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October 27, 2005

中立性・公共性

千葉ロッテマリーンズが日本一になりました。思えば10年ほど前、旧フランコを率いて2位に躍進した第1期バレンタイン政権が思い出されます。あの頃の応援は今のような統制のとれたものではなかったように思いますが、いかにも西洋的という雰囲気のチームはこれまでになく斬新でした。そういえば阪神も海外から監督を迎えたこともありましたね。ブレイザー。
それにしても今のマリーンズの応援は凄いですね。タオルはもちろん、F1では警告を意味するブラックフラッグ、謎の長い布、虫捕り網、江戸時代の一揆を思わせるようなムシロ旗など小道具がたっぷりです。マリンスタジアムはもちろん、溢れかえった虎ファンにレフトスタンドの上に追いやられた甲子園でも存在感がありました。来年こそ…神宮で。
さてテレビ中継に関しては、特に関東ではテレビ東京の男気が光りました。パ・リーグの試合ということで関東のメジャーなキー局が見向きもしなかった中継をテレビ東京が途中から急遽番組を潰しまくって放映しました。しかも、試合終了まで、マリーンズのパ・リーグ制覇が決まった試合では、監督などのインタビューはおろか、ダラダラといつまでも中継しつづけるという「とことん」さが印象的でした。
まるで、昭和天皇崩御、大葬の礼など番組が皇室関係一色になった中でアニメを放映したテレビ東京の思い切りの良さを感じました。テレビ朝日も少しそういうところがありますが、日本シリーズ最終戦のTBS系列は、MVPを獲得した今江選手のインタビューを途中で切って時代の後追いもいいところのお笑い番組を優先するという、思い切り高飛車な中継の切り方でした。
こういう風を読めないことが、今の騒動を泥沼化しているのかもしれません。楽天、ライブドアなどITという実体のないものを扱って見た目の利益を膨らましてバカスカいろんなものを買っていくことに批判も根強いですが、村上氏が言っていた「何のための上場か」とは、核心を突いているように思います。
そりゃ、国営放送以上に東大エリートが牛耳っているような会社が後発の会社の傘下に落ちることなど許せないことでしょうが、この手の買収でさんざん聞かされる「公共性」とは「自分自身もちゃんと自覚をもっているのかいな?」と聞きたくもなります。サンデーモーニングの件しかり。

さて、先日も申しました通り、日本は自民党の対象を受け、増税一色になりつつあります。小泉首相が議員年金廃止を明示したのは意外でしたが、消費税引き上げだの、第3のビールの増税だの、環境税だの、来年度に向けて増税一色の暗雲が垂れ込めています。まあ「国民に後押しされている」と誤解するような状況になってしまっていることも一因といえますが。
そのなかで持論を翻して増税路線に走ってしまった政府税調の石某という人物に批判が集っていますが、これも当然です。例えば、諮問機関といえど会議がストップするほど頑なにNOという人間は少ないのですから。こういう諮問会議のような方法は、学識経験者や第3者に議論をさせて(いるようにみせかけて)予算なりをとろうとするのは国が得意としている一種の戦法です。この方法だと広く一般から意見を集めたと錯覚できますし、国民の批判から雲隠れすることも出来ます。ただ、このメンバーもやはり頑なにNOと言う人間はいませんから、事務局…つまり官庁などが思った方向にしか進まない会議になってしまいます。道路関係四公団民営化推進委員会は極めて特殊な例といってもいいでしょう。
役人が持っていきたい方向に会議を持っていって、それを根拠に国民の意見として予算をガッパガッパ引き出して思う存分使うわけですから、この国は腐ってしまいますね。
例えば、消費税を増税して、社会福祉に充てるという案も出ているようです。聞こえがいいですが、これまでと々失敗を繰り返す可能性があります。この手の予算は、効率的に使ってきちんと収支が合えばいいのですが、足りないと意味がないですし、余ってしまうとこれまでのように役人や政治家のパラダイスを作ってしまいかねません。社会福祉という点で拡大解釈すれば、以前のグリーンピアのようなものも社会福祉の一種ともとれます。こじつけようと思えば、何でも使えます。見かけ上の公務員削減を打ち出すだけで本当の意味での歳出の削減などどこ吹く風の中で、あのような失敗を繰り返すつもりなのでしょうか。

第3者といえばTBSが楽天の行動を敵対的買収と見るか否かを協議するため楽天側に何回も質問状を
送りつけています。第3者というより、TBSの応援団ということでしょう。視聴率買収疑惑を期に社内調査を行った日テレ、朝日新聞やNHKも確か外部から人を呼んで調査委員会のようなものを設けましたね。このように企業で問題があった場合は社外の人間を中心にした委員会のようなものが作られますが、こういうものは第3者という響きとは裏腹に中立性というものは全くなく、会社の応援団のようにしか思えばいのは僕だけでしょうか。
ここ数年は在京のキー局が順繰りに問題を起こしたり、巻き込まれたりするケースが相次いでいますが、その度に当事者は全てを否定するように何も伝えなくなる一方、他局が積極的に、時に面白おかしく報道することだけが目立ちますね。
これも「公共性」なんですかね。
teruteru

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October 22, 2005

ファンタスティック・フォー

CinemaX第54回目。

ファンタスティック・フォー
原作 スタン・リー、ジャック・カービー
製作総指揮:スタン・リー
監督:ティム・ストーリー
脚本:マイケル・フランス、マーク・フロスト
音楽:ジョン・オットマン、ミリ・ベン=アリ
出演:ヨアン・グリフィズ、ジェシカ・アルバ、クリス・エヴァンスほか。
上映時間106分
(公式サイトはここ

