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March 30, 2006

指針

教師が教え子の女子高校生に「合体しましょうか」「会いたいな~、愛しちゃってます」など900以上のメールを送っていたことが発覚しました。超合金か、おんた。メールの内容を拾い集めてみると、「おやすみなさい愛しています心から」「抱き締めて愛してるってささやきたい」と川柳風のものから「ぎゅっと抱きしめたい」「愛しています女性として」」「明日6時にレストラン予約してあるんだ」もうメチャクチャ。「メールは、架空の世界の話をしたもの。誤解を与えたことは申し訳なかった」という弁解をしているようですが、50を過ぎた男が屁理屈もいいところ。ただし、問題はこれから。

神奈川県教育委員会は、今回の事件を踏まえ、教師と生徒のメール交換に関する指針を示す方針を固めました…あほか。超合金教師も幼稚ですが、何でもかんでもマニュアルを作って手取り足取り教えようとする教育委員会の行動も安易です。教師だって社会人、自分で何が悪いかぐらいの脳味噌があります。それを指針なんか出して…PTAへのパフォーマンスですか?それとも手取り足取り尻の拭き方まで教える気ですか。これではさらに教師という職業のステイタスを下げてしまうことでしょう。

IT化に完全に乗り遅れている職種の一つに、教師があげられます。携帯電話やパソコンがなくても仕事が出来る業界であるので仕方がないのかもしれませんが、教師それぞれのIT関連のスキルは、世代間格差もさることながら、個人差があまりにも大きいのが実状です。積極的にホームページを作成したり、成績管理に表計算ソフトをチャチャッといじるような教師がいれば、下手にインターネットを憶えたばかりに、マスターベーションを憶えたサルのように出会い系サイトなどにハマって問題を起こす教師もいます。

教師と教え子が結婚するというのは、決して珍しいことではありません。表向きは卒業後に再会して交際が始まったことにはなっていますが、疑わしく思っている人も多いはず。合コンで出会ったのに、お堅い家同士の結婚式では、「友人の紹介で出会いました」と紹介するぐらいの怪しさです。合コンだって、れっきとした出会いの場のはず。学校においても、教師と生徒が恋愛関係に陥っても不思議ではありません。ただ、そこでブレーキがかけられるのが教師、そうでないのがエセ教師。雑念を取り払い、教育者として尽力するのが、聖職者のあるべき姿でしょう。だからこそ安定した身分を約束されているともいえます。

さて、朝日新聞の秋山社長のご子息が大麻所持で逮捕されました。自称フリーテレビディレクター。大手紙幹部の子息なら、コネでテレビ局のディレクターぐらいなれたでしょうに。それにしても不可解なのは、10日に逮捕されて明るみになったのはつい最近、例えば警視庁の記者クラブなどでは情報を掴むことは出来たはず。それなのに、何故今頃まで引っ張ったのか。誰が?何故?

事件が明るみなった時、タイミング良く秋山社長のコメントが出ました。しかも、新聞やテレビはこの事件を積極的には扱わず、司会者がことあるごとに問題に噛み付く朝ズバッ!でも事件を淡々と報じ、コーナーの途中にも関わらずいきなりCMを挟み、何事もなかったように次のニュースを報じるという、思いやりに溢れた対応が行われました。この番組は信じていたのに。そんな疑惑の2週間を誰も追及せず、秋山社長の進退を問う、とんちんかんなマスコミの行動。息子とはいえ30過ぎ。関係あるか、あほか。

情報化社会の中で、特定の人間が起こした事件をもみ消すということは、難しくなっているのかもしれませんが、逮捕から報道までの2週間に何があったのか。冤罪の可能性があるとでも踏んだのか、大手マスメディアがより影響の小さい報道の仕方を検討したのか…それともバレないと思ったのか、大麻所持ぐらいたいした罪ではないと考えていたのか。どこも判を押したようにコメントと事実関係を並べるだけの姿勢に、きな臭さを感じた方も多かったことでそう。

ただ、この問題は恐らく、突き詰めても個人情報保護という壁に阻まれることでしょう。現に秋山社長も「家族のプライベートな問題にかかわる」とコメント以外の言葉を差し控えています。「個人情報」とか「プライベート」という言葉を持ち出されると、及び腰になるのが今の日本のマスコミですが、それは権力のある人々に対してのこと。弱くて、どうでもいい人には辛く当たります。例えば、テレビや新聞などでは、堀江メールの西沢氏について、証人喚問する、しないとか、やれ、やるなとか、実名を挙げながらニュースを垂れ流しています。

その実名公表も永田氏が口に出した途端に右に倣え。週刊誌では見切り発車の感は否めませんが、数週間までに名前が公表され、写真まで掲載されていたというのに。おまけに永田氏に対しては、一斉に持ち上げたり、落としたり。まるで指針でもあるかのように同じような報道を繰り返すのでは、新聞社やテレビ局は何社も存在する意味がないのかもしれません。
Saru

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March 28, 2006

許容範囲

更新が滞っている間にいろいろなことがありました。特にWBCでの日本の優勝は、ギリの準決勝進出のため、本当に世界一かという声もありますが、シドニー、アテネのソフトボールを思い出してください。最後の最後、たった1敗しただけで日本は金メダルを逃しました。今回はその逆。準決勝では「宿敵」やら「因縁の対決」やら日本だけが熱くなる日韓戦を制し、決勝でキューバを破りました。負けてもなお相手を尊重するキューバの人々の姿勢はいかにも日本的で、印象を良くした人も多かったはず。ともあれ、世界初というのは印象に残るもの。
宇宙開発に例えると、世界初の宇宙飛行士、女性初の宇宙飛行士、人類初の月面着陸を果たした宇宙飛行士…どれも名前は出てきますが、2番目はなかなか思いつきません。それと同じ。スポンサーがつかないとか、米国の準備不足の間隙を縫って優勝したとの声もありますが、勝ちは勝ち。

さて、大相撲も見応えがありました。千秋楽は、魁皇と栃東が勝って、なおかつ朝青龍と白鵬が優勝決定戦でぶつかるという僕の頭に描いたシナリオ通りの展開でした。それにしてもモンゴル勢を中心とした外国人勢の活躍が目立ちます。このほかにも韓国、グルジア、ブルガリア、ロシア…十両全勝優勝の把瑠都はエストニア。春場所の番付では幕内42人中12人が外国人力士です。もはや特別扱いする必要がないほど浸透してきています。
大相撲の国際化は避けては通れない道といえるでしょう。朝青龍は完璧なまでの強さ、琴欧州は甘いマスクが人気ですが、白鵬の人気は少し異なるような気がします。白鵬の強さは、下半身の安定感にあります。いかにも日本風の腰の重さを持つ相撲スタイルと、最後まで気を抜かず、寄り切った相手の身体を土俵から落とさないよう大事にかばう姿も印象的です。注目すべきは、白鵬の姿にかつての北の湖などのような、強い日本人力士の投影しながら応援しているということです。やはり多くの相撲ファンは、強い日本人力士を待ち焦がれているのでしょう。
外国人力士は、日本人と良く似ているモンゴル人中心ですが、これからヨーロッパ勢の白人、やがては身体能力に優れた黒人が本格的に力士として活躍する時代が来るかもしれません。その時、日本の相撲ファンはどこまで許容できるか、気になるところです。もちろん、国際化は素晴らしいことだと思いますし、そうなることで、多くの日本人がいまいちピンと来ない「国技」相撲という観念が固定化されることにもなるでしょう。

春のセンバツ高校野球が地味に行われています。清純さ、さわやかさをウリにする高校野球ですが、その一方で今回は卒業生の飲酒で出場を辞退した高校もありました。高校野球にはダーティな部分が多いことは、普通の高校に通っていた人なら誰でも感じているはず。それなのに、虫も殺さずオナニーすらしない無菌青年の集団のような行動を押し付ける高野連や、そのことを強く印象づけるようなマスメディアの報道も気になります。
さて、今回の代表校をざっと調べてみると、出場32校中13校が私立高校でした。正確な比較は行っていませんが、私立高校の割合は恐らく一昔前よりは増加しているような気がします。出場校全体に占める比率は41%。平成15年時点で全国の5,450校のうち、私立高校は1,318校。比率は24%。高校野球の公私比率の歪みが良く分かります。
私立高校では、少子化対策としてサッカー、野球、吹奏楽、バトンなどを強化するケースが目立っています。知名度を上げて、受験者、入学者数を確保するためです。超有名私立を除き各校とも生き残りに必死なのですが、一方で学校が露骨なビジネス路線に走ることに批判的な声があることも確かです。
一昔前は、強豪の有名私立高校に有力選手が集まり、宝くじに当たるような確率でレギュラーを目指して日々練習するという構図だったようですが、今では、全国各地にミニ強豪私立のような高校が乱立し、有力選手もあちこちに散らばる傾向にあります。特に、高校数が少ないという地方の競争率の低さを利用して難なく甲子園に出場する高校もあります。
こういう高校が入り混じって戦う訳ですから、面白さが半減してしまうのかなと思うのですが、それ以上にひどいのは、地方の代表校でありながら、地元出身者が殆どいない代表校もザラということです。これでは全然面白くない。僕の地元でも隣の私立高校はいつの間にか強豪校となり、甲子園の常連となりつつあるのですが、地元民の応援の熱は予想以上に低い。それは、全国からの寄せ集めだからです。
WBCが盛り上がるのも、サッカーの代表戦が突出して人気があるのも、イチローや中田がいるからだけではありません。国と国がぶつかり合うから。規模は違えど高校野球も同じです。この状況で「地元を代表して」という言葉は成り立ちません。高校野球ファンの許容範囲も限界があるものと思われます。それでいて、高校野球ファンの高校球児のさわやかさを国民に押し付ける高野連や、大会の一部始終を感動巨編として垂れ流すマスメディア…そろそろ転換点に差し掛かっているのではないでしょうか。
hanahana

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March 23, 2006

のび太の恐竜2006

CinemaX第79回目。

監督:渡辺歩
原作:藤子・F・不二雄
脚本:渡辺歩、楠葉宏三
出演:水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一ほか。
(公式サイトはこちら

「末期モデルチェンジ」

懐かしい「のび太の恐竜」が帰ってきました。僕らの世代のリピーターには「過剰演出」との呼び声高い映画をCinemaXが斬る?

のび太の恐竜2006は、声優が一新された最初の劇場版です。CinemaXでは、リメイクでも続編であっても、前作を観ていないものとして評価することになっています。ただ、今回はそうもいかないようなので、最初に全体の評価を行います。

「最終評価B」

野比家は、東京都練馬区から引っ越したのでしょうか?というぐらい雰囲気が変わりました。町には小さいながら山もありますし。サザエさん一家や算数の教科書の物価(ノート30円、えんぴつ5円)のように、いつまでも変わらないのはアリだと思いますが、のび太などの登場人物は以前に比べ髪が薄くなり、ヘルメットのように固定されていたヘアースタイルも風になびくようになっています。昔、サザエさんで、サザエとフネが東芝が新発売した電動ポンプを使うシーンを入れてしまい抗議が殺到したことを記憶していますが、こういうものは現実にあわせて変化してもいい部分と悪い部分があるようです。
最近では水戸黄門でのCMで先代…いや、先々代の黄門様である佐野浅夫が黄門の格好をしてチリンチリンとチャリンコに乗るCMに「観ている側が混乱する」「デリカシーがない」と抗議が殺到した記憶がありますが、ドラえもんも登場人物の髪型が自然になびいたり、原作にはない多彩な表情をしたり、携帯電話を持ち歩くスネオなど、変わってもいい部分と残さなければならない部分を取捨選択する時期が来ているのかもしれません。サザエさんのようにいつまでも時代が止まっていてもいいとは思うのですが。「さーて、次回のサザエさんはぁ~“フネ、ついに決意、流行の熟年離婚”“ワカメ、出来ちゃった結婚の相手は誰?”“マスオ、リストラで焼き鳥屋開業”の3本です」…違和感アリアリ。
記憶の糸を辿りながら重箱の隅をつつきますが、のび太の部屋が狭くなり、出入口が机の横側から真後ろに変更されています。具体的に説明すると、ドラえもんの寝床である押入れがあった場所が、出入り口になっています。特に本棚やおもちゃ箱が煩雑に置かれてしまったために「これではお座敷釣り掘が出せないだろう」と心配してしまいます…どうでもいいことですが。

ドラえもんのテレビアニメ(以前の日テレバージョンではない)は、僕の小学校入学と同時、昭和54年4月に始まりました。当時は、創刊号からコロコロコミックを読み漁り、小遣いを貯めて単行本を買い、それを何度も読み返す毎日でした。そしてテレビアニメがスタート。放送開始の4月が待ち遠しかった僕は、コロコロコミックなどに掲載される事前情報を何度も読み直し、時にノートなどにサンプル画像(?)を書き写す毎日を過ごしていました。コロコロコミックって、活字にすると本当にコロコロしているんですね、コロコロ。
かくして昭和54年4月2日午後6時50分、ドラえもんは「夢のまちのび太ランド」を第1話としてスタートしました。それは、餅のような風体のドラえもんが、のび太の尻にヘリトンボ(後のタケコプター)をつける小学館の学習雑誌の第1話とも、パン屋を救うため怪電波を流したコロコロコミックの第1話とも違っていました。
ドラえもんは、平日・土曜の午後6時50分から7時まで、日曜日は午前8時30分から9時まで、毎日観ることが出来るようになりました。週2回放映(火曜は再放送)されていた以前のサザエさん以上のインフレぶり。後に10分間のドラえもんは消えましたが、日曜の時間帯を1時間繰り下げ、金曜日に移動して今に至ります。

それから1年後、昭和55年3月15日に封切られた「のび太の恐竜」は、モスラ対ゴジラと同時上映で公開されました。当時は2本立ての映画も多かったのですが、東宝のエースであるゴジラと、しかもモスラ対ゴジラを抱き合わせるあたり、ドラえもんに今のような信頼がなかったからとみることも出来ます。モスラ対ゴジラは、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛のそうそうたる文学者が生み出した傑作中の傑作ですから(でも、ゴジラ対メカゴジラが=昭和49年が好き)。
ドラえもんに頼りすぎて、人間的にちっとも成長しないのび太に「ドラえもんは果たして、子供の教育にいい漫画なのか?」という疑問の声もあります。確かに殆どのストーリーは「ジャイアンにいじめられる・スネ夫にからかわれる」→「ドラえもーん!」→「ひみつ道具で復讐」→「調子こいて失敗する」というパターンなのですが、映画に限っては、のび太はほんの少し成長しますし、ジャイアンも何故か頼もしくていい奴になります。ただ、その場限りなのですが。

