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April 29, 2006

プロデューサーズ

CinemaX第83回。

プロデューサーズ

監督:スーザン・ストローマン
出演:ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック、ユマ・サーマンほか
上映時間:134分
(公式サイトはこちら

「テンションの高いあなたに」

ミュージカルの映画化です。しかもリメイク、1968年に製作された前作は、登場人物たちがひたすらがなり合っているだけという印象が強いのですが、今回は国内でもプッシュする映画評論家も多いだけに、その真贋が気になるところです。

ブロードウェイを舞台にした映画ということで、実にアメリカ・アメリカした雰囲気の映画です。ビッグバンドによる独特の響きのある音楽は良いのですが、登場人物たちのドタバタはちょっと辛いものがありました。特に主役の2人は、ミュージカルから引っ張ってきたこともあり、テンションが極めて高いままストーリーが展開するのですが、これが映画には不釣合いで、喰らいついていくのが大変でした。

ターン1までの評価「B」

僕は、映画なら映画、ミュージカルならミュージカルのテンションみたいなものがあると思いますが、プロデューサーズは、ミュージカルのテンションで映画を作ってしまったことで、ギャップが生じてしまっているようです。劇中のミュージカルの部分は、まんまミュージカルのテンションで構わないと思うのですが、これは、全編にわたってミュージカル。「ミュージカルの映画化だから仕方がない」という人もいるでしょうが、せっかく映画にしたのですから、セリフや歌だけでなく、演技で心を伝えたり、もっともっと演出に小道具を使うなど、映画には出来て、舞台では出来ない部分をもっと活用するべきでしょう。

例えば、歌舞伎で見得をきったり、六方を踏むのは、歌舞伎だから許せるわけで、テレビドラマ…水戸黄門の場合、格さんが大見得をきりながら印籠を出したり、黄門様がエンディングで六方を踏みながら町を後にするような違和感が、プロデューサーズにはあるようです。

ターン2までの評価「C」

石原良純とジーコを足して2で割ったようなフランツという男が、良い味を出していました。CMでは「ユマ・サーマンかっこいい!」という声もありましたが、ゲイの演出家、ロジャーと並んで、存在感は抜群でした。ただ、ドタバタの繰り返しで間延びしてしまう展開は僕にはとても辛く、寝てしまいそうになりましたが。

テンションの違いでもう一つ思い浮かびました。例えば、ディズニーランドに行って、呪われたようにミッキマウスの帽子をかぶったり、でっかい手袋(?)をしたりするおっさんやおばさんを見かけますが、彼らが日常生活、例えば街中で同じ格好をして歩けるか、という感じに似ています。

最終評価「C」

プロデューサーズは、面白い映画にしようという意気込みは感じられるのですが、映画のテンションにハマっていないことで、どうもクソ映画の部類に入ってしまいそうです。シナリオを学んでいた頃、周りには「ドタバタのラブコメディを描きたいです」という輩が山ほどいて辟易したものですが、観客に真の笑いを提供するのが、いかに難しいか。ドタバタだけで提供する笑いなんか、あまりにも薄っぺらい。

これは、笑いだけでなく、悲しさや怒りも同じです。何度も触れたことですが、人や動物が死ねば、その場限りの悲しさは作り出せます。ただ、それまでの積み重ねがあれば、より多くの人々を、さらに深く悲しませることが出来ます。怒りも同じ。人を殺せば、観客は殺した人間に対して怒りを覚えます。それがとんでもない男だったりすれば、怒り心頭、逆に止むを得ずそうせざるをえなかった事情を抱えている男だった場合は、さらに高度で複雑な怒りを観客に提供することになります。

映画やドラマだけでなく、小説や歌、絵画などあらゆる芸術で名作と呼ばれるものは、往々にして人の感情を人工的に作り出すことに成功しています。最近のドラマが薄っぺらいといわれるのは、この努力をしていないからでしょう。これは、邦画も同じ。流行ばかりを追いかけて薄っぺらい映画ばかり作っていると、氷河期が再来することになりかねません。ハリウッドもクソ映画が多いのですが、世界を相手にするハリウッド映画は市場規模が大きく、それだけダマされる人も多いので成り立っているのでしょう。

プロデューサーズは、人工的に感情を操作することの難しさ、そういうことを考えさせてくれるという意味では、存在価値のある映画なのかもしれません。主人公の貫通行動、小道具(帽子)、登場人物の心の変化など、ストーリー展開に必要な要素は揃っているので、やはりミュージカルとしては秀逸な作品なのでしょう。それだけに、この映画の存在は奇妙です。ちなみに、劇中のアイルランドなまり(たぶん)、英語の分からない僕には違いが良く分かりませんでした。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年4月22日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:17/130席
感涙観客度数:不明

おすぎ氏、最近は提灯持ちを買って出るような映画批評が多いですね。

ついでに紹介!

がなり合っているという印象だけが残る前作はアカデミー脚本賞受賞。DVDはたぶん品切れ。

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April 28, 2006

別物

横田めぐみさんのご両親が、今日にもブッシュ大統領と会うことになりそうです。アメリカが拉致問題の解決に関してバックアップしてくれるとなると頼もしいことですが「何故この時期に?」という感じもしなくはありません。海兵隊のグアム移転の移転費用を日本側が負担することへの批判や、普天間基地移設問題などに関する問題で各地の住民が反対しているということに対する懐柔策とするならば、問題です。拉致は拉致、移転は移転、別物として考えなければなりません。

ホリエモンが保釈されましたが、マスコミのフィーバーぶりに戸惑っている方々も多いのではないでしょうか。時代の寵児と持ち上げながら、逮捕されると一転して袋叩き。そして、保釈されるとまた殺到してフラッシュを浴びせる…マスコミの今の姿勢は、崖下に落ちた裸の王様が這い上がってくるのを静観(過熱する報道は『静』観というには程遠いですが)している状態なのでしょう。そしていざ、ホリエモンの有罪が確定すると足蹴にしてまた崖下に落とし、無罪となると再び注目を浴びせてホリエモン再起の動きを追う…話題としてはどっちに転んでもおいしいのでしょう。

ホリエモンは、やはり発言や行動などから、良くも悪くも周囲の人間を惹きつける天性の才能のようなものが備わっているのでしょう。ただ、ライブドア問題とは別物。本人は否認をしていますが、完落ちしてしまった側近達の供述や彼自身の過去の発言などから粉飾決算に関わった可能性は大きいとみる人が圧倒的です。存在や話題性だけを追うのではなく、問題の本質を追求するのが、テレビや新聞などマスコミの役割といえるでしょう。

JR福知山線の脱線事故から1年が経ちました。テレビや新聞では、1年を振り返って事故に遭った人などの動向を追う報道が目立ちました。ただ、お涙頂戴だけでは、全く意味がありませんし、事故を思い出したくない被害者も多いことでしょう。そんななかでもワイドショーなどでは、被害者や残された遺族の傷を再びかきむしるような報道もありましたし、JR西日本に対しても「停車時間が延びただけ」だの、ダイヤグラムと睨み合いをしながら重箱の隅をつつくような「ゆとりダイヤ」への批判も目立ちました。それでいて、ただ騒ぐだけで、一体どうすれば解決するかという提示はありませんでした。

当時の日記でも触れましたが、JR西日本が過密ダイヤを組むのは、ドル箱と呼ぶには程遠い山陽新幹線と地方のローカル線をてんこ盛りで押し付けられ、稼ぎ頭は私鉄とがっぷり四つの大阪周辺の在来線という厳しい状況のなかで、JR東日本、東海並みの収益を求められるという、いびつな分割民営化も理由の一つであるといえます。過密ダイヤを解消するには、電車の本数を減らせばいい…それは誰にでも分かりますが、それがなかなか出来ないという根本的な問題を考えるべきでしょう。