「ビビューン」

ファンタスティック・フォーは、アメコミ原作モノです。一時期は活況を呈したアメコミ原作モノですが、実際にはスパイダーマン以降、ヒット率が落ちているようです。そのなかでファンタスティック・フォーは、米映画界で予想外のヒットとなり、日本で上映されることになりました。まるでビビューン(→後述)のような映画ですが。

ファンタ…を簡単に説明すれば、宇宙線を浴びて不思議な力を手に入れるというものです。それ以外にほとんどドラマがなく、ベン(ズシーン?)の生き方にほんの少し内容があるぐらいです。特に元カレ、かつては恋仲だったリード(ビビューン?)と元カノ、スー(バシャーン?)は、くっつく・くっつかないというもどかしい状況を一生懸命表現しようとしているにも関わらず、全く感情移入出来ないという惨状です。セリフのやりとりも感情があるようで実は何もないのは、時代設定が分からない、主人公に魅力がないという点に問題がありそうです。
時代設定が分からないという部分に関しては、現在なら現在、少し先の話ならそうと説明してもらわなければ観客は置いてけぼりをくらってしまいます。例えばものすごく未来の話、全く別の星の話なら、風景などで表現する方法もありますが、やはり観客が生活している現在との接点を明確にすると感情移入もしやすくなります。
例えばバック・トゥ・ザ・フューチャーもしっかりとした時代設定が行われ、現在との接点が明確に示されていますし、あのオースティン・パワーズだって、いつの時代の話かをきちんと示しています。一方でフィフス・エレメントやポストマンは、おぼろげながら時代設定(ものすごく先の未来)が示されていますが、現在との接点が全くないために感情移入がしにくかった映画だといえるでしょう。
そう考えると、いつの時代のどこの話だか分からないようなスターウォーズは、キャラクターやメカニックのデザインがしっかりしていて、当時としては驚異的な撮影技術で観客を圧倒していなければ、単なる駄作に終わっていたのかもしれません。

ターン1までの評価「C」

主人公に魅力があれば、映画は見ごたえが出てきます。例えば正義の味方である必要はありません、強くなくてもいいですし、極悪人でもいい。観客が感情移入出来る部分があれば魅力的名人物になります。主人公が味気なく、周囲の人間に個性が出てしまうのは、素人シナリオによくありがちなんですが、ファンタスティック・フォーも同じような状況になっています。主役級の人物が進化を遂げた後は、アクションシーンはかなり見ごたえがあるのですが、ビビューンとバシャーンのくっつく・くっつかないという部分になると途端にテンポが鈍ります。もしかしたらセリフもさることながら、訳にも問題があるのかもしれません。

ターン2までの評価「B」

ファンタスティック・フォーに足りないものは他にもあります。「葛藤」「貫通行動」です。葛藤でいえば、例えばスパイダーマンは、主人公が特殊な力を得た代償にいろいろなものを失います。そこで悩みながらも悪と戦うところに観客は感情移入が出来るわけです。一方でファンタ…は、ゴム人間になろうが、火の玉になろうが、透明になろうがズシーン(?)を除き特に葛藤を感じるような部分がありません。個人だけでなく、人間関係で葛藤があっても作品に厚みが出てくるのですが、メンバーは途中、仲違いをする部分でも亀裂が浅いため中途半端に終わっています。
貫通行動も深刻です。メンバーは火の玉男を除き「元の身体に戻りたい」という動機から研究を進めるのですが、その熱意が伝わってきません。いくら貫通行動があっても、切羽詰った動機がなければ惰性で行動しているのと同じです。例えば、妖怪人間ベムとその仲間の「人間になりたい」という思いの一心で行動するのに比べると、ファンタ…の動機の薄さ(?)を感じることが出来るでしょう。

自分の姿と人生に葛藤しながら力を発揮するベンが唯一、血の通った人物のような気がします。原作がコミックですから人間的な部分を求めるのは酷なのかもしれませんが、生身の人間が演じる映画なので、決して切り捨ててはいけない部分だと思います。そう考えると、不完全な良心回路に苦しむキカイダーの設定というのは、当時としては斬新であり、多くの人々の心を惹きつけたのは当然ともいえるでしょう。

「最終評価B」

橋の上のシーンとか、終盤の街中でのシーンは迫力がありました。特にベンが走りまくるシーンにあわせて割と大きな地震(茨城県の一部で震度5弱)が起こりましたので相当に緊迫感がありました。観客が何人か逃走するなかで何事もなかったように上映を続けた劇場は根性があるというか、鈍感というか…。

幼い頃、超神ビビューンというヒーローものがありましたが、ベンを見て「ズシーンやんか」と思ったのは僕だけでしょうか。ビビューンや確か逆回しで水から飛び出してくるバシャーン、岩の塊のようなズシーンは、異彩を放つ特撮ヒーローものとして強烈な印象が残っています。ヒーローものといえば、今やイケメンを主人公に使う戦隊モノや石ノ森章太郎が死んだのをいいことにやたら変質した仮面ライダーが一般的になっていますが、アクマイザー3とか、宇宙鉄人キョーダインとか、続編はまずないなという込み入った番組が多かったように思います。
リアルタイムでは観ていませんが、「ルーロルロロ」とか「ズドドドバーン」など擬音を多用した主題歌に驚愕した超人バロム1や時代は下がりますが、これまた主題歌が「オーオオーオーオオー」ばかりの大鉄人17(ワンセブン)とか実写、アニメ問わず面白い漫画がいっぱいでした。だいがいの作品に石ノ森章太郎が絡んでいるというのが強烈ですが。今は別人と化した林寛子(扇千景ではない)の初々しさがまぶしい、がんばれ!レッドビッキーズやその続編も石ノ森章太郎ですね。
大鉄人17には、確か敵が作った18(ワンエイト)というのが登場するのですが、最後に「にいさああああん!」と言って爆死するのがあまりにも印象的で今でも忘れられません。

さて、ベンとズシーンはどちらかがパクリなのか、はたまたトランペットとコルネット、サイとカバのように別のルートを歩みながらも進化を経て近い場所にたどり着いたのか、疑問が残るところですが、検索によるとファンタスティック・フォーは1961年誕生、超神ビビューンは1976年放映開始。少なくともベンやズシーン以外のキャラの見てくれが似ていないことから、偶然近いところにたどり着いたのかもしれません。ゴールドライタンとサンシャインのように。

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似ていると思うベンとズシーン。

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ベンとズシーン、それぞれの仲間たち。

…写真、パクりまくってすみません。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年10月19日
劇場:シネマメディアージュ
観客数:10/94席
感涙観客度数:若干(観客の鼻すすり音で推定)

機械的な人物設定の中でベンの生き様だけが救いだといえるでしょう。

ついでに紹介!