のび太の恐竜2006は、欲張りな設定が目立ちました。特に環境問題については、そんなに時間を割く必要があるのかとも思いましたが。藤子・F・不二雄(藤本弘)がこの原作に込めたのは、そんな偽善的な要素ではなく、生き物を大切にする心だったような気がします。それにしても恐竜ハンターは恐竜を狩り放題、あの名作、「サウンド・オブ・サンダー」の基準にすると、未来は変化しまくりです。たった数グラムの蝶を持ち帰ってしまったことで未来の地球は壊滅寸前に追い込まれたのなら、四次元ポケットからゴミを捨てまくったドラえもんの行動は重罪です…これもどうでもいいことですが。
ドラえもんは、藤本氏の死後、変質してしまったという声も聞かれます。これは、石ノ森(石森、あるいは石乃森)章太郎の死後、仮面ライダーが跡形もないぐらいに変わってしまったことに似ています。最近の仮面ライダーは、変身する主人公のイケメンぶりばかりが注目されますが、これも原作者が亡くなってからの流れ。藤岡弘、はともかく、中村梅之助のような風貌が印象的だった佐々木剛(仮面ライダー2号、一文字隼人)は、今の路線だと絶対に採用されない俳優だといえます。

日記で何度か触れましたが、ドラえもんは藤本氏の死後、残されたアイデアメモのほか、脚本家など周囲のスタッフによってストーリーが作られ、今でも放送が続いているようです。くれぐれもいいますが、藤子不二雄A(我孫子素雄)が描いているわけではありません。サザエさんの場合は、新しい話がなくても季節ならではの話を数年のスパンでリニューアルしていれば何とかなるような気がするのですが、ドラえもんはそうはいきません。
藤本氏が亡くなって以後のドラえもんは、ひみつ道具に頼る傾向がより強まったとの声もあります。これは少し残念なような気がします。もしかすると。こういう道具があればいいなとまず道具ありきで、それにあわせてストーリーをねじ込んでいるのかもしれません。藤本氏がどのようにストーリーを考えていたかは分かりませんが、多分、そういう安易なストーリーの作り方はしていなかったはず。
のび太の恐竜2006も、同じような傾向が伺えます。原作がこうだから、こうしたらもっと面白くなるとか、ストーリーの柱は変更していないものの、原作・前作の威を借りて尾ひれをベタベタとくっつけすぎてしまった感があります。伏線の張り方は上手いなと思っても、その部分はオリジナルと大差ないので、思いついたアイデアを盛り込みすぎてしまった末期のモデルチェンジみたいなものなのかもしれません。その割に効果が薄いような気がするのですが。
声優の方々については、交代した時こそ違和感を感じましたが、少しづつ馴染んできているように感じられました。少なくとも30年は1人も欠けそうにない若さなので頑張ってもらいたいものです。そのためにも、脚本家などスタッフの方々には、目先の面白さだけを追求するのではなく、大人になっても強烈に印象が残るような奥の深いストーリーを是非、考えてもらいたいものだと思いました。

エンドロールで映し出される原作の部分は、涙が出そうになります。特に、ピー助が遊んでいたボールをぼんやりと見ている絵は、すごく印象的です。では何故、これを本編で入れなかったのか。この点は少し疑問に思いました。のび太の恐竜は、単行本の10巻あたりに収録されている短い話があるはずなのですが、もう一つ、台風のフー子のエピソードが付け加えられた記憶があります。このストーリーでは、のび太は、台風の卵(たぶん)からフー子を育て始め、やがて成長し、手に負えなくなります。どうしようかと考えていたところに、フー子は巨大台風に立ち向かって消えていきます。そして、のび太はフー子が去った後、ふと、発生したつむじ風を見てフー子のことを思い出します。
これはのび太の恐竜のボールのシーンに共通する部分があります。何故これを本編に入れなかったのか、出来上がった料理を食卓に運ばずにゴミ箱に放り込んでしまうほどもったいない話です。ちなみに、フー子のエピソードは後に映画になっています。ドラえもんには数少ない感動系のストーリーなのですが、映画としてリサイクルするあたり、藤本氏亡き後で劇場版を作る上でのスタッフの苦労がうかがえます。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月18日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:200/296席
感涙観客度数:不明

子供達は立ち上がり、さながら動物園状態でした。奇声をあげたり、スクリーンのドラえもんや登場人物に手を振ったり、オープニングやエンディングのテーマ曲を一緒に歌っていたり。覚悟していたとはいえ、やかましいことこの上ないのですが、何故か微笑ましく感じました。そういえば僕らの子供の頃も、床やステージの上などに子供がゴロゴロ寝ていましたから。なんだか懐かしい。
今回もアニメーションの声優初挑戦の俳優がいました。ちょっとでも話題のある映画になると俳優やタレントがこぞって声優に初挑戦するのですが、何だか「声優なんか片手間で出来る」という雰囲気がして何だかムカつきます。話題性だけで下積みを重ねてきた声優の方々の仕事を簡単にさらってしまうのは理不尽な気がします。
劇団ひとりは芸達者なところを見せましたし、アニメーションでは声優初挑戦となる船越英一郎もそれなりに上手いのですが、2時間ドラマの帝王というだけあって、それなりの配役にしなければならないのか、彼がアフレコした黒マスクは、以前に比べ準主役級に格上げされていました。こういう無理な設定変更をすると、全体のバランスが少しづつ崩れていくわけです。
恐竜ハンターのエピソードをだらだらと続けるのではなく、前作の大きな要素の一つだった、「キャンピングカプセル」でのお泊り、うらやましくて仕方がなかった「エラチューブ」を使った海水浴、幼い頃飲みたくて仕方がなかった「コンクフード」など、冒険という要素をもっとフルに発揮すると楽しい映画になったのかもしれません。そういえば「ひらりマント」は出てきませんでしたね。ドラえもんも道具を出す時にちっとも紹介してくれませんでしたし。
加えて、ピー助の声優を務めた天才子役、神木隆之介は、ピーと声を出すだけなのにわざわざ起用する必要はないと思いました。声優は何度か経験があるようですが、トラウマにならないか心配です。ちなみに前作は確か、ドラミちゃんの声優(よこざわけい子)が担当していたはず。鼻にかかった「ピー!」が印象的でした。びっくりしちゃったなー!びっくりしちゃったなー。

ついでに紹介!

「のび太の恐竜」DVD・原作、とにかく観ろ・読め…「のび太の宇宙開拓史」お勧め…フー子のエピソードを引き伸ばした「のび太とふしぎ風使い」未見。

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March 21, 2006

マンダレイ

CinemaX第78回目。

監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
音楽:ヨアキム・ホルベック
出演:ブライス・ダラス・ハワード、イザック・ド・バンコレ、ダニー・グローヴァーほか
上映時間:139分
(公式サイトはこちら

「ナガタメール」

ドッグ・ヴィル(公式サイトはこちら)の続編です。線引きしただけの舞台の上で演じるという前衛的な映画として当時話題になったことを記憶しています。残念ながら僕は観たことがないのですが、マンダレイも同じような設定のようです。この設定には戸惑いもありましたが、何よりもブレまくる映像に抵抗がありました。緊迫感を出すための効果の一つとしてとtられたのかもしれませんが、別に固定でも問題なかったのでは?なんて思いました。駅弁売りみたいな仕掛けのカメラもありますし。ブレ具合は、話題性に飛びついて劇場に駆けつけたもののゲロゲロに酔っ払ったブレアウィッチ・プロジェクトを思い出しました。あのように映像は粗くはありませんが。

マンダレイは、主人公のグレースが魅力的です。ドッグ・ヴィルのニコール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードに代わりましたが、グレースの凛とした強さを表現するにはニコール・キッドマン以上にうってつけの女優といえます。日本のテレビドラマのようにまずキャストありきでは困るのですが、俳優に魅力があるかないかは、重要なポイントです。仮にない場合は、「Uボート 最後の決断」のようにストーリーで挽回するという手もありますが。

この映画は人種差別、奴隷解放という題材を扱っています。奴隷解放をして表向きは自由平等な社会を獲得したようでも、社会に受け入れる用意がない限り人種差別は残るという皮肉も込められています。最近、白人が黒人に、黒人が白人になりきっての生活を追うという番組が米国で話題になっているようです。出演者の白人(になりきった黒人)には靴屋で店員が靴を試着させてくれる一方、黒人(になりきった白人)にはバーで前金を要求されるなど出演者は日常生活の多くの場面で差別があることを痛感するようです。
マンダレイの時代設定は、奴隷解放が行われて70年経った1933年なのですが、別に今の設定でもいいのかもしれません。文字通り舞台設定が前衛的なだけに、米国の片田舎でこういう地域が残っていたという設定のほうが、皮肉がより強く込められて映画としては際立つのかもしれません。舞台的、といわれればそうともいえますが。

ターン1までの評価「B」

マンダレイは、8章のエピソードから成り立っています。かといって最近「次も観たくなりました!」「次も観たい!」「やっぱりナルニア!」とヤケクソのように観客のコメントを集めた(映画の内容に触れていないのが不自然なのですが)CMを垂れ流して観客動員数を増やそうとしている魂胆がみえみえのあの映画のように、1章1章を小出しにして金箔のように極限まで延ばして視聴者を煙に巻くのとは違い、一つの映画に全ての章が込められています。ただ、前半はかなり退屈で寝てもいいよ光線を感じた僕は、間の3~5章あたりは寝てしまいました。
人種差別とは、必然的な流れだといえます。人間に平等な世の中なんか作ることが出来るはずがありませんから。ただ、白人が黒人を支配するという構図は、単に「気付いた順番の早さ」なのかもしれません。例えば食べたらなくなってしまう食糧よりも、食糧を生み出すことが出来る土地が有利だと早く気付いた人間が植民地政策を進めた(食糧だけに限りませんが)といえますし、争いも早く気付いて武力を準備していた側が圧倒的に有利になります。

また自分の例を持ち出しますが、僕は幼い頃ガキ大将だった時期があります。年齢にして3~4歳頃。この頃の僕は「早く生まれた方が偉い」というルールを作り出し、ガキ大将として君臨していました。何故か?それは、自分が一番になるからです。保育園入園当初にいた4月生まれの友人は早い時期に引っ越して、5月生まれの僕が出席番号一番になったので、自分で勝手に作り出した「法律」でした。
いま振り返っても驚くのは、その統治が極めて平和的に行われていたことです。生年月日は変えられませんから、2番生まれは永遠に3番生まれの上に鎮座するわけです。例えば、僕の2日後に生まれた林君(仮名)は、6月生まれの大塚君(仮名)、野上君(仮名)よりも上になるわけです。当時の決まり文句は「早生まれに威張るか?」これで順番が下の人間は何もいえなくなるわけです。自転車を走らせる順番も生まれ順で、仲間を引き連れて親が警察に電話するぐらいの遠出もしました。
王国の崩壊は、5歳からの編入生が入ってからでした。武力(つまり喧嘩)でも統治できると気付いてしまった友人達の間に醜い争いが発生してしまいました。僕は争いを避けるために早々に王座(?)を降りましたが、きっとこの時の争いに加わって勝っていれば、今のような隠遁生活者(?)のような性格ではなったのかもしれません。話が長くなりましたが、これが、世の中、早く気付いたもの勝ち、ルールを作ったもの勝ちと思う所以です。

ターン2までの評価「B」

奴隷制度のような統治が長く続くと、どうあがいても事態は変わらないので、黒人達の上昇志向は失われます。マンダレイは、奴隷制度を解放した場合の難しさも描いています。例えば、決まりがないと動けないとか。例えがかなり乱暴ですが、数十年服役していた受刑者が釈放されて自由を勝ち取っても、100%幸せかといえばそうとも限らないということにも似ています。映画に登場するウィレルムという黒人の口癖は「準備が足りなかったんだ」ですが、まさにその通り。受け皿がないと水を注いでも流れ出してしまいますから。
マンダレイはR-18指定なのですが、人種差別に触れているから?と思っていたら、後半に過激なシーンがありました。チンコや毛がそのまんま。ティモシーの黒いチンコも映りますし、グレースの毛も。スローモーションだともっといろいろなものが映っているかもしれません。その後は鉄槌を穿つような機関車ピストンが延々と続きます。
グレースのこの行動は後に大きな意味を持つのですが、そもそもここまでストレートに表現する必要はあるの?と思いました。もちろん、製作者の意図を尊重しなければなりませんが、それなりの手を加えてもっと若い人、場合によっては子供まで観ることが出来るような映画にしてもいいのかな、と思いました。
映画を通して人種差別はまだまだ世界のあちこちに残っていることを知るだけでも、大きな収穫になります。オリンピックやワールドカップなどで陸上や球技などで大活躍する黒人が何故、スケートリンクやプールにはいないのか、子供に質問されたらきちんと説明できますか?蓋をするだけで問題を解決しようというのは考えが甘い。

マンダレイには、様々なメッセージが込められています。米国への批判というのが一般的のようですが。部外者が「この国はひどいな」と思っても、住んでいる人々は必ずしもそうでなかったり、下手に解放することでかえって混乱してしまったりするようなメッセージも込められているようです。アフガニスタンやイラクも同じ。乱暴な表現をすると、野良猫や鳩が可愛そうだという考えだけでたっぷりと餌をあげる偽善的な行動も類似点があるような気がします。満足するのは餌を与える自分だけ。繁殖したあとのことも考えずに。
あれだけ堅かったグレースが、ティモシーの身体を受け入れてしまった心境も、米国は世界の警察であると頼もしく思うという「思い込み」にも似ているような気がしました。ルールブック(?)もそう。思い込みで人間はどうにでも変わってしまいますから。上手く言い表せませんが、マンダレイを観て、感じることを素直に受け入れて、帰り道に租借するようにするのも、この映画の楽しみ方の一つかもしれません。この映画は3部作です。ドッグ・ヴィル、マンダレイに続くワシントンに期待したいと思います。

最終評価「B」

R-18指定がなければ、もっと多くの人が観ることが出来るのにと残念に思います。映倫が指定を行った意図がよく分からないのですが、チンコと毛と機関車ピストンだけで決めたのなら、まったくもって余計な映像です。肝心な時に余計なことをしてしまう永田メールのよう。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月17日
劇場:日比谷シャンテ・シネ
観客数:30/204席
感涙観客度数:不明

ついでに紹介!