思い起こせば、一年前は熾烈な報道合戦で、被害者に事故のことを根掘り葉掘り思い出させたり、遺族に対しても傷口をさらに広げるような報道が目立ちました。加えて、JR西日本にいくつもある労組のうち、たった一つの組合が主張する声を従業員全体の声と誇張するかのように報じたり、あまりにも一方的な報道が目立ち、その陰で航空会社によるトラブルが相次いでいました。多くが整備不良によるもので、今思えば、その後のJALの内紛の予兆ともとれるべき「人災」ばかりでした。テレビや新聞では、そのことが極めて小さく報じられ、あるいは黙殺され、マスコミ各社は話題性のある脱線事故関連のニュースばかりだけでなく、どこそこの線で何メートルオーバーランしたとか、全国の鉄道で日常茶飯事に起こっていることを、あたかも大事件のように報じていました。

その後、奇跡的に航空業界では大事故はありませんでしたが、マスコミ各社は相変わらず通り一辺倒な報道を繰り返しています。耐震偽装問題も動きはありましたが、関わった人物は、核心に触れることのない「別件」での逮捕です。政治家が絡んでいたことさえ、忘れ去られようとしています。マスコミ各社は今ごろ、ホリエモンの肉声を収録することに躍起なのでしょうが、そういう無駄な労力を費やすのなら、忘れ去られようとしている、いわゆる5点セットなどについて、有耶無耶にならないよう継続的に報じていくべきではないでしょうか。
Victor

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April 26, 2006

ククーシュカ ラップランドの妖精

CinemaX第82回。

ククーシュカ ラップランドの妖精

監督:アレクサンドル・ロゴシュキン
出演:アンニ=クリスティーナ・ユーソ、ヴィッレ・ハーパサロ、ヴィクトル・ブィチコフ
上映時間:104分
(公式サイトはここ

「狙撃兵」

流行りのロシア映画の一つ。ただ、最近話題の「ナイト・ウォッチ」や脅威のスベりを披露した「大統領のカウントダウン」などと違い、派手さが全くない映画です。全国でもシネ・アミューズ一館(2006年4月26日現在)で文字通りの短館映画。ククーシュカは、ロシア語でカッコウ…カッコウとは、ロシアでは狙撃兵を差すようです。英語のディックのようなものでしょうか。♪忘れなーいで、お金よーりも、大切なものがあるー、チ○コ。果たして、ククーシュカは狙撃兵として、短館映画としてメジャーを狙撃するような映画になり得るのか(かなりこじつけ)、その評価やいかに。

ククーシュカの登場人物は、決して投降しないよう味方からドイツ軍の軍服を着させられ、岩に繋ぎとめられたフィンランド人「ヴェイッコ」と、本当は戦争が苦手なロシア人将校「イワン」、物語の舞台であるラップランドに住む、サーミ人の「アンニ」だけです。厳密に言えば、犬とか重要な隠れキャラなども登場するのですが、ストーリーの殆どはたった三人で展開します。だからこそ、誤魔化しがきかない、挑戦的な映画といえるでしょう。冒頭から暫くは3人それぞれ個別のストーリーが展開されるのですが、特に自由の身になるまでヴェイッコのエピソードは、眺めているだけなのですが、興味をそそります。

ターン1までの評価「A」

やがて三人は一つ屋根の下で暮らすようになります。ただ、日本からはあまりにも遠い場所の話なので、日本人が観る上では、ある程度の舞台設定の説明が必要だと思いました。フィンランドが第二次大戦に参加していたことすらピンときませんから。ただ、地域的な境目は何であれ、興味のあるものです。例えば、三大宗教に影響を受けた地域の境目とか。キリスト教の影響を受けた仏像とか、仏教の影響を色濃く受けたキリスト像などを見ると、遥かなるロマンを感じますし、世界に名だたる大河である長江と黄河の源流が僅かな距離しか離れていないことを思うだけで、妙にドキドキします。ククーシュカも、舞台であるフィンランドはどことどのように戦っていたのか、第二次大戦はどの地域まで巻き込まれていたのか、北欧諸国はどういう考えをもって戦争に参加していたのか、先入観が全くないだけに、その辺りにも大いに興味があります。

ククーシュカの決定的な面白さは、三人の言葉が通じないというところにあります。ロシア語、フィンランド語、サーミ語。ヨーロッパの言語は、多くが似通った単語があるのでなんとか通じないのかなと思うのですが、この映画では本当にどうにもなりません(笑)ただ、話が通じないながらもそれぞれが勝手な解釈をし、ストーリーはしっかりと展開していきます。その面白さは、例えば、言葉は通じているものの、周辺の人々との意思疎通がなされていないために主人公が話を曲解してややこしくなっていく「男はつらいよ」に似ています。面白いからといって決してドタバタではなく、登場人物たちが必死だからこそ、面白さが滲み出る…そういったところにも共通点があるようです。恐るべし、ククーシュカ。

ターン2までの評価「A」

ククーシュカには、サービス精神は決して旺盛ではない(つまり、おじさんたちの期待にそえない)ものの、エロチックなシーンがあります。特に日頃からエロエロ光線を出しまくる未亡人アンニの行動は、日本人の観点からすると信じられないものだといえるでしょう。ただ、北欧などでは、旅人が訪れた時、夜のお供に妻を差し出す地域もあるとかないとかということを考えると、ごく当たり前のことなのかもしれません。北欧には、性の先進国、スウェーデンもありますし。

ちなみに、世界の宗教や祭には、フリーセックスの意味合いが込められた儀式が多かったとされていますから、こういう行動は、人間にとってもごく自然なことなのかもしれません。それは、日本も例外ではないようです。現在、奇祭と呼ばれるもののごく一部には、性交を連想させる儀式が残っていますが、もともと全国各地の多くの祭では、祭りに併せて男女による乱交さながらの交わりがあったとされています。そういった祭は日本の近代化にともない、風紀の乱れとして批判を浴びるようになり、現在に生き残るためにはそういった部分を切り離さざるを得なかったために、面白い部分、観光資源となりそうな部分のみがチョイスされて今の形になった祭も多いといわれています。

ターン3までの評価「A」

平凡に暮らす三人ですが、言葉が通じないからこそ面白く、そして、言葉が通じないからこそ、悲劇を生みます。ヴェイッコとイワンは、敵対しているようで、実は戦争に反対する同類の人間なのですが、観客だけがそのことを知り、劇中で敵対する彼らは悲劇に至ってしまいます…これ以上は、実際にご覧下さい。

ククーシュカには、三人のほかに犬が登場します。この犬がよく鳴くのですが、鳴くのは犬に限らなかったりします。中盤のアンニの鳴き声はご愛嬌として(シーンとしては重要ですが)、特に後半の鳴き声は重要です。このシーンは前半には全く登場せず、本来なら「何じゃこりゃ?」となるのですが、このシーンが実は、ククーシュカのストーリーの厚みを増す大きな要素となっています。宗教的な儀式のようなものも出てきますが、その行為は極めて理に叶っていることが分かります。原始的な宗教とはこういうものだろうということが想像出来て、興味深かったりします。

最終評価「A」

ククーシュカは、最終シーンも秀逸でした。例えばアンニが男達に着せるトナカイの毛皮も大きな意味があることが分かりますし、最後の「オチ」も十分、納得出来るものです。地味ながら、設定、映像、展開など映画に必要な要素が高品質で備わっている映画です。終盤のあのシーンがないまま終われば、普通の映画に終わったのでしょうが、最後の一ひねりが極めて効果的でした。ククーシュカのテーマは恐らく「性=生」ということなのでしょう。梶井基次郎論のようにこの2つの単語を安易に結び付けたくないのですが、そこ以外にテーマが見当たらないという、極めてシンプルな映画です。

思わぬところで面白い映画に出くわす…ククーシュカは、まさしく狙撃兵のような映画です。短館上映というのは、秘密を独占するようなドキドキ感がありますが、本当はシネ・アミューズだけにとどまらず、多くの人々に観てもらいたい、今年一番の映画です。必見!

