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February 28, 2006

代役

トリノオリンピックが閉幕しました。閉会式は寂しさが漂うのが常なのですが、今回に関しては、開会式並みに派手な演出でした。開会式と同様に火もガンガン使っているので、明らかに誰か火傷しているのではないかと開会式と同様に確信してしまうほど。また、閉会式はあれこれ詰め込みすぎるきらいがありますが、ごった煮という感じでもなく、ショーとして楽しむことが出来ました。これも芸術の国だからですかね。次回開催地のカナダ・バンクーバーもショーをやりましたが、やはりカラーの違いが出ていましたね。そういえばド派手な84年のロサンゼルスに比べ、96年の南部・アトランタはどこか落ち着いていて、同じアメリカ国内でさえ全くカラーが違っていましたからね。確か、長野の時は欽ちゃんがウロウロしていましたね。ウルトラクイズみたいな帽子を被って。

昨夜、日テレの番組に女子フィギュアスケートに出場した安藤選手が出演していました。一人だけの出演ですが、それなのに荒川選手の競技の映像ばかり見せられ「普段、荒川選手とはどういうお付き合いをしていますか?」とか、「荒川選手のことをどう呼んでいますか」とか、質問は荒川選手のことばかり。だったら本人を引っ張ってくればいいのに、これでは彼女がさらし者のようで不憫です。安藤選手がメダルを獲ったのなら別ですが、荒川選手とは対照的な成績。それでこの構成というのは、針のむしろに座らせるようなものでしょう。おまけに、番組では安藤選手の順位を16位(実際は15位)と間違えて、福澤アナがおちゃらけて謝る始末。本人を前にして大失態です。
安藤選手のこの番組への出演はかなり前から決まっていたのかもしれませんが、こういう失礼な構成にせざるを得ないのなら、安藤選手を無理に出演させず他の企画をやるべきです。こういうマスコミの身勝手なやり方が少しずつ選手を傷つけていくのでしょう。苦労してメダルを獲得した選手のこれまでの奇跡を報じる際、決まってマスコミに対する葛藤が出てきます。こういう部分も決まって他人事のように報じられますが、映像をまとめたテレビ局も当事者の一人であるかもしれないことを忘れてはなりません。

荒川選手の威を借りて視聴率を稼ごうとするのは、地球が小惑星にぶつかるぐらいの確率でしかCMが放映されていないのに「テレビでお馴染み」と自慢するローカルな企業と同じ。TBSがテレビドラマに浅田(真央)選手の姉を出演させたのも、妹の威を借りて視聴率を稼ごうとしているようなもの。人気が高いものの引退後はなかなか表に出てこない荻原健司氏の身代わりとして引っ張り出された弟、次晴氏や当時、注目の割に露出度が低かった後藤真希、椎名林檎もメディアはそれぞれの弟や兄に焦点が引っ張り出されていますが、身代わりは身代わり。彼ら以外にも身代わりとして引っ張り出された人の多くは消えていきました。
AV女優にも過去、樹(いつき)まり子の引退をカバーすべく登場した樹(みき)まり子。飯島愛の後釜として登場した飯島恋、飯島夢。これらも使い捨てられるように消えていきました。今なお活躍している荻原次晴氏は、兄が国会議員で畑が違うという幸運もありますが、知名度やアスリートとしての成績はノルディックバカ(褒め言葉です)といってもいい兄とは比べ物になりませんから、自分なりのカラーを出すべく相当な苦労があったのではないでしょうか。

オリンピックが終わると、パラリンピックが始まります。オリンピックほど注目されないため、マスコミの扱いは極めて小さくなります。マスコミが扱わないために一般市民の注目度は低くなり、視聴率が稼げないとさらに報じなくなるという悪循環を繰り返しています。確かに、オリンピックに比べると地味ですが、ハンディキャップを背負った方々にとっては大きな目標です。マスコミ…特にテレビ局は、オリンピックでたった1個しかメダルが獲れなかった腹いせに、日本選手のメダルラッシュばかり報じるでしょうが、これだけでは全く無意味です。
パラリンピックは、競技が階級別に細分化され、場合によっては3人しか出場しない競技もあります。以前は再開にも銅メダルを与えていたのですが、それではおかしいと今では、そういうケースでは1位だけ、あるいは1、2位を表彰することになっているようです。また、出場する選手は比較的裕福な国に偏っている感が否めないのも事実です。この状況では日本選手がメダルを獲得する確率が高く、メダルラッシュばかり報じるのは全く無意味であることが分かります。金メダルを獲ったというのなら、その競技に何人出場したということを明らかにするのが筋でしょうし、むしろ結果を報じるよりも、一分でも、一秒でも長く、競技をしている選手の映像を流したり、一枚でも多く、競技をしている写真を掲載するのがマスコミの使命といえるでしょう。そうすることで、パラリンピックの注目度は向上し、ハンディキャップを背負った方々に「よし、自分も頑張ろう」と生きる力を与えることになるわけですから。

とはいっても、メダルラッシュに大騒ぎするんだろうなあ…。

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February 27, 2006

ミュンヘン

CienmaX第70回目。

ミュンヘン
原作:ジョージ・ジョナス
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロスほか
音楽:ジョン・ウィリアムス
出演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズほか
上映時間164分
(公式サイトはここ

「ミュン変」

日本に熱狂的なファンが多い、スティーブン・スピルバーグ監督作品です。個人的には裏切られっぱなしの感もあるのですが。実は、熱狂的ファンが多いからこそ「スピルバーグ全て良し」と錯覚する輩も多いわけで、それが彼の作品の純粋な評価を邪魔しているという面もあるようです。「宮崎駿作品全て良し」とか、「ジブリにあらずんばアニメにあらず」という風潮にも似ています。

ただ、時間的、地域的に現在の日本からはかなり遠い話を題材にしているという点からか、それほど話題性の高い映画が少ないなかでジリジリと興行成績を落としていっているようです。仮にアカデミー賞を獲ろうものならあっという間に観客動員数は回復し、評論家や我々素人なかでは今までのダメ評価を覆して「実は前から良いと思っていた」という人が増えることでしょう。これもミュン変。

イスラエル選手団を襲ったテロリストへの報復メンバーに、アヴナーという主人公が選ばれるというところから話が始まりますが、冒頭からかなりダラダラしています。パンフレットには「彼は愛国心に溢れた若者で、テロ事件の残忍さに怒りと悲しみを感じていた」と説明がありますが、実は冒頭でそんな雰囲気は微塵も感じられませんでした。ただ単に、声をかけられて言われるがままに行動しただけ。序盤から観る側と製作者側でかい離があるというのは、大問題だと思うのですが。

冒頭は、作品全体のテンションをつかむのが大変でした。部分的に笑わせるような映画なのか、シリアスな映画なのか。そこまで直接的な表現をする必要もないでしょ?と思わせる残虐なシーンもある一方、人物がとんちんかんなセリフを言いながら笑うシーンもあります。しかも、殆どのシーンでこいつらが何で笑っているのかがさっぱりわからない次第で…まるで、別人格が憑依したよう。こういうシーンが増えれば増えるほど、観ている側は怒りが込み上げてくるほど。何せ、アヴナーという男が何で、行動しているかがさっぱり分からない訳ですから。愛国心の強さは感じられず、裕福ではないものの生活に困っている訳でもない。あまりにも普通の人。でも秘密情報機関の人なんです…パンフレットを読めば。説明が足らんっちゅうに!

ターン1までの評価「C」

この映画には、いい点もあります。映像と音楽。ストーリーの展開には大不満ですが、映像は何の抵抗もなく受け入れることが出来ました。これは重要です。用語はよくわからないのですが、シーンに応じてカメラを固定したり、ゆっくり移動させたり、ハンディカムを使ったようなさらに動きのある撮影をしていたりとか。シーンとシーンの繋ぎやアングルの切り替えも自然でした。きっと、オーソドックスな手法であり、新しいものは何もないのでしょうが、この点の技術力の高さは、スピルバーグ監督の実力といえるのかもしれません。

音楽もそうでした。音楽は今回もジョン・ウィリアムスです。スピルバーグとタッグを組んだ作品は数知れず。名作といえるテーマ曲も多いのですが、ジュラシック・パークあたりからは、スターウォーズ、E.T.スーパーマン、インディ・ジョーンズ(レイダース)などそれ以前の鮮烈な印象が残る曲は少なくなりました。ハリー・ポッターもジョン・ウィリアムスでしたか。ちなみに、オリンピックの曲も手がけ、’84ロサンゼルス、’96アトランタのほか、’88ソウルでは、失敗作っぽいテーマ曲を提供しています。

加えて面白かったのは、当時のニュース映像です。これが当時放送された実物か否かは確認出来ませんでしたが、事件を伝える緊迫感のある映像とキャスターの引きつった表情、犯人が堂々と喋るのを映し出す映像は見応えがありました。