借りたいが、貸し出し中のドッグヴィル。

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March 20, 2006

エミリー・ローズ

CinemaX第77回目。

監督:スコット・デリクソン
脚本:ポール・ハリス・ボードマン、スコット・デリクソン
音楽:クリストファー・ヤング
出演:ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、ジェニファー・カーペンターほか
上映時間:120分
(公式サイトはこちら

「事実は小説より奇なり」

いわゆる「悪魔のイナバウアー」に抗議が殺到してCM放映を一時中断していた「エミリー・ローズ」です。ただ、映画を観ればその抗議がいかに無意味なものであるか、痛感することになるでしょう。

エミリー・ローズは、単なるホラー映画かと実はそうとも限りません。ノーマークで観ていると驚かされるような仕掛けもありますが、それ以外の部分は至ってオーソドックスに話が展開していきます。まず、エミリー・ローズは映画の欠かせないエッセンス的存在であるのですが、決して主役ではないことに注意しなければなりません。
主役は、愛についてのキンゼイ・レポートにも出演しているローラ・リニー演じる女弁護士のようです。彼女は、トゥルーマン・ショーで偽妻を演じていますが、演技力は今回も健在でした。彼女の魅力である笑顔がかなり少ない役だったのですが、序盤から最後に向かい段々と顔まで変わってみえてくるほどの演技力はやはり大きな見所です。
エミリー・ローズは、悪魔祓いの信憑性を問う裁判を中心に展開されます。つまり、非現実的なものと現実をいかに結び付けられるかというところに焦点が宛てられます。これまでの多くのホラーがやりっぱなしで終わることが多いだけに、この映画は本当に解決するのか、序盤から期待が高まります。

ターン1までの評価「B」

世の中にスピチュアルという言葉が流行するようになりました。江原啓之氏がこの言葉を日本で流行らせたといっても過言ではないでしょう。僕にとってはスピチュアルという言葉は知らなかったものの、幼い頃から当然のようにあるものだと信じていましたので何の抵抗もないのですが、僕の記憶が正しければ江原氏はスピチュアルという言葉が一般市民に抵抗なく受け入れられるように受け入れられるようになった時、スピチュアリストではなく、霊能者と肩書きを変えたいと言っていた様な気がします…違ってますかね?スピチュアルとは、オブラートにくるんだ表現であって、霊能者と変わらないということだといえます。
一方、昨年からテレビでやりたい放題の細木数子は占星術師であり、統計学上の法則に基づいて判断を下していますのでスピチュアリストではないということ。最近では霊能者のような神がかり的な言動も目立つのでエスカレートしていかないか心配なのですが。そういえばミスター・マリックも一時期、霊能者のようなことをやっていましたね。

ターン2までの評価「B」

この映画の見所は、後半に集中しています。特に変質していくエミリー・ローズとその周辺の人々の行動、そのことを証言する証人達の行動、そして何より姿を現しはじめる悪魔の恐ろしさです。ただ、実際に画面上に出てくるわけでなく、エミリー・ローズの視線や彼女の身体を借りて行う奇怪な行動で表現されます。これが怖い。悪魔のイナバウアーもこの行動の一つです。「1,2,3,4,5,6!」という呪文のような言葉も怖いですし、午前3時に停まる時計も怖い。
ネタバレですが、エミリー・ローズは「世の人々に悪魔の存在を知らしめる」という役割を背負っていることを知り、自らの身体が滅びる道を選びます。この点に世界の人々が感動したようですが、僕のポイントからは外れていました。聖母マリアがその役割を伝えるという部分が理解出来ませんでしたし、いくら重要な役割だといえあまりにも救いようがありません。
ただ、この救いようのなさが西洋ならではなのかもしれません。「呪われた狩人」という交響曲がありますが、この曲のストーリーは確か殺しちゃいけない動物を仕留めてしまい、狩人は発狂しながら森の中をさ迷い死んでいくという救いようのない話だったはずです。有名どころだと「フランダースの犬」あのラストは救いようのなさではピカイチといえます。大団円で終わる話が好きな日本人が「フランダースの犬」を好むのは突然変異だとしか思えないのですが。

最終評価「A」

陪審員の粋な計らいは米国ならでは。WBCでは米国の嫌な部分をみてしまいましたが、米国の気質にはこういう洒落の利いた部分もあるのだとあらためて感じました。エミリー・ローズの話は後に出版され、映画化され、多くの人々が映画を鑑賞していますが、僕のようにブログを書いたり、誰かに感想を伝えてその人がまた映画を観ることも世の中に悪魔の存在を知らしめるという、彼女の「役割」であるといえるでしょう。奥が深い。
宗派はどうでもいいのですが、先祖を敬うことすらしない人々が増える中で、世の中に鉄槌を下すといううえで存在価値の高い映画といえます。ただ内容も把握せず「怖い」「気持ち悪い」と抗議してCMを止めさせる行動がいかに愚かなことであるか、クレーマーの方々に感じてもらいたいものです。みすぼらしい服を着ている人を指差してで「なんて卑しい人」と言っているのと同じ。
「エミリー・ローズ」は、実話を知っているか否か、死後の世界がどこまで受け入れられるかによって、映画に対する印象も大きく変わるのかもしれませんが、必見の映画といえます。ただ、ホラー映画としては中途半端なものであり、警戒せずに観に行くと怖いのですが、過剰に期待して観ると空振りに終わることでしょう。どちらかというと法廷モノのジャンルに入るといっていいでしょう。
実話をもとにした映画は、ストーリーや設定が実話に振り回されてしまい案外クソ映画に成り下がってしまうものなのですが、エミリー・ローズは、弁護士を中心に描いたからこそオリジナルと見紛うような展開が実現したのかもしれません。ただし、オリジナルとして人間の頭がこのような話を思いつく確率は万に一つとしてないといえます。まさに「事実は小説より奇なり」いかに人間が頭の中に突拍子のない話を考えようと、事実はそれをあっさり飛び越えてしまうことをあらためて感じてしまったのでした。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月16日
劇場:新宿文化シネマ
観客数:25/408席
感涙観客度数:不明


ついでに紹介!

原作本(?)と今観たら多分怖くないエクソシスト。

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March 19, 2006

民意とは

反響の大きかった女王の教室のエピソード2を観てしまいました。連ドラも観ず、前日のエピソード1も観ていないのですが、なるほどこれなら抗議が殺到するわなと思われるような過激な描写、設定でした。これであのいじめられっ子が死んでしまえば、視聴率に踊る日テレのただの大はしゃぎとしか思われても仕方がなかったのですが、きちんとフォローする内容でした。いじめのターゲットなんか誰でもいい、時にいじめをしていたNo.1の人間でさえ一晩でいじめられる側に転落してしまう展開など、これは実に良く描けていました。これまでのドラマは「いじめられる側」「いじめられる側」を単に線引きするだけでしたから。
日テレのドラマは安易な設定だけに頼るショボいものが多かったのですが、少し見直しました。自社制作でないにせよ、確かに昔は数々のいいドラマを放送してましたし。視聴率で当時王者として君臨していたフジテレビを引き摺り下ろすためバラエティに暴走した長いブランクが痛かった。それにしても、抗議をする人ってどういう人たちなのでしょうか。女王の教室は、「子供が見たらどうする」とか「子供が怖がって学校に行こうとしない」などといっていますが、子供の気持ちなんか100%分かるわけがない。エキュート・西田尚美演じるエピソード2の親と同じ。食べ物を粗末にする子供に育ったのをドリフターズのせいにするバカ親と同じなのかもしれません。自らを省みよ。
最近の日本の映画やドラマは、暴力的表現や言葉に配慮しすぎて去勢された動物のようになってしまっています。昔の映画やドラマは最近、断りを入れて差別的表現を残したまま放送することがありますが、その部分を削ると作品そのものの存在意義すら脅かすということを暗に証明しているようなもの。今の子供達が差別用語すら知らずに大人になってしまうことのほうが怖いような気がします。

エミリー・ローズの「悪のイナバウアー」に対する抗議もそう。作品を観ずにバカなことを言うなと思います。あの部分だけを抽出した広告代理店(かな?)にも問題があるとは思いますが、エミリー・ローズが世の人々に何を訴えようとしているのかを考えれば、下らない抗議なんか出来ないはず。CMはその後復活しましたが、少しでも抗議に屈服したことを恥じるべきでしょう。
先日行われた岩国市の住民投票で、米軍基地移転が圧倒的多数で反対されました。ごみ焼却場、火葬場に反対する住民の心理と重ねる考え方もありますが、議論が全く行われないまま進められた「まず、移転ありき」という国の姿勢に反発したというのが本当のところなのかもしれません。住民による投票とは、論点を分かりやすくまとめないとただの人気投票になりがちです。昨日の自民党圧勝もそう。あれは、郵政民営化の一転に絞り、小泉首相の人気投票でした。
その一方で題目ばかりの議員年金改革や増税が次々と進められています。そういうことは分かる人は分かっていたはず。小泉首相への人気投票を行った人々は、4月以降の給与明細や家計簿に驚愕しても文句を言う資格はありません。ただ、意図的か否かは分かりませんが、そういう可能性をきちんと説明しなかったマスメディアにも責任はあるといえるでしょう。
今の日本には、民意を問うという準備が出来ていません。だからといって定義が実に曖昧な学識者による審議会で簡単な議論をすることだけが民意ということでもありません。今、もし首相の住民直接投票を導入したら、タレント首相ばかりが当選するような結果になるでしょう。ゆとり教育で骨抜きにし、国民から考える力を奪っているのも一因かもしれませんが、国に魅力がないことが最大の要因といえるでしょう。
turipa

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March 17, 2006

東京大学物語

CinemaX第76回目。

監督:江川達也
原作:江川達也
脚本:永田琴恵
音楽:MOKU
出演:三津谷葉子、田中圭、波岡一喜、範田紗々ほか
上映時間:105分
(公式サイトはこちら

「するめ」

ファンも多かったはずの「東京大学物語」の映画化です。はず、ということは、原作を一度も読んだこともないわけです。マイブームが短く深い杭のように何本も突き刺さっている僕の人生にとって、1992年以降に漫画を読むというのは、全くかすりもしない経験だったりします。ただ、原作者の江川達也氏は、テレビや雑誌などの言動をみると、彼の思考回路は、自分にも同じような部分があるのかな?なんて思うこともありました。彼は、ドラえもんが世の中に手放しで賞賛される風潮を懸念していますし(のび太がいつもドラえもんの力を借りてしまい人間的に成長しないため)、共感できる部分も多い。ただ、彼がドラえもんのアンチテーゼとして描いた「まじかるたるるーとくん」は、ちょっと合わないなと思って読みませんでしたが。

前半は少し、まどろっこしく感じました。常盤貴子の若い頃に似て、しかも独特の灰汁を抜いたような三津谷葉子は、グラビアアイドルを脱すべく決意したのか際どいセミヌードを披露するなど並々ならぬ覚悟が伺えました。今後も作品によってはその先もあるのかもしれません。ちなみに伊東美咲も肝の据わっている女優らしく「海猫」あたりでヌードを決意していたらしいのですが、梅酒のCMのイメージダウンを避けてほしいという周囲の反対もあって諦めたという噂もあります。いずれにせよ映画は中途半端なものになってしまったようですが。
同じくグラビアアイドル(他に呼び方があるかもしれませんが)の範田紗々は、ヌードになってさらに際どい演技をしています。2人の覚悟は、それなりに映画の雰囲気にも影響しているように感じます。ただ、その割には主人公、水野遥の人格が崩れています。これは漫画と実写の壁でしょう。この違和感は、監督は気付いていないのかもしれません。上手く説明できませんが、無理のある人物設定でもある統一したテンポでシーンを繋げて流すという手もありますが、この映画独特の懐かしい雰囲気を壊してしまうことにもなりません。もしかすると、主人公が付き合うまでの過程を端折るとテンポが良くなるのかも。原作を読んでいる人は容認出来ないことかもしれませんが。

ターン1までの評価「C」

主人公の水野遥、村上直樹は、僕とほぼ同じ世代なので、親近感が湧きました。あの頃は、携帯電話もありませんでしたから、相手が何を考えているのかをモンモンと考えるしかありませんでした。主人公達のすれ違いも、そうした心理がよく描かれています。すれ違いや恋愛を描いた昔の映画やドラマのほとんどは、携帯電話を使ってしまうとストーリーがぶち壊しになるものばかりです。例えば「君の名は」お互いが携帯電話を持っていれば、数寄屋橋あたりをウロウロしているだけならものの5分で逢うことが出来るでしょう。ぶち壊し。
函館で育った水野遥は、村上直樹の目指す東大を一緒に目指そうと歩み始めます。道外の進学は許されないが、東大だけは例外という親の考えに従うと、選択肢は一つしかありません。地方の娘を持つ多くの家庭では良くあることだったりします。僕の地元でも、国立なら県外OK、ダメなら県内の私立しか認めないといわれていた女子(?)がいかに多かったことか。ただ、このルールも福岡ならともかく、僕の場合は大分ですから、私立となると偏差値がガクンと落ちて、そこに進学するか、看護学校に進むしかなくなってしまいます。
県外に出れば有名私大に通るような実力があっても、やむなく看護学校に進んだ同級生が多かったので、理不尽だなあと思ったものでした。かといって都内の私大に進んだとしても、就職に有利なのは実家の女子大生のようですから、これも理不尽なものです。確かに高校までの鬱憤がはちきれたように遊びまくってしまう人もいましたが、そうでない人も多いはずなのに。だいたい、それが仕事をする上で何に影響するのか、はっきりともしないのに。採用する側の単なるふるいの一つでしかないのでしょう。

主人公2人の人格は壊れていますし、展開も行き当たりばったり。不満だらけなのですが、振り返ると何となく理解出来るような不思議な感じがします。ラストシーンは、おそらく原作と同じなのでしょうか。漫画だと感動できるのかもしれませんが、実写だと意味不明でした。不思議なことを起こすのなら、前半…それが無理でもシーンの前までに不思議なことが起こるんですよーという予兆が欲しいような気がしました。丸腰で土俵際に追い詰められた男が鼻から弾丸を出すようなもの。ちょっと突拍子。ナレーションもいらないですね。欲張りすぎです。

最終評価「B」

手前味噌ですが、僕は小さい頃から物知りだの天才だのいわれ、中学ぐらいまでは「今までのパターンだとこの子は東大に行く」と学校やら塾の先生に思われていたようです。後になって聞いたことですが。でも、最後は学習机に座る癖がついている子供が勝ちなんです。それ以前に、東大行くような人は勉強しなくても通るはずなので、パターンというのは何かの間違いなのでしょう。どういうパターンなのか、聞いてみたいような気もしますが。ただ、物知りというのは認めます。子供の頃の僕は凄かった。
万が一、東大に行っていたら、自信の塊のような恐ろしい人間になっていたことでしょう。エリートコースまっしぐらの自分を想像することはありますが、いろいろな職種を経験して、それこそ社会の底辺までも見てきたつもりです。職業や経歴で何故もこう、人は態度を変えるのかとか、いろいろなものをみてきました。これは、少なくともこの人生でなければ経験できなかったことといえるでしょう。ついでにこの人生は、「万が一」の自分を追うという、中途半端な上昇志向を育んでくれました。だから、ブログも苦にせず続けられる訳です。いつの間にか自分の話に。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月9日
劇場:池袋シネマサンシャイン
観客数:25/156席
感涙観客度数:5%

東京大学物語は、後になればなるほど、映画の「味」みたいなものが甦ってきます。決して良い映画とはいえないのですが、縁側で日向ぼっこをしているような余韻がある映画です。噛めば噛むほど味が出るするめのような(ただしそれほど美味くはない)。三津谷葉子演じる水野遥の気合と存在感が光っていました。原作はそのうち漫画喫茶ででも読破しようと思います。上映劇場は数少ないですが、劇場公開を逃すとなかなかお目にかかれない映画になるかもしれません。ちなみに入場特典として電車の中で読むのもはばかるような小冊子(読切漫画)ももらえます。今のうちに、どうぞ。

ついでに紹介!

