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April 29, 2005

何か変だ

JR福知山線の事故で犠牲者が100名を超えました。痛ましい事故を見るたびに、何事もなく生活するのはいろいろなことがいろいろなバランスで支えていることによって成り立っているのかなと思います。そう考えると、一瞬にして何もかも失った犠牲者や遺族の方々が不憫でなりません。

テレビや新聞では、こぞってオーバーランや脱線のニュースを取り上げています。日記で何度も触れましたが、ある事故後に関係のない場所で似たような事件が起こるのは、連鎖して起きているというわけでなく、マスコミがわざわざ大きく取り上げていることも原因です。20メートルは問題ですが、3メートルのオーバーランでも大きく取り上げて「運転士に過度なプレッシャー」と結論付けたり、常磐線特急とトラックとの衝突事故も、歪曲してわざわざ「脱線事故」と報じています。確かに脱線はしているんですが、けが人も少なく本来は地方紙や大手紙の地方版に載る程度の事故です。それなのに「また脱線です」とぬけぬけと報じるニュースキャスターの神経もどうかしています。
JR西日本のオーバーラン回数の多さを問題視する新聞もありました。JR各社にも取材するのはご苦労なことですが、JR東日本は未回答なのに「最も多い」「異常な多さ」と騒いでいます。JR西日本と同じく営業エリアが広く、都市圏の通勤電車を抱え本数が多いJR東日本がある程度の数字となっていることは素人考えでも分かります。例えば、JR東日本とJR四国では列車の運転本数だけを比べても天と地ほどの差があるはずです。JR東日本がオーバーラン件数のデータを持っていないとは考えにくいので、運営状況がそれぞれ異なるJR各社を並べて単に回数だけで比較されることに疑問に感じて出さなかったのでは…というのは考えすぎでしょうか。はたまた報じる側が「これでは都合がわるい」と消してしまったか…これは考えすぎですね。
また、これはJR西日本の情報公開に対する姿勢に問題があるのですが、マスコミはこぞって労組に取材して正論のごとく報じています。JR労組ならJR側と敵対していないはずですが、本来、企業と労組は相対するものです。片方だけ取材して全てであるかの如く報じるのは、問題があるような気がするのですが。

今、NHKでNHK予算の国会審議のもようがダイジェストで放送されています。前会長の国会での参考人招致を報じなかったことに対する批判を反省してか、最近はこの手の話題も出来るだけ時間を割いて放送しています。今回も今後のNHKの決意みたいなものも織り交ぜて放送していますが、週刊誌の情報に染まってしまった国民の眉は、ちょっとやそっとじゃ乾かないでしょう。冒頭「視聴者の方の意見を聞いて」とあり、メールやFAXで意見を求めるのかと思いきや、各省庁の審議会に引っ張りだこのお抱え評論家、見城某女史が視聴者を代表して質問するというものでした。それが、台本を読むように誰でも知っているようなことを聞いて、おべんちゃらを言うだけ…郵政民営化についてもそうですが、この人は、いつもいつも強い側の味方になって都合の良いことしか言わない印象があります。
NHKには、NHKにしか作れないなと思う見事な番組がたくさんあります。不祥事が問題になった後も番組そのものの質は全く落ちていません。それだけ豊富な資金があるからでしょうが、こんな茶番劇のような番組を作るのなら、淡々と審議を流して、余った時間を他の番組に割くべきだと思います。地上派デジタル化の暁には、今のBSのようにタダ見は出来なくなるようですので、受信料の支払い拒否はそこで一段落となるようです。仮にNHKの幹部が、それまでの辛抱などと考えているのなら、今後は番組の質そのものが落ちてくるかもしれません。これまでの体制に問題があってボロボロと垢が出ているわけですから、組織全体に影響が出ないとは言い切れません。

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April 27, 2005

キャビン・フィーバー

CinemaX第37回。

キャビン・フィーバー
監督:イーライ・ロス
脚本:イーライ・ロス/ランディ・バールスタイン
出演:ライダー・ストロング、セリナ・ヴィンセントほか
上映時間93分
(公式サイトはこちら