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年4月18日
劇場:シネ・アミューズ/ウエスト
観客数:20/129席
感涙観客度数:10%
※感涙観客度数は、劇場内の鼻すすり音で判定。

ついでに紹介!

「フランダースの犬」のエンディングほど湿っぽくなく、それでいてワンワン泣ける「ニルスのふしぎな旅」彼らが目指したのは、ククーシュカの舞台、ラップランドでした。そこはやはり不思議な場所のよう。

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April 25, 2006

最初はグー

千葉7区の衆議院補欠選挙で民主党候補が当選しました。マスコミの煽りっぷりが異様でしたが、自民党の力の入れっぷりも異様でした。自民党の武部幹事長は「最初はグー、サイトウケン!」を連呼していましたが、今回の選挙に関しては、ジャンケンに負けたからといって投票するようなアホな市民は少なかったのでしょう。ましてや、議員辞職した松本和巳氏はマツモトキヨシの孫。関係者の不祥事とはいえ、松戸周辺の住民にとって裏切られたという気持ちが大きいのかもしれません。

自民党が小泉チルドレンを積極的に活用したり、武部幹事長の「最初はグー…」という手法を批判するメディアもありますが、恐らく自民党が勝っていれば、「PR戦略の勝利」とか言って持ち上げていたのでしょう。どっちに転んでもネタになるので、マスコミが殺到したともいえますが。今回は、民主党が格差社会への批判などをぶち上げたことが、効果的だったとみるむきもありますが、これは、郵政民営化に賛成か、反対かを打ち出すことで自民党が圧勝した昨年の衆議院選挙に似ています。加えて、週刊誌の報道に臆することなくキャバ嬢であったことをカミングアウトした民主党候補の潔さの一方、地味な役人あがりの自民党候補は完全に埋もれてしまいました。政治家としての実力は分かりませんが、少なくとも話題性で票を集めたのだとすれば、これも昨年の自民党圧勝の流れと似ています。

今回の補選の結果を通じて、小泉チルドレンを全面に押し出したり、ジャンケンで子供から取り込もうとする自民党の戦略を見て、小なる理解力だからといって、国民をバカにするな、と言いたいです。一方で民主党はこれで勢いづいたとの見方もありますが、政権政党を目指すのなら、この結果に奢ることなく地道に活動してもらいたいものです。国民の理不尽な負担を極力抑えながら、出来るだけ多くの人々が幸せに暮らせさえすれば、どの政党が政権を獲ってもいいわけですから。少なくとも僕は。
Bakuhatsu

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April 23, 2006

正直バカ

岐阜県のパチンコ店の空き店舗で中学生が殺害されました。相手はグループ交際をしていたとい高校生。空き店舗を取り壊していれば、少なくともこの場所での殺人事件は回避されていた可能性が高いだけに「何故、放置していたのか」と批判する声もありますが、事前に「あの場所、危ないな」と思っていた人がいたとしても、行動を起こすようなことがあったでしょうか。パチンコ屋は倒産していますから取り壊しは無理、自ら朽ち果てて倒壊するか、あの土地を買う人がいるか、取り壊しに自腹を切るような人がいない限り、あの建物はこの世に存在し続けたことでしょう。「やり損」の世の中…つまり、正直者がバカをみるような世の中では、誰も何もしなくなってしまいますから。

例えば、自動改札。切符を投入せずにゲートを破って平然と歩いていく人を多くみかけるようになりました。しかも、経済的には厳しいはずのホームレスの人々ではなく、若者が多いことに注意しなければなりません。自動改札は人件費削減に大きな効果があるほか、駅員の目では定期券などの確認で熟練した技能に頼らざるを得なかった点を確実にカバーすることが出来ます。ただ、ゲートが無人であるということは、駅員がいる場合に比べすり抜けやすくなります。センサーが一人だけ通過したと反応するよう他の乗降客の背後にぴったりくっついて自動改札をすり抜るのはまだ犯罪者に多少の罪悪感が感じられますが、平然とゲートを蹴飛ばしてすり抜けていく人が圧倒的に多いことが気になります。関西より遅れて導入された関東の各私鉄、JR東日本では、ゲートを頑丈にするという考えもあったようですが、ゲートが顔の位置に来てしまう子供に対する配慮が大きく、今のように小さく、少し力をかければ通り抜けが出来る「ヤワ」なゲートになったようです。

自動改札は、性善説に則っているのか、こうしたゲートの警告を無視して通過する乗降客を黙認しているように感じます。僕も通学、通勤に電車を利用してきましたが、駅員がそういった人々を追いかけるという光景を一度も見かけたことがありません。彼らが有人改札から最も遠い自動改札を「利用」するということもありますが。有人改札が詰まっていたり、明らかにセンサーの誤作動という場合は別として、比較的空いている時間帯まで見て見ぬ振りをするというのでは、真面目に利用するのがバカバカしくなってしまいます。改札口付近にたまに立っている警察官も、テロに対する警戒が仕事なので必要以上に動くことはないようです。警察官の姿を見て「あ、まずいな」と犯罪者が思うのは勝手ですが。

犯罪というほどではありませんが、僕が利用している東武線では、夕方あたりになると踏み切りの直前横断でしょっちゅう、電車が停車します。本当に危険な場合は急停車する必要はありますが、距離的にかなり余裕がある場合でも停車し、暫くその場に留まっています。社内の安全規定に則ったものでしょうが、乗客や踏み切り周辺の人々への見せつけと思えるフシもあります。待ちぼうけをくらっている人々に「踏み切りの直前横断をすると、こういうことになるぞ」と警告しているように思えますが、肝心の「犯人」はその場にいないのでどれだけ効果があるのかが疑問です。正直モノがバカを見る典型的な例といえます。

警察官の知り合いに「世の中、ゴネ得になっている」という話を聞いたことがあります。スピード違反でも、警察官に屁理屈を言い続けたり、威圧的な態度に出れば、見逃してくれることもあるとかないとか。その知り合いは「結局、正直な人間から金を搾り取っているだけ」と矛盾を指摘しています。電車の利用客も同じです。真面目に利用している客から金が吸い上げられれば、少数の人間のヤリ得を見逃しても、経営としては効率的なのかもしれませんが。携帯電話の通話料金を踏み倒された分を一般利用者に負担させたばっかりに、いつまでも通話料金が値下げが実現しなかったことに似ています(全てそれが理由である訳ではありませんが)。お前ら連帯責任だといわんばかりの考えに憤りを感じていましたが。
Yukei

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April 21, 2006

子ぎつねヘレン

CinemaX第81回。

子ぎつねヘレン

監督 河野圭太
製作総指揮:迫本淳一
原作:竹田津実
脚本:今井雅子
音楽:西村由紀江
出演:大沢たかお、松雪泰子、深澤嵐ほか
上映時間:108分
(公式サイトはこちら