アニメ。ちなみに秋葉原の新しいビルから吹き降ろすビル風は殺人的。

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March 15, 2006

Winnyの呪い

再度復帰した市川団十郎、この前の復帰に比べて顔色が悪いですな。もう少し休んだほうが…大丈夫なのでしょうか。

Winnyの呪いが広がっています。数日前の日記でも触れましたが、何を今さらという感じもします。しかも、ニュースで説明されるWinnyの仕組みというのは、あれはWinMXのことでしょうか。「川の中に網を張る」という説明が一番利に叶っているような気がするのですが。
安倍官房長官もWinnyを使わないように呼びかけたり、企業ではWinnyを使わないことを誓約させるケースも出ているようですが、これは異常事態です。エロが絡む以上、一定の利用者が使い続ける限り、キンタマウィルス(データを流出させるウィルス=仁義なきキンタマ)による被害者は後を絶たないでしょう。
プロバイダのようなところが、ウィルスに感染しているパソコンを特定し、連絡をしているようですが、これに便乗して「あなたのパソコンはウィルスにかかっている。削除するためにはここに振り込め」とか「あなたのデータが流出している。削除したければクレジットカード番号を…」などといった新手の詐欺が出てくる可能性があります。
「そんなあほな」と思われるかもしれませんが、ネット初心者はコロッとひっかかるかもしれませんし、Winnyの仕組みすら理解せずに使っている人があまりにも多いことを考えると、充分考えられます。ご注意を。

ところで、「PSE」という表示が物議を醸しています。電気用品安全法。政府はリサイクル社会を奨励しておきながら、やることが逆行しています。おそらくは家電業界を救うための法律でしょう。家電業界の利権があまり大きいとは思いませんが、寄生虫というのは腹の中にもいるぐらいですから、きっと、熱烈にプッシュした議員がいるのでしょう。古本と同じでリサイクルで家電製品が市場に出回るだけではメーカーには一銭も入りませんから。
5年間の周知期間、経済産業省は何をしていた?と言われていますが、5年も前にそんな措置が始まっていながら今の今まで放置していたマスコミも同罪です。例えば、少し前の社会保険改悪でボーナスからガッツリ社会保険料が天引きされるようになりましたが、あれも引かれて初めて「社会保険改革です」と報じたマスコミも同罪。一応、制度への批判はしていましたが、あえて黙っていると思われても仕方がないぐらいの怠慢ぶりでした。
家電関連の公益法人はいくつもあるはずなので、適当に金をばらまいてCMをすればよかったのに。官僚が大好きな仲間由紀江とか菊川怜を使って。小倉優子もタイプみたいですね。ちなみに確定申告のCMはひどすぎますね。何を言いたいのかさっぱり分かりませんし、第一キャベツがもったいない。あんな下らないCMにも莫大な税金が投入されているのかと思うと腹が立ちます。45分働いて15分休むことが出来る役所のクセに(違いましたっけ?)
それにしても特例措置で認められそうな音楽商品の「ビンテージ」って誰がどう決めるのでしょうか。明らかに畑違いの人がそんな偉そうなことを打ち出すと、かえって滑稽です。寅さんのほうがまだマシ。

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March 14, 2006

ズルくなれ

WBC、日米戦の球審のジャッジが話題になっています。どうみたって正当なタッチアップなのですが、ジャッジはジャッジ。ただ、覆したように思えるようなちぐはぐな対応をした審判は、やはり批判されるべきでしょう。米国の監督が球審への抗議で何を話していたかは分かりませんが…
監督(カ)「おい、そりゃないよ、アウトにしてくれよ」
球審(キ)「だめだ、一度セーフにしちゃったんだから。無理いわないでくれよ」
カ「そんなこといわずにさ。そういえばお前、孫は大きくなったのか」
キ「ああ、5歳になった」
カ「可愛い盛りじゃないか。今度、いい洋服屋を紹介するよ。プレゼントにはもってこいだ」
キ「だが、娘とは疎遠だし…」
カ「だからこそ、プレゼントするんだよ。子はカスガイ…いや、この場合は孫はカスガイだな」
キ「本当か?それで大丈夫なんだな?」
カ「ああ、保証するよ」
キ「よし、分かった。アウト!アウト!」
カ「よっしゃー!」
…こんな感じにみえます。なれあい。英語で直接行う抗議と、通訳を介した抗議では、やはり迫力が違います。王監督の抗議も確かにジャパンを背負っているなという感じはしましたが、通訳を介すとパワーダウンしてしまうのは否めないでしょう。疑惑のジャッジですが、よくみると西岡がホームを踏んでも球審は何のジャッジもしていません。面倒くさかったのか、それとも最初からタッチアップのスタートが早いと思っていたので米国側のアピールを待っていたのか。もしそうだとしたら、3塁に送球した時点でジャッジをすればいいわけで、やはり不信感は拭えません。
あの球審のジャッジをみていると、ソルトレイクシティー五輪のショートトラックで、アポロ・オーノ選手を勝たせるためと思われても仕方がないぐらい次々と他国の有力選手を次々と失格させたり、スノーボードで米国選手に表彰台を独占させる出来レースのような判定が思い出されます。これは、ホームの地の利とでもいうべきもので、必ずしも誤審とは限りませんし、サッカーのホームゲームの勢いにジャッジの判定が押されてしまう現象に似ています。ただ、今回の場合は監督も球審も米国人。野球では後進国に絶対負けたくないという思いでは共通していたのでしょうか。塁審、特に3審はかなり中立で印象がいいと思ったのですが。

審判は公平だと思っているのは、もしかすると日本人だけなのかもしれません。野球だって何だって、自国発祥のスポーツでは、どの国でも絶対に負けたくないはずですから。ヨーロッパ発祥のスキーだって、日本の選手が勝ちすぎるとルールを変えて、自分達が有利に戦えるように仕向けてきたではないですが。日本勢が圧勝してしまうターボエンジンを禁止したかつてのF1もしかり。
一方、日本はどうかというと、数少ない日本発祥の世界的スポーツ、柔道では、日本人の審判がジャッジをしても必ずといっていいほど中立です。日本ではそういう行動が美徳と強く評価されるからでしょう。ただ、あれほど反対していたカラー柔道着の導入を押し切られるなど海外の柔道関係者はやりたい放題ですが。
大相撲の行事は誤審の場合は腹を切る覚悟であるという意味で短刀を刺していますが、その考えも日本人の国民性が現れているといえます。やはり日本人は良い人過ぎる人が多いのでしょう。ただ、今回の件で審判は必ずしも公平であるとは限らないことを十分に学習することが出来たはず。良い人過ぎるというのは悪いことではありませんが、国際社会の中ではある程度のズルさも必要なのかも知れません。

ズルさといえば、東シナ海のガス田問題。中国は上手いこと日本の考えている中間線の中国側からストローを突き刺して、天然ガスを日本の分までチュウチュウ吸っています。ただ、中国の認識だと沖縄の沖合いまで領海という解釈なので、さらに問題は複雑。日本は、今までほっぽって置いた尖閣諸島の問題まで切り出され、てんやわんやの状態です。日本側は中国との共同開発を申し出ていますが、資源が少ないとされる東シナ海北部、どだい共同開発なんか無理な尖閣諸島で共同開発をする提案を行ったようです。無理だと分かっているくせに。サルが木の上から柿を投げつけるようなもの。
こっちが譲歩すれば相手も同じように譲歩すると思っているのは、これも日本人だけかもしれません。遠慮も美徳と評価されるからです。 ただ、それも日本人同士限定で、海外だと往々にしてその遠慮した部分に容赦なく付け込まれてしまいます。中国に対しても靖国問題などに配慮して萎縮する必要は全くありません。日本人は、良くも悪くもつくづく良い人が多いのだなと実感してしまいますが、このままではやりたいようにやられてしまうのがオチ。日本人は、もっとズルくなるべきでしょう。ズルくなれ、ニッポン!

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March 13, 2006

茶番

皇太子ご一家が東京ディズニーランド、東京ディズニーシーを訪問しました。何もこれが茶番といっているのではありません。愛子さまだって子供ですから、東京ディズニーリゾートは一度は行ってみたい場所でしょう。ただ、一般市民のように気の向くままに外出すると混乱を招きます。皇族の子供さんたちが外出する際は、ダミーの両親役&ボディガードのような人がくっついて行くことも多いようですが、愛子さまは顔に特徴がありすぎて(父親にあまりにも似すぎて)なかなかそうもいかないことでしょう。ちなみに今回は、テレビ局がこぞって報道していますから、今日の夕刊や明日の朝刊でも報じられることでしょう。もし、記者クラブが宮内庁に「取材をさせろ」と言ったと仮定すると、これには伏線があることが推測されます。
久々にここ何週間か、週刊新潮を読んでいます。週刊新潮では数週間前から、皇太子ご一家が上野動物園や東京ディズニーリゾートに出かける準備をしていることを伝えていました。先日、ご一家が上野動物園に出かけた時は、今回のように大々的にカメラに取り囲まれることはありませんでした。休園日ということもありますが、テレビや新聞には全く(僕の知りうる限り)報じられない一方、週刊新潮では記事と望遠レンズで撮影したような写真が掲載されました。
恐らくこのことに業を煮やした宮内庁の記者クラブあたりの人々が、東京ディズニーリゾートに皇太子ご一家が出かけるのなら、みんなで取材させろとでもいったのでしょうか。お出かけの情報も週刊誌から得たのではないかと疑いたくなるほど。ちなみに、各省庁などにある記者クラブに入れるのは大手の新聞社やテレビ局などだけ。週刊誌は門前払い(某大手経済紙系の週刊誌は別かもしれませんが)のようです。各業界の専門誌も同様に別の記者クラブを作っていますが、大手メディアが牛耳る記者クラブとは差別的な扱いを受けているケースが殆どだと聞きます。これも報道の自由なのでしょう。
ちなみに、こうした記者クラブを廃止し、マスコミ各社から猛反発をくらったのが田中康夫長野県知事。今も変わっていなければ、長野県庁内の記者クラブは情報ルームのようなものになり、市民も入れるようなスペースになっているはずです。あの時の反発ぶりを振り返ると、マスコミ関係者がまるで一般市民と同じにするなと奢っているようなものです。給料のバカ高い会社もありますが、マスコミとは一般市民を高い地位が見下すような存在なのでしょうか。むしろ逆でしょう。

先日、日本銀行が量的緩和の解除を決めましたが、当日、テレビカメラが日銀の記者クラブの中を撮影していましたね。各社の記者やカメラマンがニヤニヤしながら待ち構え、幹事(この人も記者)と思われる人間が高校センバツさながらに電話を受け「量的緩和を解除、広報ルームに集ってください」と呼び込みをします。まるでお祭り騒ぎ。テレビ・ラジオはその晩のトップニュースで、翌日には大手紙が一斉にこのことをトップで報じたのは言うまでもありません。おまけに見出しも内容もほとんど同じという判押し状態。テレビ局が何を意図(ひょっとして仕事自慢?)しているのかさっぱり分からない映像を流してくれたお陰ではかなくも「冷暖房完備の部屋の中でニュースを待っていれば、トップ記事さえ書くことが出来る」ことを露呈してしまいました。ちなみに小泉首相を囲んでいるのは官邸の記者クラブの人々で、あの場にはクラブ以外の記者は入れません。もっと閉鎖的なのは司法関連の記者クラブで、会員でないと事前に何の情報も入ってこないと聞いたことがあります。
IT社会が進む中で、企業や官庁はホームページを通じてニュースリリースを出すようになりましたので、記者クラブへの資料配布(投げ込み、といいます)と同時に更新されるということも増えましたが、存在感が薄くなると感じたマスコミが危機感を感じているのも事実。他方であちこちで情報を開示しろといいながら、手軽に一般市民がニュースソースが得られる傾向が進むことを懸念している人も多いようです。実に矛盾していますが。情報を開示しろというのは、自分にだけ開示してくれることを望んでいるのでは?と勘ぐりたくもなります。

