阿修羅城の瞳
CinemaX第35回目。
阿修羅城の瞳
原作:中島かずき(劇団☆新感線)
監督:滝口洋二郎
脚本:戸田山雅司/川口晴
出演:市川染五郎、宮沢りえ、小日向文世ほか
上映時間119分!
(公式サイトはこちら)
「阿修羅…にあって、キャシャーンになかったもの」
原作者から分かるとおり、舞台が原作の映画化です。三谷幸喜作品など舞台を原作とする作品が多いですが、「劇場」という言葉が同じだけで、映画と舞台は別物だという見方もあります。一方でハリウッドなどでは、ミュージカルを原作にしている映画がヒットしたりすることもあり、十把一絡げに判断できないものでもあります。日本の演劇に問題があるのか、映画に仕立てる能力がないのか分かりませんが。ともあれ、「松竹も東宝みたいなことをやりやがる」というような作品です。阿修羅城の瞳にあって、同じく松竹が送り出した伝説の映画、キャシャーンにはなかったもの、それは何か。考えていきましょう。
冒頭シーンは、賛否両論あるでしょう。前菜とも言うべき部分をこれほどあっさり扱ってよいものか。タイトルが出てくるシーンは結構面白いと思うのですが、観ている側もポカーン。演じている役者も脚本の意味が分からないのか、頭の中で「?」「?」「?」を沢山浮かべながら演じている感じがします。キャシャーンと同じです。
文化文政期、江戸の町は鬼で溢れ、鬼御門という役割の連中が街中で鬼をきりまくるという時代です。この設定自体をナンセンスだと切り捨てるのは全く意味のないことなのですが、舞台脳へのシフトを完了している観客と、映画館で全く先入観のない(一部にはあるでしょうが)映画館の観客を同じように扱っているような気がします。テレビのようにあっさりとチャンネルを変えられてしまうことなく、観客を箱に閉じ込めることが出来るのは、舞台も映画も同じですが、観客の種類の違いを考えないと、映画を観ている観客は全く感情移入することなく終わってしまうことになります。この作品、著名な脚本家がついているので、このことを全く考えていないとはないでしょうが。
ストーリーをそのまま追っても意味のない映画だと思うので、まず、この映画の魅力的な部分をあげましょう。
第一に、役者です。市川染五郎の妙な色気と演技力、宮沢りえの不思議な魅力、この映画はこの2人でもっているようなものです。いくら話がメチャクチャな映画でも役者に魅力があれば、映画の魅力そのものも嵩上げされてしまいます。これは、最初にキャストありきの民放テレビドラマを擁護してしまいそうなのでシャクなんですが、阿修羅城の瞳は、今をときめくイケメン俳優やいつのまにか女優を名乗っているタレントなんかを使ったら大失敗する可能性がありました。伝説の映画、キャシャーンも主役にもう少しマシな人を使えば、ある程度伝説も薄れていたのかもしれません。いずれにしても強烈なエンジン(主題歌)に引っ張られているハリボテ飛行機という印象は拭えませんが(キャシャーンの話です)。
中村座のシーンも面白い。稽古の付け方や、当時の劇場内をしのばせる映像はこの映画の数少ない見せ場といえます。特に、まんま歌舞伎役者の役を演じる市川染五郎の演技力が光ります。宮沢りえの不思議な魅力を含め、ここで観客を引き込むことが出来たことが、阿修羅城の瞳をクソ映画に転落させずに済んだような気がしてなりません。剣が峰でふらふらしている状態ではありますが。
舞台など現実離れしたストーリー作りにおける醍醐味は、いかに史実と結びつけるかにかかっています。史実や現実と結びつけることで、観客は感情移入が可能になります。奇怪な戯曲を描く四世鶴屋南北と結びつけたのは、説得力を持たせることになっているようです。下北沢のアングラ劇で、突然タイムスリップしたり、いきなり異星の話からスタートするようなすっとんきょうな設定になっている内容が多いのも、それはそれで面白いのでしょうが、日常と離れた設定を楽しもうとか、例えば、劇団の熱狂的なファンで犬の食わないような話でも大爆笑したり号泣したり出来るような、舞台脳になっているからこそ楽しめるわけで、映画では通用しない手法だといえます。
市川染五郎の色気にも勝る役者に、宮沢りえの存在が挙げられます。婚約→解消→激ヤセと厳しい人生の修行を経験し、おそらく同年代の女性の何倍も成長しているであろう彼女は、年齢不詳の不思議な魅力を秘めている女優になりました。若き日の風船のようなパツパツ感はなく、復帰後の激ヤセぶりは世間の同情をかいましたが、今では首筋の血管や背中、腕の痛々しい細さも逆に妖艶に感じられるほどです。それでいて、時折ポカリスエットのCMに出たり、とんねるずにいじられていた頃の「少女」の宮沢りえの表情も見せる。不思議な女性です。これからが楽しみです。
一方で不味かったのは、渡部篤郎の演技です。ストーカー役でセンセーショナルに登場した彼は、いろいろな味のある役を演じていますが、個人的にはつぶしのきかないワンパターンな演技が少しくどく感じられます。笑顔まじりにボソボソとセリフを言うのが彼の演技の特徴なんですが、映画の中であの笑顔がどれほど観客を混乱させ、雰囲気をぶち壊しにしていることか。ナレーターとしては味のある人ですが、あの演技が彼自身の可能性を狭めているような気がしてなりません。
と、評価できる部分があるのは中盤までで、終盤に阿修羅城に乗り込んでからは、キャシャーンと同じ穴に篭ってしまいます。僕が話に追いつけなくなったのは、話が壮大になりすぎていること、敵味方が入り乱れて誰が何を考えているのかが分からなくなったこと。阿修羅の顔にそのままほくろが残っているのも変なような気がしますし、最後のシーンもタイタニックばりに「えっ?」と納得が出来ませんでした。登場人格が崩壊しまくるなかで、樋口可南子の顔を見ると、キャシャーンを思い出してしまうスパイラル。最初も雑なら最後も雑。なんか凄い映画でした。傷を舐めるシーンは衝撃的ですが。このシーンは、舞台には出来ない、アップでとらえられる映画ならではの迫力でした。
最終評価「C」
阿修羅城の瞳にあって、キャシャーンにはなかったもの、それは役者の演技力でした。キャシャーンは、唐沢寿明の演技も作品全体の評価には全く繋がらないほど強烈な映画でしたから。阿修羅城の瞳は、過去3度舞台で上演されているようです。1987年、2000年、2003年。松竹と共同プロデュースされた2000年以降は、市川染五郎が映画と同じ役を演じています。一日の長あり。ただ、原作モノの映画化は、話をぶち壊しにしないよう気をつけながら、どこを切り捨ててどこを変えるかがポイント。残念ながら舞台は観たことがありませんが、この辺の調整がうまくいけば、もう少し面白い作品になったのかもしれません。映画館を訪れる人々が増え、DVDソフトの売り上げも好調であるなど日本映画にとっては追い風が続くなか、松竹は、歌舞伎役者を使えるという武器があるのでもう少し頑張ってもらいたいところ。東映よりは頑張っていると思いますが。
~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年4月16日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:18/130席(初日でこの観客数…心配です)
感涙観客数:若干
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定
阿修羅城に乗り込む前に少し泣けるポイントがあるらしいです。
ついでに紹介!
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