ターン2までの評価「B」

ミュンヘンの上映時間は3時間近く、本編前の予告を含めると約3時間、拘束されることになります。鑑賞のうえでこれはかなりの覚悟が必要です。ただ、全てが必要なシーンかといえば、疑問でした。冒頭のだらだらしたシーンの割に、主人公がどういう人間なのかがさっぱり伝わってこなかったりと、時間をあまり効果的に使っていないような気もしました。例えば、赤ん坊が生まれる時に一時帰国(?)するシーンなどは必要があるのか疑問です。徹底的に説明して映画2本分(つまり4~5時間)の大長編にするか、多くを端折って普通の映画の長さ(2時間程度)にするか、どちらかはっきりさせたほうがいいのかもしれません。あちこち中途半端。

一般市民として平和に暮らしている対象者などを前にして、迷いながらも過去の遺恨を思い起こして気持ちを奮い起こして報復するメンバーの描写は、あちこちに出てきますが、あまりにも余計なシーンが多すぎて埋もれてしまっているのが残念でした。分かっているのは製作者側だけという苛立ちばかりが先行します。事前にイスラエルと中東との歴史的背景を徹底的に頭の中に入れていれば、あるいは元からその方面の知識がある人なら楽しめるかも知れませんが、ごく普通の一般人にそこまで用意してから映画を観ろよ、と要求していいものなのでしょうか、映画というものは。

ターン3までの評価「C」

後半、僕をさらに混乱させたのは、誰が敵か味方かわからなくなってしまったことでした。例えば、作戦の手引きをするルイなる人物から案内されたアジトに主人公が行くと、対立する中東側の組織が同居してしまいます。出くわした時点でバンバン撃ち合えばいいものを、咄嗟に嘘をついてそれが成功してしまいます。決してプロではなかった男達が咄嗟に何故、嘘がつけたのか、顔の特徴で判断できなかったのか、遠い極東アジアに住む人間なのでその点の勘がないからだけなのか、その点が腑に落ちませんでした。

後からはさらにエスカレートしていく始末。ただでさえ、ストーリーにまとわりついてくる人物が多い映画ですから、敵味方がぐちゃぐちゃになると頭が混乱してしまいます。ジオンVS連邦軍という単純な対立から構図がぐちゃぐちゃになって話についていけなくなったZガンダムのようです。

最終評価「C」

映像や音楽が自然なので、逃げ出したくなる映画ではありませんが、考えれば考えるほど混乱する映画でした。イスラエルに戻り、海外に批判される行動が国内では評価される。ただし、誰にも知られることのない存在なので、讃えるのはごく一部の人間だけ。主人公のこの葛藤は、面白い部分なのですが、彼が何故、報復活動を請け負い、続けていたのかがさっぱり伝わってこないため、何のこっちゃ分からなかったりします。

クライマックスでは、イスラエル選手団であった人質が殺されるシーンが現在の映像と長時間、シンクロし続けるのですが、これがさらに混乱してしまいます。ZZ(ダブルゼータ)か、この映画は。事件当時のシーンは、後半でシンクロさせるより、最初のうちにもっと流せばいいでしょ?と思いました。最後の最後で主人公の動機が見え隠れするようになるのですが、やっと話の流れを掴みかけたところで終わってしまいます。海底2万マイルのようです。江守徹の軽快なナレーションで、これから潜るのかなーと思ったところで、終わり。いろいろ問題を投げかけておいて、メッチャクチャな拾い方で終わり逃げ…まるでエヴァンゲリオン。何だよこれ。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月25日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:50/130席
感涙観客度数:3%

その場限りの死で泣いている観客を観ると、首を絞めたくなります。何度も言いますが、死は悲しいのが当たり前。本当に泣けるのは、それに至るまで積み重ねがあるかないか。人間の対立の空しさを感じたいのなら、ホテル・ルワンダを観ましょう。

ついでに紹介!

ジョン・ウィリアムス作曲の五輪テーマなどが収録されたアルバム「サモン・ザ・ヒーロー」ちなみに、収録されている’84ロス五輪の「オリンピックファンファーレ&テーマ」は、序盤に他の曲(重量挙げか何かのテーマ)を組み合わせた改造版。完全オリジナル版でないのが何とも残念。ロス五輪公式アルバムは絶版。TOTO、フォリナー、クリストファー・クロスの楽曲も収録された珠玉の一品…LPがうちにあるはずなんだけど、行方不明。

吹奏楽の師であり、開会式ファンファーレを指揮する斎藤徳三郎氏が一瞬だけ映る「東京オリンピック」DVD。市川崑監督。有名な富士山の前を走る聖火ランナーのシーンは、実は後撮り。

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February 25, 2006

際限なし

トリノオリンピック、フィギュアスケートのエキシビジョン、凄かったですね…お陰で寝不足ですが。特に最後のバイオリニストとのコラボ。イタリアの芸術感覚を見せつけられたような気がします。開催国の割にそんなにメダルを稼げなかったイタリアですが、純粋に参加していることを楽しんでいる選手も多かったような気がしますし、ヨーロッパの国がメダルを獲ると我が事のように喜んでいるのも印象的でした。さすがは欧州連合。

国会はホリエモンメールで混乱しましたが、結果的に武部氏はどこか歯切れが悪さだけが残り、今回の発端となった永田氏は入院してしまいました。武部氏は「前代未聞のこと」と永田氏を批判していますが、国会議員や財界の幹部が都合が悪くなると入院して逃げてしまうのは、日常茶飯事。メールの真贋は未だ明らかにされていませんが、これもインターネットと現実との差を埋めることの難しさなのでしょうか。

さて、JALの内紛が続いています。管理職にある多くの社員が社長ら幹部の退任を迫るという構図は、足利幕府に似ています。室町時代は、将軍、義教が殺されたりしているように、幕府といえども各国の武将を徹底支配するほどの力はなかったことも、今回の件に似ているような気がします。そのうえ、JALは退任要求に署名した社員を罰することなく、要求された幹部も退任する気は全くないようです。幹部に処罰するほどの影響力がないことが推測されますし、仮に処罰した場合、対象の社員があまりにも多く、穴埋めの社員の確保が難しいことなどが考えられます。

似たような事例が、フィリピンにもあります。折りしも、フィリピン国内に非常事態宣言が出されました。現政権に反発する軍部などによるクーデター計画が発覚したことによるもののようです。記憶違いだったら申し訳ないのですが、この国では度々このようなことが起こっています。ただ、解決方法も甘く、睨み合いを続け、反乱を起こした側が劣勢に立った時点で投降を呼びかけるという方法がとられます。その場合は、反乱を起こした人間を処罰しないという条件が出されるため、火種を残したまま沈静化させるという痛み止めのような処置がとられます。

JALも同じです。処罰しないのなら、火種は残ったままということになります。それにしてもこんなくだらない内紛で社内がギスギスして、利用する側がまともに運行できるのかという不安を感じてしまうのは当然です。そんななかで、これみよがしに「あんしん、あったか云々…」とひまわりをガンガン映すイメージアップ戦略を展開するANA…しかも社員が考えたコピーだとか。偶然とするにはあまりにもタイムリーすぎます。
omedeto


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February 24, 2006

御徒町目白

(タイトル変更・高田馬場→目白)

女子フィギュアスケート、荒川選手が金メダルと獲得しました。それにしても上位選手の息詰まる争い。本当に見応えがありました。日本の3選手は、存在感は抜群の荒川選手、表現力の村主選手、4回転という強力な武器を持つ安藤選手とタイプがそれぞれ違うため、見ていて面白みがありました。

女子フィギュアスケートといえば、冬季五輪の大トリのような存在です。夏で言えば男子マラソンみたいなもの。そこでの金メダルはやはり、偉大です。過度な期待による日本選手へのプレッシャーが最も恐ろしかったのですが、緊張していたのはトップを争っていた他の選手でした。びっくりするような失敗をするところは、やはり五輪のプレッシャーなのでしょう。すごい。

長野五輪の成績不振で叩かれ、ソルトレイクシティーは出場すら逃してまた叩かれきた荒川選手ですが、今回は頼もしさすら感じました。何より、他の国の選手に比べデカくみえるのが凄い。実サイズはもとより、存在感の大きさを物語っているものでしょう。長野の頃はそういう印象はありませんでしたから。頂点に上り詰めたので「このまま引退しちゃうのかなあ」という雰囲気がプンプンとするのですが。まあ、仮にそういう場合も大いなる決断として評価してあげたいものです。

村主選手の競技は心に染み渡りました。いつもより何倍も速く感じた高速スピン。コケまくりましたが、挑戦したという勇気を讃えたい安藤選手。安藤選手は、8年前の村主選手のよう。ですが、15位という結果を批判する資格は誰にもありません。曲が微妙だ、衣装がダメだ、コーチが会っていないのではないかなどの話もありますが、注目や期待があまりにも集中しすぎて、海外に追い出されたような状況にある彼女の事情を考えると、誰も批判する資格はないはずですから。

安藤選手には4年後、浅田選手を引き連れて是非、もう一度4回転に挑戦・成功させてもらいたいものです。これから4年間、両選手が潰れることがないよう祈りたいですし、五輪出場を争ったり、共に出場した他の選手や、若手選手の台頭にも期待したいと思います。それにしても安物のチョコレートみたいなメダルですね。

いつか書こうと思っていたのですが、デサントの巨大な広告を見たことがありますか?日本選手のユニフォーム?を着た荒川選手の凛とした表情が印象的な広告です。その横にちょこんと妹のように安藤選手。いい写真だなあと思ってみていました。この広告は、JR山手線の目白駅、御徒町駅付近などから見ることが出来ます。通勤、仕事帰りに是非、見上げてください。近くに広告がない場合はこちらから。ちょっと違うのかな?