久々の銀座シネパトスです。道路の下に劇場が埋まっている銀座シネパトスです。泥のような臭さが漂い、地下鉄が通ると足元からゴトゴト振動が伝わってくる銀座シネパトスです。この振動がタイミング良く重低音の音声と重なったり、怖いシーンに重なると作品の雰囲気が増大します。大概は邪魔なタイミングが多いですが。

本編はたった93分ですが、オープニングが意味もなく長いです。画像の荒さはブレア・ウィッチ・プロジェクトよりマシですが、風邪を引いた時に観る夢のような霞がかかった黄色の強い映像は、慣れるのに時間がかかる方もいるかもしれません。ストーリーは、最後の夏休みを山小屋で過ごそうと大学生の男3人、女2人が向かうというもの。そこではある病気が蔓延し…詳しくは公式サイトに書かれていると思いますが、実はそれほどメリハリのある話ではありません。

登場人物は皆、知らない俳優ですが、マーシー役のセリナ・ヴィンセントという女優は、若き日のキャメロン・ディアスの雰囲気を思い起こさせます。おまけに本編ではキャメロン・ディアスが演じることがなかった素っ裸でのSEXシーンをバンバン(といっても2回ですが)繰り広げます。もう一人の女優も魅力があります。この映画は男優も含め無名ながらキャストにある程度魅力があることが救いなのかもしれません。多くの映画は話が面白くなくても、キャストに魅力があれば救われます。ということは、まず、キャストありきの民放テレビドラマの考えは間違っていないのでしょうか…いかん!いかん!いかん!いかん!

脚本を作る際には、ベターよりもベストの選択でシーンを重ねていきます…つまり、一つのシーンの次に飛ぶときに、いくつかの選択肢があるなかで最も良いと思われるシーンを選んで進むと言うものです。良い映画というのは、この選択が上手くいっていることが多い。こんなことが出来れば、誰でもプロになれそうですが、こんな難しいことはない。いいSF映画やホラー映画も構造は同じです。登場人物は最悪の選択をしながら、構造上はベストのシーンとして選択されていきます。例えば、登場人物が余計なことをして、さらに事態を悪化させて話を広げていくのもベストな選択といえます。「あー、やっちゃったよ」感は観客をそれだけ話の中に引き摺り込んでいるともいえます。キャビン・フィーバーは、途中まではこの選択で進んでいることが分かります。

前半まの評価「A」

キャビン・フィーバーは、主役級の5人のバランスが絶妙だったりします。人数もそれぞれの関係も絶妙。その5人が、続けざまにおそってくる出来事に対してそれぞれの反応をします。シナリオ学校でよくいわれるリトマス紙です。ただ、残念なのは後半になると行き当たりばったりの展開になること。登場人物がぶつかるイベントというものは、ぶつかるという必然性がなければなりません。例えば、ホームドラマの主人公が道を歩いていて隕石に当たるのもイベントですが、話の筋からすると唐突で、これではストーリーが壊れてしまいます。実話なら許されますが、脚本では視聴者を置き去りにすることに。ただ、現実にはこういう話も起こりうるので「事実は小説より奇なり」となるわけです。

キャビン・フィーバーで残念な点はまだあります。登場人物同士のぶつかり合いが少ないことです。宣伝では「生き残りたければ誰も信じるな!」と謳われていますが、そういう感情を持っているのは2人だけ。みんなが「生き残りたければ誰も信じるな!」という感情をむき出しにしてぶつかり合えば、もっと見ごたえのある映画になっていたのかもしれません。ただ、こういう設定になれば後半のセリナ・ヴィンセントのSEXシーンはなくなってしまいますので、殿方の楽しみはなくなってしまうかと。後半の行き当たりばったり感を含め、強引にこのSEXシーンにもって行こうとしているんではないかと思うほど、無理矢理な設定になっています。