バロム1の強烈な主題歌、未体験の方は是非!

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October 20, 2005

シンデレラマン

CinemaX第53回目。

シンデレラマン
製作総指揮:トッド・ハロウェル
監督:ロン・ハワード
脚本:アキヴァ・ゴールズマン、クリフ・ホリングワース
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ラッセル・クロウ、レネー・ゼルウィガーほか。
上映時間144分
(公式サイトはここ

「お腹が痛い」

たまたまお台場に行き、たまたまシネマメディアージュでも使える東宝株を持っていたのでふらっと立ち寄りました。年末に向けて力を蓄えているのかはたまた単なる不作なのか、ここ1ヶ月の映画は僕にとって興味を惹く映画はほとんどないので、消去法でシンデレラマンに決めました。
ただ、そのシンデレラマンもラッセル・クロウとレニー・ゼルウィガーという嫌いではないキャスティングでしたが、辛気臭く、特にこの日は朝から雨なので一旦あきらめて外に出ましたが…さらに雨がひどくなり、やむなく劇場に入りました。

世界恐慌後のアメリカを舞台に活躍したボクサーの話です。事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、これまで観てきた実話をもとにした映画は悉く事実に振り回され、オリジナリティを出そうと工夫した味付けがあまりにもばればれで、かえって痛々しくなるパターンが多かったように思いますが、いかがでしょうか?例えば、エリン・ブロコビッチとか、クイズ・ショウとか。果たしてシンデレラマンは?
世界恐慌の波に巻き込まれ、とんでもない貧乏生活を送っている主人公のブラドック(ラッセル・クロウ)は、日雇い労働の傍らボクサーをし、家族を養うという生活を送っていましたが、生活も不安定で…とあらすじを説明するだけでは能がないのですが、つまり「これでもか、これでもか」と貧乏生活の描写が続きます。
貧乏な生活の中でゼルウィガー扮する妻の品のある服装が気になりますが、これも裕福な生活から転落しているということで納得できます。そういう細かい設定が多そうな映画です。ただ、前半の貧乏話がまどろっこしくて平坦で、前半はドキュメンタリーでも見ているようでした。見る分には面白いのですが、これは映画ではありません。
この貧乏話が後になってブラドックの「メラメラ~」に響いてくるわけなので端折るのも難しそうですが、もう少し効果的にまとめれば、上映時間を少しでも短縮できるのではないでしょうか。いくら内容が濃い映画でもだらだらと長ければ評価する気もなくなりますし。

前半の評価「B」

この映画の特長は、シーンの繋ぎ方が絶妙なところです。一般的に「シナリオは省略の技術」といわれますが、この映画はその理論を地でいくものです。特に中盤からのシーン展開のテンポがいい。シナリオを勉強している人には勉強になるでしょう(僕も含め)。
家族の生活を必死に支える主人公の苦悩もそうですが、妻が抱える死と隣り合わせのボクサーである夫に対する葛藤も見所です。レニー・ゼルウィガーのぷっくり膨れる頬はかわいいですね。ブリジット・ジョーンズの日記で異彩を放って以降、人気とともに女優としての守備範囲も広くなり、いまや年齢不詳の女優となっていますが、彼女のキュートな部分は年を重ねても残ることでしょう。

「最終評価A」

シンデレラマンは、ブラドックという人物を知らないからこそ、楽しめる映画だといえるでしょう。もし、彼がどういう人生を送っているかを知っていれば、少し感想が変わってくるかもしれませんが。
理由は、その後の人生が幸福だからです。実話を映画化したものなら、登場人物の人生の一部分を切り取って凝縮するのは映画の作業ですが、この点は上手くいっているようでした。
例えば、ブラドックが「死ぬかもしれない」と観ている側はお腹が痛くなるほど緊張するのですが、タイトルマッチで命を落とすかそうでないかを知っているのといないのとでは、最後の盛り上がりに大きく影響してくるかもしれません…といってネタバレしてしまいましたが。そういう点から考えると、同じボクサーが主人公のミリオンダラー・ベイビーとは全く性質が異なるものだといえます。双方ともなかなかの作品とはいえますが。

シンデレラマンを通じて感じたことは「ヒーローは時代が作るもの」
小泉首相もかの太蔵議員も、この時代だからこそ頭角をあらわしたものといえるでしょう。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年10月18日
劇場:シネマメディアージュ
観客数:4/243席
感涙観客度数:不明(観客の鼻すすり音で推定)

ホームシアター状態でした。

ついでに紹介!

実は、シンデレラマンを観ていてガッツポーズをしてしまった(人が少なかったので思わず…)のですが、エニイ・ギブン・サンデー、バックトゥザフューチャー3も思わずガッツポーズをしてしまった映画です。ご覧あれ。

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October 19, 2005

古田監督誕生!