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February 23, 2006

サウンド・オブ・サンダー

CinemaX第69回目。

サウンド・オブ・サンダー
監督:ピーター・ハイアムズ
製作総指揮:ハワード・ボールドウィン、ジャネット・ラザーレほか
脚本:トーマス・ディーン・ドネリー、クレメント・エンラターンほか
出演:エドワード・バーンズ、キャサリン・マコーマックほか
上映時間142分
(公式サイトはここ

公開前なので、この映画を少しでも観ようと思っている人は、決して事前に読まないで下さい。この映画と配給会社のため。

「まさしく絶滅」

「2055年人類絶滅」というコピーのサウンド・オブ・サンダーですが、日本語に訳すと雷鳴?でも、どういう意味でネーミングしたのかは、最後までわかりませんでした。まずは、メモをそのまま転載。

人多すぎ、つまんねーテレビみたい。セリフがつまんねー。5W1Hがない。どこ?いつ?説明がたらん。人物が怒っても笑っても意味がわからん。これは何者?おもいつき?何かが起きても、何で起きるのかが意味わからん。いきなり道具を出す前に、モンタージュしろ。シーンの繋ぎが雑。尾瀬みたい。タイムスリップ?まどろっこしい。セリフがつまらん。こねくりまわした戦国自衛隊15…何だっけ?

ターン1までの評価「D」

一応、フォローしますと、映画そのものは迫力があります。ただ、人物のセリフが一直線で英語の教科書を読んでいるみたい。A「今日はいい天気ですね」B「そうですね」A「それは何ですか?」B「バットですよ、ははは」とBが何で笑っているのか、観客にはさっぱり伝わってこないわけです。きっと、製作者は面白くて仕方がないのかもしれませんが。だいたい、製作総指揮と脚本の人間が多すぎ。「お前もちょっと考えてみろよ、クレジット入れてやるからよ」と引っ張り込んだのか、あまりのつまらなさに途中で脱走したメンバーも並べたから多くなったのかはわかりませんが。脚本家の多さは、キャシャーンに匹敵します。あの伝説の超大作として有名な。

この映画のもう一つの特徴は、突然、アイテムや設定が登場することです。バイオフィルターという設定があるのですが、これも事前にどこかで説明してもらわないと、いきなり登場すると観客は置いてけぼり。相手と戦って武器を全て失った満身創痍の戦士が「実はこれがあるんだ」と懐からバズーカを出すようなもの。作り手だけが分かっていても仕方がない。

過去を変えてしまったために、動物が別の進化をして登場します。サル型の恐竜とか、コウモリとか、これはこれで面白いと思いました。どうせなら、徹底的にサルだらけにすると、少しは面白くなったかもしれません。サル顔の鳥、虫とか登場させて。

ターン2までの評価「D」

またまたメモをそのまま転載します。
一人死んだ、そんなんで泣けるか!そんなに難しいことを考えないで、何日か前に戻れば解決するんじゃない?設定矛盾だらけ。だけどもうつっこむ気力もない。殺したい動機が良くわかんねー。シャレも怒りを買うだけ。シリアスかコメディが、ノリが曖昧。

SF映画などの場合、展開を面白くする要素の一つに、「あーあ」感というものがあります…勝手なネーミングですが。例えば、主人公が妙なことをやったばっかりに、迷ったばっかりに事件の傷口が広がり、事態がさらに悪化したり、犠牲者が出るという展開です。ところがこの映画は、主人公達がいろいろと迷走しているようで、実は決まった道しか進んでいない。製作者が敷いたレールの上を、もがいているふりをして進んでいるだけ。ご都合主義。

例えば、地上が水びたしで勧めなくなると「地下鉄の線路を進みましょう」とか、「発電機が動くといいけど」といってスイッチをつけると発電機がちゃんと動いたり、タイムスリップを行う施設が機能しなくなると、大学の研究室に同じ機能があるといって行ったり…事前に説明していればともかく、地下鉄も、発電機も、研究室も突然登場するわけです。分かっているのは作り手だけ。ここまで観客を置き去りにすると怒りを通り越して力が抜けてしまいます。

最終評価「E」

終わり方も疑問でした。せっかく「未来の主人公はどうなるの?」という数少ない疑問を投げかけておいて全くフォローなし。切捨て。東京行きの新幹線に乗って、無理矢理新宿に停車して、「ここも東京だから我慢しろ」と乗客を無理矢理降ろすような感じ。新幹線が新宿に停まるなんてありえませんが、そんなあり得ないことが当たり前のようにまかり通るある意味すさまじい映画でした。

これだけボロカスに書くのはブラザーズグリム…いや、キャシャーン以来かもしれません。そのキャシャーンでさえ絶賛する人がいるのですから、この映画も満点の評価をする人がいるかもしれません。是非、ご自身の目でお確かめ下さい。進化の波という設定とか、サル顔で進化した生物とか、面白いなと思うところもありますし。パンフレットやチラシの紹介に偽りなしかどうかもちゃんとチェックしてみてください。面白くない映画は、斜めから見たような無理矢理な解釈をしてウリにする傾向がありますから。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月17日
劇場:(試写)
観客数:290/300席?
感涙観客度数:若干

久々の試写会でした。試写会は、タダだからかもしれませんが、観客のガサツな行動が目立つような気がします。タダだからとって、映画を作るのには金が掛かっていますし、会場を借りるのもタダではありません。もう少し大事に観て欲しいものです。入場無料(ただし抽選)の題名のない音楽会も同じような感じ。ホール内で注意されながらも平気でモノを食ったり、収録が終わっていないのに喋ったり物音立てながら出口に急ぐ感覚が分かりません。タダで観させてもらったのにボロカスにこき下ろすのも似たようなことかもしれませんが。

ちなみに、新宿は計画当初、上越新幹線の始発駅になる予定でした。まめちしき。

ついでに紹介!

いろいろな本に収録されていますが「みどりの守り神」は必読!

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February 22, 2006

オリンピック終盤

トリノオリンピックも終盤になりました。女子カーリング、見応えがありましたね。日本チームは、自国はもちろん、地元や他国の観客の方々のファンを抱えながら、準決勝進出の僅かな望みをかけて戦っていました。もともと全体的に選手の年齢層の高い競技である中で日本は20代のびちびちぎゃるで構成されたチーム。おまけに競技中は常に下からの氷の反射を受けて女優ライト(?)を当てたような効果を得ていますから、そりゃ人気が出るのは当たり前のような気がします。
体力よりもむしろ熟練した技術が必要なカーリングは今後、日本でもっともっと人気が出てくるかもしれませんし、器用な日本人にとってお家芸となる可能性もあります。ただ、ヨーロッパの人々はよそ者が勝ちすぎるとルールを変えてくるので注意が必要ですが。ジャンプの板の規定とか、ノルディック複合の換算方法などのように。
前述の通り、カーリングはやろうと思えば何歳になっても続けられる競技なので、日本チームの彼女たちは、他の競技の選手を違ってモチベーションさえ保つことが出来れば選手生命は果てしなく延びることでしょう。これから先のオリンピックでも年を重ねて熟練さを増した彼女たちを見ていきたいような気もしますが、一方でもっともっと実力のある選手の台頭も楽しみであったりします。
日本チームの小野寺、林選手などを題材にした、シムソンズという映画をやっていますが、カーリングの注目度アップで新橋金券ショップ相場ではチケットが原価(もとは前売券なので)の1,300円を上回る異例の暴騰をみせ、やがて店頭から消えました。月曜日に赤味噌が消えたスーパーマーケットみたいな状態です。味噌汁を飲むだけで痩せる…あほか。僕は正直「スウィングガールズみたいな映画はもういいよ」と思って敬遠していたのですが、ちょこっとだけ観てみようかと思っています。
それにしても県庁の星といい、カップラーメンの映画といい、安易な設定頼みのちゃらい映画が多いですね。人々が映画館に回帰して、今でこそ映画業界は活況ですが、状況に甘んじて手間隙掛けず映画を量産していると、観客に飽きられて一昔前の惨状に戻る可能性もあります。「韓流全て良し」とおう麻酔がかけられていたおばちゃんたちも、ミソクソ混ざった韓国映画(もちろん良い映画もありますが)を手当たり次第観させられて麻酔が切れ掛かってきているようですし。
韓国では自国の映画の比率を下げるという国の方針に俳優陣が反発しているようです。まともな映画に混じってクソ映画が大量量産され、それが手当たり次第に日本に輸入されて観客が騙される(前述の「韓流全て良し」とするおばちゃんたちなどに)状況を打破するにはいいかもしれませんが、ある程度国が守らないと、ハリウッド映画に駆逐された一昔前の日本の映画産業の二の舞になるかもしれません…前置きが長くなりました。