最終評価「B」

やはり、後半の行き当たりばったりな展開が残念でした。6:4の割合で4が行き当たりばったり。この比率を少なくすることが一流ホラー映画への道なのかもしれません。ただ、今はメジャーでも行き当たり」ばったりのホラー映画が多く、おまけに怖さの対象が霊だったりこの世に実在しないようなもの(説明がつかないもの)も多いですが、キャビン・フィーバーはその点ではアナログながら理由もあるていど筋が通っていますので好感が持てます。映画の最後での電車のブレーキのようなフッとした力の抜けたオチも面白い。ファンタジー小説家に脱皮したくてもがいている鈴木光司の背中に針を突っ込んで、エキスをちゅうちゅう吸い尽くそうとしている中田某監督の映画とは違うような気がします。何匹もどじょうを追っかけていると、小さな子供は井戸やテレビは女が這い出てくるものだと勘違いしてしまうじゃないですか。

この映画を見ると、他人の咳に余計神経質になってしまいます。今、マクドナルドから更新作業をしていますが、一番向こう側にいる新入社員か就職活動中と思われるスキンヘッドの若者がさっきからゲホゲホとやっています。手を当てるぐらいしろよ…と思ったらおっさんでした。くちゃくちゃ音を立ててモノを食うおっさんも多いですし、これまで決して短くはない人生で誰にも注意されてこなかったのか、不思議でなりません。

キャビン・フィーバーは、結構前評判が高かったりしますが、これは「B級映画の割には」メジャー映画のように面白いということなのでしょう。綺麗なAV女優が芸能界に入ってもたいがいが売れずに元のサヤに戻ったり消えたりするのに似ています。この場合はどちらがB級ということもないんですが、やはり世界が違うんでしょう。B級映画とメジャーの差は、金をかけた分、話や映像の作り方が丁寧なところにあるでしょう。もちろん、全てに当てはまるものではありませんが、満足に資金をかけられないB級映画でもアイデアと丁寧な作りの作品が作られると、地方競馬から上がってくる競走馬のように「お、なかなかやるな」となるわけです。残念ながらキャビン・フィーバーはそこまでは届かなかったようです。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年4月25日
劇場:銀座シネパトス
観客数:19/200席
感涙観客数:なし
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定

ついでに紹介!

「真夏の出来事」です。1998年、メリーに首ったけの予想外のヒットでブレイクしたキャメロン・ディアスが、それ以前に出演した映画の中で最も魅力が引き出されていると思われる作品です。あとの映画は意味不明なものが多い。真夏の出来事は、猟奇的な内容ですが、怖さや出来は今二歩。マスクの頃の彼女は本当にたいしたことがなかったんです。メリー…の人気で後付けされた感じ。当時はジム・キャリーの映画という印象しかありませんから。今の彼女もたいしたことがなくなってしまいましたね…。

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April 26, 2005

観る側のエゴ

現在、退屈な会議中に更新作業を行っています。突貫工事です。突貫工事には訳があります。どうしても早い段階で更新しなければならないからです。

JR福知山線でいたましい事故が起きました。実は、この事件で日記の更新スケジュールも少し狂っています。本日公開予定だったCinemaX「キャビン・フィーバー」は明日か明後日に延期、交通博物館の見学記はもう少し先になりそうです。折りしも仕事中の暇にかまけて、残虐シーンが繰り広げられる映画と鉄道を主に扱う博物館を観たばかりでした。テレビ局は、鉄道を題材に扱う番組を延期したりしていますが、過剰な気遣いは逆効果な気もします。
マスメディアは、事故後、時間が経過するごとに事故関係者を傷つけていっています。被害者を捕まえて事故の状況を質問していますが、なかにはふるえる口でコメントする被害者もいます。コメントを無理強いするのは事故の体験を再び思い起こさせたりすることにもなりますし、遺族や家族にコメントを求めるのは彼らの心の傷をさらに深く抉ることになりかねません。「特にコメントすることはありません」という被害者遺族にさらに質問を浴びせる記者達。そんな残酷なことをしておいて、暫く経って「被害者に心の傷」とか「PTSDの兆候」などと報じる訳です。少なからず心の傷に少なからず塩を塗っているのは自分たちだというのに。一種のマッチポンプです。
こういう時にマスメディアが行うべきことは、事故の原因のあらゆる可能性を探ることです。警察や関係省庁も原因調査に乗り出すでしょうが、やはり限界はあります。こういう時こそマスメディアの強さを活かして学識者や経験者などの意見を集めたり、過去の事故との関連性などを徹底的に探るべきだと思います。各社にはそれだけのライブラリーがあるでしょうし。
忘れてはならないのは、被害者の視点です。事故の悲惨さばかりを報じるばかりでなく、被害者やその家族の立場に立った報道を行ってもらいたいものです。事故で引き裂かれた家族の悲劇やレスキュー隊の武勇伝などは、涙や感動を誘い話題にはなるでしょうが、それは「観る側のエゴ」であることを忘れてはなりません。