テレビや新聞では「発表した」と表記されるニュースが多いことが分かりますが、これは企業や官庁などがニュースリリースとして発表したもの。各メディアによってニュースが出される理由などの周辺情報の解説などでそれなりに独自色が出ますが、基本的には一般市民でも同じタイミングで手に入れることが可能なネタです。「明らかになった」という記事は、メディアの独自の取材によるすっぱ抜きもありますが、ほんの一握り。相手側のリークか、他社が報じたネタの後追いと察知されないように時期をずらしてすっぱ抜いたように見せかけている書き方もあります。このほか、会見などの場で政治家や企業や官庁の幹部が喋った内容などをもとに記事にすると「明らかにした」と書くこともあります。
本来は、何々会見の場で誰それが喋ったことまで報じると丁寧なのですが、紙面や時間の関係で省略されたり、すっぱ抜きとみせかけるためにあえて報じないという噂もあります。某大手経済紙が掲載する企業系の「明らかになった」は、殆どがリークという話もありますし、道路公団民営化問題で推進委(というかあの人)が直接流しているとしか思えない調査資料みたいなものが「明らかになった」といって連日掲載されたのは、球界のドンがボスを務めるあの新聞でした。リークを受けるというのはそれだけ信頼があるという見方も確かに出来ますが。

日銀のニュースはあくまで量的緩和を解除しただけ。ゼロ金利は維持。今後、世間が大騒ぎしてローンに殺到したりすると金利が上がる可能性はありますが、マスコミが報じることで大騒ぎになるのは当たり前。他人の家に火をつけながら、火事だと叫びながらカメラを回しているようなもの。マッチポンプ。日銀のニュースは、翌日の一面を飾るなということが簡単に予想できましたが、数年前の毎日新聞のように数日間張り込んで「神の手」と称された考古学者の捏造報道のようなすっぱ抜きも期待していました。あの時は毎日以外の新聞のトップ記事は判を押したように同じでした。
ちなみに、夕刊紙ですが東京スポーツのこの日のトップ記事は確か「ネッシー怒る」だったと記憶しています。東スポは、大手メディアや同業他社が同じようなネタを報道し始めると、その間隙を縫うように全く違う記事を扱う傾向にあります。むしろそれを使命と感じているのではないかと思えるほど。確か、日本中のメディアが白装束の集団を面白おかしく追いかけるなか、突然、宇宙人のニュースを報じたのは東スポでした。この揺さぶりが、名実ともに日本一の夕刊紙と呼ばれる所以なのでしょう。同じようなことをやれば埋もれてしまう…マスコミ各社の中で東スポが最も危機感を感じているのかもしれません。
otoshimono

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March 10, 2006

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女

CinemaX第75回。

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女
監督:アンドリュー・アダムソン
製作総指揮:アンドリュー・アダムソン、ペリー・ムーアほか
原作:C・S・ルイス
脚本:アンドリュー・アダムソン、クリストファー・マルクスほか
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ウィリアム・モーズリー、アナ・ポップルウェル、スキャンダー・ケインズほか
上映時間:140分
(公式サイトはこちら

「失敗した!」

かなり前から予告編が放映されていたナルニア国物語です。ディズニーがありったけの金を注ぎ込んだ大作との噂もありますし「ディズニーならではのファンタジー」と手放しで賞賛する人もいます。ちなみに、一年も前から予告編を流すのは、宇宙戦争を彷彿とさせます。あの時はすっかり騙されてしまいましたが。その点、ナルニア国はどうよ?

ナルニア国物語は、原作モノの映画化です。CinemaXでは、原作モノの場合は「原作を読んでいない人がいかに楽しんで観ることが出来るか」という点を重視しますので、僕が原作を読んでいる場合は、与太話の部分以外は読んでいない人のつもりで評価し、読んでいない場合はそのまま、素直に評価するようにしています。ご了承下さい。

ちなみに、「ナルニア国物語を楽しめないのは、原作を読んでいないからだ」という意見もありますが、観客に原作を読むことを強いるのは、海外旅行に行くのにジェットエンジンの整備が出来るよう準備をしておけというようなもの。本末転倒です。本来は、映画を観て「原作も読んでみようか」というのが筋。それだけ面白かったというバロメーターにもなりますし。

ナルニア国は、スタートからたるい感じでした。特に、ナルニア国に入り込むまでが長すぎる。第何次かの世界大戦の頃に疎開した兄妹を追っているのですが、ナルニア国以外の時代背景の説明をたらたらとする必要があるのかと思いました。こういう場合は、スクリーンから眠ってもいいよ光線を感じてしまうわけで…。

テンポの悪さもさることながら、4兄妹の人物設定の甘さも目立ちました。特に一番下の妹。子供の言葉じゃありません。子供だって背伸びしますが、これは大人のセリフを小さな子供に無理矢理喋らせているだけのこと。ハジメちゃんのように、ずば抜けた天才という設定なら別ですが「おませさんねえ」と目を細めるには度が過ぎています。

4人が揃うと事態はさらにひどくなります。一番下の妹は、悪い悪いといいながらも特長があるのですが、あとの3人は順繰りにセリフを喋らせているとしか思えないひどさ。
長男「これは白だよね」
次男「ああ、白だよ」
長女「違うよ、黒よ」
次女「黒に見えるわ」
長男「黒だろう」
次男「黒、黒」
長女「白だって言っているでしょ」
次女「どう見たって白よ」
彼らの言っていることはちぐはぐで、人格もズタズタです。戦争なんか嫌いだから帰りたいといっておきながら、都合よく現れたサンタから武器をもらうとニンマリ。戦争に反対しているかと思ったら、騎士の格好をして喜ぶ兄弟。他にも都合よく黙りこくったりベラベラ喋ったりする次男もひどいですが、長女の二重人格ぶりがとくにひどい。結局はニュートラルな長男が一番マシなのですが、ニュートラル過ぎて面白くもなんともありません。最後に椅子が4個あるから、4人を出しているというだけなのでしょう。原作に忠実にする必要がないのなら、4人兄妹である必要はないのかもしれません。

琴欧州みたいなカモシカ男と次女のやり取りも最低。ハンカチでちょっとしたエピソードを作って、最後のシーンにひっかけるのですが、これも下心アリアリで興ざめ。伏線とは赤外線バリアみたいなもので、観客に見えてしまっては意味がないのです。ところが、行き当たりばったりのナルニア国は、荒縄のように伏線が張られている…これで話にのめり込むのは至難の業かもしれません。

ターン1までの評価「E」

ナルニア国は、世界を股に掛けて撮影が行われましたが、その割に活かせていないような気がします。最後の「ゆかいな動物怪物大戦争(?)」のシーンはそれなりに見応えはありますが、雪に囲まれた大地ははるばる遠くに撮影に行かなくても書き割りでもいいのかな?なんて思います。

ナルニア国で気になるのは、やはりご都合主義の展開です。長女が驚きながら「ビーバーが喋っているわ」と現実的な面を見せたかと思えば「鳥が呼んでいるわ」と突然歩き始めて都合のいいポイントに行ってしまったりという都合の良さ。人だけでなく犬(オオカミ?)も、嗅覚の鋭さを発揮したかと思えば、そういう能力が出てしまうと不味いシーンでは、すぐ隣にいる人間すら嗅ぎつけられないという都合の良さ。サンタクロースも、これまた都合良く現れて、未来を予期したように兄妹たちに的確な武器をプレゼントします。見た目が同じでもシーンによって人格が全く異なる不思議な映画。まさに「別人過ぎるよ!(Byガスパッチョ)」です。

このほかにも「滝つぼの氷が溶ける!」といって、予告通り氷が溶けはじめたり、まるで超能力者のようです。いや、仮に超能力者になるのは別にいいのですが、その過程がないと観ている側がさっぱり話しにのめりこめません。他にも、次女が滝つぼに飲み込まれたかと思えば、すぐに現れたりとか、付け焼刃のハラハラもたっぷり。

第1章として、続編が期待(実はしていませんが)される展開ですが、無果汁のオレンジジュースを何倍にも薄めたような薄っぺらい展開が気になります。特に前半のまどろっこしさを考えると、少ないエピソードを掻き集め、無理矢理2時間に伸ばしたのではないかと。疑いたくなるほど。どうせなら、第一章を半分ぐらいの長さにして次の章のエピソードを足すぐらいの優しさが必要だったのではないでしょうか。

周囲のキャラクターも凄いんです。都合よく敵陣にやってくる女王と、どれぐらい偉いのかがさっぱり分からない救世主のライオンが、兄弟の処遇を巡って「密談」をするのですが、テントに入って、小一時間経って出てくるだけ。交渉の過程を端折ってしまっています。これでは面白い映画にするための挑戦を自ら放棄しているようなもの。3分クッキングどころではない端折り方です。

ターン2までの評価「E」

後半の流れを説明しますと、都合よく眠れなかった姉妹が、ライオンが殺されにいく現場に出くわし、一部始終を何もすることなく目撃する。兄弟は、「ゆかいな動物怪物大戦争」に参加し、彼らにライオンが死んだことを伝えるため、突拍子もなく木にお願いする。中学の同級生に「みんな、静かにして…木が喋ってる」と言ったり「教室の壁にキリストがいる!」と泣き出す不思議ちゃんがいましたが、同じようなレベルです。展開としてはまさしく木に竹をつなぐようなもの。めちゃくちゃ。

最後の「ゆかいな動物怪物大戦争(くどい?)」は、見応えがありましたが、氷の女王に殺された(はずの)仲間が、暖めると次々と生き返るのには呆れ帰りました。自ら「何でもアリの無茶苦茶な映画ですよ」と言っているようなもの。大きなトーナメントが終わると、帳尻が合うように超人が生き返るキン肉マンのようです。そういうわけで大団円で終わった第一章。ライオンの地位や凄さがさっぱり分かりませんでしたが、果たしてナルニア国に次はあるのかないのか…第二章も絶対に観ようと思います。はぁ、失敗した!

最終評価「E」

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月4日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:120/296席
感涙観客度数:10%

ライオンが死んだくらいで泣くな!アホか!

ついでに紹介!

「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」主人公(もちろん、ドラえもんやのび太)がタンスならぬ床下から異空間に旅立つ物語。「のび太の恐竜」に続く劇場公開第2弾として影は薄いものの、泣けます。僕のイチオシ。劇場版ドラえもんも25周年を迎え、映画ドラえもん25周年オフィシャルサイトなんちゅうのも開設されています。ちなみに今ではすっかり独り立ちし、東宝アニメのドル箱になっているドラえもんですが、第1弾の「のび太の恐竜」は信頼性に乏しかったからか「モスラ対ゴジラ」と同時上映でした。

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March 09, 2006

信念

新橋はある時期になるとリクルートスーツの大学生で溢れかえります。特に秋口と、今の時期は、喫茶店でバカでかい声で情報交換をする若者が激増します。この文章を書いている目の前でも、3人組の男子大学生がデカい声で話し合っています。広告代理店で人気が高いのは、電通でも博報堂でもなく、ADKだそうです。ふむふむ。出てくる企業名は全て一流企業ばかり。日経225をなぞるような企業名のオンパレードにお前ら業種ぐらい絞れよと言いたいところですが、その前に周りがその騒音にどれほど迷惑しているかぐらいは感じてもらいたいものです。さぞかし一流大学の学生さんなのでしょうが、就活(僕のころはこういう略語は使いませんでしたが)にすっかり陶酔している彼らには無理ですかね。
ちなみに、秋口は、明らかにアナウンサーの面接を受けていると思われる女子学生が急増します。判を押したようなリクルートスーツ、特定の芸能人を模したような風貌の学生も多く、これで採用する側が将来性を見出すのは至難の業でしょうな、と気を揉んでしまいそうになります。誰かに似せているなと思われた時点で負けですからね、ほんとに。最近では、エロかっこいい路線での売り方が的中したことで、「理想の女性は倖田來未」という若い女性が急増しているようですが、少なくとも3年前にそう言え。おんどりゃ。

北海道で耐震強度の偽装が発覚しました。もっとも、当の二級建築士は「信念のもとにやった」と意図的な偽装を否定していますが、二級建築士がマンションの設計をやるということ自体が問題。運転免許を持てない小学生のガキが「信念を持って運転したので、安全に運転できると確信していた」と言うようなもの。論点がズレています。この人、ユーモアのセンスはあるのかもしれません。天然?
そもそも、耐震強度の計算そのものの曖昧さが指摘されるようになってきています。聞けば入力する数値の僅かな誤差やソフトによっても異なってくるらしいということ。本来なら1㎡に直径何センチの鉄筋何本とか、分かりやすい指標があればいいのでしょうけど、ましてや様々なデザインの建築物が林立する現代ですから、そうもいきません。
都市再生機構では、住民から問い合わせのあったマンションの構造計算書の一部を紛失してしまったようですが、これが仮に、耐震構造の偽装が発覚したがために故意に紛失したとするならば問題です。問題の火種を消したから逃れられるという風潮は、絶対に許してはなりません。ましてや都市機構の前進は住宅都市整備公団。国の影響が大きい天下り先です。所管する国土交通省は実態調査に乗り出すようですが、隠蔽のないよう、国民も注目していく必要があるでしょう。民間なら逮捕されて、国がやったのはもみ消されてはたまりませんから。
騒音おばさんで話題になった奈良県平群町が、騒音の基準を設定しました。目に見えないものに安易な基準を設けることに疑問を感じますが、規則で雁字搦めになる世の中を望むM系市民と、自由と自分勝手を履き違えたS系市民の賛否両論がぶつけ合う光景が浮かんできます。そもそも耐震強度と同じように、騒音も具体的な基準を設定するのが難しい。それなのに簡単に決まりを作って、「ああ、安心して住めるようになったね」と胸を撫で下ろす感覚がバカバカしいです。もし、不潔なゴミ屋敷からゴキブリが隣家に侵入してきた時、「隣からのゴキブリは3匹まで。それ以上は違反」と決まりをつくるようなもの。

P2Pソフト「Winny」による被害が多発しています。ご存知かもしれませんが、Winnyは、川の流れに網を張るようなソフトで、例えば、特定の音楽データなどを指定して網を張り続けてデータの小さな部品を救い続け、全てたまったところで音楽データとして再合成するようなソフトです。自分は常に川の中にいるので、堰き止めるわけにはいかず、自分からも流れを作る必要があります。前述の音楽データの部品も再び流れ出ていきますし、自分が指定した特定のフォルダ内のデータも、粉々に分解されて流れ出ていきます。
ところが、キンタマウイルスというウイルスに感染すると、特定のフォルダだけではなく、パソコン内の全てのデータを流出させてしまいます。これが多くの事件の根幹となっているわけです。キンタマウイルスそのものはかなり前から存在しており、「感染者」の多くは、キンタマウイルスで流出した写真を観ようとファイルを開くと、そのファイルそのものがキンタマウイルスが偽装したものだったという、現在の偽装の先駆けのような笑えない方法で感染してしまうのがほとんどのようです。
ニュースでは、警察や自衛隊など重要情報の流出が報じられていますが、それだけに限らず、個人で撮影した際どい写真なども流出しています。Winnyは著作権侵害などの違法性の高い面もありますが、本来はWinMXなどのように個人同士のやりとりを介さずデータの交換が出来るというユニークな部分があり、将来性が期待されていました。例えば、個人が撮影した風景写真を多くの人に見てもらったり、自分の小説や音楽を多くの人々に知ってもらいたいという場合など、著作権の問題さえクリアできれば可能性は無限大だといえます。
ところがWinnyは、開発者が逮捕され、主のない廃墟の状態にあります。合法的な利用を広めようとする動きもありますが、無修正映像や映画や音楽データを金をかけずにダウンロードしようという下心が手伝って、その後も多くの利用者に愛用(?)されています。爆発的な利用者増加の背景は、ビデオデッキやインターネットの普及と似ています。