「出来杉」

テレビ番組などでも動物と子供にハズれなしといわれるように、観客動員数稼ぎの黄金比で構成されている映画です。奇しくもディズニー映画を諸手を挙げて賞賛する日本の映画ファンが多い中で、ほぼ同時に封切られた南極物語は、同じ動物モノでも日本人の好みに合わなかったのか、数等の犬を犠牲にして撮影したというダーティーなイメージを払拭できなかったのか、あっという間に轟沈してしまいましたが、子ぎつねヘレンは、ナルニア国物語とともに興行成績ランキング上位を突っ走っています。その理由は、映画そのものの実力にあるのか、ナルニア国物語と同様に根拠のない(個人的観点)ものなのか。
子ぎつねヘレンは、「深く考えて観る」か「何も考えずに眺める」かで評価が大きく変わります。つまり、アラを探すか、北海道の大自然やヘレンやその他の動物の可愛さを観るか。この映画を高く評価する人はきっと、後者なのだと思います(ただ、映像で大自然を見続けるのも疲れます、ほんとに)。CinemaXは、もちろん前者で評価していきます。

子ぎつねヘレンは、冒頭から違和感アリアリです。まず学校。北の国からを髣髴とさせる自然に囲まれた学校は、趣のある木造校舎ですが、モデルばりにスタイルが良くて綺麗な先生(本当にモデル出身ですが)が教壇に立ち、妙に垢抜けた生徒が学んでいます。都会のお洒落な私立高校がド田舎に突然、ドカンとテレポートしてきたような違和感です。漂流教室。他にも後になって関係がやっと分かる獣医と助手の関係、動物病院への道で登場する肌ツルツルの魔女(?)など水と油をくっつけたような設定が目立ちます。
特に不味いのが、主人公で猪瀬直樹のようなガキのセリフ。ナルニア国物語の末娘のセリフも最悪でしたが、この子もベラベラ大人びたことをしゃべりすぎ。そして、セリフの内容がクソすぎ。例えば「(早口で)それでもあなたはお医者さんですか?動物を助けるのがお医者さんの仕事じゃないんですか?ミルク飲めないからといって、生きる資格はないんですか?」と橋田壽賀子のような長セリフを言わせるのではなく「助けてよ!お医者さんでしょ!」だけですみます。消防署に電話して「火事だ!」と叫びながらも冷静に郵便番号から伝えようとするようなもの。場違い。だいたい「地軸」という単語を使ってあっさりと比喩をする小学生が、そこらじゅうにゴロゴロしているか??

ターン1までの評価「C」

違和感の最たるものが、一眼レフを初心者ながら全くブレなく撮影するガキ。デジカメでもなく、オートフォーカスでもありません。何一ついじらずシャッターを切るだけで、プロ並みの写真が撮れるとは!親は確かにカメラマンなのですが、それだけでは説得力がありません。設定の問題というより、スタッフが全くその問題に気付かなかったのでしょう。それとも観客は気付きっこない、とでも思ったのでしょうか。確かに、大半の人がそうかもしれませんが、いい加減な設定に気付いた人々の小さな違和感は感情移入を妨げます。ド田舎に降って湧いたような学校といい、子供らしくないせりふといい、作りが雑すぎるような気がします。
子ぎつねヘレンは、欠点ばかりではありません。特に、きつねと、ガキと、獣医の娘という、似たような境遇の2人と1匹の存在。無茶ばかりするガキに少しづつ心を開いていく獣医の娘。ガキのおかげで変わりかけていた父娘など見所は、映画に重要な登場人物の心の変化には欠かせない要素だといえます。ただ、回復しそうだったダメ映画への傷は、陳腐などんでん返しでガキの母親が現れたことで、せっかくの傷が化膿していってしまいます。この母親は、疑惑の何点セットかをフイにしてしまった、偽メールのような存在です。

ターン2までの評価「C」

子ぎつねヘレンは、ガキとキツネにやがて訪れる別れを予感させながら、物語を盛り上げるという美味しい設定が生かされるチャンスがありながら、自らそれを放棄しているような気がします。特に後半の「ヘレンに夏を見せたい」というガキの思いや行動は、大きな感涙ポイントになるチャンスがありました。そのシーン自体は悲しいものでしたが、遅きに失した感が否めません。
この映画は、終わり方を考える必要があるでしょう。キツネが死んだところで終わるのが一番あっさりしていると思うのですが、その後も涙を拾おうとする下心アリアリの中途半端なミニドラマが乱発されていきます。これは、主人公であり、タイトルにさえ扱われているキツネが死ぬと言うのが、どれぐらい重要であるかということを、監督が製作しているうちに忘れてしまったのでしょう。例えば、水戸黄門で光圀が刺し殺されたのに、翌週も平然と残りのメンバーが旅を続けているようなものです。黄門様が死んだのなら、世直しの旅は意味を失くす訳ですから「格さん嫁探しの旅」や「八兵衛うっかり食いしん坊万歳」とか照準を変えなければストーリーが成り立ちません。
子ぎつねヘレンも、キツネが死んだ後にダラダラと話を進めるのなら、その死に際して、登場人物がどういう行動をするか、どういうセリフを言うかに気を使う必要がありますが、それだけの期待や責任を背負っておきながら、登場人物たちは、特段目を引くセリフを吐くこともなく、獣医と母親が「くっついちゃう?」というハリウッド映画のような軽ーい人間関係が構築され、大団円に終わってしまいます。ガキほったらかし。
後日、ガキがヘレンのオリに他の動物を入れることを認めるというのは、ガキがヘレンと決別をし少しだけ大人になることをあらわしていて、ちょっと小洒落ているシーンだなと思いました。このように主人公のガキは、結構味のある行動をするのですが、セリフでベラベラ片付けてしまうという欠点に余りあるため、長所が活かされていません。もったいない。MOTTAINAI.

最終評価「C」

くだらんエピソード多すぎ、ガキのセリフ堅すぎ、多すぎ、長すぎ、映画そのものが長すぎの映画です。例えば、落語家やゴラムのようにベラベラしゃべりまくるガキのセリフを少なくしたり、ガキの母親を映画の後半に登場させないことで、かなりすっきりしたシンプルな映画になるでしょう。
何度も言ってきましたが今、劇場に足を運ぶ人が増え、最近の邦画は元気です。ハリウッド映画と国内の観客動員数を争う邦画も珍しくはありませんが、一方で安易に作ったような映画も目立ちます。ワンアイデアで勢いで作ったような映画、テレビでも出来るのにわざわざ劇場公開する映画、テレビドラマの延長の映画、キャストの人気頼みの映画、自分の感性だけを信じているワガママ監督が撮影した理解不能な映画など、再び映画人気を凋落させるような映画も溢れています。
勝って兜の緒を締めよ…好調な時こそ、気を引き締めて映像、音声の総合芸術である映画でしか出来ないものを作り、僕たち観客を楽しませてもらいたいものです。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年4月15日
劇場:シネプレックス新座
観客数:20/135席
感涙観客度数:20%
可愛い動物が死んだら悲しいのは当たり前。ただ、過去のシーンからの積み上げがあれば、もっと悲しいはず。

エンドロールが流れても席を立つことなくキツネの可愛い写真をお楽しみください。ひょっとしたら、人によっては上映中、最も楽しいと感じる時間かもしれません。ちなみに、子ぎつねヘレンの封切時期に西川ヘレンのイベントのチケットみたいなのが出回っていたような気がするのですが、あれは何だったのでしょうか。ついでに、原作者は竹田津実氏、大分県出身。大分の竹田津さんといえば、港のあるあの辺りの出身なのでしょうか。

ついでに紹介!

原作本と西川ヘレン…チケットが出回っていたのはこの関係かな?