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April 25, 2005

真夜中の弥次さん喜多さん

CinemaX第36回。

真夜中の弥次さん喜多さん
原作:しりあがり寿
監督・脚本:宮藤官九郎
出演:長瀬智也 、中村七之助、小池栄子ほか
上映時間124分
(公式サイトはこちら

「口直し」

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』をベースにしたしりあがり寿の傑作マンガ『真夜中の弥次さん喜多さん』とその続編『弥次喜多in DEEP』を、人気脚本家の宮藤官九郎が映画化。主演はTOKIOの長瀬智也と中村七之助。お伊勢参りに向かう弥次さんと喜多さんをユーモラスたっぷりに描く…yahoo!MOVIESのコメントそのままパクリ。
自分でコメントする気力もなく…。

映画を見ながらノートをさらさらとメモをとるんですが、真夜中…はわずか15行しか書きとめることが出来ませんでした。ただ、長ければいいものというものではなく、A4の紙2枚の裏表にびっしり苦情を書いたキャシャーンは記録的な長さですし、逆に面白すぎてメモを取り忘れたものもありました。真夜中…が短いのはそういう理由ではありませんが。

本編は寅さんチックな雰囲気でスタートします。冒頭のYAJI×KITAのロゴも何を狙いたいのか早速不信感増大。
映画の題材は、ホモ、クスリとシナリオ学校では「扱っちゃいけないよ」と注意されるタブーがいっぱい。時代設定もメチャクチャです。「常識」という目で見ようとするとバカを見てくたびれるので、そういうものを全て捨て去って、産まれたまんまの自分でこの映画にぶつかることが必要です。服を脱ぐという意味ではなくて(当たり前か)

脂の乗った長瀬智也と早々と禊を済ませた中村七之助など登場人物には魅力があります。阿部サダヲも強い。七之助の父親、中村勘三郎も登場します。キャストでは中村勘九郎なので、泥酔パンチ事件がなければとっくに公開されていたことが推測されます。キャストや宮藤官九郎独特のセリフまわしは魅力があるんですが、全体の流れをさえぎる小道具を散りばめたような演出とジェットコースターの勢いもない割に蛇行するストーリーが観ているものを混乱させてしまいます。整髪料のCMが印象的で音痴な娘役として出演した清水ゆみは可愛いですね。ややこしい組み合わせのハーフかクウォーターなんですよね、確か。小池栄子もいい演技をします。当たり外れの大きい博打的深夜ドラマ、美少女Hからデビューした彼女ですが(確か)、真夜中…で新たな可能性が垣間見えた感じがしました。

宮藤官九郎全て良しと信奉する方々には申し訳ないですが、彼が監督や演出で自ら映像を作るという能力は万人ウケしないような気がします。舞台演出と映像の演出は別物です。上手く説明できませんが、立体的な空間のとらえ方は何の恐れもなくいろいろな方向に思考が広がる子供のような感覚をイメージさせますし、独特のセリフまわしも観客の感情をゆさぶることも少なくはありません(特に今放映されているタイガー&ドラゴンとか)。いろんな意味で天才的な才能を持っていると思いますが、映像を作る際にはその才能が邪魔をしているのではないかと。まるで、散らかった家の階段のようです。歩くたびにレゴのかけらとかウルトラマンのソフビ人形を踏んでいるような感じ。これで映画に集中しろというのはどだい無理なわけで…。

