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April 20, 2005

表と裏

ローマ法王庁のコンクラーベ(根競べ?)は、呆気なくドイツのベネディクト16世を選出して終了しました。歴史的瞬間ではありますが、日本のメディアが経過を含め我が事のように伝えるのは、カトリックとはおおよそ関係のない大多数がクリスマスだけ熱狂的になる日本人の国民性にも似ているような気がします。これも、宗教を超えた積極的な活動を展開したヨハネ・パウロ2世の偉業を象徴しているのかもしれませんが。
郵政民営化法案は、自民党の部会で「執行部に一任」を強行しました。強引に話し合いを切り上げたことに反対派の自民議員は「けしからん」「茶番だ」と反発していますが、同じように国会で議論を切り上げ、年金制度改悪を強行したのは自民党議員である彼らです。あんたらに言われる筋合いはないと思うのは、僕だけでしょうか。
これは、度重なる反日活動に謝罪もせず、いざ日本国内の中国関連施設での嫌がらせがおこるといけしゃあしゃあと謝罪、賠償を求める中国大使館のようです。あんたらに言われる筋合いはないといいたいところですが、嫌がらせはいけません。相手が熱くなればなるほど、紳士的な対応が必要です。日本国民のみなさんも頭に来るのは分かりますが、ここは大人になりましょう。マスメディアでは、さかんに米国の新聞の論調をひっぱりだしています。やはり中国を非難するものが多いようですが、米国が言ったから「そらみたことか」とジャイアンの背後に隠れるスネ夫のような姿勢になるのも問題です。他国の威を借るのではなく、自分の言葉で論説を張りましょう。

さて、お台場のジョイポリスで死亡事故が発生しました。亡くなったのは、30歳の足の不自由な男性でした。ニュースの第一報は「無職の30歳男性」と表現してえっ?と思いましたが、介護職員を伴って石川県から遊びに来ていた身障者の方でした。身体の不自由な方なので無職であるというのはあまり珍しくないことだと思いますが、こういう場合にもマスコミが無職という表現を使うことにどこか悪意が感じてしまうのは、僕だけでしょうか。
どういう状況で亡くなったのかは、既にご存知かと思いますので省きますが、シートベルトを締められなければ本来は断るのが筋でしょう。実際はそうもいかない部分があったようですが、マーフィの法則「失敗する可能性のあるものは必ず失敗する」にあるように、失敗(=事故)の可能性のある芽を摘むことには少し鈍感だったことは確かなようです。
今後は、裏マニュアルの存在とアルバイトと許可を出した社員の意思疎通などがポイントとなるでしょうが、現場の職員が処罰されるだけなら、東武鉄道の踏切事故と同じことになってしまいます。これは、問題です。東武鉄道の踏切死亡事故は、明らかに人災ですが、踏切利用者の圧力に負けて、危険を承知で本来の操作方法に反して開閉を行っていたこと、そして東武鉄道がそれを黙認していたのが問題です。仮に企業側が本当に知らなかったとしても、到底許されるものではないでしょう。
事故には直接的に繋がりませんが、周辺住民の「うるさい」という苦情に配慮して警報を鳴らさないのも同類です。逮捕された踏切警手は、過失を犯しましたが、毎日毎回、危険と隣り合わせの剣が峰を伝っているような操作を行っていた以上、他の警手でも事故を起こす可能性があったといえるでしょう。一方で東武鉄道は2度の家宅捜索を受けながらも知らぬ存ぜぬの姿勢です。最近は、企業がこぞって××の一つ覚えのように謳うコンプライアンスは果たして徹底できているのかいなと思ってしまいます。
世の中、何事も表と裏があります。表だけで済むのならこれほどいいことはありませんが、裏があるからこそ社会が円滑に回っているといえます。東武鉄道の裏の踏切操作しかり、ジョイポリスの裏マニュアルしかり、本来のまともな対応しても別の意味でトラブルを起こしていた可能性があります。例えば東武鉄道が早期にあの踏切を自動化していたとしても、なかなか開かない踏み切りに対して利用者とトラブルになっていたでしょうし、少し前に中央線の踏切工事で一斉に叩かれたように、テレビなどで「開かずの踏切」と諸悪の根源のように取り上げられていたかもしれません。ジョイポリスも同じです。これまでもシートベルトが締められなくても利用した客は少なくないようです。この甘い対応から推測すると、現場の人間が断っても納得しない客も多かったことが予想されます。シートベルトの長さについての不備を指摘して逆ギレした客もいたかもしれません。そういう客の圧力に対して裏マニュアルは存在していたといえます。死亡事故が起きてしまっては「悪」ということになりますが、営業を円滑に進めるための方法の一つだったのかもしれません。
同じようなことが、六本木ヒルズでも起きました。機能性とファッション性ばかりが追及された自動回転ドアは、事故後に突貫工事で法令整備が行われ、稼動を再開していますが、敏感過ぎるセンサーや定期的に減速する構造がかえって危険という指摘もあります。僕が良く使うビルの回転ドアは、一度ではとても把握できない量の注意書きが貼られています。あまりの多さにバカ正直に読もうものなら気をとられて挟まれてしまいそうです。最近では、「法令に基づく速度で運転しています」という注意書きが貼られていますが、稼動再開時に比べて明らかにセンサーの感度が落とされ、減速も緩やかになっています。これがクレームに対応して行われたのなら、何のための法整備かという感じもします。
ちなみに、警備システムに使われているセンサーも場所によっては回路を遮断して「殺されている」ものもあるようです。一般家庭を中心に爆発的に広がっているホームセキュリティですが、センサーの精度の加減が難しく、精度を上げると誤報を連発、下げるとセンサーそのものの意味がなくなります。それでも大半は誤報なので、多くの警備会社は1回程度の発報では駆けつけてくれないケースが多いらしいです。逆にあまりに誤報を連発するセンサーは、業務に支障が出るので、警備会社が精度を極端に下げたり、回路を遮断してセンサーを殺したりする場合もあるとか(警備会社と顧客の合意のもとなら問題はないでしょうが)。これが本当なら、警備業務における一種の表と裏の対応ということになります。
自動回転ドアの事故は、ビル側と施工業者の責任のなすり合い、踏切事故は、踏切警手が逮捕されてトカゲの尻尾切りのようになっています。仮にジョイポリスの事故で現場のアルバイトや許可を出した社員が逮捕されるなら同じこと。このような事故は、現場の人間だけでなく全体の責任者、つまり企業が責任をとるべきでしょう。知らぬ存ぜぬは許されません。また、このような死傷事故が発生する重大な案件であればあるほど、企業が明確に方向性を打ち出すべきだと思います。かなりウロ憶えですが、例えばTDLでは、一部のアトラクションで身長の規定に達しない子供が並んでしまった時は、将来規定の身長に達した時に優先的にアトラクションに乗ることが出来るチケット(ファストパスみたいなもの)が配布されるようです。客と会社の板ばさみになるのは常に現場の人間ですから、こういう明確な方針を打ち出すのがベストではなくても、ベターだといえます。
あまり歓迎出来ない例ですが、銀行での預金の不正引き出しに対する被害者からのクレームに対して銀行は「きちんと対応した」の一点張りだったのも企業の明確な方針だといえます。これでは被害者は立て板に水。今でこそ不正引き出しに対する対策が進んできていますし、現場の銀行員がそれで気持ち良く働けるかは疑問ですが、銀行の例はともかく、命に関わる対応については、このような頑なな対応はあってもいいのではないかと思います。

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