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April 19, 2006

職務と思想

新庄、いきなりの引退宣言、やっぱりすごいです、この人。

さて、光市母子殺害事件で、被告、弁護士それぞれの対応がクローズアップされています。被告は以前、友人に宛てた手紙で「無期懲役がほぼキマリ」とタカをくくっていたのが、死刑判決の可能性が出てくると、何十通もの手紙を最高裁に送っていっていました。自ら行ったはずの供述に対する反論は、弁護士による指導といわれています。母親を手が滑って殺してしまったといってみたり、首を絞めて殺した傍らの赤ん坊については、静かにさせる方法として「ちょうちょ結び」をしたと言っています。死刑反対論者の弁護士の後ろ盾を受けて、必死に死刑を回避する戦略がとられています。当の弁護士は先日の弁論を欠席してみたり、被告が被害者の夫に謝罪の手紙を出してみたり。

弁護士は、被告の無実を訴えたり、真実を訴えて可能な限り減刑を求めるというのが仕事のようですが、時に過剰ともいえる行動をみせることがあります。光市の一件の弁護士は、麻原被告の弁護人だったり、ヒューザー小嶋社長の弁護人のようです。判決まで至ると死刑が確定的な麻原被告の弁護で牛歩戦術のような動きをみせたり、小嶋社長の証人喚問の際に何も喋らせなかったのは、彼の戦術だったのでしょうか。死刑反対論者であるのは分かりますが、死刑が認められている日本において、是が非でも死刑に持ち込ませないというのは、もはや一個人のわがままにすら感じられます。こういう弁護士が出てくる度に「あなた方の正義はどこにあるの?」と問いたくなってしまいます。

世の中には、死刑反対、男女平等、人種差別などすぐには解決できないさまざまな問題があります。世の中には、これらの問題を肯定する人も、否定する人もいます。ただ、逆の立場の人同士が議論をすると、その多くがかみ合いません。先日、テレビで議論されていたのは「安楽死」について。安楽死を認める側は「患者の苦しみを和らげたい、患者に(安楽死の)意志があれば、尊重したい」というもの。一方で反対の立場の人は「絶望的な状態でも、一例でも生還したという例があれば、安楽死は避けるべき」というもの。植物状態でも回復するレアケースを尊重するものです。滅多に起きない奇跡が、今日、起こるかもしれないという考えです。双方とも正論といえますが、永遠に交差することがない並行線上の考えです。だとすれば、どちらかの考えを尊重するしかありません。

平等、という言葉を良く使う人がいますが、平等、は安易に使ってはならない言葉だと思います。並行線上にある考えを、一つにまとめて全ての人がハッピーになる方法、それが平等だと思います。ということは、平等というのは実際には世の中にほぼ存在し得ないもの、と考えることが出来ます。だからこそ、安易に使ってはならない言葉だと思います。前述の弁護士は、反論している表情や態度をみると、死刑反対論者で有名であるが故に「死刑になってたまるか」「プライドに傷がつく」「恥ずかしい」と感情的な部分で動いているような気がしてなりません。ここは人間として、どういう弁護活動をすべきなのかをあらためて考えてもらいたいものです。そうすれば、少なくとも弁論を引き伸ばすために欠席したりとか、卑怯な真似は出来ないでしょうから。
Yuyake

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April 18, 2006

寝ずの番

CinemaX第80回目。

監督:マキノ雅彦
原作:中島らも
脚本:大森寿美男
音楽:大谷幸
出演:中井貴一、木村佳乃、堺正章ほか。
上映時間:110分
(公式サイトはこちら

「失速ロケット」

腰痛が改善して、映画館で座ったままの2時間も耐えられるようになりました。早速、前売券を買ったままの「寝ずの番」と「子ぎつねヘレン(次回更新)」のダブルヘッダー。ちょっと腰が痛かったですが。寝ずの番は、津川雅彦がマキノ姓を継いたマキノ雅彦としての第1回監督作品です。マキノ家は、映画関係者を多数輩出した名門といわれていますが、ちょっと世襲っぽい側面もあるので、一族全員の実力を手放しで評価すべきではないという声もあります。ただ、津川雅彦氏の頭の回転の早さや多芸ぶりは、芸能界の中でも突出しているような気がしますが。

この映画を観ようと思ったのは、隠語を連発しまくる予告編を観てからでした。本編はエミリー・ローズ。映画の内容上、若い男女中心の観客がブーブー噴き出していたことから「これは、ただものではない」と帰りにそのまま前売券を買ったのでした。実際、期待を裏切らず、本編のあちこちで隠語を連発しまくっていました。文化庁支援・映画スタッフ育成事業による支援を受けながら、テレビでは絶対に放映できないほど隠語まみれの映画を作るなんか凄すぎです。ただ、実際にブツを見せるわけではないので、主役たちが安易に肉体関係に陥るハリウッド映画なんかよりはよほど上品なような気もしました。実に不思議なことですが。

この映画はアバンタイトル、第一夜、第二夜、第三夜の4つに分割できますが、やたら長いアバンタイトルが最も見応えがあるような気がします。特に見物なのは木村佳乃の壊れっぷり。木村佳乃は、最初に何かの連ドラで観た時の真っ白な印象に「綺麗な人だなあ」と思ったものでした。後にCDなんかを出したような気がしますが、結局、歌(音痴?)でも、肉体派女優(スレンダーですから)としてもなかなか実力を発揮しにくいタイプであるからか、芸能界になかなか居所を見出せないような印象がありました。ただ、この寝ずの番で、綺麗な割に壊れ役を演じるという、新たな境地を見出したような気がします。どっちかというと舞台向きなのかもしれない、と思うのですが。新橋演舞場なんかをホームグラウンドにして。

ターン1までの評価「B」

寝ずの番は、長門裕之、中井貴一のほか、味のある俳優が多数登場しています。特に、落語家の弟子達。高座に上がるシーンはほとんどないのですが、何故か、何人かは「本物の落語家?」と思わせるような存在感もありました。加えて、特徴的なのは変化球を連発する撮影方法。最近は「下妻物語」に触発されたのか、若手の監督を中心にアニメのような演出を加える傾向にありますが、そういう安易なものとは少し異なり、どこかアナログ的な雰囲気のする変化球といった感じです。

ターン2までの評価「B」

第一夜が終わり、第二夜、そして第三夜に入りますが、段々と失速してテンポが悪くなっていきます。思いがけずセクシーな高岡早紀に出くわす第二夜は、おいおい、そこまで手を突っ込むの?とドキドキしましたし、堺正章と中井貴一の下ネタ連発の相調(というのでしょうか?)は、東京時代の欽どこ(つまり、見栄晴以外の子供が人形の頃)で、引越しのたびに邪魔をしに来る近江敏郎などを交えた楽しいドタバタを思い起こしましたが、全体的な失速感は否めませんでした。第一夜で終わってもいいのでは?と思うほど。もしかすると、映画向きではない題材なのかもしれません。かといってテレビで流せるような内容でもありませんが。

ターン3までの評価「C」

かくして寝ずの番は、失速したまま墜落していきます。人が何人も死ぬので、人が死ぬことだけで感涙スイッチが入ってしまうタイプの観客の方々の涙を誘っているようでしたが、多くの観客は、それぞれのキャラクターに感情移入する暇がなかったというのが、正直なところでしょう。「ドラマは変化」といわれるように、結局はどんちゃん騒ぎに終始して、心理的には誰も何も変わらないので、そういう観点から評価すると、これは映画ではないと評価することも出来ます。トタン屋根の歌はなかなか見事ですが。