映画を観てよくよく考えてみると、前半、中盤、後半と話の質が変わっていることが分かります。原作を読んだことがないので何とも言えませんが、欲張らずどこかの部分だけ掘り下げてもよいのかと。オムニバス形式の展開も面白いですけどね。キャストを変えても舞台ならもう一度観てみたい。

最終評価「判定不能」

この映画は、塩辛など珍味のような映画です。たまに観るのはいい。観るとまた、いい映画が観たくなる。そんな口直しの映画としてご覧になるといいでしょう。熱狂的な宮藤官九郎ファンを除き(通ぶってクドカンなどと決して呼べません)。あえて評価をつけろというなら、EとかFをつけてしまいそうですが、簡単に評価できない部分もあります。個人的評価なら、伝説の作品キャシャーン並みということになりますが、変に格好をつけていないという部分で異なります。キャストの頭の上に「?」が浮かんでいる幻覚さえ見えてくるキャシャーンとは違い、真夜中…は、監督やキャスト面白がって作っているという雰囲気は伝わってきました。それがこの映画の救いなのかもしれません。

きのこが当分、食べたくなくなりました。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年4月23日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:35/130席
感涙観客数:若干
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定
適当に鼻すすり音が聞こえます。

ついでに紹介!

連続ドラマ「タイガー&ドラゴン」の源流、今年1月に単発で放送された「三枚起請の回」男たちの刺青の意味が分からない方、何でヤクザが落語をやっているのか未だに疑問に思っている方におすすめ。
もう一本は真夜中…に登場する「ひげのおいらん」これ以上何も語る必要はないでしょう。

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April 24, 2005

祝2000本安打達成

ヤクルトスワローズ、古田選手が2000本安打を達成しました。
捕手では野村克也以来史上2人目、大学、ノンプロを経験した選手では史上初の快挙…というのは既にご存知の方も多いところ。何かと野村克也の弟子のように扱われますが、通算2173安打、生涯打率.319を誇る現ヤクルトスワローズ監督、若松勉とも高校からノンプロを経験してプロ入りが遅かったことなど共通点があります。若松監督は人情厚く、同じく正捕手候補として悩みに悩んでプロ入りしたものの古田に先を越されてしまった中西親志をバッテリーコーチとして採用し続けています。ケガでほとんど実績がないのに引退後に年寄の声がかかった服部みたいなものでしょうか(固辞したと記憶しています)。

中西も現役での記録は本当にパッとしないんですが、これも運命なんですね。飯田哲也(楽天イーグルス)、また、八重樫が代打の切り札となり、古田がレギュラーを確保するまでの短い間だけ正捕手をつとめた秦真司も八重樫幸雄(打撃コーチ)が全盛の頃に力をつけていれば、間違いなく正捕手になり続けられた人材です。一方で「古田以降」も優秀な捕手がレギュラーとして芽を出すことなくトレードに出されたり、消えたりしています。レギュラーの席がたった1つのポジションですから、厳しい世界ですね。捕手というのは、僕が小さい頃は少年野球でもあまり人気のないポジションでしたが、古田や城島、阿部などの活躍でステイタスは向上していることでしょう。

武上暗黒時代を経験した人間としては、近年のスワローズ人気は信じがたいことです。楽天イーグルスが弱いとかさんざんいわれていますが、毎年のように「開幕逆ダッシュ」を繰り返していた1980年代半ばのスワローズに比べれば夢みたいに恵まれています。1985年は5月末までで9勝23敗とか、86年は12勝27敗とか。それでも優勝を信じて応援していたのですから、当時のスワローズファンの精神構造は尋常ではなく、ファンになるだけで精神力が鍛えられました。楽天は現在、9勝19敗ですから…まだまだちっちぇーちっちぇー。

