今さらながらいじめの把握と根絶に立ち上がりました。実態把握はともかく、根絶しようというのは、真に平和で平等な世の中を気付こうとするのと同じく、不可能であるというのは誰でも分かることです。そもそも、いじめとは、大っぴらに行われるものではないので明るみにならないのは当然です。大っぴらでないからこそ、いじめとして問題になるともいえます。

いじめ問題に真剣に取り組もうとするならば、父兄の意識改革が必要です。いじめに関して「うちの子はいじめられていないだろうか」と心配するのが一般的のようですが、いじめが発生しているクラスの場合、いじめを主体的に行っている子供やそれに便乗している子供、見て見ぬふりをして親にも教師にも報告しない子供を含め大多数が加害者であることを忘れてはなりません。単に「うちの子は、いじめられていない」と胸を撫で下ろすだけなら、何の意味もないことが分かります。加えて、いじめの対策について、教師と生徒との信頼関係が必要です。福岡県の中学校で問題になった教師は、この信頼関係すらなく、教師が率先していじめの原因を作っていたことに驚かされます。

だったら信頼関係を築けばいいということになりますが、先生を小ばかにする父兄が多いなかでそのような関係を築くのは困難だといわざるをえないでしょう。加えて最近では不景気を反映して、聖職者としての意識や情熱もなく、単に公務員というだけで教員になった人も少なくないと聞きます。教師がサラリーマン化するなかで、就労時間外のプライベートな時間を削ってまで、問題に取り組もうという教師にめぐり合える確率は、かなり低くなっているのではないでしょうか。サラリーマン教師にとって、坂本金八や北野広大は変人に見えることでしょう。

いじめは、ほんの小さなことが原因となり、いじめる側の子供に何らかのストレスが溜まっていたりすると慢性化するように思います。「何もやることがないから」という理由も考えられるかもしれません。平和ボケで我先にという人間があふれて社会全体がおかしくなっているどこかの国に似ています。こういう場合は、何らかの目的があれば人間の意識は一つにまとまることが多いような気がします。乱暴にいえば戦争しかり。そうでなければ何らかの目的を持てばいいのですが、例えば、学校現場において、個性の名のもとにそれぞれが違う方向を向いている子供たちをひとまとめにするのは、今の教育システムでは絶望的といえるでしょう。

「学校が悪い」「社会が悪い」というのは簡単ですが、いじめ一つにとっても、複雑な問題が絡んでいることが分かります。いじめの被害者が躊躇なく自殺を選択肢に加える恐ろしい世の中になってしまいましたから、このまま放置する訳にはいきません。単に実態を把握したり、電話相談窓口を開設するようなパフォーマンスだけでは意味がないということを忘れないでいてほしいものです。学校現場の最前線にいる先生はもちろん、机上で議論するだけの学識経験者と呼ばれる人たちや官僚は特に。
Beach

| | Comments (1) | TrackBack (1)

October 18, 2006

カポーティ

CinemaX第108回。

監督:ベネット・ミラー
製作総指揮:ダン・ファターマン、フィリップ・シーモア・ホフマンほか
原作:ジェラルド・クラーク
脚本:ダン・ファターマン
音楽:マイケル・ダナ
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナーほか
上映時間:114分
(公式サイトはここ

「澱んだ川」

困った映画が登場しました。 M:i:IIIで我儘なお坊ちゃんギャングみたいな役を演じた主演のフィリップ・シーモア・ホフマンは、このカポーティでアカデミー賞主演男優賞を受賞。彼はこのほか様々な賞を受賞し、作品や監督などもアカデミー各賞にノミネート、そのほか多数の賞を受賞しています。評価からすれば素晴らしい映画のはずなのですが、果たしてCinemaXの評価やいかに。

カポーティという人物に対する先入観もなければ、どういう話なのかすら分からずいきなり本編に突入しました。このカポーティは、割とマイナーな映画を扱うソニーピクチャーズ・クラシックス作品なのですね。記憶違いでなければグッドナイト&グッドラックもそうではなかったかと。何だか嫌な予感がします。

最初の難関は、作り上げられたトルーマン・カポーティのキャラクターです。フィリップ・シーモア・ホフマンが必死に出す甲高い声は、学生時代、先生などをバカにする時に真似る声(?)のようで、無性にイライラしてきます。ストーリーの盛り上がって、そんなことなど考える暇がなければいいのですが、残念ながらそういう映画ではなさそうです。まずは、このキャラクターに対して免疫があるかないかで、この映画の評価が変ってくると思います。終始、この声がつきまとうわけですから。

ターン1までの評価「D」

カポーティは、テンションやストーリーが超スローで展開します。一家惨殺事件が発生した街に降り立ったカポーティが、あっちでウロウロ、こっちでノロノロしているのですが、あまりにもテンポが悪く、果たして先に進んでいるのか、後に戻っているのか(そんんなはずはありませんが、錯覚しそうになります)、自分が一体何を観ているのかも分からなくなります。おまけに映像は晩秋の夕暮れのように薄暗くぼんやりしているので、一層、焦燥感がこみ上げてきます。本当に困った映画です。

主人公が一体何をしたいのかを知るまで、相当な時間を費やします。心を少しづつ開く始める殺人犯の片割れの行動が少しだけ面白いのですが、これから犯人同士の対立が見られるのかな?と少し期待させておいて、実はそれ以上はナシ。殺人犯は最後の最後で殺人に至った経緯を話すのですが、これも凄い秘密があるわけでもありません。カポーティの最後のセリフに何かが込められるのかな?と期待してみても「Good-Bye」なんだそりゃ。これまで何度も事実に基づいた映画を作ろうとして、悉く実際のエピソードに振り回され過ぎて、凡作に仕上がるケースを観て来ましたが、これもその一つにカウントされるのでしょう。