最終評価「C」

辛口の映画評論家(例えばおすぎ)が、何故か評価しているのは、顔見知りの監督に対するご祝儀相場のようなものでしょうか。それでも前半は結構面白いので、下ネタ連発の変わった映画を観たければ是非、劇場に足を運んでみてください。監督の人脈でチョイ役でもいろんな人が登場していますし。心配なのは、次回の日本アカデミー賞で有頂天ホテルと並んで、寝ずの番の何らかの賞を受賞して、テレビ業界の同窓会みたいなことになってしまわないかということです。
邦画は、いぜんとして元気です。それはいいことなのですが、今さらながら記憶モノを製作した相変わらず風が読めない東映の「明日の記憶」や、バットマンビギンズ、スターウォーズ(エピソードⅠ~Ⅲ)などのようにハリウッドで流行の事の始まりモノに便乗したかったのか、タブーであった(はずの)カメであることを自ら認めてしまった「小さき勇者たち~ガメラ~」など、安易とはいわないまでも無駄撃ちも辞さないかのようにポンポン映画を量産することを懸念してしまいます。
「リング」がこの世になければ存在しなかったであろう「着信アリ」も「着信アリファイナル」が登場します。後発だ、いいとこどりだと言われながら、ジャパニーズホラーの残り汁を未だに吸い続けている秋元康氏の貪欲さにも驚きですが、よってたかって瓶の底までストローを垂らして残らず吸い尽くそうとする姿は、頼もしさすら感じます。映画ブームに水を差さないことを祈るばかりですが。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年4月15日
劇場:シネプレックス新座
観客数:30/125席
感涙観客度数:不明

先遣隊の「ジジババばかりです」の情報通り、年配の男女が目立ちました。だからこそ、劇場で大笑い出来るのでしょう。何故か単独オヤジも多かったです。チケット売り場でも「おい、何見に来たんだ?」「寝ずの番だ」「お前もか、イヒヒヒ」とあちこちでブルータス。ただ、付き合いの浅いカップルにこの映画はお勧めできません。ドン引き必死ですから。例えばあなたの彼女が「楽しそうな映画、観たーい」とか「木村佳乃、好きなの」と言いはじめたら、引き摺ってでも他の映画を観せることをお勧めします。背に腹が変えられなければこの際、ナルニア国物語でもいいでしょう。

ついでに紹介!

原作本、特にひねりなし。

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April 17, 2006

どうしようもない

アイフルが業務停止命令を受け、テレビや新聞でアイフルを激しく叩くとともに、消費者金融のあり方を問うような報道が相次いでいます。が、一方で広告やCMを垂れ流していたあなた方にそんなことやる資格はあるの?という感じもします。アイフルは、消費者金融の中でもかねてから取立ての激しさが問題になっていました。被害者が話題になっていたあのチワワが泣いている看板を掲げて抗議するという場面も数多くありました。ただ、このことを報じたのは一部の雑誌などに限られ、大手のテレビや新聞でみることはありませんでした。

消費者金融などは、「ご利用は計画的に」という標語は掲げるものの「多重債務者を増やすことになります」とか「あなたの生活を破滅させる可能性があります」という直接的な表現を避け、爽やかなイメージを重視したCMや広告が文字通り、テレビや新聞で垂れ流されてきました。CMの時間枠は段階的に縮小されてきましたが、その分、濃度(回数)が増しているようなので、あまり意味がないような気がします。
消費者金融「など」とするのは、ここ数年は銀行の進出も著しく、銀行自らが進出するだけでなく、消費者金融大手を傘下に加えたりする動きが活発化してたからです。これらの各社もイメージ広告に終始し、「銀行なら安心」というイメージを植え付けながら、営業を拡大していきました。ただ、外資の傘下に落ちる消費者金融も多いこと、少し毛並みの違う信販系各社の激しい再編の動きをみると、全般的には決して順風満帆な業界ではないということが分かります。

マスコミ業界では、広告と報道は別物という考えがまかり通っていますが、それは、記者と営業担当者の業務が切り離されているだけのことで、企業の経営体質が広告頼みであるということには変わりありません。新聞は購読料だけでは到底成り立ちませんし、民放はスポンサーがいなければ番組を作ることが出来ませんから。高い給与水準を見直せば、どうにかなるかもしれませんが。
アイフルの一件は問題視すべきですが、マスコミは一方的に批判する前に、自分たちがCM等でこの会社とどういう風に関わってきたかをまず、省みる必要があるでしょう。アイフルに限らず、消費者を多重債務に追い込むことに加担していた可能性があったことを反省すべきでしょう。武富士から献金(?)を受け取っていたことがバレた朝日新聞の問題も、武富士自身が過去起こした事件も何も解決されていませんし。それだけ闇の部分の多い業界なのかもしれませんが。

それ以前に考えなければならないのは、借りた金は返すこと。返せなかったら他の会社から借りればいいとか、弁護士に相談すれば何とかしてくれるだろうとか、いざとなったら自己破産すればいいとか、そういう甘い考えで借りることも問題だと思います。ただ、万策尽き果てて消費者金融などから金を借りなければどうにもならない人もいるので、一概に批判出来ないかもしれませんが。

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April 10, 2006

クジラ多すぎ

ココログのトラブルが解消されていません。レスポンスの遅さはともかく、ブログ自体の表示が崩れています。ブログに関連する技術は発展途上の段階ですが、メンテナンスから2週間経っても解消されないのでは、老舗プロバイダとしての資質を疑われても仕方がない状況だといえるでしょう。確かに、ネット上には検索の邪魔になるほどブログが溢れている状況ですが。クソ日記の垂れ流しと耳の痛い表現がなされることの多いブログは、クソ日記ならまだいい方で、ブログの記事を集めたブログ、そういうブログをさらに統括したブログなどというのも登場しています。他人のふんどしで相撲をとるな。

ブログといえば、社会経済生産性本部の発表によると、今年の新入社員は「ブログ型人間」なんだそうです。役人の天下り先である公益法人は、存在価値を見出すのに躍起ですが、この財団法人は比較的あちこちに提言などを行っています。ただ、図体がデカすぎる。ちなみに「ブログ型人間」とは『表面は従順だが、様々な思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を通じ大胆に自己主張する。繊細な感受性とブログ的なネットワーク力に優れるが、パソコンに語るだけに止まる傾向もある。』と説明しています。これは、「ブログ型人間」ではなくて、「ブログ人間」ということでしょう。時流に乗った材料を引っ張り出しただけで、洒落もなく何も引っ掛けていない。円楽なら「座布団もってけ」の世界。
ついでに、平成7年度は「四コママンガ型」で『理解に時間がかからず傑作もある一方で市場にあふれているので安く調達できる。』、8年度は「床暖房型」で『断熱材(評価)いれないと熱(やる気)が床下(社外)に逃げる。』この方が洒落が効いています。ちなみに僕は、床暖房型です。なるほど、言い得て妙。

僕が今年度の社会人を表現するなら「プチ戦後型」です。ホリエモン逮捕で格差社会のほころびが見え始め、やがてはIT業界などで独立して格差社会の上のほうに登ろうとしていた社会人が、価値観をどこに見出していいのか、改めて考え直す時期にあるということで命名します。加えて戦後60年を過ぎ、あらためて戦争について考えろよ、という期待も込めて。それにしてもインターンシップみたいなことでホリエモンのスポットかばん持ちの仕事を獲得し、ホリエモンのカバンを片手に、もう片方の手をポケットにつっこみながら歩いていたあの東大生は、今はどこに価値観を見出しているのでしょうか。頭がいいからどうにでもなるか。いらぬ心配事。

今日のタイトルは「クジラ多すぎ」でしたね。鹿児島県沖で高速船がクジラとみられる生物とぶつかってけが人が多数出ています。最近でも博多から釜山に向かう高速船が何度かクジラと接触しています。こういうニュースを見て「クジラがかわいそう…」と言うのは、真の偽善者。昨晩の事故だけでもけが人が90人以上も出ているわけですから。だったら高速船を走らせなければいいというのも極論。そういうあなたは、徒歩以外の交通手段を使わずに生活できますか?と問いたい。
日本でクジラは、正式には獲ったり食べたり出来ません。調査捕鯨で僅かに肉が市場に出回る程度。ヤミでイルカを捕獲してクジラと偽って売っている業者もいるとかいないとか。あまり違いは分からないのでしょう。最近では砂浜にイルカが打ち上げられて、何度救出しても再び自殺行為に走るという状況でも、身を挺してイルカを救おうとする優しい日本人が増えました。一昔前なら、砂浜でゴリゴリ解体して、持ち帰って食べていたというのに、今では食べることも許されず、砂浜に埋めるという人間様扱い。

