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February 20, 2006

ホテル・ルワンダ

CinemaX第68回目。

ホテル・ルワンダ
監督:テリー・ジョージ
製作総指揮:ハル・サドフ、マーティン・カッツ
脚本:テリー・ジョージ、ケア・ピアソン
出演:ドン・チードル 、ソフィー・オコネドー 、ホアキン・フェニックスほか
上映時間122分
(公式サイトはここ

「共有せよ」

まずは、ヤフーの解説をそのまま引用します。
アフリカのルワンダで内紛による大量虐殺の危機から人々を救った、実在のホテルマンの勇気と良心を描いた感動ドラマ。主演はスティーヴン・ソダーバーグ監督作品の常連、ドン・チードル。『父の祈りを』など脚本家として活躍するテリー・ジョージが脚本、監督、製作を手がけ、1200人もの命を守り抜く男の勇姿をヒロイックに描き出す。日本公開は危ぶまれていたが、若者によるインターネットでの署名運動が功を奏し、公開が実現した話題作。

日本における公開までの過程は紆余曲折のようです。いつものようにあらすじは公式サイトや多くの映画系ブログなどで紹介されていると思うのでそちらをご覧下さい。

映画の舞台は、国内の紛争により100万人もの大量虐殺が行われた1994年のルワンダです。当時、虐殺の模様を撮影したニュース映像は今もなお鮮明に記憶に残ります。確か頭を鉈で割ったり、記憶が正しければ生きたままタイヤの中に人間を放りこんで身動きをとれなくして火をつけたり…それは凄惨でした。ルワンダは、第一次大戦の戦利品として植民地化したベルギーが、国内を統制するためにフツ、ツチの両方の部族を長いこと対立させる構造を作りました。対立させて相互監視させるほうが効率良く統制できるからです。
この手法は、歴史上多くの国が用いています。日本でも過去、庶民を統制するために同じ身分同士の人間や時に身分の差をつけて相互監視させていますし、現代でも規模の違う労組の対立を利用して混乱を乗り切った大企業もあります。
ところでフツ族とツチ族の違いですが、その定義は極めて曖昧なもので、映画の序盤にもその曖昧さが見事に描かれています。国外の人間はおろか、国民ですら身分証明書に頼らないと判断がつかないわけですから。おそらく当時のベルギーにとっても、きっとどっちでもよかったのでしょう。対立させて統制できればいいのですから。
ちなみに僕が昔描いた「理想郷」というシナリオには、宇宙人の改造光線により変化させられた大多数のナメクジ型人間を少数派のカタツムリが統治する構造になっています。一応、アップしてみましたので興味があったらこちらにどうぞ。

ルワンダでは、民族同士の対立が大統領の暗殺をきっかけに爆発し大量虐殺へと繋がります。上手い表現が出来ないのですが、ルワンダの大量虐殺は、子供のいじめに似ています。今はどうだか分かりませんが、僕が学生の頃のいじめの対象は、決していじめられっこだけではありませんでした。トップに立っていた奴がある日突然転落したりというパターンもありました。
この場合、昨日まで「目上」だった奴に対する舎弟の態度が一転します。ホテル・ルワンダも対立により、周囲の人間の態度が一転します。これまで一緒に仕事をしていた部下が、部族が違うというだけで上司のことを「ゴキブリ」と呼び始める。対立を生み出したのも同じ人間なのに、その人間が作った対立がもとで殺し合いが始まってしまいます。理由があるようで実は曖昧なことが多いのが、戦争の恐ろしさでもあります。
ルワンダの大量虐殺は、ホテル内で避難民の映像のみを撮影するという規則を破って、ホテルの外で虐殺の風景を撮影したカメラマンの勇気から、世界に知られるようになります。これが当時、世界を震撼させた映像でした。同じ映像でも、日本の大手メディアのようにイラク戦争が始まると、フリーの記者や現地の人を特派員として戦火のさなかに残し、自分たちは弾丸の届かないクウェートやオマーンでぬくぬくとしていたのとは性質が異なります。日本の各メディアはその後、米軍の圧勝(当時はそう考えられていた)を受けて戦車に乗ってイラク国内に凱旋し、スクープのように映像を垂れ流し続けたのでした。何と恥ずかしいことか。
本編の途中、大量虐殺の惨状を撮影し、海外に配信してくれたお陰で、世界がルワンダに救いの手を差し伸べてくれると思った主人公、ポールがカメラマンに礼を述べるシーンがありますが、このカメラマンは「多くの人がああ、怖いねと思うだけで、ディナーを続けるだろう」と言います。恥ずかしながら、当時の僕も遠いアフリカの地での惨状を他人事のようにしか感じていませんでした。