ターン2までの評価「D」

結局、誰も何も変わらない、つまらない映画でした。カポーティは映画の中でさんざん苦悩していますが、妙に登場人物が多すぎたり、余計なエピソードが混じったりして、映画そのものが散漫になってしまうようでした。フィリップ・シーモア・ホフマンの熱演は分かりますが、何が言いたかったのかさっぱり分からない映画でした。

もう一つ困ったことがあります。カポーティという退屈な作品が何故、あちこちで様々な賞を受けているか、ということです。Yahoo!映画での評価や他の映画系サイトを回ってみると、意外に評価が高いことに驚かされます。本当に素晴らしいと感じて評価するのは結構なことだと思いますが、数多くの賞を受けていることで便乗して、まず「良い映画に決まっている」という考えありきで評価されている面もあるような気がします。

終盤、殺人犯が処刑されるシーンで鼻すすり音を検知しました。人が死んだというだけで悲しいのは分かりますが、そこまで殺人犯に感情移入出来るほどの人物描写がなされていましたか?あちこちでのカポーティの評価を見ると、アメリカン・ビューティーが話題になった頃に「どうしてこの映画の良さが分からないの?」という風潮があったことを思い出します。あの映画だって、アカデミー賞を受賞していなければ、ちょっと映像が綺麗で何が何だか分からない映画に過ぎないのですから。最近ではTAKESHIS’も同様です。分かったようなふりをする人々を沢山見かけましたね。

最終評価「D」

やはり僕には理解出来ませんでした。風邪を引きかけたような怠惰な雰囲気の映画を楽しみたいというのなら、おすすめです。アカデミー主演男優賞は、作品+男優の演技ではなく、フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が評価されたと信じたいところです。アカデミー賞などノミネートして選出する映画賞には、必ず噛ませ犬のような映画がピックアップされますが、カポーティはその類の映画ではないかと。きっと、アメリカン・ビューティーの時ように映画を観る目のリトマス紙として、カポーティを引き合いに出す人も多いでしょうが、あまり意味がないような気がします。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年10月15日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:200人/296席
感涙観客度数:若干
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

トルーマン・カポーティがこの事件を通じて上梓した「冷血」ソニー・ピクチャーズ・クラシックのこれまた微妙な映画だった「グッドナイト&グッドラック」アカデミー賞受賞当時は「どうしてこの映画の良さが分からないの?」と熱くなる人が異常に多かったような気がする「アメリカン・ビューティー」どれもおすすめ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 16, 2006

ブレーキ

祖母が孫を代理出産するというややこしい事件(?)がありました。行ったのは、かつて着床前の受精卵診断などが話題となった諏訪マタニティークリニックの根津医師です。根津医師の行動は、子供が欲しくても物理的に叶わない夫婦に光を当てるものです。男女の産み分けについても、障害の有無を確認出来るようになれば、子供受け入れる親や親族にとっては都合がいいのかもしれません。ただ、究極には希望の性別でない場合や染色体異常などが確認された場合も処分せず受け入れられるのかという問題に発展します。その診断すら100%確証出来るものではないというのに。

今回の出産の件もネット上で賛否両論渦巻いていますが、一つ忘れてはならないのは、当事者にとって良いことと、それが大きなうねりになった場合の問題は別だ、ということです。代理出産にあたっては、当事者の方々は死ぬほど悩んだことでしょう。その結果、子供が得られたということはこのうえない喜びでしょう。ただ、誰もが代理出産を行うようになった場合はどうか、男女の産み分け、障害の有無が誰にでも確認出来るようになったらどうなるか、ということです。先日、東京高裁で品川区に対し、高田延彦さん夫妻の出生届を受理するようにとの判断が下されました。これは言うまでもなく代理出産で生まれた子供を実子として認めるもので、子宮頸がんと闘いながら子供を得た向井亜紀さんの努力が報われたことで激励するメールが相次いでいると聞きます。この件に関しては、品川区のお役所的な対応も批判されましたが、遺伝子的には実子であるので、夫妻が実際にもうけた子供として記録が残るのは自然な流れのように思われます。ただ、これも大きなうねりになったらどうなるのか、ということです。安易に善悪を決め付けるには、まだまだ時期尚早なような気がします。

世の中にはバランスというものがあります。男女の比率も一定のものがあるでしょうし、ハンデキャップを持った人々も一定の割合で社会で活躍しています。既に医療技術の進化に多少の影響を受けているかもしれませんが、こうした比率を壊すことは、自然における生態系を壊すことに似ているのかもしれません。自然破壊などでみられるように、本来触れてはいけない部分に人間の手が加わることでさまざまな弊害が出ているのはいうまでもありません。代理出産、男女の産み分けなどを議論するのなら、前述の通り個々のケースの感情にとらわれず議論する必要があるでしょう。これまでも白血病と闘う子供の骨髄を得るため、新たに子供をもうけ、移植がなされたというケースがありますが、エスカレートすれば、既に生まれている子供の臓器を得るための妊娠、出産などの事例が発生する可能性があります(既にあるかもしれませんが)。究極のところ、そこまで考える必要があるでしょう。ただでさえ、人間はブレーキを踏めなくなっているのですから。