イルカやクジラは可愛いですが、捕獲しないことで生態系にどのように影響するかは未知数です。船舶との衝突事故の増加にも影響しているのかもしれません。個人的には、エチゼンクラゲの幼生を食べる小魚をクジラが大量に食べてしまうことで、クラゲの大量発生を招いているような気がしてならないのですが。もちろん、根拠はありませんが。
人間はかつて、クジラを乱獲してきました。肉を食べる日本人やエスキモーに比べ、油だけ絞って残りを捨ててしまっていた西洋人がクジラの捕獲を反対している状況に忸怩たる思いの関係者も多いようですが、それは昔の話と割り切る必要があるでしょう。ただ、人間が食べる分だけ捕獲するのは、生態系の一環ともとれますので、そこを遮断するとあれこれ弊害が発生するような気がします。
牛や豚、鶏はどんどん殺して食べているのに、クジラはダメというのも妙です。養殖(?)と野生という違いもありますが、クジラを守れと言う行動は、野生動物の実態を撮影しているカメラマンが、撮影中のカメラを放り出してシャチに食べられそうなアザラシを助けたり、アザラシに食べられそうなペンギンを助けるようなものです。問題を混同しすぎると、やがては大きな生態系の狂いが発生することを忘れてはなりません。

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April 09, 2006

バンザーイなしよ

東京ヤクルトスワローズが低迷しています。古田選手兼任監督、石井一久、高津、木田と何かと話題の多かったスワローズですが、そこそこ撃てる試合では投手が持ちこたえられず、先発投手の好投が目立った最近2試合では、バットが湿った(というより腐った)状態で何の抵抗もすることなく2連敗。観ごたえが全くありません。
多くのファンから、古田監督の選手起用方法や采配に批判が集中しているようですが、真のファンなら「古田と心中する」覚悟であるべきと思います。ただ、欲を言えばコーチ陣を一新して欲しかったような気がします。現役時代はシーズン18勝10敗18セーブの怪投が印象に残る伊東ヘッドコーチはともかく、八重樫、角、水谷各コーチは、古田監督からみても、我々ファンからみても旧世代の方々。一旦、退いてもいいのでは?なんて思いますが。選手補強はしたのに、実はフレッシュ感が全くないスワローズなのでした。

さて、フレッシュ感はともかく、民主党の執行部が一新しました。いや、順番が変わったといったほうが正しいのかもしれません。持ち回りのように同じ人間がポストの椅子取りゲームを行うのをみると、自民党のほうが人間が余って…いや、層が厚いのかなと思ってしまいます。いわゆる麻垣康三でなくても、中2階と呼ばれる人がゴロゴロしていますし。
ただ、自民党の口先だけの政策に、何の抵抗もなく昨年の衆院選に投票したおばちゃんたちはいい加減「おかしいぞ?」と感じてきているようですから、ここは民主党に新しい流れを作ってもらいたいものです。特に4月の給料の天引きで現実味を帯びてくるのかもしれません。負担何%増といわれても、実感するのは数字を見てからですから。真綿がいよいよ硬くなってきたぞという状況です。
一方、民主党に政権をとってもらいたくない人も多いようです。自民党はもちろん、大手マスコミも。言うまでもなく自民党は、長年政権に居座っていることで利権まみれになっていますが、リークやニュースソースという既得権益を得ているマスコミも同じ。かつて、細川元首相率いる非自民政権の元でニュースソースの確保に苦労したことを教訓に、真の政権交代には、及び腰という見方もあります。ですから、これまでの選挙や国会審議の過程で各マスコミが、さんざん民主党を持ち上げた挙げ句、最後は落とすというパターンを繰り返しています。つまり寸止め。バンザーイ、なしよ。
とはいえ、野球でもサッカーでも実力が均衡すれば盛り上がるもの。テレビや新聞での民主党の盛り上げ方は異常ですが、これが民主党が追い風に乗ればさらにエスカレートし、やがて実力が伯仲すると、政権まであと一歩というところでマスコミは寝返り、一気に下げ圧力が働く可能性があります。政治や社会、国民の意識にすら介入して変われ変われといいながら、当のマスコミは何も変わらず、不況の中でも大手メディアの中では業界再編すら進んでいないことにも、注目する必要があるでしょう。
Sakurasaku

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April 06, 2006

傲慢

更新が滞っていました。
実は先日、腰痛を再発してしまいました。最近のケースでは最も重症です。もともと中学時代から慢性の腰痛持ちなのですが、ギックリ腰を2度経験しているので、どこまでいけば危ないかなというのは分かっているつもりですが、今回は予想以上に深刻でした。年齢による衰えも考えなければいけないのかもしれません。
痛みがとれるまでに1、2週間はかかると思いますので、ブログやホームページの更新や、いただいたメールの返信が遅れたりすることが予想されますが「大変なんだな」と思って温かく見守っていただければと思います。腰痛のため、5日の神宮球場詣では中止、7日からの4月限定のダンスプログラム(何で?)も恐らく不参加でしょうし、8日の昔のシナリオ仲間の会合も微妙です。映画も前売券がたまりまくっていますし、スポーツクラブには当分行けそうにありません。
病気になると、健康のありがたみを感じるといいますが、まさにその通り。バスタブの高さとか、家のあちこちの段差とか、街の中のちょっとした傾斜とか、健康な時には全く感じなかったところが気になるようになります。腰痛でさえこういう風に感じるので、恐らく健康体の人が、身体の不自由な人を気遣って何かを作っても、至らないところが多々あるのだろうなと実感しました。

ここで書きたいことは、山ほどあるのですが、パソコンの前に座る時間も限られているので、短めに。先日、小野真弓・スピードワゴン小沢一敬両氏の電撃結婚を追ったドキュメンタリーをやっていました。最初は、ドキュメンタリーだと思ったというほうが正しいかもしれません。多くのスタッフが絡み、長期間カメラを回していた割に何で表沙汰にならないの?とか、何で夜中に記者会見をやるの?とか、いろいろと疑問が浮かびましたが、睡魔に襲われてそのまま寝てしまいました。で、翌日、インターネットで検索しても結婚の事実はなく、2ちゃんねるなどで避難の嵐が吹き荒れていました。ははん、なるほど。制作者はフィクションとノンフィクションの間の番組と説明しているらしいですが、視聴者の頭の中に「?」がいくつも並んだまま、視聴者の貴重な時間を奪って、最後はウソでしたーというのは、あまりにもひどすぎるような気がします。
ちなみに、番組に関わったウェディングプランナーの方は、このようにコメントしています。『本当の結婚式だと思っていた方、ごめんなさいm(__)m!!「なんだ。本当の結婚式じゃないのか」とがっかりされた方もいらしゃったかもしれませんが、でも、決してただのどっきり企画ではないんですよ。この番組は半分フィクション、そして半分ノンフィクションなのです。あの小野さんや小沢さんの準備期間中のやり取りや当日の涙は全て本物なんです。』何じゃこの言い方は?舌を出しながら、おこっちゃったらゴメンちゃいと言っている軽いノリ。しかも絵文字まで使いおって(これは単なるおっさん視点かも)
例えば『あの小野さんや小沢さんの準備期間中のやり取りや当日の涙は全て本物なんです。』という説明は、浮気をしたおっさんが古女房に「それでもお前を愛する気持ちは変わらない」と説明しているようなもの。事実かもしれませんが、論点をかわしているだけ。仮におっさんは本気で言っているつもりでも、頬にビンタの2つ3つは飛んでくるぐらいふざけた物言いです。恐らく、問題になったことで上手い言い訳を考えて、制作者側で口裏を合わせているのでしょう。タイアップでも何でもいいですから、だったら冒頭にそう説明して、2人が擬似カップルとして、どのように話を進めていくかを追うようにすれば、番組としても充分成り立ちます。これぐらいで視聴者は楽しんでろ、という傲慢さすら感じる思いつきで作ったようなところに、怒りすら感じます。