さて、昨夜、某局で淡々とフィギュアスケートの安藤選手をヨイショするかのような映像が流れていました。直前の会見で父親について質問をしてしまい混乱させてしまったあの局です。付け焼刃的な感じがしたので罪滅ぼしかな?なんて勘繰ってしまいましたが。この質問をしたことについては、夕刊各紙などがこぞって批判していますが、当事者のテレビ局を含め、批判するマスメディアはどれもミソクソのような気がします。
競技を前にして、ああ何度も会見する必要はないでしょうし、競技とは関係のない質問をする必要はさらにないでしょうに。安藤選手の亡くなったお父さんの話なんか、誰もが知りたい情報ですか?その質問がタブーであることは知っているはずなのに。もし、視聴者を代表して聞いてあげたつもりと考えているのなら、驕りもいいところです。メダルをとったら号外や臨時ニュースのテロップを出して大騒ぎをして、とれないと「残念」と大騒ぎをして敗因の犯人探しをする…結局はどっちでもいいのでしょう。
トリノオリンピックは日本の成績が振るわないとあちこちで聞きますが、入賞者は多く、リュージュなどのように入賞は逃したもののかつてない上位に食い込むケースも見受けられます。98年の長野は自国開催という地の利、ジャンプ陣はルール変更という切り羽(?)をされて長野の夢よもう一度という訳にはなかなかいかない。04年のアテネの金ラッシュはアトランタの不振以降、各競技が建て直しを行ってきたものが実を結んだ結果といえますから、トリノで同じような期待をかけるということ自体が酷というものです。
ところで女子フィギュアスケート、ショートプログラムでは3強の中に荒川選手が入りました。順当にいけば日本のマスメディアが待ち望んでいたメダル獲得のチャンスがあるかもしれません。3強の誰かがコケたらチャンスがある4位には村主選手。8位の安藤選手は、守りに入る位置にないので心置きなく4回転に挑戦出来ることでしょう。
怖いのはこの2日間、マスコミが彼女たちに変な重圧をかけてしまわないかということです。衛星放送の普及率もオリンピックの回を追うごとに上がり、今では多くの国民がメダルにこだわらなくてもそれぞれ自分なりに競技を純粋に楽しむ素晴らしさを感じていることでしょう。選手にメダルの期待をこれでもかとかけまくる日本のマスメディアとの感覚の乖離は進むばかりのような気がします。
日本の実力は、女子フィギュアスケートにおいても関脇相撲ぐらいでしょう。勝つこともありますし、たまに負けることもある。日本選手のメダルばかりにこだわらず、日本の3選手を含め世界の一流選手の競技を楽しむことこそ、スポーツ観戦の醍醐味かもしれません。一方で関脇なのに横綱並みに「全勝せよ」と重圧をかけ、負けると座布団を投げまくって騒ぐのがマスメディア。琴光喜に何場所も全勝を続けろというようなもの。
フリープログラムは日本時間24日未明、世界の一流選手の競技を楽しむとともに、日本選手の結果がどう転んでも柔軟に対応してくるマスメディアの変化も是非、お楽しみください。いじわる。

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February 20, 2006

ホテル・ルワンダ

CinemaX第68回目。

ホテル・ルワンダ
監督:テリー・ジョージ
製作総指揮:ハル・サドフ、マーティン・カッツ
脚本:テリー・ジョージ、ケア・ピアソン
出演:ドン・チードル 、ソフィー・オコネドー 、ホアキン・フェニックスほか
上映時間122分
(公式サイトはここ

「共有せよ」

まずは、ヤフーの解説をそのまま引用します。
アフリカのルワンダで内紛による大量虐殺の危機から人々を救った、実在のホテルマンの勇気と良心を描いた感動ドラマ。主演はスティーヴン・ソダーバーグ監督作品の常連、ドン・チードル。『父の祈りを』など脚本家として活躍するテリー・ジョージが脚本、監督、製作を手がけ、1200人もの命を守り抜く男の勇姿をヒロイックに描き出す。日本公開は危ぶまれていたが、若者によるインターネットでの署名運動が功を奏し、公開が実現した話題作。

日本における公開までの過程は紆余曲折のようです。いつものようにあらすじは公式サイトや多くの映画系ブログなどで紹介されていると思うのでそちらをご覧下さい。

映画の舞台は、国内の紛争により100万人もの大量虐殺が行われた1994年のルワンダです。当時、虐殺の模様を撮影したニュース映像は今もなお鮮明に記憶に残ります。確か頭を鉈で割ったり、記憶が正しければ生きたままタイヤの中に人間を放りこんで身動きをとれなくして火をつけたり…それは凄惨でした。ルワンダは、第一次大戦の戦利品として植民地化したベルギーが、国内を統制するためにフツ、ツチの両方の部族を長いこと対立させる構造を作りました。対立させて相互監視させるほうが効率良く統制できるからです。
この手法は、歴史上多くの国が用いています。日本でも過去、庶民を統制するために同じ身分同士の人間や時に身分の差をつけて相互監視させていますし、現代でも規模の違う労組の対立を利用して混乱を乗り切った大企業もあります。
ところでフツ族とツチ族の違いですが、その定義は極めて曖昧なもので、映画の序盤にもその曖昧さが見事に描かれています。国外の人間はおろか、国民ですら身分証明書に頼らないと判断がつかないわけですから。おそらく当時のベルギーにとっても、きっとどっちでもよかったのでしょう。対立させて統制できればいいのですから。
ちなみに僕が昔描いた「理想郷」というシナリオには、宇宙人の改造光線により変化させられた大多数のナメクジ型人間を少数派のカタツムリが統治する構造になっています。一応、アップしてみましたので興味があったらこちらにどうぞ。

ルワンダでは、民族同士の対立が大統領の暗殺をきっかけに爆発し大量虐殺へと繋がります。上手い表現が出来ないのですが、ルワンダの大量虐殺は、子供のいじめに似ています。今はどうだか分かりませんが、僕が学生の頃のいじめの対象は、決していじめられっこだけではありませんでした。トップに立っていた奴がある日突然転落したりというパターンもありました。
この場合、昨日まで「目上」だった奴に対する舎弟の態度が一転します。ホテル・ルワンダも対立により、周囲の人間の態度が一転します。これまで一緒に仕事をしていた部下が、部族が違うというだけで上司のことを「ゴキブリ」と呼び始める。対立を生み出したのも同じ人間なのに、その人間が作った対立がもとで殺し合いが始まってしまいます。理由があるようで実は曖昧なことが多いのが、戦争の恐ろしさでもあります。
ルワンダの大量虐殺は、ホテル内で避難民の映像のみを撮影するという規則を破って、ホテルの外で虐殺の風景を撮影したカメラマンの勇気から、世界に知られるようになります。これが当時、世界を震撼させた映像でした。同じ映像でも、日本の大手メディアのようにイラク戦争が始まると、フリーの記者や現地の人を特派員として戦火のさなかに残し、自分たちは弾丸の届かないクウェートやオマーンでぬくぬくとしていたのとは性質が異なります。日本の各メディアはその後、米軍の圧勝(当時はそう考えられていた)を受けて戦車に乗ってイラク国内に凱旋し、スクープのように映像を垂れ流し続けたのでした。何と恥ずかしいことか。
本編の途中、大量虐殺の惨状を撮影し、海外に配信してくれたお陰で、世界がルワンダに救いの手を差し伸べてくれると思った主人公、ポールがカメラマンに礼を述べるシーンがありますが、このカメラマンは「多くの人がああ、怖いねと思うだけで、ディナーを続けるだろう」と言います。恥ずかしながら、当時の僕も遠いアフリカの地での惨状を他人事のようにしか感じていませんでした。