記録達成はカープ戦でした。高木豊が先週末のジャイアンツ戦で「古田の節目は巨人と広島が多い」と言っていた通りとなりました。神宮球場での記録達成はなりませんでしたが、古田の父親の故郷である愛媛で一応ホームゲーム、フェンスも青いので遠目で見れば神宮球場と錯覚するのでいいでしょう。カープファンは、負けたにもかかわらず、試合終了後も残って古田のヒーローインタビューとウィニングラン(?)を見守っていました。なかには「祝2000本安打達成」と掲げるファンも。昨年の合併騒動の収拾役として活躍した選手の記録達成ということもあるでしょうが、カープファンが人情に溢れ、意外にマナーの良いことは、神宮球場で観戦していても感じていました。

昨年の対広島神宮最終戦(ちょっとややこしいですが)。広島の私設応援団の代表がライトスタンドから1塁側を歩いてスワローズファンに挨拶し、来季の活躍を祈るお互いのエール交換では、広島側のレフトスタンドから試合中は封印されている若松勉の応援歌「闘牛士のマンボ」が聞こえてきました。高校野球の応援ではたまに聞くことが出来ますし、スワローズの公式戦でも今年は選手を問わずチャンスの時にのみ使われているようですが、思わぬところから意外な曲を聴くことが出来て涙が出そうでした。カープファン意外の人は、広島の応援を見て「楽しそうだなあ」と思った人も多いはず。次々と繰り広げられる多種多様な応援方法は多くのチームにリスペクト(早い話がパクり)されています。カープファンの意外な礼儀正しさに東京音頭の前に相手チームに関係なく「くたばれ読売」と歌っているスワローズファンが陰険にすら思えてきます。

願わくば、古田選手が2000本安打を達成してバッタリといかないことを祈ります。そして彼が引退するまで、はたまた「古田監督」以降もスワローズを応援していきたいと思います。側転バク転はお手のもののスワローズのドアラみたいな新キャラクターは「フルタ」じゃだめでしょうか。全然ひねってませんが。
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存在意義がいまいち分からない新キャラクター(名前募集中)

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古田敦也2000本安打達成(拝借写真)

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<おまけ>若松勉2000本安打達成(1985年10月9日対阪神戦)。ゲイルからライト前タイムリー(確か)、一塁手はバースですな。

