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July 02, 2005

奇跡の

メグミルクが「牛乳が好きな人のメグミルク」なんちゅうのを出しました。他社の「おいしい牛乳」をはじめこの手の牛乳は、大げさな味がしてしまい、結局は「雪印のほうが美味かったなあ」と思ったりもします。この牛乳もしかり。美味いことは美味いんですが、以前の雪印にはかなわない。かろうじてタカナシの低温殺菌牛乳は、雪印の全盛時に近い味がします(むしろ美味いです)が、何せ高い。
メグミルクこと日本ミルクコミュニティは、空中分解した雪印の牛乳事業を引き継いだ会社ですが、嘘のように牛乳が普通の味になってしまいました。思えば、雪印ブランドの牛乳が消えることになって、各社が雪印の抱えていた膨大な販売シェアを獲得しようと躍起になっていたことが思い出されます。果たして現状はどうなっているんでしょうか。一方で一部コンビニなどでは雪印ブランドの小さなパック牛乳が未だに並んでいます。理由が良く分かりませんが、間違いなくこの雪印に手を伸ばしてしまいます。
今でいう企業の説明責任や情報開示への流れを作ったともいえる雪印の不祥事ですが、起きたことは仕方がなかったとしても(牛乳の『再利用』は不味いと思いますが)、少なくとも起こった後の対応がまずかったことから問題が拡大しました。

さて、アスベストによる被害がクローズアップされています。扱いやすく耐久性、耐熱性に優れた石綿は「奇跡の鉱物」とも呼ばれ、もてはやされましたが、いざ発がん性が指摘されると厄介者になっています。同じく扱いやすいことで「奇跡の流体」と呼ばれたフロンガスも、オゾン層破壊がクローズアップされると評価も地に落ちてしまいました。人体や環境への影響は、いずれも使わなければ分からなかった「副作用」といえますので、少なくとも危険性が指摘される段階までは、何故使ったのかとか、国家の責任だと問題の出所を追及するのは正しくないと思います。人間には、予知能力なんてありませんから。
人類は新しいものを発見、あるいは生み出しては、試行錯誤を繰り返すことで文明を築き上げてきたといえます。代替のものを生み出すことでも技術は進歩しますから。それを遡って危険性に対する責任を追及するのであれば、人間の行動は停止してしまいます。医療過誤に対する目が厳しくなっていますが、行過ぎた責任の追及は、医療技術の進化を妨げる可能性もあります。古くは麻酔の分量を誤って妻を失明させてしまった華岡青洲のように。この場合に「誤って」と理解するには、実際に麻酔を使用しないと判断出来ないわけです。
ただ、通常責任が問われる医療過誤や医療事故とは、単純ミスなどのほか、ミスを嘘で塗り固めたり、そもそもインフォームドコンセントがなされていなかったりとか、医療現場での対応に問題があるケースがほとんどなので、こういう事例は、積極的に責任を追及することが、開かれた医療に繋がることになるといえるでしょう。

そうなると、問題が起きることより、起こってから後の対応が重要になってきます。薬害エイズ、ヤコブ病などは、危険性が分かっていながら放置され、問題が拡大したものです。古くは4大公害病も、発症して苦しむ住民の声に行政や企業がもっと耳を傾けていれば、被害はもっともっと少なくなっていたことでしょう。これらの中には、多くの利権が絡んでみすみす放置された事例も少なくないようです(おそらく全てがそうでしょう)。
アスベストに関しても、危険性が指摘されてからの対応を注視する必要があります。日本では、発がん性が高いものを輸入禁止にしたのが1990年代半ば。石綿全体の製造や使用を「原則禁止」したのが昨年11月で、未だに「全面禁止」にはなっていません。欧米に比べて極めて遅い対応には、様々な利権が絡んでいることが推測されます。
他にも、米国からの牛肉輸入再開をゴリ圧しする一部の政治家や有識者の動きにも利権が絡んでいることが容易に推測できます。逆に、降って湧いたような橋梁談合の問題でも、恐らく裏には道路公団と国(国土交通省)との繋がりが以前とは違って希薄になったことが伺えます。つまり「見限られた」と。経団連の奥田会長が「談合はなくならない」と発言したように、あちこちの業界で談合というものは根強く残っているようです。ただ、これらの業界が摘発されるか否かは、利権の大きさと繋がっている場所(?)の力加減にかかっているような感じがします。
一般の目に余るような行為をする場合は別ですが、利権として魅力がなくなったり、業界そのものが上(?)から見限られた場合にこうした「さらし者」になってしまうような感じがするのは気のせいでしょうか。
最近も不公平税制の是正を訴えてきたような有識者が、政府税調に取り込まれるといきなり、サラリーマンの増税論をぶちあげましたが、これも珍しいことではありません。愛知万博反対をぶちあげて当選し、推進派に翻った某女史しかり。目に見えない強大な力はシロをクロにでもアカにでもしてしまうものです。恐ろしい。

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Comments

お邪魔致します。
少し、気になる事がありましたので、コメントさせて頂く事にしました。

花岡青洲が結果的に妻を失明にさせてしまったのは「(麻酔の分量を)誤った」ワケではありません。

「誤る」というのは、元々「正しくあるべきもの」が確定しているのに「正しく扱わなかった」と言う事であり、彼の場合は、「正しい量」を探し当てる為の「人体実験」の渦中だったからです。

しかも、彼の妻は、それが、いかなる目的でなされる事かを熟知し、自ら納得の上、身を投げ出したのです。

それに比べて、医療過誤を含む医療事故はあるべきことをなされなかった結果なのです。

しかも、被害者たちは、加療者たちを信じている・・・花岡青洲の、麻酔実験と並べられては困ります。

また、企業と言う名を語っての「企業人」による( ・・・ 多くの場合、一握りの人間の傲慢や怠慢による命令が起因しているようですから )多大なる事故については、危険性が発覚してからの怠慢などが被害拡大の原因なのですから、何が何でも許し難い。
 
世の中、信頼を裏切る事ほど卑怯な所業はないはずです。それは、家庭の中でも友人知人の中でも・・・企業・社会・国家間とエリアが広がったとしても同じではないでしょうか。

ちなみに、私は雪印をまだ許していません。
「個人の怠慢」が「個人」を殺したのです。
その責任は、あの対処では拭えない。。。

雪印もメグミルクも・・・手にはしません。

Posted by: REE | July 03, 2005 at 12:40 AM

言わんとすることはREEさんと同じなのですが…。
華岡青洲の場合は、後の人間からみれば、結果的に麻酔の分量を誤ったことになります。例えば妻の親族などが後から責任を追及しても、当時は試行錯誤の段階なので、そういう行動自体が矛盾することになります。
ただ、現代以上に責任が厳しく追及されるようになり、試行錯誤の段階でも徹底的に責任が追求される風潮になれば、例えば研究者などは失敗が許されないなかで躊躇していろいろな技術が進まなくなるということを述べたかったのです。
つまり、アスベストも当時は「善」だったわけですから、危険性が発見されるまでは、少なくとも使用に関して責任を追及すべきではない、と。そういう問題が浮上した後も使用し続けることが問題なわけです。

Posted by: yuworldmaster | July 04, 2005 at 05:29 AM

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