ルワンダはこの後、世界から救うに値しないゴミの国として、国内の白人など外国人だけを救って立ち去ってしまいます。この時も僕は「ああ、情けない国」と心のどこかで嘲笑していたのでした。何と恐ろしいことか。例えば、海外で起こった重大事故においても「日本人の犠牲者はいないもようです」とマスメディアが報じて「ああ、良かったね」と胸を撫で下ろす国民感情にも似ています。
世界が救いの手を差し伸べる国、そうでない国の違いなどあってはならないはずなのに、現実では救った後に旨みがあるか否かが重要な要素になっています。米国が攻撃する大義名分を捏造してまでもイラクに攻め入り、混乱する中でも粘り強く駐留し続けるのは、石油という旨みがあるからです。ヨーロッパの列強がさかんに触手を伸ばしたインドや中国も同じです。一方でエネルギー資源のないアフガニスタンは米国の恨みつらみで一度は滅ぼされたものの、それ以上の旨みがないためにあっけなく手を引いています。かつてソ連が侵攻したのは、地理上の旨みがあったからでした。
この映画を観ていて、最も感情を揺さぶられるのは、外国人たちの撤退のシーンだと思います。僕は心臓を掴まれて揺すぶられるような感覚でしたし、スクリーンに穴が開くぐらい映像を注視しながら心の底から怒りが込み上げました。終盤は主人公達が逆流してくる相手方の一般市民を蹴散らして前線を抜けるのですが、実際には何も解決していないことが分かります。蹴散らしてきたのは、敵方とはいえ敵方(主人公からみれば味方)の攻撃から逃げ惑う一般市民ですから。当事者同士の価値観や人間関係が全て無効になり、善悪の判断がつかなくなるのが戦争の恐ろしさ。エンディングテーマ(?)の物凄い歌詞も味わってください。

最終評価「A」

ホテル・ルワンダは、劇場ではなくてもDVDなどで多くの人に観て欲しい映画です。日本ならずとも世界中の多くに人々にこの怒りを共有して欲しいのですが「戦争ってよくないね」とか「戦争をやってはいけない」などありきたりのことを考えて自己完結させるだけでは全く意味がありません。戦争なんか絶対になくならりませんから。ただし、100%戦争を防ぐことは出来なくても、映画を観て感じる怒りをより多くの人々が共有することで、仮に戦争の当事者になってしまった際に何らかの抑止効果が働く可能性はあります。
戦争は絶対になくなりません。例えば、国民の1割が紛争を起こす要因を作った場合、残りの9割の人々に抑えられることでしょう。2割、3割でも同じでしょう。ただ、半数に近くなった場合、半数を超えた場合、誰が止めるのか。普段、平和を訴えていた人のどれだけが、それでもなお平和を訴え続けるのか、疑問です。イラク戦争でも人間の盾となった人々の多くが開戦後にこっそり逃げ帰って来ている現状を考えても、平和を訴え続ける意志を貫くことの難しさが分かります。
ただし、戦争の当事者となった場合に少しでも抑止力が働けば、被害はそれだけ小さくなります。罪のない一般市民に銃口を向けた人間が少しでもためらえば、1つだけ命が救われることになります。ホテル・ルワンダは、戦争に対する抑止力がある映画だといえます。存在価値からすれば、本来はメジャーの配給会社が真っ先に放映すべき映画だといえるでしょう。それが日本では、一般市民の運動でやっと単館で劇場公開が始まりました。メジャーの配給会社は恥ずべきかもしれません。マイナーな劇場でも、平日真昼間からあちこちの劇場でほぼ満員の状況ですから、そのうち触手を伸ばす会社があるかもしれませんが。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年2月16日
劇場:シアターN渋谷
観客数:90/102席
感涙観客度数:多数

とにかく必見です。

ついでに紹介!

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February 15, 2006

関脇相撲

大会6日目、日本選手は未だメダルを獲得していないようですが、入賞選手は次々と出ています。当の選手ならともかく、外野がそんなにメダルにこだわらなくていいじゃないですか。スピードスケートは男女とも惜しくも4位。特に岡崎選手の力走が目立ちました。ソルトレイクシティーも三宮選手など他の若手選手が注目されるなかで結果的に日本勢最高の6位入賞、今回だって同じような状況の中でこれまた日本勢最高の4位でした。
34歳がどうだとか、バンクーバーを狙っているのかという妙な質問をされても見事に受け答えしますし、それ以上に主将の責任を果たそうという気持ちがひしひしと伝わってきます。各局の中継をはしごする中でも彼女は「すみません」「メダルを絶対に持ち帰りたかった」という言葉を口にします。謝ることはないですし、お気持ちだけで充分なんですよ、ほんとに。
また、今大会から初お目見えとなるクロスカントリーの団体スプリントは見物でした。残念ながら男子は最後でコケちゃいましたが、女子は8位で史上初の入賞。ノルディック複合はジャンプが加わるので何とかなることもありますが、純粋にクロスカントリーだけというのは、快挙といえます。日本人は体格的に不利でもあまり距離が長くなければ、世界に通用するということになるのでしょう。今後に繋がる大金星です。
考えてみると、ジャンプといい、モーグルといい、スノーボードといい、スケートといい…etc.一昔に比べ結構世界に通用する種目が増えてきました。仮に日本勢がメダルがとれなくても「ああ、惜しいなあ」と余裕を持って観戦できるようになりましたね。横綱、大関とはいいませんが、関脇相撲ぐらいにはなってきたのではないでしょうか。以前は多くの種目がいわば前頭下位で相当な番狂わせがない限りメダルには届かない状況でしたが、今では横綱、大関がコケたり、平幕で大金星を挙げるような他国の選手が出てこない場合、メダルのチャンスが訪れるようになっています。
関脇相撲ですから、琴光喜ぐらいの強さです。そのうちメダルの1個や2個はとれるでしょう。そういうことなので(どういうことだ?)、メダルなんかにこだわらずに、純粋に競技を楽しみましょうか。

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February 14, 2006

視点を変える

サッカー、日本代表があのネクタイを締めて空港に降り立つと、中学生の修学旅行みたいですね。思いつきのように始めたあのネクタイですが、警備員とかタクシーの運転手をイメージさせます。つまりユニフォームみたいなもの。ピッチの外でもユニフォーム着る必要があるのかなあ?なんて思います。既に自分流に着崩している選手もいるわけですから。あのネクタイにこだわるなら、ネクタイにさりげなく柄を入れる(もう入っていますか?)か、スーツを含めてトータルでコーディネートする必要があるのではないでしょうか。例えば、スーツを激キザな純白(もちろんシューズも)にするとか、そうでなければネクタイにアウェイ用の意味不明な日本刀の模様を入れてみるとか。

さて、今日もオリンピックの話題です。毎晩、寝不足になっていませんか?世界一流の選手の競技は、どんな種目でも見応えがあります。でも、身勝手なもので、日本選手が予選通過できない種目は、途端に注目度が落ちてしまいます。それは、テレビの番組編成をみてもヒシヒシと感じられます。でも、それは身勝手というもの。海外で天変地異や重大な事故が起こってもニュースの「日本人は含まれていないもようです」の一言で「ああ、よかったね」と胸を撫で下ろすのと同じです。

例えば、僕はスノーボードなんかやりませんが、きっとその筋の人々は日本選手が全滅しようがしまいが海外の一流選手の競技が観たいはずです。今後も我々が勝手にメダルの期待をかけた選手が続々と登場しますが、彼らが予選落ちしても決して放送予定を変えることのないように願いたいものです。成績次第でテンションや延長時間などのさじ加減を変えるのは、日テレの野球中継にしか許されていませんから。

僕が物心ついて最初に熱心に見ていたのは、1984年のサラエボ五輪でした。あの頃の冬季五輪は、夏とは違い相当な番狂わせがないと日本の選手がメダルを獲得することはありませんでした。サラエボでは、黒岩(彰)選手にメダルの期待がかけられていた程度だと記憶していますが、幼少の僕にはどうでもいい話なので、夜中に短時間しか放送されない番組を食い入るように見ていました。今考えるとこれが五輪の本当の楽しみ方なのかなあと思います。変な期待を掛けることを知らなかったからこそ、北沢選手のスピードスケート男子500メートルを心から感激できたのでしょう。世間は伏兵のメダル獲得をタナボタと表現していたようですし。

教育心理学だかの分野ですが、子供は、おもちゃを与えると考えながら少しずつ高度な遊びに展開していきますが、一旦そのおもちゃを奪ってしまうと、残ったおもちゃで遊ぶようにしても幼稚な段階のまま進歩しなくなりますが、これをオリンピックに当てはめて考えると、メダルの期待を掛けて、その選手が消えてしまったら緊張の糸が切れてしまい途端に面白くなくなる心境に似ているかもしれません。