ヤクルトスワローズ、古田監督が誕生しました。南海時代の野村克也氏以来の選手兼監督、プレイングマネージャーは世間の注目を浴びています。来年はえせスワローズファンが増殖しそうですが、武上暗黒時代からひたすら応援し続けてきた僕は、これまで通り古田と心中する覚悟です。これまで通り「古田でダメなら仕方がない」ということです。
万が一、成績不振となった場合も愛情のある批判はすれど重箱の隅をつつくような叩きはやりません。マスコミも歓迎ムード一色ですが、一旦針が逆に触れると掌を返したように攻撃をしてくる恐ろしい存在です。そういう場合も盾となり、勝手ながらバックアップする所存です。といってもブログ上で訴えるぐらいことしか出来ませんが。
来年がものすごく楽しみですが、将来の現役引退時に予想していた過去例をみない盛り上がりは、監督兼任ということで少しソフトになりそうです。命を2つ持っているゾフィーみたいなもの。Xデーに直面した際の我々ファンの精神面でのショックは和らぐでしょうが、何だか残念なような気もします。

さて、定率減税廃止、酒税一本化など税制の見直しについての議論が活発化しています。見直しといっても増税一色のようですが。ここで何度も訴えましたが先日の選挙で自民党に投票した皆さん、「それでは話が違う」と思わないように。
あの選挙の焦点は郵政民営化だけですから。減税や年金改革などその他の要望は国民が勝手に期待を膨らませているだけですから、待ち望んでいるだけ無駄です。一応、「議員」年金改革には着手しようとしていますが、即時撤廃を打ち出す民主党に対して自民党は段階的撤廃。段階的というのは、政権が変わればどうなるか分からないということにもなります。
自民党が嫌いという訳ではないのですが、衆議院で与党が3分の2を占めるこの構造は危険です。バックについている役人はこれまでの失態を消し去ってやりたい放題。国民だけが痛みをともなう法案が出ても、与党内で反発すれば厳しい処分が待っていますから、そういうエセ構造改革に積極的に反発する自民党議員もこれまで以上に皆無…絶滅するかもしれません。
それにしても発泡酒、雑酒など研究開発を重ねて少しでも税率の安いビールもどきを作ってきた酒造各社のやる気を殺ぐ税制改革はいい加減やめてもらいたいものです。

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October 17, 2005

潮時

ネットでの殺人依頼の一件は、①ネットで不倫相手の妻を殺すよう依頼したものの実行されず「だまされたかも」警察に相談した女②不倫相手が自分の妻の殺人依頼をしたことを知り暴行した男の一件は、同じ事件だったのですね。ずっと別の事件だと思っていました。アーモンドグリコのような事件です。

さて、どういう病気なのかいまいち理解できない林家こん平に続き、三遊亭円楽が脳梗塞の疑いで入院しました。高齢化が目立つ焦点のメンバーは満身創痍、それでいて地方巡業が続くのですから強烈です。
出演者が何度か入れ替わり、司会の三波伸介、メンバーの三遊亭小円遊など既に鬼籍に入った方もいるのですが、桂歌丸を加えた林家こん平、三遊亭円楽の3名は昭和40年の笑点の前身番組のスタート時からのメンバー、いわば創業者のようなものです(円楽は一時離脱)。今のメンバーは一部入れ替えられているものの、自衛隊あがりの桂才賀(古今亭朝次)の離脱、三遊亭小遊三、三遊亭好楽(林家九蔵)の加入(復帰)以来20年以上もメンバーが変わっていないわけですから、司会とメンバー全てがオリジナルといってもいいといえるでしょう。
どんな長寿番組でもメンバー交代や番組そのものが終わるという潮時というものがあります。総とっかえという例では、先般のドラえもんの声優が記憶に新しいですが、メンバーが相次いで病に倒れるという寂しい状況になってしまう前に、笑点メンバーの総とっかえという方法もあったのかもしれません。ただ、出演者・視聴者の理解が必要ですし、サザエさんのように声優が引退または死亡するたびに入れ替えるという方法もアリだとは思いますが。
kuroneko

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October 15, 2005

払い出しセール

思い出し日記の続き。

ニッポン放送、阪神の次はTBSです。ニッポン放送とフジテレビ、ライブドアのゴタゴタを
対岸の火事のように伝えていたTBSが当事者になってしまいました。
今度は、楽天が統合を求めるという強硬なもの。一瞬の利益で揺らぐ雰囲気のあるライブドアに対し楽天は本気です。
東大出身の三木谷氏に対し、同じく未だに東大閥のエリート集団の驕りが残るTBSがどのように迎え撃つか。

さて、巷では日本語ブームであるらしく、日本語をテーマにしたテレビ番組が乱立しています。
答えは簡単、数々の日本語をテーマにした本が売れているからです。電車男に続く二匹目のどぜう(江戸風)を狙う鬼嫁日記とか、相変わらず各局が一方向に偏ってしまう傾向に変わりはありません。
実は日本語とは、実に曖昧で今時の若者が使う言葉もやがては現在使われている日本語と混合して吸収されていきます。
確か「当たり前」も江戸時代の流行語で、現在普通に使われている「やばい」「うざい」も既に市民権を得た感もあります。
早晩、NHKも「ダントツ」を「断然トップ」と言い換えなくなるでしょう。
日本語の多くの番組で金田一某(名前忘れた)が登場しています。祖父、父はあまりにも有名な国語学者、京助と春彦氏です。
この人が登場する番組では「標準語」という言葉を使いません。なぜなら、標準語というものは存在しないからです。
既にどこかの番組で解説したりしている可能性もありますが、日本語には標準語という定義がありません。
同じような意味を成すもので明治時代に何かで定義された「共通語」というものがあります。
東京地方の方言をベースにした共通語は、定義されたものの一般に浸透せず、自然発生的に「標準語」という単語が使われるようになったと記憶しています。
僕は一応、文学部なのですが、記憶がおぼろげなのは、国語学と言うものが面白くなかったからです。
必修科目の授業が恐ろしく退屈だったせいか、400名ぐらいいた同級生のなかで国語学を専攻したのはわずか3名でした。
それぐらい不人気なものを噛み砕くことで、これだけ面白くなるのは意外でしたが、普段使っている日本語を見直すというのは、素晴らしいことだと思います。
post