ブレーキといえば、小学生によるいじめを苦にした自殺が相次いでいます。福岡県の中学校のケースでは、教師の発言がいじめの発端になり問題となっています。安易に心ない発言をしてしまう教師、それに煽られていじめに走る生徒、そして何より、小学生を含めた子供がいじめに対して自殺を選択肢に加えるようになったということに驚かされます。それぞれどこかでブレーキを踏む能力があったならば、自殺にまで発展することはなかったでしょうから。

人間には、何事においてもブレーキを踏むという能力があったような気がします。特に日本人は、交渉ごとや日常生活において、譲り合いや引き際というものを尊重して行動してきました。例えが乱暴ですが、強盗事件を起こしても、普通は人質を殺すまでのことはしないと思っていて、実際にそうなっているケースが多いのも日本人らしいところだといえます。ところが最近では、自らの提案能力を競うかのように我先に交渉を持ち出したり、ゴネ得とばかりに何でも苦情を訴えるような人が増えました。強盗事件においても容赦なく人質を惨殺したりとか、ちょっとしたことで人を殺してしまったりとか。日本人のブレーキを踏む能力は確実に低下しているようです。

人間にとって、ブレーキを踏むという行為は難しいものですから、外部にルールを求めるようになります。近代国家は法治国家でもあるので、人間は自然とブレーキを踏む能力が退化してきているのでしょう。ただ、ルールというものは、手取り足取り定めるものではなく、ブレーキを補完する存在でなければならないと思います。それを勘違いすると、ルールにない=合法と思い込んで、脱法ドラッグに手を出したりするわけです。もぐら叩きのように発生するヤミ金やオレオレ詐欺なども、法などの間隙を縫った脱法行為(詐欺自体は犯罪ですが)ともいえますし。ライブドア事件でも脱法による取り引きがいくつか話題になりました。「まさかそこまでする奴はいないだろう」ということを平然とやる人間が増えているわけです。

先日、開かずの踏切の実状を報道する番組を観た視聴者から「行政はどうしてこうも危険な踏切を放置するのだろうと思うと憤りを感じる」との意見が寄せられていました。これこそ手取り足取りルールを作れという理論のような気がします。踏切をなくすには究極のところ全てを高架にするか、地下に潜らせるしかありませんが、少なくとも全ての開かずの踏切に地下道を作ったり、エレベータ付の高架橋を渡すにしても、そこまでやるほど鉄道会社には財力がない。自治体や国にしてもこれまで以上に道路特定財源を流用しても無理なことは誰がみても分かるはずです。そういう状況であるのに100%対策をとれというのは、単に不景気なのは社会が悪いといっているようなもので、極めて具体性に欠けると思うのですが。

代理出産に対しては、究極的には罰則付きの規制をするような動きもあるようですが、そもそも、本来人間が触れてはいけない領域にまでルールを決めようということに違和感を覚えなくもありません。それだけ、人間にブレーキを踏む力がなくなったともいえますが。そのうち家族法みたいなものが出来て、親を殺してはいけない、親兄弟の金を盗んではいけないなどと日常生活の常識を手取り足取り定めたルールが出来るかもしれません。
Jingu0610

| | Comments (6) | TrackBack (1)

October 14, 2006

観ず語りドラマレビュー

映画鑑賞を主軸としてから、テレビドラマは殆ど観ることがなくなってしまいました。最近、熱心に観た記憶があるのは、「タイガー&ドラゴン」と前回の「Dr.コトー診療所」ぐらいです。連続ドラマではありませんが、先日再放送された「クライマーズ・ハイ」は骨のあるドラマでした。ここ数年のテレビドラマは、視聴率低下のテコ入れとして漫画原作に走り、最近はDVDなど物販(?)による収益効果も見越したのか劇場映画の蒸し返しに走り、それがさらに古参のテレビドラマファン離れを加速させ、さらなる人気の下落を招いているという指摘もあります。今回のクールのテレビドラマも相変わらず原作モノが隆盛する状況にありますが、初回からもったいぶった内容とテーマ曲のアレンジが変わりダラダラ感が強くなった「Dr.コトー診療所2006」などを除き、意外にフジテレビ系列のドラマはオリジナルに回帰しつつあることが分かります。

前回のクールで人気タレントを揃えたものの悉く打ち切りになってしまったテレビ朝日がさらに話題性のある原作をドラマ化しようというのは分からなくもないですが、かつては「ドラマのTBS」と謳っていたTBSは、主要時間帯の殆どが漫画原作や劇場映画の蒸し返しという悲しい状況にあります。テレビに出れば出るほど安っぽくなってしまう長澤まさみを起用した「セーラー服と機関銃」も話題を集めていますが、劇場映画がミュージカル仕立てで話題になった「嫌われ松子の一生」は、出演者が番組宣伝で「どうやったら愛され松子になれるか」などとネロが教会で息絶えることなく大富豪になり、アロアを娶ってパトラッシュとともに幸せな余生を送らんかというような意味不明な発言をしているのが気になります。

テレビドラマで原作や劇場映画をリメイクする場合、制作者(特にプロデューサー)が中途半端な才能に酔いながら登場人物の性別や職業をちょこっと変えてみたり、エンディングをちょこっといじるなどストーリーを変更してしまうケースが多いといわれていますが、どうせ変えるなら、原作にはいないはずの人物が主人公に設定されたり、原作とは似ても似つかぬ作品に仕上がる黒澤作品ぐらいメチャメチャにやって欲しいものです。ちなみに「鉄板少女アカネ!!」はつい最近まで、土曜9時(日テレのミーハードラマ枠)にやるのかと思っていましたが、TBSなんですね。一昔前では考えられない現象です。

