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March 05, 2006

アカデミー賞ごっこ

先日、友人たちとの会話ででドラえもんが話題になりました。若い世代には「ドラえもんは、F(藤本弘)が亡くなり、A(安孫子素雄)が描くようになって面白くなくなった」と思っている人がいるようです。うぬぬ。なんじゃそりゃ。藤子不二雄が合作していたのは初期のオバケのQ太郎までで、その後は完全に分業されています。僕の記憶では、藤本氏の死に際し、安孫子氏が「僕にはドラえもんは描けない」とコメントを出したはずです。
藤本氏が膨大なアイデアを残して他界したともいわれるドラえもんはその後、残った方々(たぶん藤子プロの人たち)が遺志を継ぎ、新しいアイデアなどについては、テレ朝が主催するシナリオコンクールの選考通過者などの力も借りているはずです。「今までと違う」という批判も多いらしいですが、恐らくこれまでのほとんどのストーリーとひみつ道具が頭に入っているであろう藤本氏と「私だったらこういう道具があったらいいな」と考えるだけの後発の人間の発想では、乖離があって当たり前といえます。
多くの人が、根性なしののび太がドラえもんのひみつ道具に頼って人間的にも全く成長しないという安易な設定を考えてしまいますが、黎明期にはもっともっと違った展開もあありますし。コンビ解消前は、2人で藤子不二雄でしたが、子供に夢を与える藤本作品と、ちょっと大人のユーモアがある我孫子作品では全く毛並みが違います。「俺はAだな」「私はFよ」と藤子不二雄作品の良さを批評しあうのは、ジブリが新作を出すと「これはナウシカ系だな」「あの展開はトトロ系だよね」と批評しあうのに似ているので大嫌いなのですが、片方だけを毛嫌いせず、どちらの作品も楽しむことをお勧めします。
ちなみに、藤本氏の「モジャ公」や短編集「宇宙人」などに収録されている作品はどこか我孫子氏が描くものを彷彿とさせますし、我孫子氏の「怪物くん」などは、藤本氏のテイストにかなり近い感じもします。両氏の作品の多くがお互いに全く異なった雰囲気をかもし出しているなかで、一時期、ひょっとしたら必死に2人の作風を摺り合わせようとしていたのかな?などと考えてしまいます。
ドラえもんもアニメだけでは語れませんし、同じくアニメ化された藤本氏のキテレツ大百科や忍者ハットリくん、我孫子氏のプロゴルファー猿も、原作(しかもオリジナル)の雰囲気は、アニメやアニメ化後に発行された単行本とは全く違うといっていいものです。手塚治虫氏の海のトリトンが原作とアニメでは全く違うようなものです。
このほど、のび太の恐竜がリメイクされましたが、久々に劇場でのドラえもんを観てみようと思います。小学校入学と同時に現在も続いている「テレビ朝日系」のドラえもんは、恐ろしいほどの思い入れがあり、それこそ当時の「のび太の恐竜」も遠い遠い劇場に足を運んだのはもちろん、録画してそれこそ擦り切れるぐらい観ましたし、コロコロコミックに掲載された原作も穴が開くほど読み返しました。小学校高学年頃にはさっさと足を洗ってしまうのですが、小学校から中学校時代のドラえもん、ファミコン、ガンダムは話に火がつく3点セットとして今も心の中でくすぶっています。

さて、今日のタイトルは「アカデミー賞ごっこ」ですが、前もこの題で日記を書いたことがありますね。確か「日本アカデミー賞」というネーミングに関しては、黒澤明氏が頑なに反対していたと聞いたことがあります。本家の二番煎じみたいな名前にするなということでしょうか。黒澤氏の日本アカデミー賞受賞歴は、ザッと調べたところ遺作の脚本をもとにした「雨あがる」と死後に栄誉賞が贈られたぐらいしかないようですから、そのことが関係しているのかもしれません。日本アカデミー賞のはじまりが黒澤氏のモノクロ黄金時代を外れているとはいえ、黒澤映画全て良しという日本人が多い中で、やはりこの状況には違和感を感じますから。
日本アカデミー賞があたかも黒澤氏の死後、その威光を借りるかのような雰囲気は、同じく死後、横山やすしを売り出しまくった吉本興業みたいです。吉本興業が横山氏から何度も何度も、多大な迷惑を受けていたのは分かりますが、この辺りの変わり身の速さは驚きでした。これも関西人ならではの商売の上手さなんですかね。

今回の日本アカデミー賞は「ALWAYS三丁目の夕日」が各賞をほぼ総なめにしました。主演女優賞のみ「北の零年」の吉永小百合。ロングランが続いている三丁目の夕日決して悪い映画ではないですが、過去の受賞をみても一つの作品が多くの部門賞を占めたり、外国映画賞はアカデミー賞の上塗りが多かったり(ちなみに今回はミリオンダラー・ベイビー)と、大昔のようま日本映画全盛の頃はまだしも、もはやテレビ業界の同窓会みたいになってしまった賞に何の意味があるのかと思ってしまいます。まあ、劇場から客足が遠のいた一時期よりはマシかもしれませんが。
今から既に恐れているのは、来年の日本アカデミー賞が「有頂天ホテル」の同窓会状態になって、意味がさっぱりわからないまま外国映画賞が「ブロークバック・マウンテン」になってしまわないかということです。どうもこの「ブロークバック・マウンテン」は、「アメリカン・ビューティー」の再来のような気がして、意味不明なくせに映画通が「この良さが分からないの?」と見下すような、インチキなリトマス試験紙のような映画になってしまわないか心配です。映画なんか、自分が気に入ればいいんです。例えば、CinemaXでボロカスに書こうが、人によっては一生の名作になる可能性だってあるんですから。
そんなわけで、明日から「白バラの祈り」「シムソンズ」「ナルニア国物語」CinemaX3連荘です。
wwanko

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Posted by: best dating sites | January 13, 2015 at 12:07 AM

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