最近のWinnyによる警察の捜査情報などの流出は、開発者を逮捕した警察が、彼が残した爪あと(つまりWinny)に手を焼くという滑稽な状況になっています。罠を仕掛けた猟師をうっかり殺してしまい、罠がどこにあるのか分からず、山道で次々と罠を踏んでしまい、途方に暮れている地頭のようです…例えがムチャクチャですね。いつも以上に。Winnyを使うときは、それ専用のパソコンにインストールしてご使用下さい。それでも万全ではないのですが。
chockin

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March 08, 2006

シムソンズ

CinemaX第74回目。

シムソンズ
監督:佐藤祐市
製作総指揮:榊原信行
脚本:大野敏哉
音楽:佐藤直紀
出演:加藤ローサ、藤井美菜、高橋真唯、星井七瀬、大泉洋ほか
上映時間:113分
(公式サイトはこちら

「失敗した!」

「燃ゆるとき」同様、「ちゃらい」と表現してしまった「シムソンズ」です。「ALWAYS三丁目の夕日」のロングラン、「男たちのYAMATO」の無理無理な拡大ロードショーの一方、3月公開の映画が割に、2月封切りの映画はどれも短命に終わる傾向にあります。「シムソンズ」も例外ではありませんが、配給会社や劇場のその判断は正しいのか、考えてみましょう。

主人公は、加藤ローサ、藤井美菜、高橋真唯、星井七瀬など若手のタレントを集めました。佐川急便の加藤ローサ、サボテン「あっいてっ!」の藤井春菜、元なっちゃんの星井七瀬など見覚えのある顔ぶれ。なかでも高橋真唯は、老け顔でしかも目が充血していたノーローンのCMとは全く違うイメージで驚きました。
「シムソンズ」は、冒頭から面白さが滲み出ています。シーンの繋がりはテンポが良く、立体的に重なっていきます。僕が言う「ちゃらい」は、ワンアイデアで映画を作ってしまうような安易さをあらわすもので、ウォーターボーイズ、スウィングガールズも僕にとっては「ちゃらい」映画です。シムソンズも実話をベースにしているので「ああ、またか」と思ったわけです。トリノオリンピックの女子カーリングの時期を狙い撃ちし、便乗商法のようなセコさも感じましたが、それらの偏見(?)を吹っ飛ばすぐらい面白い内容であることは確かなようです。

ターン1までの評価「A」

「シムソンズ」は、展開もさることながら、ナレーションも面白い。主人公の4人は女優としてのキャリアは殆どないはずなのですが、演技はそれぞれなかなか味があって面白かったりします。特に、積極的に街に出て、スカウト待ちをしていたという加藤ローサは、芸能界での生き残りをかけるような熱意すら伝わってきます。コーチは、北海道限定のタレントから、すっかり全国区の俳優という印象が根付いた感のある大泉洋。北海道の星をこれまで支えてきた道民の方々は、彼の活躍をどのように感じているのでしょうか。インディーズバンドがメジャーになるような、複雑な思いを感じている人も多いのかもしれません。
「シムソンズ」の舞台は、北海道の隅にあるカーリングのさかんな常呂町という町なのですが、脚本や演出でもこの町の特徴である①何もない②名物はホタテをいかんなく引き出しています。一生町に暮らし、骨を埋めることを想像して絶望感に浸るかと思えば、町から外に出してくれる「キラキラしたもの」をただ漠然と夢見たり、こっそり友人を覗いていて、ホタテの貝殻を踏んで音を立てて見つかってしまったり、ホタテ10キロより憧れの選手のサイン入りタワシに目が眩んでしまったりとか、主人公たちは、街に溢れかえるホタテに飽き飽きしているなど、考えようによっては小馬鹿にしているような内容なのですが、親しみすら感じるのが不思議です。とにかく、何でもかんでもホタテというくどさが面白い。
「シムソンズ」は、カーリングに情熱を燃やす少女達という、一見、直球そうな内容なのですが、実際は変化球が織り交ぜられ、観客は心地よくその展開に振り回されます。例えば、カーリングで一番大事なことを問うシーンがありますが、コーチたちは答えそうで、その場では答えない。ただ、この疑問も最後にきちんと拾ってくれます。大掛かりのものでなくても、歴代の表彰ペナント(?)の中で何故か一つだけ色が違うという疑問を、次のシーンできとんと拾う。しかもそのエピソードは、映画の重要なテーマの一つでもある…全てが立体的に絡んでいるわけです。加えてセリフも、それぞれの人物が心の底から喋っているような「生きたセリフ」が散りばめられています。こういう場合は、ある程度クサいセリフでも、何故か浮いたように感じられないのが不思議です。

ターン2までの評価「A」

唯一、残念に思ったのは、これまで突っ張っていた尾中美希(藤井春菜)が突然、心変わりをして、シムソンズに打ち解けてしまうことでした。突然変化するのならその瞬間、ゆっくり変化するのならその過程を丁寧に描くと、この映画の魅力がさらに増すことでしょう。特に演ずる藤井春奈は、魅力たっぷりですから。あと、伊藤和子(加藤ローサ)の失恋のシーンもいらないかもしれないですね。前半の伏線をしっかり拾うという丁寧さは素晴らしいとは思いますが。
後半にも、あちこち観客に対する揺さ振りが仕掛けられています。例えば、これまでスキップを務めてきた尾中が、伊藤に交代を申し出るシーンとか。何故、交代を持ち出すのかは、伊藤、尾中など数少ない登場人物と観客以外にしか分かりません。登場人物はその理由を口にしませんから、観客はこれまでの展開と照合して「尾中美希は、先のことを考えて、交代しようと言ったんだな」と理解できるわけです。高度じゃ!
「シムソンズ」は、主人公の成長も描かれ、加えて演じる加藤ローサをはじめとする彼女たちの成長をも伺える面白い映画でした。彼女達は、アイスシートの上で何度も転倒し、青あざを作りながら奮闘したことでしょう。ちなみに4人のうち、小野菜摘を演じるノーローン、高橋真唯の筋が良いように感じました。ちなみに、小野菜摘というキャラクターは、トリノオリンピックでスキップとして活躍した小野寺歩さんにあたり、星井七瀬が演じる林田史江が、林弓枝さんに該当するようです。ソルトレイクシティーではどちらかといえば裏方で支える立場だった2人が、トリノではチームを引っ張っていったということになります。この辺りの彼女達の成長も興味深いですね。谷口から丸井、五十嵐、近藤、五十嵐弟へと引き継がれるキャプテンみたいです。

最終評価「A」

ラストシーンは、実は2つの選択肢があることがわかります。 最期のショットが成功するかしないか。製作する側はどちらを選択しても映画は終わります。ただ、この選択肢でも、観客に対する見事に揺さ振りが仕掛けられています。いい映画とは、シーンがペストな組み合わせで立体的に重なっていくものだと言う人もいます。例えば、現在のシーンから次のシーンに移るにはいくつかの選択肢があります。その先にはさらに選択肢が枝分かれしています。常にベストの選択をしていかないと、スムースにベストなエンディングには到達しないという考えです。
逆に考えれば、妥協してベターのシーンを繋いでいけば、ベターな映画にしかならないということになりますが、「シムソンズ」は、ベストな選択を重ねながらシーンが繋がっているようです。いい映画はその繋ぎ目すらなかなか見えないのですが、偶然にも最後の最後で表に突き出したダイヤモンドヘッドのようなラストシーンへの選択肢の妙を楽しむのも一つの手だといえます。
ラストシーンでの加藤ローサの涙にもこれまで積み重ねられた重みが生きていますし、グリーンのジャージに身を包んだ後日談、一枚の写真、最後までなだれのように「これでもか!」と押し寄せてきます。秀作!ちゃらいなんて言って、失敗した!

残念ながら劇場公開が終了しているシムソンズですが、非常にもったいないような気がします。取り込み詐欺のように短期集中でナルニアを上映するよりは、シムソンズをロングランさせたほうが、よっぽど日本の映画ファンのためになるかもしれません。シナリオを勉強するうえでもさまざまな技術が盛り込まれている映画だと言えます。必見!

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月4日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:40/130席
感涙観客度数:80%
この作品を観て流す涙は、登場人物のこれまでの生き様の蓄積があふれ出したもの。誰かが訳もなく突然死んだりとか、その場限りの涙と比べてみてください。質が違います。

ついでに紹介!

僕が「ちゃらい」と表現したのは、これらの映画と同じようなものかな?と思ったのも理由の一つです。学園モノ…特に部活モノの映画は、たまに観るといいものですが、生活感を描く必要があまりないなど設定が比較的簡単なだけに、あまり乱発すると観る側も飽きてしまいます。シムソンズは学校というカセがほとんどなく、それぞれの生活も多く描かれているのでこれらの映画とは少し異なります。どれも実話をベースにしているという点では、共通していますが。それにしてもシムソンズはシーンの組み立てが上手い。

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March 07, 2006

シリアナ

CinemaX第73回目。

シリアナ
監督:スティーヴン・ギャガン
製作総指揮:ジョージ・クルーニー、スティーヴン・ソダーバーグほか
原作:ロバート・ベア
脚本:スティーヴン・ギャガン
音楽:アレクサンドル・デプラ
出演:ジョージ・クルーニー、マット・デイモン、ジェフリー・ライトほか
上映時間128分
(公式サイトはここ

「オリンピック」

「シリアナ」は、ゲイ、テロ、人種差別など変化球が多いといわれる今年のオスカーノミネート作品の1つです(シリアナは助演男優賞=ジョージ・クルーニーが受賞)。シリアナは、米国のシンクタンクの造語でシリア、イラン、イラクを指すのだそうです。日本でも社会科で習いますが、かつて欧米列強などが、アフリカや中東、アジアなどで自分達の都合のいいように国境を引き、時に新しい国を作ってきました。シリアナは、その頃の発想と似ています。
実際に米国の思惑通りシリアナを建国した場合、イラン、イラクの油田からシリア国内を通じて地中海側にパイプラインを引き、スエズ運河を介さず欧米(スエズ以西)に容易に石油を輸出することで莫大な利益を得るという、米国にとって極めて有利な国になります。映画そのものは、シリアナの実現に向けた行動を直接的に描いているわけではありませんが、、米国の都合のいいように中東某国を操ろうとする姿勢は随所にみられます。

「シリアナ」は、元CIA工作員の原作をヒントに描かれていますが、どこまでが事実なのかは、分かりません。ただ、原作(まだ途中までしか読んでいませんが)よりも時代は新しく、中国資本のシーノック(中国海洋石油)が、米国の石油会社ユノカルを買収しようとしていたあたりを描いていると推測されます。この時は米国が露骨に介入し、中国資本の参入を阻止し、米国は石油が絡むと目の色が変わるということを、皮肉にも世に知らしめたことになりました。
映画では、コノックス、シリーンという石油会社が登場しますが、これがシーノック、ユノカルにあたるものと推測されます。王子2人が後継を争う中東の某国とは、世界一の石油生産国、サウジアラビアを指すのでしょう。ただ、水や安全と同じように、エネルギーも欲しい時に得られると思う人が多い日本では、これらの問題はピンとこないかもしれません。

ターン1までの評価「B」

この映画は、題材もテーマも重く、ここ数年ハリウッドを席巻していたファンタジーやアメコミ原作とは全く異なるもので、見応えこそありますが、終始、複雑で難解な人物関係に悩まされました。調べてみると、CIA、、中東某国、米司法省、米石油会社の4つの勢力がストーリーに絡んでいるようです。おんどりゃZZか。そういうわけで、話のおおまかな筋は分かっても本当に映画を味わうには、最低3回は観なければならないような気がしました。もしかしたら、ジョージ・クルーニー扮するCIA工作員の行動よりもむしろ、エネルギーアナリストと中東某国の王子との関係にスポットを当てると、分かりやすくなったのかもしれません。
「シリアナ」は、並行していろいろなエピソードが進行しますが、それぞれのエピソードが直接的に絡むことはないという不思議な構成で成り立っています。そのことがこの映画を余計ややこしくしているのかもしれませんが、エピソードそのものは重く、見応えはあります。特に貧困にあえぐ若者と、王族の想像もつかない富との対比を表現したような後半のモンタージュは、見所です。

ターン2までの評価「B」

この映画がどこまで事実であるかは分かりませんが、単に「米国けしからん」と憤るだけなら、全く意味がありません。石油利権に目がくらみ、大義名分をでっちあげてイラクを攻撃をしたのも米国ですが、シリアナのような際どい映画を製作・公開し、アカデミー賞にノミネートして評価しようとしているのも米国です。米国の行動を批判するよりもむしろ、人為的に国境の線引きをすることがこれまでどれだけの悲劇を招いてきたか、人間はその歴史を何故、繰り返そうとするのか、あらためて考えることが必要なのであり、そういう行動を喚起するという意味では、この映画の存在価値は充分にあるといえるでしょう。
「シリアナ」を観て感じたのは、「無知」の恐ろしさです。例えば、米国は、中東産油国の主権を尊重しているようにみせかけて、実際は自分の思い通りコントロールするために、王族など国を牛耳る一握りの人々にそれなりの利権を与え贅沢をさせることで、しっかりと国を治めようとするような「知」を奪う。「知」と「富」が必ずしも一致していないことに注目せねばなりません。
それでも、映画に登場するナシール王子のように、米国に偏る構造を疑問に思う人間が現れると、容赦なく暗殺し、それが国家全体に広がると「テロリスト国家」として非難を始め、エスカレートすると難癖つけて攻撃も辞さない。一方、貧富の差が激しい中東の国内では、教育の場が少なく「知」を奪われている貧困層の若者をテロリストらがコントロールして、彼らの欲する「知」を歪曲して、自爆テロなどの行動に狩り立てます。これも一種の「知」のコントロールということになります。
「知」と「無知」の差を利用して相手を支配し、支配下の人間たちの教育の機会を奪い、反乱する手段すら思いつかないように骨抜きにするというのは、時代・地域を問わずあちこちで行われてきました。かつて多くの植民地を抱え、支配してきた欧米列強の手法にも通じるものがありますし、ネイティブアメリカンから僅かなガラクタと引き換えにマンハッタンを奪った白人移民のようなケースも、似たようなものかもしれません。

最終評価「B」

存在価値のある映画ですが、一度観ただけでは分かりづらいので、勝手ながら評価「B」としました。ややこしい映画ですが、チャレンジしただけでも充分に意義のある映画といえるでしょう。参加することに意義がある。つまり、オリンピック。「シリアナ」は、アカデミー賞にノミネートされたので、日本では無条件に人気が出る可能性があるのですが、平和ボケの日本人にとって、やはりとっつきづらい内容であることに変わりはないでしょう。ただ、この映画を通じて中東情勢に興味を持つのは意味のあることだと思います。石油輸入の9割を中東に依存する日本にとって、決して他人事ではありませんから。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年3月6日
劇場:丸の内TOEI②
観客数:40/360席
感涙観客度数:10%
(場内の鼻すすり音で推定)

ついでに紹介!