Danyan01

さて、今回のクールは、年に一回しか仕事をしない北川悦吏子氏が「たったひとつの恋」で登場します。今回は日テレ。毎回その時期に旬の綺麗な俳優やタレントばかりを集めて、身分や立場の差、ハンデなどを乗り越える話を描くというパターンは相変わらずですが、恋愛ドラマの女王といわれるだけに、数字は獲得するでしょう。この人の発言や行動の端々に垣間見える「心なさ」が気になって仕方がないのですが、オリジナルドラマ(ではないものもあるとの噂もありますが)を書くことを許された数少ない脚本家としては貴重な存在といえます。毎回彼女のドラマが放映されると、脚本家を目指しスクールを受講する女性が急増するという話もありますから。

日テレはこれまた女性の人気が高い井上由美子氏を「14才の母~愛するために生まれてきた~」で起用しています。TBSのドラマが話題作りにばかり走る中で、バラエティ路線を走るフジテレビを尻目に麹町時代の夢をもう一度(視聴率四冠)という意気込みが感じられなくもありません。テレビドラマは、相変わらず真面目(?)に取り組むNHKは別として、前回のクールはダークホース的存在として女性の話題をさらった(?)らしいフジテレビ系「結婚できない男」のように口コミで話題になる例もありますから、油断することは出来ません…といいながら、今回のクールも全く観ないかもしれませんが。

Danyan02

| | Comments (2) | TrackBack (4)

October 09, 2006

イルマーレ

CinemaX第107回。

監督:アレハンドロ・アグレスティ
製作総指揮:メアリー・マクラグレン、アーウィン・ストフほか
脚本:デヴィッド・オーバーン
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロックほか
上映時間98分
(公式サイトはここ

「あっ!」

韓国の同名映画のリメイクとなる「イルマーレ」です。オリジナルを観ていないので先入観は全くありませんが、周囲の評価をみると「どちらかといえば良い」という感じです。主演は、小室哲哉が音楽プロデュースし興行もスベった感のある「スピード2」ではなくて「スピード」のコンビが12年ぶり?に共演したりと話題も少しはあるイルマーレ、CinemaXの評価やいかに。

全く期待せずに観る映画は、意外と当たりだったなと思うものも多かったりしますが、今回も悩んだ挙げ句、場末の雰囲気がプンプン漂う上野東急に立ち寄り鑑賞しました。郊外にシネコンが乱立するなかで、長く関東「地方」の娯楽を提供してきた都心の映画館は、役割を終えつつあるといわれています。単館系映画やその劇場だけでしか観ることが出来ないような映画を掘り起こして上映するなど生き残り策を打ち出すわけでもない上野東急はその典型ともいえる映画館で、東急系の直営でなければとっくに消えているのかもしれません。

イルマーレは終始、霞がかった独特の雰囲気に包まれた映画で、寝不足の身体には辛かったりします。舞台は、湖畔に立つ家で、2人の男女、アレックスとケイトが2年間という時間を乗り越えて、家の前のポストで手紙のやり取りを始めます。ところが、SFちっくな導入部分はどこにもなく「いきなりかよ!」という展開です。何か前触れがあればもっと感情移入しやすいのでしょうが、ここだけは欠落しています。まあ、霞がかった映画なので、ウヤムヤにしてもさほど違和感がないような気もしますが。鬼形礼みたいな郵便配達員がショルダーバッグを背負って手紙を運ぶ設定なら、ホラー映画になってしまいますから、「一番ベスト」なのかもしれません。

手紙のやり取りのきっかけの部分の違和感を除けば、あとはシンプルです。家の住人は、女が先、男が後かと思いきや、犬の足跡や箱で実は逆だったという設定も変化球が心地よく感じられて観客の興味を惹くことでしょう。これで自分がポストに自分で入ろうとすればコメディになるのでしょうが、そういうおふざけもなく、映画そのものは極めてローテンションで淡々とストーリーが展開していきます。

ターン1までの評価「B」

本編が98分という短さを気にしたからか、中盤はどうでもいいような話が入り込みます。父親と不仲(?)のアレックスの話、それに関するアレックスと弟(?)との兄弟げんか。これらのシーンはかなり退屈です。セリフ一言でやっつけられそうなぐらいですが、かさを増やさないと、映画として成り立たないというような焦りすら感じてしまうのは気のせいでしょうか。

過去で巡り合った2人は、いくつかの会話のやりとりをして、身の上話を始めます。デートで相手が自分の身内の話をすれば脈アリといわれますが、皆さんも経験があるとは思いますが、身の上話のような類のものは、それなりに親しくないと切り出すことが出来ないものです。これは、ご都合主義の展開で書かれた脚本では初対面でベラベラ喋ってしまうようなシーンもありますが、ほんの少し事件やイベントを共有しただけですぐにセックスをしてしまうハリウッド映画でさえ、初対面で全てをさらけ出してしまうような変人は見かけませんから。

予約が難しい人気レストラン「イルマーレ」の2年後の予約をして、再会を誓う主人公たち、実際にどうなるかはネタばれになるので避けますが、そこでの結果を映画そのもののクライマックスにどう引っ張って、拾ってくれるのか、期待が膨らみます。まるで、TVシリーズのエヴァンゲリオンを中盤あたりまで観ている時の心境です(エヴァ…はきちんと拾ってくれませんでしたが)。