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October 14, 2005

久々の更新

更新が滞っていました。
ヤフーが無線LANサービスを有料に切り替えて、更新する場所と方法について結論が出ないでいたから、というのもあります。
結局、他の無線LANにするか、PHS接続に切り替えるかとかいう結論も出ていません。今さら不便なヤフーのADSLに戻して無線LANを使う気にもなれませんし、PHSは@FreeDで散々な目に合っていますから心配です。つわものどもが夢のあと、爆発的に設備投資が行われたもののブームが一気に去ってしまったPHSインフラを引き継いだウィルコム、どうなんですかね。漁夫の利となるかどうか。
結局、ケータイで接続していますが、写真のアップもままなりません。ということで、しばらくはこんなペースでやっていきます。

「何か事件があったら、このブログを見る」とは、地元の友達が言っていた言葉です。非常に有難いお言葉なのですが、更新が滞っている間にいろいろな事件が起こりました。そこでもいろいろなことを考えたのですが、最近の出来事を中心に思い出せる範囲で書き出してみましょう。

◎郵政民営化法案衆議院通過
僅か数票差で通過した数ヶ月前と違い、今回は解散総選挙という踏み絵を踏ませて200票差という大差で可決、参議院に送られました。そのなかでマスコミは翻って賛成票を投じた野田聖子議員を批判する姿勢が目立っています。
刺客を立てられたときは悲劇のヒロインとして、実力を棚上げにされたエコノミストとの選挙戦は、マドンナ同士の戦いとして追い回され、当選すればまるでジャンヌ・ダルクのように持ち上げ、賛成票を投じれば国会議員を何だと思っているのかと言わんばかりの批判…都合良すぎです。
だったら、初っ端から講演会なんぞで議会を欠席したカリスマ主婦を批判すべきではないでしょうか。主婦層からの批判を恐れているのか、自民党に威圧されているのかは分かりませんが。一般国民も刺客の一部が「その程度」の立候補であるということを良く踏まえ、これらの議員がどのように成長するか否かを注視する必要があるでしょう。特に「小泉さんが可哀想だから」という理由だけで自民投票を投じた主婦層の多くの皆さん。
ここは臥薪嘗胆、煮え湯を飲んで自民党議員として頑張りたいのならそれはそれでアリなのだと思います。ただ、この理論で選挙戦を戦ったわけではないのでやはりきちんとした説明が必要だとは思いますが。
一方で自民党執行部は、新人議員から選挙中に相手方から妨害がなかったかを事情聴取しています。これは欠席裁判もいいところで、「◎◎ちゃんにいじめられた」と自分のドラ息子だけの意見を聞いて学校や相手の親に怒鳴り込む勘違いな親と同じです。冷静に双方の意見を聞かないと。
北朝鮮では、金正日の後継者が登場するかもしれないだの、金氏が連日登場しただのを報じていますが、政治に限っては、日本も似たような状況なのかもしれません。

◎スワローズ、佐藤真一選手引退
プロ野球で引退というのはいくつか種類があって、クビ、自ら身を引く、クビになって潔く引退、一方で他球団にとってもらえるよう努力するなどさまざまです。また、引退の方法もさまざま。引退試合というのは最上級の待遇で、スワローズで言うと池山選手の引退がそれにあたります。池山選手の場合は、代打でなくスタメンでボロボロになりながらも最後までグランドに立つという風変わりなものでしたが、まさに選手冥利に尽きるといったものです。
一方で多くの選手は人知れず球界を去るというパターンで、引退セレモニーを開いてもらえるというのは、選手にとっても幸せなことだと言えます。
佐藤選手は、プロ入りが28歳と遅いものの抜群のバッティングセンスに定評があり、今シーズンも最初はスタメンで起用されたりしていましたが、若い選手の台頭に出番が少なくなり、引退することになりました。40歳になってまで、代打だけでなく守備固めとか、代走として起用されるのは凄くかっこいいと思っていました。
引退セレモニーでは「もういいだろう」というぐらいグランドを歩かされ、相手方のベイスターズファンからも祝福されていました。記録というと連続試合安打のチーム記録を作ったぐらいだと思いますが、まさに記録より記憶に残る選手だといえます。「もういいだろう」と思いながらも佐藤選手が戻ってくるまで帰らず待ち続けた他の選手を見ると「これも人柄なんだな」と思いました。
バットにボールを当てる技術はピカイチとされ、最終打席は暗黙の了解のバレバレの直球勝負ながらあわやホームランという2ベースでした。今後はその技術と人柄を活かし、コーチとして古田政権(になると信じている)を支えてもらいたいものです。

◎ネットで殺人依頼
自分の妻に殺人依頼をしたとして不倫相手を暴行、救急隊員が逮捕されました。先日の「ネットで殺人依頼をしたが実行されない、騙されたようだ」と警察に駆け込んだ呆れた女性も消防か救急隊員だったような気がします。この手の犯罪は119番の人が起こすというレッテルが貼られないかと心配になります(そんなことないか)。
それとも、それほど恋愛関係がディープなんですかね、この手の職業の人って。
呆れてしまうのは、ネットで簡単に殺人依頼をしてしまうことです。暴行された女性は、マスコミで報じられる印象だと束縛しいの男のわがままに振り回され、ついに耐えかねて殺人依頼に及び、バレて恋人から暴行されるという「被害者」のように扱われていますが、果たしてそうなのでしょうか。
人と人との付き合いは、池の鯉と同じで、池の中でどんなに嫌な鯉が暴れても、相手に文句を言うなり、我慢するなり自分なりに解決していかなければならないと思います。
いろいろな事件の被害者は、彼らの素性を知らない我々の視点からでは、全てが被害者だと思いがちですが、被害者にもそれだけの被害をこうむる理由がある場合も少なくはないはずです。この事件だって、束縛しいの救急隊員が依頼通り殺害されていれば「被害者」になり、一方的な情報しか入らない多くの国民は「全てにわたり被害に逢った人」ととらえてしまうことでしょう。
ただ、池の鯉が暴れるからといって、池から取り出して陸上に放置したり、殺して食べたりしてしまうと犯罪になります。池の中の状況でいかに問題を解決するか、現代人にはその部分が欠けているように思います。
だからこそ、安易に殺人依頼をしたりするのでしょう。ゲーム感覚で。