原作本「CIAは何をしていた?」

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March 06, 2006

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

CinemaX第72回目。

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々
監督:マルク・ローテムント
脚本:フレート・ブライナースドーファー
音楽:ラインホルト・ハイル、ジョニー・クリメック
出演:ユリア・イェンチ、アレクサンダー・ヘルトほか
上映時間121分
(公式サイトはここ

「心理戦」

鑑賞から少し時間が経つと、自分で書いたメモが読み取れなくなるのですが、今回はその典型。どこまで当時の記憶が甦るか。第二次大戦のドイツ、劣勢になりながらもなお戦争を続けるナチスを批判する白バラというグループの紅一点、ゾフィーという若い女性が主人公です。詳しくは、いつものようにあらすじを詳しく紹介した映画系ブログや公式サイトをご覧下さい。
白バラは、ナチスを批判するビラを作り、国内の人々に発送するという活動をしています。ゾフィーとその兄、ハンスは、大学でビラを大量に撒いたとして、ゲシュタポに逮捕されます。そのまま逃げていればバレなかったのに、戻らなければよかったのにという「あーあ」感が良く出ています。ただ、この映画の中心はゾフィーが逮捕されてからです。
ナチスドイツの時代を扱った時代なので、最近ではヒトラー~最期の12日間~のように、展開としては少し派手なものかと思いましたが、実際にはひたすら尋問官との取り調べが続く地味な展開です。ただ、矢継ぎ早に嘘をつくゾフィーと、何とか容疑を固めようとする尋問官との心理戦が見所です。ひたすらセリフ。カメラのアングルを切り替えるので、舞台を観るような感じでもありませんが。
やがてゾフィーの嘘はばれ、収監されます。ただ、長い心理戦の中で尋問官は、ゾフィーの強さに魅力を感じたのか、今で言う司法取引を持ち出しますが、彼女はそれを断ります。釈放されるかもしれないというのに。尋問官が彼女に向けた情けや、ゾフィーの信念を貫く強さは、日本人の感情を充分揺さぶるものといえますが、一方で、全体的に動きがないだけあって、足りない部分も多い映画でした。「父親に素直に生きろと言われた」とか、セリフだけでなくそういうシーンがあれば、展開が分かりやすく、面白くなったのかもしれません。ただ、動きのなさがこの映画の魅力の一つだともいえますが。

前半までの評価「B」

後半の見所は、ゾフィーと兄、その仲間の裁判です。弁護人も検事も、判事もナチに洗脳されているという、圧倒的に不利な状況での裁判ですが、その場で吐くゾフィーのセリフが、取調室で吐くセリフ以上にこれまた凄い。セリフだけで観客の心を揺さぶろうとするのは大胆不敵ですが、上手いことツボハマると泣かされます。この手の映画は年配の観客が多いのですが、その多くが涙していました。やはり戦争が絡む映画は、戦争経験の有る無しでアンテナの志向性が違い、年代によって解釈が大きく変わってくるのかもしれません。
この映画は、エンディングも見所です。裁判で有罪判決を受けたゾフィーらは、最低99日という猶予期間を無視して処刑されてしまいます。そのシーンが凄い。血しぶきが飛ぶという凄惨なものではありませんが、情報量の少なさの割に処理出来ないほどの衝撃を受けます。上手く説明出来ないので、実際にご覧下さい。
体勢に反抗することすら許されない戦時下のドイツで、戦争に反対し続けたゾフィーの凛々しさは、ユリア・イェンチの演技からも伝わってきますが、エンドロールで登場する実際の彼女の写真からもその強さが感じられます。歴史上はあとわずかでドイツは降伏します。そのことは彼女らは知る由もありませんが、信念を曲げれば生き残ることが出来たと分かっていながら、あえて貫き処刑される道を選んだというのは、多くの日本人の心理と通じるものがあるのかもしれません。

最終評価「B」

映画の良さが分かる要素の一つに「エンドロールで席を達人の少なさ」というのがあります。特に観客の年齢層が高くなると、エンドロールが流れるとざわざわ席を経ち始める人が増える傾向にあるような気がします。戦争絡みの映画(特に第二次大戦)になると、必然的に年齢層が高くなり、白バラの祈りもそうだったのですが、席を達人は殆どいませんでした。劇場の構造によってはスクリーンに人影が無数に映り、ドアの開け閉めで場内が明るくなってしまうというムカつく状態になるのに、誰も席を立たないというのは、やはり脅威です。
ゾフィーのような存在は、戦時中は影に隠れ、その後も歴史の表舞台に出ないので、戦争を知らない僕にとっては消化が難しい内容なのですが、戦争を経験したお年寄りには、戦時中に感じていたことなどに共通する部分があるのかもしれません。国民全てが戦争に賛成していた訳ではないでしょうから。例えばゾフィーのように、空襲を受ける東京のどこかの監獄で空を見上げながら「戦争終われ」「戦争終われ」と祈っていた政治犯のような人々もいたかもしれませんし。

白バラの祈りには、ユリア・イェンチの眼力、吐き出すセリフの重さなど彼女の魅力が詰まっています。ドイツ映画界期待の新星といわれているようですが、若い割に落ち着きもあり、ギアチェンジのいらない息の長い女優になりそうです。更新が遅れている間に劇場公開もあと僅かになってしまったようですが、是非、劇場に足を運び、取調室、法廷でのシーンは決して見逃さないようにして下さい。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月21日
劇場:シャンテシネ
観客数:40/204席
感涙観客度数:50%
(場内の鼻すすり音で推定)

ついでに紹介!

ヒトラー=悪という描き方一辺倒だった映画が多い中で、趣を変えた「ヒトラー最期の12日間」それだけに批判も多かったようですが、物事をいろんな角度をみるうえで、存在価値のある作品。CinemaXのレビューはこちら

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March 05, 2006

アカデミー賞ごっこ

先日、友人たちとの会話ででドラえもんが話題になりました。若い世代には「ドラえもんは、F(藤本弘)が亡くなり、A(安孫子素雄)が描くようになって面白くなくなった」と思っている人がいるようです。うぬぬ。なんじゃそりゃ。藤子不二雄が合作していたのは初期のオバケのQ太郎までで、その後は完全に分業されています。僕の記憶では、藤本氏の死に際し、安孫子氏が「僕にはドラえもんは描けない」とコメントを出したはずです。
藤本氏が膨大なアイデアを残して他界したともいわれるドラえもんはその後、残った方々(たぶん藤子プロの人たち)が遺志を継ぎ、新しいアイデアなどについては、テレ朝が主催するシナリオコンクールの選考通過者などの力も借りているはずです。「今までと違う」という批判も多いらしいですが、恐らくこれまでのほとんどのストーリーとひみつ道具が頭に入っているであろう藤本氏と「私だったらこういう道具があったらいいな」と考えるだけの後発の人間の発想では、乖離があって当たり前といえます。
多くの人が、根性なしののび太がドラえもんのひみつ道具に頼って人間的にも全く成長しないという安易な設定を考えてしまいますが、黎明期にはもっともっと違った展開もあありますし。コンビ解消前は、2人で藤子不二雄でしたが、子供に夢を与える藤本作品と、ちょっと大人のユーモアがある我孫子作品では全く毛並みが違います。「俺はAだな」「私はFよ」と藤子不二雄作品の良さを批評しあうのは、ジブリが新作を出すと「これはナウシカ系だな」「あの展開はトトロ系だよね」と批評しあうのに似ているので大嫌いなのですが、片方だけを毛嫌いせず、どちらの作品も楽しむことをお勧めします。
ちなみに、藤本氏の「モジャ公」や短編集「宇宙人」などに収録されている作品はどこか我孫子氏が描くものを彷彿とさせますし、我孫子氏の「怪物くん」などは、藤本氏のテイストにかなり近い感じもします。両氏の作品の多くがお互いに全く異なった雰囲気をかもし出しているなかで、一時期、ひょっとしたら必死に2人の作風を摺り合わせようとしていたのかな?などと考えてしまいます。
ドラえもんもアニメだけでは語れませんし、同じくアニメ化された藤本氏のキテレツ大百科や忍者ハットリくん、我孫子氏のプロゴルファー猿も、原作(しかもオリジナル)の雰囲気は、アニメやアニメ化後に発行された単行本とは全く違うといっていいものです。手塚治虫氏の海のトリトンが原作とアニメでは全く違うようなものです。
このほど、のび太の恐竜がリメイクされましたが、久々に劇場でのドラえもんを観てみようと思います。小学校入学と同時に現在も続いている「テレビ朝日系」のドラえもんは、恐ろしいほどの思い入れがあり、それこそ当時の「のび太の恐竜」も遠い遠い劇場に足を運んだのはもちろん、録画してそれこそ擦り切れるぐらい観ましたし、コロコロコミックに掲載された原作も穴が開くほど読み返しました。小学校高学年頃にはさっさと足を洗ってしまうのですが、小学校から中学校時代のドラえもん、ファミコン、ガンダムは話に火がつく3点セットとして今も心の中でくすぶっています。

さて、今日のタイトルは「アカデミー賞ごっこ」ですが、前もこの題で日記を書いたことがありますね。確か「日本アカデミー賞」というネーミングに関しては、黒澤明氏が頑なに反対していたと聞いたことがあります。本家の二番煎じみたいな名前にするなということでしょうか。黒澤氏の日本アカデミー賞受賞歴は、ザッと調べたところ遺作の脚本をもとにした「雨あがる」と死後に栄誉賞が贈られたぐらいしかないようですから、そのことが関係しているのかもしれません。日本アカデミー賞のはじまりが黒澤氏のモノクロ黄金時代を外れているとはいえ、黒澤映画全て良しという日本人が多い中で、やはりこの状況には違和感を感じますから。
日本アカデミー賞があたかも黒澤氏の死後、その威光を借りるかのような雰囲気は、同じく死後、横山やすしを売り出しまくった吉本興業みたいです。吉本興業が横山氏から何度も何度も、多大な迷惑を受けていたのは分かりますが、この辺りの変わり身の速さは驚きでした。これも関西人ならではの商売の上手さなんですかね。

今回の日本アカデミー賞は「ALWAYS三丁目の夕日」が各賞をほぼ総なめにしました。主演女優賞のみ「北の零年」の吉永小百合。ロングランが続いている三丁目の夕日決して悪い映画ではないですが、過去の受賞をみても一つの作品が多くの部門賞を占めたり、外国映画賞はアカデミー賞の上塗りが多かったり(ちなみに今回はミリオンダラー・ベイビー)と、大昔のようま日本映画全盛の頃はまだしも、もはやテレビ業界の同窓会みたいになってしまった賞に何の意味があるのかと思ってしまいます。まあ、劇場から客足が遠のいた一時期よりはマシかもしれませんが。
今から既に恐れているのは、来年の日本アカデミー賞が「有頂天ホテル」の同窓会状態になって、意味がさっぱりわからないまま外国映画賞が「ブロークバック・マウンテン」になってしまわないかということです。どうもこの「ブロークバック・マウンテン」は、「アメリカン・ビューティー」の再来のような気がして、意味不明なくせに映画通が「この良さが分からないの?」と見下すような、インチキなリトマス試験紙のような映画になってしまわないか心配です。映画なんか、自分が気に入ればいいんです。例えば、CinemaXでボロカスに書こうが、人によっては一生の名作になる可能性だってあるんですから。
そんなわけで、明日から「白バラの祈り」「シムソンズ」「ナルニア国物語」CinemaX3連荘です。
wwanko

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March 04, 2006

思うこと

今日、映画館に行ったのですが、Zガンダムの限定プラモデルというものに長蛇の列が出来ていました。僕は案内のスタッフの方に「ゼータガンダムですか?」と2度念を押して、「じゃあ、いいです」と整理券の受け取りを拒否しました。当時「シャアがガンダムに乗るの?」と驚いた限定版百式なら少し悩んだかもしれませんが、何せ思い入れがまったくといっていいほどないので。ゼータはアムロがノイローゼになって地球に帰るあたりからもういいやと思い、カミーユがア○になって完全ノックアウトです。やはり僕にとってのガンダムはいわゆるファーストガンダムで完結しています。