番組作りで、ヤラセは、時と場合によってはアリだと思います。ドキュメンタリーだって、ある方向にもっていくよう構成を行ったり、並べ替えなど編集段階で手を加えたりという「プチやらせ」がなければ、単なるホームビデオと変わらない味気ないものになるでしょう。ドキュメンタリーでなくても、ヤラセが発覚して番組が終了した「愛する二人別れる二人」は、2週にまたがって壮大なドロドロ劇を扱う頃からヤラセの匂いがプンプンしていましたが、たとえヤラセでもストーリーがしっかりとしていて、多くの視聴者を楽しませてくれました。果たして件の番組は、そういう部分があったかどうか。結婚に至るまでの準備などが参考になりましたーという声もありましたが、それは、結婚を遠からず近からず控えているごく限られた人々が感じたメッセージです。世の人間の比率からすると超少数派。そういう人だけ観て楽しんでもらえればいいと思って作ったのなら、やはり最初にタネ明かしをすべきだったと思います。でなければ、単なる悪ノリ。

Tokyodome

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April 02, 2006

概況(18年3月分)

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プロ野球が開幕しました。東京ヤクルトスワローズは阪神3連戦を2勝1敗で切り抜けました。今年のスワローズは「東京」を冠したことのほか、ユニフォームが変更されました。微妙かな?と思ったのですが、実物を見ると意外に良い印象で、今までビジター用(紺、以前のブルー)に比べ人気のなかったホーム用(白、以前の縦縞)のほうが人気が出そうです。神宮球場も広告のなかった外野フェンスにユニデンの文字が並び、スコアボードの時計も青くなりました。その横の広告はテレビ朝日、朝日新聞からSEIKOへ。これも青い看板に変わりました。出来ることなら、キリンビール、東芝、コカ・コーラも青い看板にすると洒落ているのになあと思います。街並みに併せて看板をカメレオンのように合わせるケースが増えたコンビニのように。
神宮球場の変更はそれだけではありません。メンバー紹介にDJを使用するという、かつてのオリックスブルーウェーブを髣髴とさせるアナウンスになりました。。電光掲示板の表示は昨年に引き続き小じゃれた感じですが、今年は構成作家、高須光聖氏のプロデュース。でも、どこか商売の匂いがして微妙です。去年は、ZEEBRAプレゼンツで突然の歯が浮くような演出に戸惑いましたが、その一方で、ウグイス嬢はそのままという、決して完全ではない構成のほうがスワローズらしくて良かったような気がします。
去年は選手が打席に入ったりマウンドに向かうときに、それぞれが好きな曲を流していたりするのですが、それもなくて著作権の発生しない自作の曲みたいなのを使っています。良く言えば統一感があり、悪く言えば「ケチったな」という印象。そのうえ去年、五十嵐が使っていたワイルドシングのパクりっぽい曲なので、幼い頃近所のスーパーで「アニメソング大行進」みたいなカセットを買って聞いてみると曲は本物でも歌手がなんだか違うという寂しい思いをしたのと同じ感じがします。
今年の初神宮は4月1日、開幕第2戦でした。去年ブイブイ言わせた久保田のサヨナラ押し出しで勝ちました。それにしても神宮は一塁側まで阪神ファンで埋まり甲子園状態。スワローズファンは大人しいのでトラブルにはなかなかなりませんが、WBCでどっちが攻撃しようとひたすら応援しまくっていた韓国の応援団のようなふてぶてしさ(良く言えば熱心)を感じました。ただ、優勝が決まるぐらい盛り上がらないと神宮球場を一杯に出来ないスワローズファンの奥ゆかしさ(悪く言えば消極的)は、反省すべき点といえるでしょう。
演出の話に戻りますが、今年の神宮球場は合間を見て観客に手拍子をさせます。多くの球団のファンのように応援の時は立ちっぱなしではなく、東京音頭の時ぐらいしか立たないスワローズファンには、手拍子が協力してもらえるギリギリの線だと踏んだのでしょう。この辺りは、高須氏が良く研究しているのかなと思いました。スワローズファンにタオルを回せとか、飛び跳ねろといっても無理ですから。
ちなみに帰り際、3ランを放った若きツバメ、武内選手のヒーローインタビューの最中に阪神ファンが「万年Bクラス」と罵声を浴びせていました。恥ずかしい…それは、一昔前のあんたらでしょうが。当時の野村監督が必死に種を蒔いて、箸にも棒にもかからなかった矢野を使い続けた頃、万年Bクラスを驀進していたのは阪神タイガース。同じ日本人同士で「島国根性!」と罵り合っているようなもの。どうせならもっと気の利いた野次を飛ばせと思いましたが。
高津、石井一久、かつてのリサイクル工場復活といったところですが、高津が初登板のマウンドで第1球の95キロのスローボールがストライクになり、2球で勝ち投手になったあたりから、今年は何かがありそうな予感がしました。そうです、優勝です。スワローズファンでも、そうでなくても是非、神宮球場に足を運びましょう。ごっちゃん、ホークス戦行くか?

さて、3月の概況です。

3月の重心指数
普段の仕事:40(+10)
シナリオ:25(-20)
その他:35(+10)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~3月の概況~
「普段の仕事」30ポイント反発
3月前半までサボり気味で仕事をしていたら、やたら忙しくなりました。年々、猛烈な勢いで仕事が増えていきます。Sさんからまわってくる仕事もあるのですが、事実上の純増なので、人を増やしてフォローしてもらわないとパンクします。前もって準備できる仕事ならまだどうにかなるのですが、たった数十分でやっつけなければならないシューティングゲームみたいな仕事は大変です。そこで、どうやったらこの仕事から逃げられるのか、日夜考えております。

「シナリオ」20ポイント下落
テレビ朝日玉砕で今シーズンを終了しました。こちらも普段の仕事と同じく、どうしたらこの状況を打破出来るのかを日夜考えております。それでも、少しヒントになりそうなことが見出せたのですが。ヒントは「紐付き」ただ、成功しても失敗してもこのヒントは誰にも言いません、絶対に。

「その他」10ポイント上昇
日常生活に支障が出るぐらいブログが長くなってしまっています。多忙な仕事の鬱憤を晴らすために病的に映画を観ていたのですが、それでさらに仕事が忙しくなるという悪循環。幸いにも3月後半から韓流映画が増え、興味を惹く映画が少なくなったので落ち着いています。
さて、構想から3年、クレイアニメにようやく着手しました。インターネットをやるだけでは能力が高すぎるこのパソコンは、映像編集とクレイアニメに挑戦するために買ったようなものですから。逆ザヤで利率の良かった保険金を取り崩してまで。とはいえ、頭の中に思い描いていたようにはいかず挫折してしまい、暫くはどうすればいいのかと思い悩んでいました。最初はこんな感じです。想像通りにはいかないもの。ひどい。
Shisaku_1
クレイアニメは、趣味だけで終わらせようとは思ってはいないので、少しづつ頑張ってみようと思います。自分で書いたシナリオを映像で表現するための一つの手段として。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」±0㎏
スポーツクラブに通ったのは7日、前月比横這い。まあ、マイペースでいきます。

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