◎踏み切りをくぐり老人女性死傷
踏み切りでいたましい事故が起きました。事故によるダイヤの乱れで開かずの踏み切りをくぐった老女2名が死傷しました。踏み切りに「こしょう」という分かりにくい表示させていたJRにも問題があるとは思いますが、くぐりぬけをした本人、そのきっかけを作った最初に踏み切りをくぐった人も責められるべきでしょう。
赤信号でパラパラと渡る状況と同じです。ちょっとの勇気で出来るよう小悪党のような行動は、男性に多く見られる行動パターンだと思います。それにつられた老女が死傷したことになります。
きっかけとは、おそろしいものです。大阪花博で最終日は花を持ち帰ってもいいとおばちゃんたちが花をむしりとったのも、誰かがきっかけを作ったものでしょうし。
人間は、多くの人と共存しなければ生きていけませんから、自分の行動が相手にどういう影響を及ぼすか、考えていくことが上手に生きていく方法だと思います。
例えば、曲がり角で外側からショートカットして最短距離を歩こうとすればどうなるか、通路の真ん中をフラフラ斜めに歩いているとどうなるか。周囲の人々は歩きづらくて仕方がありません。曲がり角なら、競馬のように内側を通る人のスペースを作って曲がる必要がありますし、ゆっくり歩くのなら端を歩くべきでしょう。ただし、エスカレータはこの限りではありませんが。
僕は、小さな子供がいる交差点での赤信号はバカ正直に守ることを心がけています。小さな交差点の赤信号ぐらいなら、どうせ大人になれば守らなくなるのでしょうが、物事には何もかも基本があることを忘れてはなりません。
サラリーマンなんかにその横をフッと歩かれてしまうと全く意味がなくなるわけですし、最近では親が平気で赤信号で渡らせる光景もみられます。基本を知らないと中南米のどこかの国のように信号はオブジェ程度にしか用をなさなくなります。危険です。
一昔前までは、老人は心に余裕があるため運転にも余裕が出てきて安全運転を心がけるという理論がまかり通っていました。そういう人も多いかと思いますが、やはり年を重ねると判断能力は落ちます。当たり前です。特に何もかもスピードが早くなっている社会ではなおさらのこと。
昔の仕事では、車を運転する老人の横に乗ることが多かったんですが、前の車についていくパターンが多く見受けられました。わき道から大きな道に侵入する際も、ろくに左右を確認せず前の車について飛び出す。前の車がギリギリのタイミングで入っていたりすると事故に繋がります。怖い思いを何度もしましたが。
今回の事故を聞いて、このことを思い出しました。他の人がいくのなら安全だろう、そういう考えが老女2名を踏み切りの中に誘ったのかもしれません。
罪に問われることはないでしょうが、きっかけを作った人は、見舞いとか、焼香に行くべきでしょう。
ayayavs
あややVSジェンキンス

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October 07, 2005

タッチ

CinemaX第52回目。

タッチ
監督:犬童一心
原作:あだち充
脚本:山室有紀子
音楽:松谷卓
出演:長澤まさみ、斉藤祥太、斉藤慶太ほか。
上映時間116分
(公式サイトはここ?)

「クイズダービー」

来週あたりで公開が終了する「タッチ」です。コミックは1981~1986年、アニメは85~87年。僕はタッチには特に思い入れがなかったりします。実家の店(理髪店)にジャンプとマガジンしか置いていなかったのが影響しているのかもしれませんが、淡い恋愛は小学生のクソガキの心には届かなかったというのが性格なのかもしれません。アニメは中学生の頃ですね。この頃にはガンダムやマクロスに振り回されてアニメからもう足を洗ってしまっていたのかもしれません。日曜の夜、何となく観ることもありましたし、学校ではそれなりに話題になっていたので話の筋は知っています。確か女子生徒はタッちゃん派とカッちゃん派に分かれていたんですね。主題歌は印象的でした。

劇場版は、幼少時からの3人の説明からスタートします。南の母役のゴン中山の奥さんは速攻で死去。電力会社のCMでよく見かけていた生田智子ですが、女優としての露出度はかなり低い印象があります。未だに生田悦子と間違えますし。良いOL。

幼い頃から双子の兄弟と少女が約束した「甲子園に連れて行く」これが、登場人物の動機となり、和也・達也の性格の違いがあいまって「股割き」の状態になるわけです。これが重要です。シナリオスクールでは「リトマス紙」とかいう風に説明されるもののもっとデカい版です。「北の国から」もそう。母親の浮気現場を見た蛍と、そうでない純は、母親への思いという点で「股割き」になります。その差が以降のドラマのエッセンスとなっているわけです。

タッチは、同じ顔をした双子ながら、日常生活はおろかキスに対する思いとか行動とか、反応とか、そういうもので差が表現されます。キャストも王様のブランチに出ている双子、原作も髪型が違うだけでしたが、性格の違いで物語りに厚みが出てきます。ということで、このへんの評価は全て原作が優れているから言えることなので、劇場版のダメなところ、良いところを挙げて考えてみましょう。