さて、先日、九十九里浜にイルカが大量に打ち上げられニュースで何度も報じられました。サーファーなどが懸命に救出してもまた打ち上げられる困難な状況で結果的にわずかのイルカが救出され、港近くの穏やかな海上で体力回復を待っているようです。ただ、日本でも地域によっては打ち上げられたイルカを食べる習慣もあったはずで、僕の記憶違いでなければ、以前は生きているイルカを救出する一方、死んだイルカは地元の人がその場で解体して肉を持ち帰っていたはずです。もともとはそれが当たり前だったのですが「残酷だ」という批判が集中して今は行われなくなったはずです。条例でも禁止されたはず。今はそのまま砂浜に埋めることになっているようですが、死んだイルカを食べるのも、衛生上の問題があるにせよ、一種のリサイクルといえないですかね。地球に優しい。
クジラやイルカは可愛いから守って、ウシやブタは美味しいから食べる…この境目に偽善の匂いがプンプンしてなりません。イルカが大量に打ち上げられる原因は不明ですが、一説にはリーダー的なイルカが道を誤るという説もあります。僕は個人的には、多すぎるというような気がします。もちろん、世界的にイルカやクジラが保護されるようになり、確実に数は増えているはずです。幼い頃はクジラはプランクトンを食べると聞いていましたが、予想以上に魚を食べるとも聞きます。
近年、被害が深刻になっているエチゼンクラゲは、爆発的な増殖力を持っていますが、幼生の段階で食べる魚が減って来ていることが要因の一つになっているのかもしれません。人間の乱獲もあるでしょうが、多すぎるイルカやクジラが大量の魚を食べている可能性もあるのかもしれません。素人の見方に過ぎませんが「可愛そうだから」という感情だけで行動するのは、安易なような気がします。野良猫にエサを与えすぎるのと同じ。
ちなみに、英国では砂浜に打ち上げられたものは皇太子のものになると聞いたことがあります。イルカやクジラが打ち上げられたら、チャールズさんが救うなり、煮るなり食うなりする権利があるということなのでしょうか。まあ、食べはしないでしょうけど。

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March 03, 2006

チャラ

メール問題に区切りがついたようです。それにしてもメール問題の発端から永田議員の入院、謝罪まで、コロコロと変わるマスコミの論評が凄かったですね。メール問題が出ると武部幹事長やその息子への批判に群がったかと思えば、永田議員が形勢不利とみるやまたワーッと移動して叩き始めました。小学生のサッカーみたい。最後の最後は「予算審議の時間を無駄にして、国会を何だと思っているんだ」と一喝する始末。自分が撒き散らしたクソを食べながら、またクソをして生活しているようなものです…失礼しました。永田議員に対し「メールの裏取りもせずに」と批判する大手メディアもありましたが、リークと記者クラブでぬくぬくとニュースリリースを待つだけで情報の裏取りをやる能力が薄れつつある彼らにそんなことを責める資格はあるのかな?なんて勘繰ってしまいますが。それにしても「謝罪しなければならないと思います」とか「お詫びしなければならないと思います」とか、前原代表や永田議員だけでなく、多くのお偉いさんや役人が謝罪する場合、どうして他人事のように謝るのかと疑問に思ってしまいます。「すみません」「お詫びします」とどうしてダイレクトに言えないのでしょうか。ついでに、役人上がりが多い議員は「縷々」「善処」「遺憾」など普通の日本人なら一生使わないような言葉を使いますが、同じく役人上がりの永田議員も「得心」という言葉を使っていましたね。横綱かあんたは。プライドの高い人はそうやって謝罪という屈辱を自分なりにカモフラージュする必要があるのかもしれませんが。

民主党前原代表が小泉首相に謝罪した時、永田氏が武部氏に謝罪した時、お互いに頭を下げたり握手をしたことに「けしからん」という声もありますが、絶対に謝らないアメリカ人(偏見?)と違い、日本人は謝ることで人間関係が再構築できるという点もあります。その辺りのなあなあな部分はいかにも日本ぽくて、決して悪いものではないと思います。オン・オフを切り替えられるのが、日本人の器用さの一つなのかもしれませんから。その器用さが、段々となくなってきているのかもしれません。昨日の味方は今日の敵、いや逆。超人と死闘を繰り広げた挙げ句、なあなあに味方にしてしまうキン肉マンみたいなもの。戦国時代においても敵方の武将でも優秀ならば召抱え、国を大きくしていった大名もいますし、国会では、議会など公の場で激しく論戦を交わしても、議場を離れてまでいがみ合いを続けることはありません。議員同士が額を付けんばかりに睨み合いながら議場を後にするという光景も見たことがありませんし。プロレスも同じ。プロレスは一種のショーですから、リングの上でも理性を保ちながら戦わなければならず、リングを降りればなおさらです。恐らく今の日本は、永田議員のようなオン・オフの区別のつかない人が増えているのでしょう。会見や計量の場でも相手にメンチきりまくる亀田兄弟も似ているような気がします。確かに彼らは絵的には面白いですが、きっと彼らのような性格の武将がいたなら、戦のさなかに交渉などに訪れた敵方の武将を平気で殺してしまうでしょう。いや、そんなことはないかな?

メール問題でウヤムヤになった問題が沢山あります。もしかしたらライブドア側からのヤミ献金は事実で、メールが偽者ということで事実が消された可能性もあります。明らかに犯罪を起こしていても人種差別などに問題を摩り替えられて無実を勝ち取るケースもあるというアメリカの裁判のようなことなのかもしれません。それ以外に耐震偽装問題、米国輸入牛問題、官製談合など問題は山積しています。メール問題に先駆けて、自民党議員が民主党議員が起こした犯罪歴などを列挙して委員会が紛糾するという出来事がありましたが、今となってはあの議員の醜態もチャラ、偽議員年金廃止問題もチャラ、何もかもチャラ。
nekosagasi

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March 02, 2006

燃ゆるとき THE EXCELLENT COMPANY

CinemaX第71回目。

燃ゆるとき THE EXCELLENT COMPANY
監督:細野辰興
原作:高杉良
脚本:鈴木智
音楽:川崎真弘
出演:中井貴一、大塚寧々、長谷川初範ほか
上映時間114分
(公式サイトはここ

「池袋」

先日、観てもいないのに「ちゃらい」と評価してしまい、いささか反省している「燃ゆるとき」です。日本の映画業界は最近、シネコンの後押しもあり、数十年ぶりの活況が戻ってきています。ただ、手当たり次第に韓流映画を輸入したり、ちょっとでも良さそうな原作を発見したり、ワンアイデアの企画が持ち込まれると簡単に映画化するような風潮も見受けられますこれでは、せっかく劇場まで足を運んでくれた観客を落胆させてしまうことにはならないだろうかと懸念しているわけです。そのうえで「ちゃらい」と言ってしまったこの「燃ゆるとき」は果たして、ちゃらいのか、そうでないのか。

冒頭から、分かりやすい展開です。ベタベタのセリフ、ベタベタの人間関係。この映画を観て「ストーリーが全然理解できなかった」という人はまず、いないでしょう。それだけ取っ掛かり易い映画ですが、映画は、簡単にチャンネルを変えられてしまうテレビと違い、観客を箱に閉じ込めてしまうという強制力を持っていますので、ある程度の強引さも許されます。逆に、それがなければテレビでも出来るということになります。誰にでも判り易いと言うのがこの映画のセールスポイントなら、テレビでも出来そうだというのが、ウィークポイントなのかもしれません。

ターン1までの評価「B」

かつて、プロジェクトXという番組がありました。派生して映画化された話もありますが、この「燃ゆるとき」を観て、プロジェクトXをイメージした人が多いかもしれません。そこが、この映画に何も新しさを感じない所以なのかもしれません。逆にプロジェクトXがなければ、こういう映画も製作されなかったかもしれませんが。「燃ゆるとき」には、プロジェクトXの多くの企画が視聴者を感動させていたのと同様に、感動するポイントが数多くあります。仮に感涙ポイントとでも言っておきましょうか。

ちなみに、米国に進出した食品会社サンサンインクは、親会社が東輝水産。キャラクターや社名ロゴから簡単に推測できますが、モデルは東洋水産…マルチャンです。原作は実話をもとに描かれたそうですが、度重なる苦難は、実話と思えないほど壮絶です。築地から発祥した東洋水産は、以外にも魚とは縁遠い即席めんを主力商品とする企業です。ちなみに吉野家も築地が創業の地のようなもの。肉と魚も縁遠いはずなのに、意外です。その東輝水産は、米国で瀕死の状態で、主人公の川森という男が赴任して、再生が始まります。あらすじだけを並べるのはここの趣旨ではないので、詳しくは他の映画系ブログや公式ホームページなどをご覧下さい。

ターン2までの評価「B」

「燃ゆるとき」は、確かに見所は多いのですが、不思議とただ観ているだけという感じもします。「アメリカ式のビジネスが必ずしも正しいとは限らない」とか、川森の辞表のエピソードにみられるような、これでもかというほどのアンチ・アメリカの姿勢に魂を揺さぶられる人もいるでしょうが、タイミング良く人が現れて気の利いたことを話したり、今までは怒号が渦巻いていたのに、川森が喋っている間は沈黙する従業員とか(しかも日本語が判らないのに)、ストーリーを都合の良い方向に進める展開が目に付きました。決められたレールの上を走らなければストーリーが迷走してしまい、とても映画として成立しないのですが、そのレールが観客に見えてしまえば終わり。上手く隠しているか否かがポイントです。この辺りは「ちゃらい」作りのように感じられました。

この映画に足りないものは、対立かもしれません。主人公と社内で対立するのは、後にも先にも営業担当だけ。あとは良い人ばかりですから、どこか物足りないような気がします。映画のストーリーそのものは、コスト削減から、セクハラ事件、ユニオン設立問題と危機が次々と訪れます。現実味が薄れるほどのタイミングの良さに目を瞑るとしても、その過程で人間関係が培われていくような内容にすると、見応えがあるのかもしれません。例えば、川森よりむしろ、加賀丈史扮するサンサンインク社長、深井を主人公にするとか。

最終評価「C」

個人的に映画そのものは良い出来だといえますが、どうしてこんな時期に?という感じもします。プロジェクトXの免疫が出来たサラリーマンに訴えかけるほどの力はないでしょうし、俳優は豪華なのですが、誰かを観に行こうというほどキャストが突出しているわけでもなく、テレビをそのまま映画にしたようなもの。どうせならどこかのテレビ局の何周年記念だかで製作してテレビで流せばいいのに。
それにしても東映はいったい何がしたいのかが分かりません。後追いのジャパニーズホラーをはじめ、他社がさんざん畑を荒らした後に封切られた不思議系感動物語の四日間のナントカとか、ハリウッド俳優・渡辺謙という威を借りて、国民的大物女優を抱き合わせて赤字を垂れ流した北のナントカ、他の良い映画を次々と終わらせてまでも拡大ロードショー・ロングランを無理強いし続ける戦艦映画といい…東映に再起はあるのでしょうか。

「燃ゆるとき」は、いろいろな要素が揃っているもののこじんまりとしている映画といえます、デパートでも何でもあるが、新宿や渋谷、銀座に比べるとこじんまりとしている、池袋のような映画でした。テレビでも出来そうな映画ばかり作っていると、観客は絶対に離れていくでしょう。やっと復興した日本の映画業界のため、映画の無駄打ちをするような風潮を絶対に許してはなりません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月28日
劇場:丸の内TOEI
観客数:40/510席
感涙観客度数:若干

アミーゴオイルのトレーラーがやってくるシーンは、ベタなのですが感涙ポイントの一つといえるでしょう。

ついでに紹介!

プロジェクトXのラインナップで最も泣ける「ミスターVHS」を題材にした映画(上)。これまた東映。またか!
当時のプロジェクトX「窓際族が世界規格を作った」のVHS(下)。何故かVHSのみ。プロジェクトXは長期に渡り放映されたものの、商品化されるうえで「欠番」が多いような気がします。淀川工業のケースといい、いろいろと難しいんですね。ゴジラですら、当事者の方々はボロカスに言っていましたから。ゴジラは、ゴジラというあだ名の大部屋俳優にちなんで名づけられましたが、別にクジラとゴジラの合成語という都合のいい話ではなく、自然発生的に使われていたニックネームです。当時の製作者は存命なのですから、ちゃんと探し出して取材しないと。

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March 01, 2006

概況(18年2月分)

2月の重心指数
普段の仕事:30(±0)続落
シナリオ:45(±0)
その他:25(±0)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~2月の概況~
「普段の仕事」増減なし
忙しかった昨年同時期と違って、比較的平穏な日々が続いています。Sさんと極力コンタクトを避けていることでストレスも貯まらなくなっていますが、夏場の繁忙期に向かって今のうちに種をまいておく必要がありますので、3月は若干、忙しくなるでしょう。

「シナリオ」増減なし
実は昨年から、ブログに来ていただいた人とシナリオの意見交換をしているのですが、先日、2度目の作戦会議をしました。シナリオに取っ掛かってはや10年、一緒に勉強していた人は、殆どがプロになるか、辞めてしまっているので寂しい限りなのですが、やはり意見をぶつけ合うのは、刺激になります。

「その他」増減なし
歯の治療をしました。手前味噌ですが、歯の質がいいと良く言われます。親知らずを抜く時も、虫歯を削る時も「あなたの歯は硬すぎて疲れる」と良く言われます。その割に無傷の歯は少なかったりします。きっと、子供の頃あまり歯を磨かなかったことが原因となっていると思いますが、それでも、未だ欠けることなく歯が残っているのは、頑丈な歯のお陰かもしれません。母親に感謝です。ちなみに2年ほど前、大手術の末、先端を削っただけで抜けなかった親知らずは、先日撮影したX線写真で顎の骨にほぼ同化していました。
歯の治療中は、いつも使っている反対側の奥歯で物を噛むので、ものすごいストレスでした。慣れないのでリスみたいに頬袋を作りながら、少しずつ噛むことしか出来ませんでしたから。その割に痩せず。ただ、以前はこちら側で物を噛んでいたんですね。奥歯の治療を失敗する前までは。左奥の歯は、地元で治療したのですが、神経は抜かれ、無理な処置のおかげで歯根の周辺が炎症を起こしていて、疲れると腫れ上がって持ち上げられた歯が疼きます。これがなかなか刺激的で。
この治療をしたのは当事、開業したての若い歯医者さんでした。もっとちなみに、この歯医者さんの亡きお父さんが、僕が幼い頃に負った目尻の切り傷の治療をしています。あと一歩で目玉を傷つけたかもしれない切り傷を縫合したのですが、傷口を良く見ると繋がっていません(笑)。親子で一生モノの跡形を残されてしまったのは不思議な縁かも知れませんが、例えばここで触れたように、話のタネになるので、不思議と恨み辛みもありませんでした。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」±0㎏
スポーツクラブに通ったのは7日、前月比5日減。インフルエンザ疑惑の高いものを含め2度、ひどい風邪を引いてしまいました。体重は、例年の状況だと気温上昇につれて減少してくる可能性があります。お昼をスターバックスのアメリカーノとスコーンで済ませれば効果があるのですが、飽きると反動でドカ食いの危険があります。

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