だったら、変な期待を掛けず、日本選手もその他大勢の選手の一人として、競技全体を楽しむようにするべきではないかと思います。ちなみに長野で「やったータエ!」と解説を忘れて叫びまくった長島茂雄のような解説者(この場合は「カール!」)や清水選手のラップの速さに声を裏返して「はやい!」と叫んだ解説者(この人がサラエボ・銀の北沢氏です)も味がありましたが、今回の五輪もいい解説者を充てられているように思います。競技の見所や第一人者は誰なのか、この選手は今期限りで引退する選手だとか、我々大多数の一見さんにも分かりやすく話をしてくれる人が多いです。批判が多いNHKですが、このあたりはさすがだなと思ってしまいます。

例えば、先日の男子滑降の解説者の方はアナウンサーと一緒に丁寧な解説をして、素直に「近年まれにみる見応え」と心から感激していましたし。民放各局が顕著なのですが、どこがどう公式なのか説明してくれよと思うテーマソングやパーソナリティを設定(これはNHKも同様ですが)して、お祭騒ぎのように日本選手ばかりを追いかける「仕掛け」に流されることなく、純粋に競技を観るようにすると、より一層、トリノオリンピックを楽しむことが出来るかもしれません。おすすめ。
yamato


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February 13, 2006

4年に1回だけの「期待」

トリノオリンピックが開幕しました。開会式でこれでもかと火をつかいまくっていたのには驚きました。背中のタンクに引火しそうなインラインスケーターたちはもちろん、聖火のトーチも握っている手スレスレに火が降りてくるスリリングな構造、聖火の点火といい、「絶対に誰か火傷しているでしょ?」と確信せざるを得ないほどの迫力でした。
イタリア語の日本の表記は「Giaponne」なのですね。どこか強そうです。コリアは「Corea」でしたね。「Korea」という表記はJはおろかイタリア語の場合はGの前にも来るんですね。アルファベット順にどっちが先だとか後だとかいう考え方はバカバカしいのでどうでもいい話なのですが、ハングルを世界に誇っているのなら、他国の文字の順番なんか気にすることもないのになあ…なんて思ってしまいますが。

さて、日本の選手は、序盤から不審が続いています。でもですね…女子モーグルの5位だって凄いですし、全滅した男子スノーボードだって上位12位以内に残れなかったというだけのこと。多くのメディアはきっとそういう姿勢をとるでしょうが「大口叩いといて全滅かよ」穿ったモノの考え方をしてはいけません。流れを呼び込めなかっただけのこと。そう考えると4年に1回だけ「メダルの期待がかかる」と選手に重圧をかけまくるメディアや我々国民は残酷だなあとつくづく思ってしまいます。
ましてや今回は、夏季・冬季の違いはあれど意外にメダルが稼げたアテネ直後の五輪ですから厄介です。そんなに簡単に世界の3位以内に入れるものではありません。実力があろうとも、長野のようにメダルラッシュになるかといえば、それは「運」や「流れ」によって大きく左右されますし…と後からは何とでもいえるわけです。
例えば、女子モーグルで例えると、上村選手は上位がコケた時に表彰台に乗るチャンスが訪れます。今回は単に上位がコケなかっただけのこと。彼女には体重が軽いという致命的なハンデがありますが、今回のトリノでは番狂わせのない順当な成績といえます。それでも3大会連続の入賞は見事で、今回は最後までメダル争いに絡んだ…それだけでも大いに賞賛すべきでしょう。
無責任に4年に1回だけ重圧をかけるだけでなく、彼女で実力で常に上位3位以内に入り、番狂わせがない限りメダルを取れると確信できるよう、これからも競技に目を向けて行こうではありませんか。3Dは彼女だけが出来るかのように報じたメディアも罪です。あの表現は「雨の中嶋」と同じ。確かに中嶋悟は、雨の日は好成績を残す傾向にあったようですが、アイルトン・セナなど一流の選手もブレは殆どなく、場合によっては中嶋なんか比べ物にならないぐらい速かったりします。
過去の「失速・原田」に対する誹謗中傷のひどさに反省してか、勝手にメダルの期待を掛けられた選手が成績を残せなかった場合でも以前のように一方的に非難するバカな風潮は少なくなったと信じています。でも、よくよく考えてみると、これまでメダルを獲得した後の選手のメディアの執拗な追跡を考えると、メダルを取らないほうが幸せではないかと錯覚してしまいそうです。

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February 11, 2006

温度差

モーニング娘の未成年の元メンバーが喫煙していたとして当面、芸能活動を謹慎することになりました。
未成年なので名前がほとんど公表されることはありません。テレビ番組で店の品物をダンボールごとかっぱらっていたと白状してしまい謹慎処分が下ったあのタレントと同じですが、殆どの人が名前が分かっていて、それでも実名報道が出来ないのはやはり不可解です。

ところで昨日の朝、めざましテレビで高島アナが「この間も未成年タレントの飲酒が問題になったばかりですし」と発言すると軽部アナが「メンバーの飲酒したとされる問題ですよね」と言い換えていました。軽部アナは、話がふられた時のリアクションやフォローの端々に出来るだけ自分に責任が降りかからないようにしようというセコさが見え隠れするのであまり好きではないのですが、今までのそういう行動を踏まえると、フジテレビのこの問題(飲酒問題)に対する対応が伺えます。

分かります?

SMAPの一人が傷害事件を起こしたとき、当初は容疑者と表現していた各局がしばらくしてメンバーという敬称(?)に変更していました。テレビ各局が一斉にこの表現に変えたことから、事務所の圧力か?と噂されたほど。事実なら、今回の問題も同じような力が作用しているのかなと推測されます。

今のテレビは吉本&ジャニーズで成り立っていますから、下手に事務所と仲違いしてタレントを供給されなくなるとバラエティ偏重の派番組構成しか組めない各局には死活問題なのでしょう。ただ、ジャニーズは重視して、落ち目のハロプロはどうでもいいという雰囲気には違和感を感じます。所属事務所の強さにより報道する側の伝え方が変わるというのは、大問題だと思うのですが。

かのメンバーも復帰する時は、快気祝いでもするように華々しい演出でしたし。それに続けとばかりに飲酒、飲酒…懲りないものですね。未成年タレントの喫煙と飲酒はもちろん非難するべきですが、元から常習だった奴はともかくとして、若くして芸能界に入ったタレントが、いつ、どのようにして、何を考えて酒やタバコに手を伸ばしたのか、その心境は探ってみたいような気がします。周りがやっていたからつられて、というのでは、その辺のワル中高生と同じになってしまうのですが。

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February 09, 2006

インスタント思考

ジャーナリスト宣言をした朝日新聞ですが、その広告を観て「そっか、今までジャーナリストじゃなかったから、へんてこりんな記事や社説が載ってたんだ」と変に納得した人も少なくないはずですが、女系天皇の安易な容認に慎重な姿勢を示す三笠宮殿下に「もう喋るな」と釘を刺す社説を最近、掲載しました。
昨年も確か教科書検定を巡って、産経新聞と水面下で蹴りあいをするような泥仕合を繰り広げた朝日新聞の社説ですが、「発言をもう控えては」の見出しに卒倒しそうになりました。皇族を批判すると言うタブーに敢えて挑戦するという思い切りの良さは、ジャーナリスト宣言の賜物(?)かもしれませんが。
ただ、この社説については、100%批判するのは気が引けます。週刊誌でも大々的に取り上げられ、ブログや掲示板でも風潮に乗って徹底的に批判するケースがみられますが、朝日新聞が社説でこういう問題を再度投げかけたということは、それなりに意味があるといえるでしょう。皇室典範改正における最大の問題は、インスタントラーメンを作るかのような拙速さにあるわけですから。
あれこれ商売に手を出してコロコロ職業を変えている元皇族のボンボンが過去を覆い隠して、この問題に便乗してやたら畏まった本を出したのには「ズルいな」とは思いましたが、そういう話はともかく、何が「有識」なのか良く分からない人々にまず、女系天皇ありきという議論をちょこちょこっとさせて引っ張り出した方針が、皇室典範改正のベースになっていることが、そもそもの問題といえるでしょう。不謹慎な例えになるかもしれませんが、裁判だって、被告に証言させるのですから、少なくとも有識者会議には皇族にも意見を述べる場を設ける必要があるのではないでしょうか。
出来レースをさせるために、ちょくちょく役所は彼らの意図する方向性に出来るだけ異を唱えなそうな人ばかりを集め審議会を開き、ここで作成された報告書を法案や予算案作成の根拠にしたりします。国を動かす民意とは、この程度です。仮に運悪く委員にゴン太が混じってしまったら最終報告書でこの人の意見を「付帯意見」として取り入れ丸く治めて、よほど力のある人でない限り、次回からこういう人は呼ばれることが少なくなります。
適当に報告書を読んで、短い会議に出て、お金と審議会委員という名誉も得ることが出来るのですから、美味しい話です。もちろん全ての人がそうではないと思いますが、普段から大学教授や企業の幹部など別の職業をもっていたり、複数の審議会や検討会、委員会の委員を兼任している人はザラですから、聖徳太子みたいな人でない限り、全力集中は無理だということが分かります。
男女平等に異を唱えるのには勇気がいる世の中になりましたが、何でもかんでも平等ならOKという風潮には疑問を感じます。前にもここで述べたことがありますが、皇室典範改正問題には、男女平等という今どきの風潮に世論が安易に乗っかっているような気がしてなりません。