『ダメなところ』

×カットがダメ
盛り上がるシーンでいきなりカットが入り別のシーンに飛ぶなどシーンの繋ぎが雑な部分がありました。シーンの並べ替えや繋ぎを丁寧にやれば、もっと盛り上がるシーンになるはず。

×アテレコ(?)がダメ
雨のシーンや球場のシーンなど雑音が多く入る箇所では撮影した映像に自身の声を吹き込んでいるのですが、これがダメ。映画の吹き替えみたいな妙な雰囲気が漂ってしまいますし、南と達也の息遣いは、大げさすぎてエロビデオでも見ているかのようです。

×テーマ曲がダメ
岩崎良美が歌っていた主題歌は、カバーされました。ユンナという韓国出身の女性が歌っています。カバーというと現代風にアップテンポな編曲になるパターンが多いのですが、原曲を尊重しようとしたのか、そもそも原曲がアップテンポだけに苦慮したのか、ベースラインがほとんど同じなのでカラオケでも歌っているようです。これではカバーの意味が全くないように思います。時折チャチャを入れたりエレキギターのダサダサのフレーズが入ったりと「カバーなんですよ」というアピールをしていますが、これがかえって邪魔。ユンナのけだるい歌い方も「×」心がこもらないのならルパンⅢ世みたいに外国人に日本語歌詞で歌わせろいと思いましたが、韓国の人でした(笑)
ユンナの経歴が分からないのですが、少なくとも歌では韓国や北朝鮮の人が日本語を喋る際にありがちな濁点が欠けているように聞こえるような感じもありませんでした。彼女は他の曲を聴く限り声量があり歌唱力があるようですが、原曲を始めて聞いたときの衝撃を考えると、タッチのカバーは少し甘かったように思えてきます。
実際の譜面を見たことがないのですが「あ~な~た~か~ら~タッチ!て~を~の~ば~して~」という部分は、拍子で言えば4分の4が4小節なのですが、歌詞とリズムを考えると、4分の4、4分の4、4分の1、4分の3、4分の4という風に錯覚します(実際にそうなっているのかもしれませんが)。前につんのめりそうな部分がタッチの主題歌の大きな特徴であるわけです。凄い曲です。だから下手にカバーしてほしくないと強く感じます。
この手のカバーで良いなと思ったのは、倖田來未が歌ったキューティーハニーぐらいです。もともとアップテンポで完成度の高い原曲にさらにアップテンポで対抗した向かい酒のような編曲が印象的でした。
エンドロールの曲を歌うのはYUKIなんでした。いい曲ですが、タッチと何の関係があるのか分かりませんでした。
実は脚本を読んで書いた曲で、こちらが「主題歌」のようです。なおさらわからん。

『良いところ』

○死んだ後、和也を一度も登場させなかったところ
達也も南、野球部員など周囲の多くの人間が死んだはずの和也に影響され続けます。このようなシーンは、声や回想、亡霊(?)など映像的に表現すると手っ取り早いのですが、その手法は使われませんでした。脚本や演出では苦労しますが、工夫をして安易な表現を避けると作品に重みが出てきます。一番盛り上がったと思われるテーマ曲が流れる前のシーンは特にそうです。ちなみに和也は死後、一度だけ映像が登場するのですが、これはこの筋の問題にはあたらないでしょう。

○長澤まさみがとにかく良い
タッチは、長澤まさみの演技ばかりが光る映画でした。彼女は東宝シンデレラのグランプリですが、さすがは20年で6回しか行われていない気まぐれなオーディションということもあり、受賞者は存在感のある女優が多いように思います。かつては俳優の入り順ばかりを気にするなど男尊女卑の傾向が強かったといわれる東映とは逆に「まず女優ありき」の東宝ということもあるからでしょうか。とりわけ長澤まさみは存在感があります。確か小学校を出るか出ないかの頃の受賞のはずですが、今の彼女を予想してグランプリを与えていたのなら凄いことです。僕が評価しているのは、物言わぬ演技力、そしてシフトチェンジのいらない容貌です。
俳優は、年齢を重ねるに連れてシフトチェンジが必要になります。例えば女優の場合は、娘役をしていたら、あるときから母親、老婆へと役どころが変わる時期があります。そのシフトチェンジが上手くいけば、役者として需要が出てくるわけです。男性で言えば、一昔前の津川雅彦は、ドラマなどで中年の渋さが光っていましたが、今は老人(?)として味のある演技をしています。これがシフトチェンジ。役所光司は、デビュー時に人気が出て暫くは低迷している感もありましたが、その後は中年へのシフトチェンジで一気に株が上がり、現在に至ります。ただ、年齢的に次のシフトチェンジが近いことが予想されますので注目です。
長澤まさみは、容貌だけをみると少女の若々しさもありますし、時折、演技の中に大人の色気や落ち着きもみせます。簡単に言えば年齢不詳です。恐らく40代、50代になっても雰囲気そのものは変わらないでしょう。つまり、シフトチェンジの必要がないということです。無段階変速。CVT。今後の彼女に活躍が大いに期待したいと思います。

最終評価「A」
粗い部分は少なくはないのですが、原作の秀逸さがその穴を埋めてしまいました。加えて長澤まさみの演技と存在感。長澤まさみに全部。♪チャララララララ~ララ~ララ~…。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年10月6日
劇場:シャンテ・シネ3
観客数:13/192席
感涙観客度数:1割程度(観客の鼻すすり音で推定)

単に死ぬということだけでなく、そのことに派生する部分やそれ以前の積み重ねがあると、やはり重みのある「泣き」がやってきます。

ついでに紹介!