ターン2までの評価「B」

くっついたり、離れたり、トレンディドラマのようなすれ違いの後、2人にある接点があることが分かります。それを観て、僕の評価は一転しました。最後に話をひっくり返す映画はこれまでいくつもあり、後になって考えてみると古典的な手法といえますが、主人公の職業やいろいろなものにカモフラージュされて、まんまと騙されてしまいます。僕のメモは「あっ!」「なるほど!」「これは上手い!」と記されています。SFチックな話は、現在との接点が重要とCinemaXでも何度か述べましたが、導入部はグダグダでも、最後にしっかりとした接点があれば、違和感はある程度払拭出来るのだなと感じた映画です。

問題は結末です。主人公が生きようが死のうが、どうなっても説明がつくどんでん返し(それだけに秀逸といえます)を経て、人間にとって一番辛いはずの「待つこと」をテーマにどう展開し、結末を迎えるのか、これ以上はネタばれになりますので、あとは実際にご覧下さい。「待て」と言われて、しつけの良い犬はきちんと待てますが、それが何年もとなると辛いもの。特に何もせずじっと待つこと(行列とかではなく)が時に大切なことをこの映画は訴えています(ネタばれ?)。

最終評価「A」

偶然ですが「地下鉄に乗って」も時間が重要なファクターとなります。未来を変えようとするという点では、同じような要素を持っていますが、味わいの違うこの2つの作品は今なら劇場で楽しむことが出来ます。通常、悪い人間のほうが映画のキャラクターとして映え、名作映画ほど強烈な悪役が登場するといっても過言ではありませんが、イルマーレは出てくる人の殆どが良い人。これではパンチがなくなりがちなのですが、それは映画によりけり。たまには善人だらけの映画で癒されるのもいいでしょう。全般的に青っぽい映像も落ち着きます。

ついでに紹介!

オリジナルも気になるところ。出会いといえば「ユー・ガット・メール」出会い系。

| | Comments (7) | TrackBack (1)

October 07, 2006

地下鉄に乗って

CinemaX第106回。

監督:篠原哲雄
原作:浅田次郎
脚本:石黒尚美/脚本協力:長谷川康夫
音楽:小林武史
出演:堤真一、岡本綾、常盤貴子、大沢たかおほか
上映時間:121分
(公式サイトはここ

「大沢たかおの堤真一食い」

近日公開の地下鉄に乗って、試写会に行ってきました。地下鉄の部分は「メトロ」と読みます。貴男を「あなた」のような感じです。一般的にルビをふったり、地下鉄(メトロ)に乗ってと表記するようです。「ちかてつにのって」だと、都営地下鉄に乗っているような感じになりますから。原作は「鉄道員」の原作でもある浅田次郎です。言うまでもなく鉄道員は「ぽっぽや」と読みます。そう読むことで高倉健の枯れた表情が浮かぶはずです。「てつどういん」と読むと若き日の渥美清が出ちゃいそうになりますから。ちなみに、浅田次郎の原作は読んでいません。ちなみにCinemaXは原作を読んでいても読んでいないと仮定して、シリーズものなら前作を観ていないことを仮定して評価しますから、問題はないでしょう。

堤真一主演の一昔前の日本を回顧する映画といえば、「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を思い出します。ということは、ここ最近、とりあえず良いとこどりすれば、後追いでもヒットするだろうという安易な考えで映画を作っている東映の映画かなと思ったら、松竹でした。東映のお株を奪う新鮮味のなさに脱力です。とはいえ、大手広告代理店が絡んでいますから、テレビ朝日以外の局でも派手にPRを行い、強引な集客に走ることが目に浮かびます。内容が伴えば問題はないと思うのですが。

さて、序盤は懐古趣味満載の映像が続きます。これは、三丁目の夕日と同じ。試写会独特の安っぽい雰囲気もあいまって、周囲のおばちゃんからは「そう、そうなのよ」「半蔵門線はもっと後よ」などという話し声が飛び交います。主人公の真次は、赤坂見附の出口から外に出ると、何故か新中野駅前に繋がるということに、最初は慌てながらもすぐに納得してしまいます。どうして?怪しい昔の恩師に出会ったから?観客に対して不思議の世界に入ったから、おとなしく観ていろとでも言わんばかりです。

ターン1までの評価「C」

登場人物たちがどういう人間なのかもなかなか掴むことが出来ません。少しづつ説明がなされて、後になると分かるようになるのですが、これは最初のうちに行わないと、いくら人物が行動しても「誰これ?何してるの?」とさっぱり頭の中に入りません。岡本綾演じるみち子も、後にならないと長谷部と不倫関係であるとは分かりませんし。原作を読んでいればのような問題はスルーしてもいいのでしょうが、観客の全てが原作を読んで足を運んでいることはありえませんから、このあたりの説明をしっかりしてもらいたいものです。

セリフも問題です。状況を説明するだけのセリフ、くさいセリフのオンパレードです。特に真次が若き日の父親に逢うシーンも、2人はあっという間に仲良くなってしまいます。親子だから通じるものがあるのだろうと思えなくもないですが、こういう時こそセリフの力が生きてくるはずです。おまけに登場人物のテンションもバラバラ。映画全体のテンションもバラバラです。シリアス、コメディのどちらかにシフトして、時に反対の雰囲気のシーンを盛り込むならいいのですが、どちらも入り組んでいるので、そのシーンで笑っていいものか、感動しなければいけないのか、混乱してしまいます。