さて、追い風を感じたのか、「今ごろ?」と思いたくもなる人を含め国会議員の多くが反対を唱え始めた皇室典範改正問題ですが、さらに混乱を招くことが報道されました。「紀子様ご懐妊」です。件の問題とタイミングがあまりに絶妙で、テレビ局はバカの一つ憶えみたいにこの話題ばかり報じ始めました。そうやってマスメディアが煽れば煽るほど国民は踊らされ、いわゆる4点セットの問題などどこ吹く風という風潮になりかねません。
紀子様関連の少ないネタの出所は同じようなものなので、秋篠宮様がどこに行かれた、紀子様はどういう予定をこなされたと報じるのは同じことばかり。皇族ですから公務をこなすのは当たり前でしょう。バカか。それに報道が過熱すればするほど、秋篠宮様や紀子様ご自身、それ以上に皇太子ご夫妻に大きなプレッシャーがかかることは言うまでもありません。
そのうえ、今の皇室典範だと男なら継承順位3位だとか、女ならダメだとか、9月ごろに抽選が行われる「くじ引き」でもしているかのよう。あと何ヶ月か待てば皇室に子供がコロンと出てくるという、インスタントラーメンのような思考を国民に植えつけるような報道合戦に戸惑いを感じるのは僕だけでしょうか。

それにしても秋篠宮ご夫妻は、何かを意図して事を起こしたのか、それとも偶然なのか、聞けるものならそこを聞いてみたいものと思います。偶然ではないとするばらば、宮内庁の「紀子様に頑張ってもらいたい」という不謹慎な発言に対抗したものなのか、男子の誕生で全ての混乱を終結させようと考えたのか、皇室典範が改正されると内親王の宮家創設が認められることなどを踏まえ…。このままではやがて臣籍降下する内親王の行く末をどれほど案じているかは、我々一般国民には知り得ない部分ですが。
その皇室典範改正は、これまでの積極派も慎重な姿勢を示すなど少しブレーキがかかってきました。拙速な改正は論外として、議論を続けるか(先送りという意味ではない)、廃案にするかは、今国会で決めるべきでしょう。仮に秋篠宮家に内親王が生まれて改正問題がぶり返すようなら、後出しジャンケンと同じ。卑怯です。
tvtosan

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February 04, 2006

概況(18年1月分)

先日、母親から「生協の白石さんが書いた東京タワーを買って送れ」と連絡がありました。該当する本はなく、生協の白石さんとリリー・フランキーの東京タワーがごちゃ混ぜになっていることが判明しました。それにしても、母親が本を読むというのはあまり記憶がありません。
送る前に読んでやれと思い購入後数日間放置していると「早く送れ」と催促されたので、にわか速読を終え送りました。数日後、母親から電話がありました。「うちの家みたい」僕も同じ感想でした。いや、もっと凄いかもしれません。
昨年は結婚を機に幼少時代をいろいろと振り返る機会が多かったのですが、小さい頃のことをかなりはっきりと憶えていると信じている割に、親や友人が憶えていて、本人がすっかり忘れていることもかなりありました。例えば、「お前は水難の相があった」といわれ、幼い頃は何度も風呂や洗濯槽に頭から落ちて溺れているはずなのに、そんなことは全く憶えていません。
自伝の部分とエッセイを織り交ぜた、東京タワーの作風を真似すると二番煎じになってしまうのですが、10年後ぐらい経って、その本の存在が忘れ去られた頃に自伝でも書いてみましょうか。そのためには、ある程度説得力のある人間になっていなければなりません。見ず知らずのド素人の自伝を読んでくれるような奇特な方は少ないでしょうし。

さて、1月の概況です。

1月の重心指数
普段の仕事:30(-5)
シナリオ:45(-5)
その他:25(+10)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~1月の概況~
「普段の仕事」5ポイント続落
今年は比較的サボらず夏に向けての種まき、水遣りを地道にやっています。賀詞交歓会、新年会まみれで体調がおかしくなりそうですが、今まで苦手で昨年から食べられるようになったラムを食べる機会が一度しかなかったのが残念至極です。

「シナリオ」5ポイント下落
シーズンインに向け、2月から自主トレ(?)開始です。シナリオを前倒しで完成させ、推敲を重ねるという計画が進んでいます。

「その他」10ポイント続伸
クレイアニメをやります。今年こそ。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」+2㎏
スポーツクラブに通ったのは13日、前月比8日増。動いても負けずに食べるので、体重は増加します。2月以降は下落に転じる可能性もありますが、スーツ、私服、ウェアなど服のことを考えると、緊急事態宣言を行わねばならない状況です。現在の体重は、7,8年前…警備会社時代末期の水準です。

snowy

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February 03, 2006

センスなし

東横インの西田社長が障害者の団体に謝罪しました。神妙な面持ちですが、体たらくな会見を行ったのが社長の素の部分でしょう。人はそんなに簡単に変わることは出来ませんから。東横インは、99%ビジネスマン相手のホテルですから、年に1回来るか来ないかの身障者のためにスペースを作るのはもったいないということは、経営の効率化という観点では是だとしても、ルールはルール。たとえそういう持論があろうと会社を率いる立場の人間が口に出すべきことではありません。

一応、東横インのホームページは不祥事を起こした企業がよくやる禊ぎバージョンになっていますが、「通常ページはこちら」(だったら、このページは異常なのか!と突っ込みたくなります)とか、これでもかと謝罪の文章が流れる電光掲示板といい、それでいてオープンを控えたホテルを紹介しながら、多くのホテルが改善(というより設計通りの状態に戻す)がなされないまま、予約も受け付けているという、どこまで本気なのかと思わせるような状態です。こうなったら不買運動でも起こりそうなものですが、なかなかそうもいかないでしょう。

さて、表参道の同潤会跡地に新しい商業スペースのオープンします。その名も「表参道ヒルズ」…またこのネーミングかよ。アークヒルズまではよかったものの、六本木ヒルズで思い切り箔を落とした「ヒルズ」のネーミングを背負ってしまった表参道ヒルズは、地上6階地下6階でちょうど箱を土中に埋めたような建物のようです。上野駅のような構造なのでしょうか。ということは…地震は大丈夫なの?

しかも、一部は住宅。六本木ヒルズのようにまた、夜な夜な成金の方々のパーティが開かれるのでしょうか。表参道や裏原宿がファッションの震源地として注目されてかなりの時間が経過しましたが、今では多くの海外ブランドが店舗を構える中でオープンする表参道ヒルズは、どこか遅きに失した感もあります。それでも勝手に人が集まる場所ですから、成功するっちゃするのでしょう。しないっちゃしないかもしれませんが。秋元康の仕事みたい。

大崎、晴海、丸の内、品川…都内ではあちこちで再開発が進んでいますが、オープン時こそ注目されるものの、お洒落な雰囲気の商業施設は明らかに供給過剰です。六本木ヒルズですら、店舗が入れ替わり立ち代わりしています。ここの来客数は、住民やテナント従業員もカウントしているようなので、信憑性がないといわれていますし。

ノロノロと回転するドアに対するストレスがどれだけサラリーマンの寿命を短くしているかと思えてならないのですが、その元凶を作ったのは、六本木ヒルズ、そして責任のなすりあいをし続けた森ビルとメーカーです。どういうわけかこの問題は、いつの間にか有耶無耶になってしまいました。遅きに失した感のあった森社長の会見の内容対応の誠意のなさ、遅さを責めるマスコミはほとんどなかったような気もするのですが…。

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February 02, 2006

偽善

社会保険庁は、年金未納者について医療費全額負担、医師等に対しては医療費の保険請求をさせない仕組みの検討を始めたらしいですね。年金は払わないが、医療費の全額負担は避けたいと国保は渋々支払っている人が結構いるのですが、いいとこどりをさせないという強行策は、一定の成果があるでしょうし、賛同する人が多いかもしれません。特に、天引きで逃げも隠れも出来ないサラリーマンを中心に。

社会保険庁がこれまでスッた金を戻せよといいたいところですが、不祥事が発覚するごとに頭を下げていた役人の方々は、既に人事異動でどこかに行ってのうのうと仕事をしていることでしょう。旧道路公団、成田空港、防衛施設庁の談合で明るみになったように、官僚の天下りは今でもしっかりと行われています、ただ、民間企業へのダイレクトの天下りは禁止されているので、公益法人にワンクッション置いて、天下ることが常套かしつつあります。この間も給料や退職金が支払われるわけですから、明らかに人件費の無駄です。元は税金ですから。それならば民間企業にダイレクトで引き取ってもらい、税金を財源としない給料を支払ってもらった方がまともにすら思えてきます。