高価な劇場版DVD-BOXとさらにクソ高いテレビ版のBOX。
コミックもいいけどやはりアニメの日高のり子もなかなかです。
「ごめん!キミコ!もう逢えない!」 アニメ違い。

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October 05, 2005

上っ面

倖田來未がベスト盤のアルバムでオリコンチャート1位となりました。シングル、アルバムを通じて初の1位。米国のビルなんちゃらで何位という経歴をひっさげて鳴り物入りでデビューした彼女ですが、デビューシングルが予想以上にコケてしまい低空飛行の時期が続いていました。スタートラインはBoAと並んでスタートした感じですが、BoAは遥か先を突っ走ってしまいました。
浜崎あゆみは一時の勢いを失い(本人がブレーキを踏んでいるようですが)、音楽業界ははっきりとした旗頭がいない群雄割拠の時代に突入しましたことは、演歌や新人の曲が上位に食い込んだりすることからも分かります。そのうち日本語が分かって歌っているのかいな?と疑問に思う韓流スターが登場するようになるのではないでしょうか。倖田來未のオリコンチャート1位は、その間隙を縫って獲得した感もありますが、何より歌唱力がある歌手です。欲を言えばデビュー当初より過激さを増したお色気路線抜きで勝負してほしいような気もします。

さて、小泉改革推進内閣から議員年金見直し、国家公務員削減などのが次々と打ち出されています。昔に比べれば前進といえなくもないですが、これを小泉改革などと評価するのは早すぎます。痛みを分かち合う「ふり」をしているかもしれませんから。議員年金見直しは、明確な時期が示されていません。国会移転問題と同じ。該当地域は誘致に奔走しましたが、結果的に時期が明記されていませんから、地域の人々は単に踊らされただけの状況です。
だらだらと先延ばしして、内閣が変わってしまえば有耶無耶になってしまう可能性がありますし、仮に見直されたとしても痛みがどの程度なのか、じっくりと見極める必要があります。大マスコミがきちんと報じてくれるかどうかが問題ですが。それよりも国が減税廃止など実質的なものも含め国民の増税に繋がるような予兆が次々と出ているにもかかわらずニュースへの露出度の低いこと低いこと。蛇やケイン・コスギを追い回す前にやることがあるでしょうが。結婚もしていないのに「どうして別れたんですか?」「どちらが切り出したんですか?」と真剣に質問する記者…アホか。律儀に答えるケイン・コスギが可愛そうになってきます…話が逸れました。
公務員削減についても同じです。国家公務員そのものを減らしても外郭団体を含めた全体の人数がどのように変化するかをみなければ意味がありません。数年前の改革で僅かに減少した公益法人の仕事は、一部は省庁に戻ってきています。その仕事を担当する国家公務員が削減されれば、再び外部に出てしまう可能性があります。
もとより公益法人を含めた全体の人数など把握するのが困難ですし、これまた大マスコミがきちんと伝えない可能性もあるので、煙にまかれないよう注意が必要です。
ただ、これから国家公務員になろうとする人の削減にはなりますので、長い目で見るとある程度のコストも削減できる可能性はあります。道路公団民営化と同じ。公団にぶら下がっていたファミリー企業は手付かずのままですから、今後どう淘汰されていくのかを見極める必要があります。
とはいえ、最近の流れをみると、やる気があるのかないのか分からないこの2点の「小泉改革」はサラリーマンを中心とした国民に「お前ら、これで我慢しろよ」と仕方なく示しているような気がしてなりません。優先順位は『増税>>>>公務員削減>>議員年金見直し」ということなのでしょう。自民党に投票した多くの主婦が求めている「年金改革」は議員年金見直しということで誤魔化されるかもしれません。

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October 03, 2005

概況(17年9月分)

昨夜、TBSが自らの歴史を振り返るような番組をやっていましたね。特に「ドラマのTBS」を振り返っていたのは見応えがありましたが、自らの衰退を暴露しているようで少し悲しい感じもしました。90年代前半までは「ドラマのTBS」として突っ走っていたことが分かります。それが今では…。
女性脚本家のカリスマとして人気があり、視聴率の撮りやすいキャストを揃え、かつ年1回という出し惜しみ(体力的なものが大きいようですが)をして「そりゃヒットするだろう」と思いたくもなる某氏が絡んできて以降、TBS、いや民法のドラマは沈没していったような気がします。最初こそ見応えがあったものの、この人の描くキャラは自分の心境をセリフでベラベラ喋ってしまうので、一見、名作のようでもドラマ全体が薄っぺらくなってしまう傾向にあります。
以前、この人の脚本で化粧品のCMで恋愛小芝居のようなものをやることになった時は「短い時間で恋愛感情をどう表現するのか工夫したい」ようなことを言っておきながら、結果は登場人物が「好きになっちゃったかもしれない」とストレートに言ってしまったのは本当にびっくりしてしまいました。目の前でウンコを投げて逃げてしまうような大胆さは評価できますが。

さて、遅ればせながら9月の概況です。

9月の重心指数
普段の仕事:30(±0)
シナリオ:30(±0)
その他:40(+20)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~9月の概況~
「普段の仕事」増減なし
10月以降、ゆるやかに忙しくなってきます。Sさんのマイペースぶりに振り回されて毎年「今度こそ辞めてやる」と思う時期だったりします。

「シナリオ」増減なし
例年は普段の仕事の時間に比較的余裕がある8、9月とフジテレビヤングシナリオ大賞の締め切りである9月末が重なる絶好の時期でしたが、今年は10月末にずれ込み書き出しのタイミングが掴めないまま10月に突入してしまいました。

「その他」増減なし
友人に依頼されてホームページを立ち上げてようとしているのですが、ゆーわーるどを作った5、6年前に比べてホームページの作成技術って飛躍的に進化しているのですね。というより、高度な技術だったものが一般の人が平気で扱えるようになったということでしょうか。おもちゃみたいで申し訳なく思っています。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」+2㎏
食べ盛りの時期に入りました、危険です。

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