ルワンダはこの後、世界から救うに値しないゴミの国として、国内の白人など外国人だけを救って立ち去ってしまいます。この時も僕は「ああ、情けない国」と心のどこかで嘲笑していたのでした。何と恐ろしいことか。例えば、海外で起こった重大事故においても「日本人の犠牲者はいないもようです」とマスメディアが報じて「ああ、良かったね」と胸を撫で下ろす国民感情にも似ています。
世界が救いの手を差し伸べる国、そうでない国の違いなどあってはならないはずなのに、現実では救った後に旨みがあるか否かが重要な要素になっています。米国が攻撃する大義名分を捏造してまでもイラクに攻め入り、混乱する中でも粘り強く駐留し続けるのは、石油という旨みがあるからです。ヨーロッパの列強がさかんに触手を伸ばしたインドや中国も同じです。一方でエネルギー資源のないアフガニスタンは米国の恨みつらみで一度は滅ぼされたものの、それ以上の旨みがないためにあっけなく手を引いています。かつてソ連が侵攻したのは、地理上の旨みがあったからでした。
この映画を観ていて、最も感情を揺さぶられるのは、外国人たちの撤退のシーンだと思います。僕は心臓を掴まれて揺すぶられるような感覚でしたし、スクリーンに穴が開くぐらい映像を注視しながら心の底から怒りが込み上げました。終盤は主人公達が逆流してくる相手方の一般市民を蹴散らして前線を抜けるのですが、実際には何も解決していないことが分かります。蹴散らしてきたのは、敵方とはいえ敵方(主人公からみれば味方)の攻撃から逃げ惑う一般市民ですから。当事者同士の価値観や人間関係が全て無効になり、善悪の判断がつかなくなるのが戦争の恐ろしさ。エンディングテーマ(?)の物凄い歌詞も味わってください。

最終評価「A」

ホテル・ルワンダは、劇場ではなくてもDVDなどで多くの人に観て欲しい映画です。日本ならずとも世界中の多くに人々にこの怒りを共有して欲しいのですが「戦争ってよくないね」とか「戦争をやってはいけない」などありきたりのことを考えて自己完結させるだけでは全く意味がありません。戦争なんか絶対になくならりませんから。ただし、100%戦争を防ぐことは出来なくても、映画を観て感じる怒りをより多くの人々が共有することで、仮に戦争の当事者になってしまった際に何らかの抑止効果が働く可能性はあります。
戦争は絶対になくなりません。例えば、国民の1割が紛争を起こす要因を作った場合、残りの9割の人々に抑えられることでしょう。2割、3割でも同じでしょう。ただ、半数に近くなった場合、半数を超えた場合、誰が止めるのか。普段、平和を訴えていた人のどれだけが、それでもなお平和を訴え続けるのか、疑問です。イラク戦争でも人間の盾となった人々の多くが開戦後にこっそり逃げ帰って来ている現状を考えても、平和を訴え続ける意志を貫くことの難しさが分かります。
ただし、戦争の当事者となった場合に少しでも抑止力が働けば、被害はそれだけ小さくなります。罪のない一般市民に銃口を向けた人間が少しでもためらえば、1つだけ命が救われることになります。ホテル・ルワンダは、戦争に対する抑止力がある映画だといえます。存在価値からすれば、本来はメジャーの配給会社が真っ先に放映すべき映画だといえるでしょう。それが日本では、一般市民の運動でやっと単館で劇場公開が始まりました。メジャーの配給会社は恥ずべきかもしれません。マイナーな劇場でも、平日真昼間からあちこちの劇場でほぼ満員の状況ですから、そのうち触手を伸ばす会社があるかもしれませんが。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月16日
劇場:シアターN渋谷
観客数:90/102席
感涙観客度数:多数

とにかく必見です。

ついでに紹介!

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