ターン2までの評価「C」

この映画の見所は、真次の父、小沼佐吉(アムール)を演じる大沢たかおの演技です。主役2人のタイムスリップの傍らで小沼佐吉物語といってもいいぐらいこの人物の人生が取り上げられます。出陣に燃え、終戦後の混乱を経て誰も信じることが出来なくなった彼の生きざま、あるいは男から父親に変化していく佐吉の心境の変化などを大沢たかおが見事に演じています。堤真一も大物なのでそれなりの演技をしますが、まさに主役食い、大沢たかおの堤真一食いがここに完成しています。

父親の別の顔をクローズアップするという点では、原作はきっと面白いのでしょう。同じ一人の人間が、自分を子供に持つ前、もっともっと前の若き日の姿を追い、直接的に会話をするために地下鉄を利用したのは非常にユニークといえます。たった数分で何十年も経過してしまう恐ろしい歌「グリーングリーン」に通じるものがあります。原作の出版から映像化まで10年以上開いているのは、東京メトロ(東京地下鉄)が帝都高速度交通営団という小役人たちの会社であったため撮影許可が降りるような状況になかったのかもしれませんが、映像化は無理だと考えられていたのではないでようか。作って流行る映画なら、鉄道員の二番煎じとして早々に登場していたはずですから。恐らく、三丁目の夕日のヒットが遠因となっているのでしょう。

最終評価「B」

終盤の衝撃のシーン、ここがが一番の見どころでもあります。これで良いのか?と叫びたくなるぐらいの結末。これがないと、パンチのない映画になっていたことでしょう。それだけ原作が秀逸だったといえますが、母親と同じ恋愛をして、ある行動を起こして消えていったこの登場人物のことを考えると、胃がキリキリと痛くなりました。これから原作を読んでみようと思いますが、映像化の過程でもう少し頑張るともっともっと良い映画になったのかなあと思うと残念でたまりません。

鑑賞日:平成18年10月3日
劇場:草月ホール(試写)
感涙観客度数:多数
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

テレビ局や広告代理店が「映画っておいしいものだね♪」と再び味をしめてしまった「ALWAYS 三丁目の夕日」加えて本文中で紹介した「鉄道員」「喜劇 急行列車」最近特に勢いを増す邦画の乱発が本当に心配です。

| | Comments (9) | TrackBack (2)

October 05, 2006

潮時

竹中平蔵議員の辞職にともない神取忍さんが参議院議員に繰り上げ当選しました。竹中議員は辞職するに当たりいろいろなモノ(?)を抱えていったとの噂もありますが、自民党内からもいろいろと揶揄されながら重用し続けてくれた小泉前首相の後ろ盾がなくなるわけですから、逃げるのが得策でしょう。一仕事終えて職を辞すのはどこか職人的ですが、そもそも小泉政権の終焉とともに辞めるつもりだったのなら、立候補することはなく、自民党、特に小泉政権にとっては当時の参議院選挙の票集めが目的だったのでは?と勘ぐりたくもなります。

さて、その神取忍議員の髪の色が話題になりました。結果的に彼女は髪を黒く染めて登院しましたが、金髪で登院するのは風紀が乱れるとばかりに根強い不快感が渦巻いていたのは事実です。過去、帽子を被って入場することでさえ認められなかったぐらいですから。ただ、昔は学校などでエレキギターだけを持っていただけで不良とレッテルを貼られ、ゲームセンターに行っていただけで教師に咎められていたように、いずれ認められる時代が来るでしょう。

さて、以前と比べ大きく変化したのが大相撲です。モンゴル勢など外国人力士の台頭で大相撲は若貴時代以来、低迷していた人気が回復しています。幕内上位は外国人力士が占め、国産力士が捨て駒のように負けていく構図は少し残念ですが、身体の大きさに強さが比例しないのが相撲の面白いところです。他のスポーツなら身体能力の高い外国人に席巻されるのでしょう。思えば、野球やサッカーのように子供がこぞって楽しむスポーツではなく、日本大相撲協会だけが興行を独占しているようなスポーツを国技と呼ぶのは相当に違和感があったのですが、これだけ国際化してくれば、そろそろ国技と胸を張ってもいいような気がします。

さて、先場所は残念ながら途中休場したエストニアの巨漢力士、把瑠都の大銀杏に注目が寄せられています。大銀杏を結う間もなく出世するさまは、大関復帰を逃した雅山を彷彿とさせます。注目されているのは把瑠都の髪の色です。把瑠都はこれまで、金髪を染めることなく髷を結い土俵に上がっています。これまでの外国人力士は、外国人といえども髪の色が濃いハワイ出身だったり、同じモンゴロイドであるモンゴルや韓国出身の力士でしたから、こうした問題はあまり取り沙汰されることはありませんでした。把瑠都は金髪で、しかも強いですから目立ちます。これまで髪の色が薄い外国人力士は、髪を黒くして髷を結って来ましたが、大相撲はここまで国際化しているのですから、もう黒髪を強要するのは時代遅れなのかもしれません。

外国人力士が増えたとはいえ、これまで大きな混乱がなかったのは、前述の通り髪の色や肌の色が日本人と比べて比較的違和感がなかったところにあるのでしょう。角界初の黒人力士、戦闘竜以上にやがて顔も体格も本格派(?)の黒人力士が横綱になったりする時代も考えられなくはないでしょう。日本人はまだまだ外国人アレルギーが根強く残っているといえますが、あらゆるものの国際化が進むなかでそろそろ受け入れる心構えが必要なのではないでしょうか。そう考えると、把瑠都の髪の色でぐだぐだ言っている場合ではないことが分かります。最近の相撲人気は彼ら外国人力士によるものですし、日本人オンリーという禁を破ったのも彼ら日本大相撲協会の親方や年寄自身なのですから。
Nissan

| | Comments (8) | TrackBack (1)