ここで何度も触れたことですが、数年前は公益法人改革といいながら、減ったのは僅かです。公益法人同士の合併も1+1=2の焼け太り。それ以外にも独立行政法人という立場が極めて不透明な半役所があちこちに作られて、公益法人が減ったように見せかけています。今でも中央官庁の中や虎ノ門界隈に突然、聞いたこともない独法が湧いて(?)いたりします。独法とは、その名の通り出来るだけ独立採算を目指して、失敗した場合は経営責任を負わせるという半官半民のような存在ですが、、プロパーで汗水流す方々はともかく、幹部は次々と首をすげかえられますから、いざという時も責任はとらないでしょう。それ以前に、どこまで行ったら失敗なのか、なかなか失敗を失敗と認めず、責任もろくにとらない役所が不採算法人を潰すような大鉈を奮うとは到底、考えられません。

例えば、年末や暑気払いなど特別な時に「今日は会社の経費だ、何でも食っていいぞ」と言われると大概は「よし、じゃあ今日は普段食べない豪勢なものを注文するか」となります。それは、会社の金だからです。コスト意識のないタイプの役人は、始終この発想で経費を無駄使いをしているといえます。一方で2人の乳飲み子を抱える専業主婦の妻にレストランで「何でも頼んでいいわよ」と言われても、普通のサラリーマンならおいそれとステーキを頼む奴はいないでしょう。それは、家の金だからです。行政改革が急務とされていますが、大阪市の役人をはじめ、組織を刷新してもこうしたコスト意識を持つ役人が育たないと、またどこかで無駄使いを始めてしまうことでしょう。

ところで、社会保険庁が実際にこうした対策をとった場合、平等という言葉の大好きな人々が「不公平だ」とか「医療を受ける機会は公平に受けるべき」とか、ごもっともなことを唱えだすことでしょう。それはそれで正論ですが、「年金なんか払ってもどうせ戻ってこないから」と時流に乗って支払わない人間がいるのも事実です。NHKの受信料不払いも同じ。不祥事が目立ったNHKですが、プロジェクトXの後番組のように手間隙かけた非常に面白い番組を作る能力もあります。隠れてそうした番組を見ながら、時流に乗って受信料は支払い拒否をするというのでは、我侭ないいとこどりでしかないといえます。

大阪市内の公園でのホームレス退去は、マスコミや支援者と呼ばれる方々が入り乱れて騒然としていました。博覧会を開催するため「汚いものは取っ払う」という行動は、古くは天皇行幸から、あちこちで開催された博覧会など毎度のように行われています。オウム信者の子供を自治体がこぞって受け入れ拒否したように、排除するだけでは何の解決にもならないことは目に見えています。先日、どこかの裁判所で公園を住所として認めるという判決がなされましたが、あの判決では、だからといって公園に住んでいい訳ではないという見解も示しているはず。そこを切り取って報道するメディアにも恣意的なものを感じてしまいます。

大阪府は、16歳未満の子供のカラオケボックスなどへの立ち入りを午後7時までとしました。ただ、厳しすぎるという反発に親子同伴なら午後10時までという例外(?)も盛り込んだようです。寄せられた意見の中で「親子の団欒を奪うのか」というものもあったとのことですが、いったい誰の意見なのでしょうか。子供の健全育成に命を燃やすPTAの方々が諸手を挙げて賛成しているシーンが浮かんでいますが、例えば、テレビなどは昔と違いほぼ24時間番組を垂れ流していますし、コンビニの登場で昔のように夜は何も買えないということもありません。そういう生活スタイルは変えずに、規則だけを変えるだけで昔に戻れという発想に無理があるような気がするのですが。

健全育成といいながら、無菌室の中で親の徹底監視で育てられた子供は、誰から見ても素晴らしいお子様に育つ可能性もありますが、一方で突然変異してあちこちで事件を起こしているのも事実です。大阪府は門限(?)を午後7時までとして、子供たちに何をやってもらうことを想定しているのかを明確に示す必要があるかと思います。家に帰って団欒せよということならそれでもいいでしょうし。建前だけの賛同を取り付けるような上っ面の規制を作るようなら、教育現場を混乱させただけの週休二日制のようなお手盛り仕事と同じです。

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February 01, 2006

フライトプラン

CinemaX第67回目。

フライトプラン
監督:ロベルト・シュヴェンケ
製作総指揮:ロバート・ディノッツィ、チャールズ・J・D・シュリッセル
脚本:ピーター・A・ダウリング、ビリー・レイ
出演:ジョディ・フォスター、ピーター・サースガード、ショーン・ビーンほか
上映時間98分
(公式サイトはここ

「大火サス」

なかなか映画に出演しないジョディ・フォスターによる久々の主演映画。3度目のオスカーは…この映画では無理でしょう。
この映画は、何も知らない素の状態で観るのが最も理想的だと思いますので、これから観る方は、ここから先の文章は読まないのはもちろん、あらゆる情報をシャットアウトすることをおすすめします。テレビなんかでCMをやっていたら、そのままチャンネルをガチャガチャ(?)回してください。

主人公のカイル(ジョディ・フォスター)は、自殺した夫の棺とともに、娘のジュリアと航空機に乗りますが、その中で娘が行方不明になる。空の上の密室での事件の容疑者は搭乗者全員…と、あらすじは、他の映画批評系ブログで読むことが出来ると思いますので、いつものように割愛します。
100分という程よい長さの映画ですが、それでも前半はかなりまどろっこしく展開します。シックス・センス以降、登場人物は死んでいるのに生きているつもりで話が進んで実は…という展開が使い古されてきましたが、この映画は「ひょっとしてそういう映画なの?」とあたかも観客が錯誤するような雰囲気をプンプンさせながら、不思議な映像を織り交ぜて展開していきます…実際はそうじゃないんですが。
まどろっこしい展開があまりにも続くと、キャストの魅力を味わうしかなくなってしまうのですが、ジョディ・フォスターの中性的な美しさは、退屈な展開を引っ張るにはちょっとキツいかなという感じもしました。女性に人気のありそうな彼女ですが、往々にして女性が魅力を感じる女性は、男性にはそうでもないと思えるものです。マックのCMに出ているエビちゃんしかり。逆に男性に人気のある女性は、女性からの支持を集めにくい傾向にあるようです。不思議なものです。
前半部分のまどろっこしさは、密室という面白い展開を抱えているだけにもったいないような気がしました。

ターン1までの評価「C」

航空機を舞台にした映画は、潜水艦とともに閉鎖された空間ということで設定に緊迫感が出てきます。加えて、男ばかりの潜水艦乗組員と違い、設定をやりくりせずに女性を登場させることも出来ます。フライトプランも、緊迫感の中で機長とCA、航空保安官と主人公を中心にストーリーが展開します。なかなか緊張感があるのですが、主人公のカイルが航空機メーカーの元技師という設定であるとか、都合の良さが見え隠れして雲行きが怪しくなってきます。
犯人は…あえていいませんが、この人たちを主人公にしても面白いのかなと思いました。犯人のうちの一人は、死んでしまうのですが、映画にありがちな「死んでせいせいした」という印象を抱くことが出来ませんでした。例えば、グリーンマイルで受刑者にわざと苦痛を与えたりする刑務官とか。そこまでの憎しみをフライトプランの犯人に抱けませんでした。裏を返すと、それだけ感情移入できなかったということ。さらに分析すれば、事件を起こす動機があまりにもぼやけすぎたということでしょう。その場限りの設定だけでは飲み込まれないタイプの観客の方々には、少々不満が残るかもしれません。

ターン2までの評価「B」

犯人は終盤、火曜サスペンスばりに、犯人が悪態つきながらべらべらと真相を喋ってくれますので、日本人には馴染みのある展開かもしれません。ただし、問題なのは、後半の最も盛り上がるべきシーンが航空機が着陸した後に展開するということでしょう。もったいないことに、自ら緊迫した設定を捨ててしまいました。おいしいラーメンを注文して、運ばれてくるなりスープを捨ててしまうようなものです。もったいない。
加えて、爆発シーンのCGのショボさが、一気に僕を現実世界に引き摺り戻してくれました。まるでエアフォース・ワン。1997年当時のCG技術では限界があるのでしょうが、航空機の中という緊迫感を存分に引っ張り出したともいえるエアフォース・ワンは、最後の墜落シーンで「あ~あ…あ~」とがっかりするようなCGが登場します。
CGは毒にも薬にもなり得ることをあらためて感じた、金を掛けた火曜サスペンスのような映画でした。

最終評価「C」

浅丘ルリ子のようなCAは必見です。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成18年1月28日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:180/296席
感涙観客度数:皆無

ついでに紹介!

ともに1997年製作でCGに強烈な印象が残る映画。ご覧あれ。

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