October 04, 2006

もしも昨日が選べたら

CinemaX第105回。

監督:フランク・コラチ
製作総指揮:ダグ・ベルグラッド、バリー・ベルナルディほか
脚本:スティーヴ・コーレン 、マーク・オキーフ
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセイル、クリストファー・ウォーケンほか
(公式サイトはここ

「一発逆転タコ映画」

万能リモコンで世界が大きく変わる映画。原題はCLICKですが、そのまま邦題にすると必ず埋もれてしまいます。そこで考えたのが「もしも昨日が選べたら」この邦題に偽りはないのか、CinemaXの評価やいかに。

もしも…は、全米興行収入でも少しだけ粘りをみせましたので、それなりに実力はある映画なのですが、これといってパンチがなく、日本ではあまり人気がないアダム・サンドラー主演ということなのか、9月23日に地味に封切られました。同じ酒の目玉がイルマーレ、フラガールなので、どれほど地味なスタートだったか分かります。

もしも…は、B級映画の匂いがプンプンする映画です。エロ、下品なジョークが飛び交うので、カップルで観たり、子供を連れて見るにはそれなりの覚悟が必要でしょう。この辺りの妙なテンションが、日本での封切の際にファミリードラマとして大々的に売り出せない所以なのかもしれません。

長い前置きを経て、いよいよ万能リモコンが登場します。不思議なモノや世界を表現する場合は、出来る限り現在との接点が必要です。観客が置いてけぼりをくらってしまいますから、入口が必要なわけです。例えばバック・トゥ・ザ・フューチャーでは、最初の時計のシーンで観客は「?」と思い、主人公のマーティは周囲から行ってはいけないといわれていたドクの家に行ったがために、とんでもない発明品に遭遇してタイムスリップするのですが、この展開に観客はスーッと引き込まれます。

一方で現在に結びつけるという作業をないがしろにしたばかりに失敗したSF映画が山ほどありますから、注意が必要です。斬新なCGなど飛び道具を借りれば接点なしでもそれなりにインパクトのある映画になるのですが、これは特殊な例といえるでしょう。もしも…においては、万能リモコンが登場するシーンはかなり強引なのですが、まあこれはこれでよしとしてみましょう。

ターン1までの評価「B」

冒頭からジョークのテンポがいいのですが、中盤になっても同じようなテンションが続くとくたびれてきます。おまけに、人工知能搭載の万能リモコンは好き勝手に時間を移動(ほとんど進むだけ)し始めます。この好き勝手が本当に行き当たりばったりで、主人公たちの行動も行き当たりばったり。ましてや万能リモコンは返品不可というルールがあるなどご都合主義の設定のオンパレードです。

度重なる時間のなか、ストーリーは蛇行しながら数十年も経過し、後半にはいったい何の話だったかさっぱり分からなくなります。「アンドリューNDR114」を観るとくたびれてしまうように、映画の中での時間経過があまりに膨大だと観ている側は疲れてくるようです。現実ではなく映画の中だけなのに不思議です。もしも…は、ただでさえB級臭が漂う映画なのですから、万能リモコンを使ってもっとドキドキするようなシーンがあってもいいような気がするのですが、そんな期待を裏切ってリモコンは自動操縦しっぱなし。もういい加減にしてくれよ!

ターン2までの評価「C」

糸の切れたタコ映画、ストーリーに骨のないタコ映画かと思いきや、最後はマイケルの心変わりというオーソドックスな手法で攻めてきます。さんざんいろんな投球パフォーマンスを披露した挙げ句、最後はごく普通のフォームで投げるピッチャーのようです。特にマイケルが病院を抜け出して雨に打たれながら「ハ、ハネムーン」とつぶやくシーンは、この映画の名場面といえるでしょう。完全な完封負け試合かと思いきや、ここで一本ホームラン。

そこで終わるかと思いきや、ちょっと変化球。やっぱり夢だったので「安直だな」と鼻で笑っていると実はそうじゃなかったということでまたホームラン。終わり良ければ全て良しといわれますが、序盤の下品なジョーク、中盤のグダグダドラマを吹き飛ばすぐらい終わり方の良い映画でした。

最終評価「B」

序盤、中盤の走り方が影響してB評価ですが、終わり方を考えるとA寄りといえるでしょう。ケイト・ベッキンセイルの美貌とストーリーの締めくくり方の上手い、心憎い映画です。

鑑賞日:平成18年10月2日
劇場:みゆき座
観客数:25/183席
感涙観客度数:若干
※各ターンは個人的に設定、感涙観客度数は場内の鼻すすり音で推定。

ついでに紹介!

約2時間の間に気が遠くなるほど長い時間が経過する忍耐映画「アンドリューNDR114」と現在との接点なんかよりCGで誤魔化しちゃえという作戦が何となく成功している「コンスタンティン」

天使や悪魔を扱う天国映画(?)はなかなかキツいものが多いような気がします。「普通じゃない」は、やはり普通じゃありませんでした。そういえば上段の「コンスタンティン」も天使が登場しますね。リュック・ベッソン監督の「フィフス・エレメント」は、レオンのような感動をもう一度と劇場に足を運んだ観客を唖然とさせました。あまりにも先の話しすぎて雲をつかむようでしたから。観客が感情移入できなかったのは、現在の接点がなかったのも理由の一つ。23世紀のタクシーの運ちゃんと小娘のされても困りますね。設定がぐちゃぐちゃのキャシャーンよりはマシですが。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 02, 2006

概況(18年9月分)

愛媛県で臓器売買の事実が発覚しました。違法な臓器取引が行われ、その見返りが充分でなかったことを警察に訴えたことで事件が発覚しました。事件発覚の経緯のお粗末ぶりは、少し前に発生した、ネットで殺害依頼をして代金を支払ったものの約束どおり実行されないと訴えた消防救急隊員を思い出します。病院側の我関せずの姿勢も問題だとは思いますが、近い親族での生体臓器移植は認められるという中途半端な法律のもと、実際に臓器移植を行うとなると人権だ個人情報だといって当事者からなかなか情報が出てこないという一面も問題視されるべきでしょう。

都内の少女が老人から1400万円以上を恐喝したとして逮捕されましたが、タクシーに一日中乗り回したりこの少女らの豪遊ぶりを不審に思う人はいなかったのでしょうか。少し前には恐喝だかオレオレ詐欺だかで逮捕された少年が手に入れた現金でキャバクラで豪遊していた事実もあります。不自然だと思っても、ことを荒立てると面倒くさいという風潮にあるのでしょうか。これは、必要以上にドナーや患者とコンタクトをとろうとしなかった今回の臓器売買事件に関する病院の態度にも共通しているような気がします。

最近は訴訟国家アメリカに中途半端にかぶれてしまったのか、生半可に権利だ何だと訴える人が増えました。間違っていることに泣き寝入りしろとはいいませんが、一例が給食費やNHK受信用、年金保険料の未払いです。義務教育だ、NHK職員の不正が目立つ、政治が悪いというのは、誰だって憤りを感じますが、だからといって料金を払わなくていいという問題ではありません。そういうルールなのですから。最近特に問題になっている小中学校の給食費の未払いですが、高級外車が携帯電話に金を使えても給食費は支払えないという父兄が増えているようです。

ニュースで取りざたされているように「義務教育だから払わない」「頼んだ覚えはない」「止められるものなら止めてみろ」という考えがまかり通るのなら、社会が機能しなくなります。小学校の子供を持つ親の世代がちょうどゆとり教育に差し掛かった世代なので、学校教育の弊害という声もありますが、学校ではなく親の責任です。僕は昔、警備員時代に謝るだけの腰抜けの自治体職員と一緒に「個人的に借りていた場所にとめていた自転車に駐輪禁止のステッカーを貼られた」というクレームの処理に行ったことがありますが、塾を開いているこのクソ親父(といっても若い)は、自分がいかに正当か、自分の子供や塾の生徒にいかに高度な教育を施しているか、一方で学校教育はいかにダメかなどを延々、説教していました。

正直、このクソ親父が誰と約束して自転車をとめているのかを個人情報の問題だとかいって明かさず、しかもとめているのがビルとビルの間という微妙な場所なのに、これほどまで威張る資格はないと強く感じたのですが、件の自治体職員は菓子折りを持ってペコペコ謝っていました。おまけにクソ親父の妻まで障子の隙間から面倒くさそうに我々を睨みつけるだけで、お茶の一杯も出さずにピシャリと締める始末。これでまともに子供が育てられるのか心配です。それにしてもだらしないぞ!朝霞市!

社会や学校に子供を育てるという機能がなくなってきている現状を踏まえると、子供の成長は家庭に依存せざるを得なくなります。ただ、親のキャパシティを超えることはないので、例えば好き嫌いの多い親の子供は、幼少時代口にする食べ物が限られるため、好き嫌いが多い子供に育つ可能性が高いといわれています。これは教育と同じです。ステイタスの高い人がよく口にする「バカな連中が子供を作るから社会がバカになる」という意見は問題があり飛躍し過ぎといえますが、だからといって決して無関係ではないともいえます。人間生活おいて自分の利益だけを押し通そうとする社会的なバカは増えているのですから。

さて、9月の概況です。

9月の重心指数
普段の仕事:40(-20)
シナリオ:35(+20)
その他:25(±0)横這い
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~9月の概況~
「普段の仕事」20ポイント続落
惰性です。Sリポートを復活させようと試みましたが、怒りが増しストレスが溜まるだけと判断し頓挫しています。しかし人が減り補充がないなかで、数年前と違って一人で何役もこなさなければならないのに、Sはいつまでたっても誰かがやってくれるというスタンスです。50近くの大の大人が何を考えているのか。まるで、相方が死んで2人乗りから1人で操縦できるように改造されたガンタンクに乗り込んだにもかかわらず、誰かが動かしてくれるのを待っているような感じです。口癖は相変わらず「おねがいしまーす」「僕じゃないよ」誰かに仕事を放り投げれば後は我関せず。生返事をすると言質をとられ後でネチネチ言い出すので、最近は以前にも増して彼とは全く会話をしていません。それで自分は仕事が出来ると思っているのですから、どうしようもありません。

「シナリオ」20ポイント続伸
10月末に向けて活動中です。他にも一件。これはこちらからアプローチしなければガツガツと動かないような気がするのでちょっと力を入れなければなりません。

「その他」横這い
スポーツクラブに通ったのは8日。前月比4日減。ただし後半に向かってペースは上がりました。10月は多忙な月になりそうなので、日数はほぼ横這いでしょう。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」±0㎏
スーツ新調しました。ついに1サイズアップ。年齢を重ねると致し方ないといわれますが、どこか敗北感が漂います。最近は3つボタンか2つボタンにデザインが回帰しているようですね。

Gyudon

| | Comments (0) | TrackBack (2)

« September 2006 | Main | November 2006 »