似てますな…ポーズ。

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心意気

昨日、BS-hiで「西本願寺御影堂大修復」という番組を見ました。平成の大修理で京都、西本願寺の御影堂(ごえいどう)は昨年の今頃にモリキングの結婚式映像の取材のために行った時も銀色の鞘堂(?)にすっぽり覆われたままでした。その中で何が行われていたかを伝える番組です。それ以前…今から10年以上前に裏手の書院でモリキングが世界一雑なガイドを務めてくれた時に見た、横長の壮大な御影堂の印象は強烈でした。ちなみにとげぬき地蔵では御影(みかげ)という、貼ったり呑み込んだりして厄を落とす紙片のようなものが売られています。「御影」つながりですが。
番組では大屋根の仕上げと内部にある柱の彩色の復元を中心に取材が行われていました。数ヶ月前にアーカイブスで見た東大寺の昭和の大修理、中尊寺の宝物館で見た(多分)修理を見比べると、少しづつ進歩する修復技術がよく分かります。ただ、進歩しているのは機材だけで、職人の腕にかかっているアナログな技術は忘れ去られてしまっているものも多いことが分かります。職人芸というのはきちんと継承しないと数十年(つまり一代)で簡単に途絶えてしまっているものです。文化庁などが多くの職人を抱えたり、仏具メーカーなどが寺社の修復作業を行うのは、利益やPR効果以上に使命感のようなものが働いているのかもしれません。
大屋根の修復も興味深かったですが、柱の彩色の修復が特に印象に残りました。過去の修理で何回も塗り重ねられてきた柱は、今回も剥落が目立ちろうそくのすすで真っ黒でした。江戸時代の顔料もオリジナルのものは多くが消え、輸入品が多く使用されていました。大屋根に鬼瓦(?)を固定するかんざしにもステンレスを使用したりとか、現在の技術も多く取り入れられています。おっと、番組の解説をするはずじゃなかったんだ。
今日のテーマは「現代人のエゴか」です。実は、柱の彩色の復元は、少しくすませた色にしています。「現代人が美しく感じるかどうか」を重視して西本願寺や京都市などが決めたらしい。作られた当時そのままではなく、一定の時間が経過した状態を再現するものです。一方でこの意見と反対の見解で復元されたものがあります。薬師寺西塔です。かなりウロ憶えですが再建にあたった宮大工、西岡常一氏は、西塔など伽藍の再建を創建当時の鮮やかな色彩で復元しました。現存する東塔の月日を重ねた風合いに合わせる意見もあったといわれますが、「それは現代人のエゴだ」というようなことを考え、当時のままに再建したと記憶しています。
薬師寺に実際に行かれた方は分かると思いますが、正面から見ると創建当時から残る東塔だけが浮いて(沈んで?)見えます。行く行くは壮大な伽藍の全体が復元される予定の薬師寺ですが、これも全て創建当時の鮮やかな色彩で復元されることでしょう。ちなみにこれもウロ憶えですが、西塔は東塔より若干高く作られ、百年単位の時間をかけて同じ高さになるよう再建されています。そして、東塔のメンテナンスがしっかりと行われれば、1000年以上絶つと同じ風合いの塔が並ぶことになるわけです。考えるだけで気が遠くなります。
双方とも創建の時代が全く異なるうえに一定の期間で修復作業が行われる西本願寺の柱とは復元の主旨が異なりますが、「将来の人々の視点に立った復元」と「現代人が最も美しく感じる復元」という考えは、相反するようで、実は、文化財を守るという心意気では同じ方向に向かっているような気がします。この番組は、今回でシリーズ6回目のようですが、BSだけにとどめておくのはもったいないですね。受信料を湯水のように使い、取材体制が贅沢と批判されることの多いNHKですが、それだけお金をかけてもこういう番組を作ると、高い受信料出してもいいかな、なんて思ったりもします。モリキング、見たか?

図書館でも結構見かけます。ご一読あれ。
商魂が いやらしく思う アフィリエイト
飼い猫のさかり 見かけるに似る

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April 23, 2005

心の強さ

ポール牧さんが自殺しました。うつ病、仕事が少ないなど理由がどうであれ、自殺は最も避けなければならないことだと思います。丹波哲郎だかが自殺者は死後、暗い森の木になって何百年も動けないとか…ウロ憶えですが。かつて僧籍にあった方が自殺してしまうということはそれだけ重く悩んでいたのか、判断する力が落ちていたのか。仮にうつ病だとすれば、支える人が必要です。後押しするだけでなく、見守るだけだったり。うつ病になり、リビングのテーブルの下に潜り込んでウンウンうなっていたとも聞く高島忠夫氏は、家族の支えでどうにかこうにかテレビに出てくるまで回復しました。
ポール牧さんの周辺にそういう人がいなかったとすれば、残念でなりません。仕事がなかったことを悩んでいたといわれますが、あれだけの大御所で売り込みはプライドが許さないのかもしれませんが、例えばNHKの教養番組のちょっとした司会なんかはあの顔と語り口はぴったりとハマるかもしれません。お笑いに絞っていたならこのことも適いませんが。バブルのようなお笑いブームでお笑い系の番組が増え、一部でベテランの登場の機会も増えているようですが、それもごく一部に限られます。もう少し我慢すれば、少しでも追い風が吹いてくる可能性があったのに…残念です。
ポール牧さんで印象に残るのは、元祖「たけし」、関武志と組んだラッキーセブンですが、僕は、晩年しか知りません。最も印象に残るのは、何かのクイズ番組で「ポール牧は一分間で何回指パッチンが出来るか」を当てる問題で、回答者はひたすら指パッチンをするポール牧さんをイメージして数百回とかすごい回数を答えたにもかかわらず、彼はいつもの振りつきで指パッチンをするため10回程度しか出来なかったこと。そんなに昔の番組ではありませんが、変な問題だなと思った記憶があります。

さて、その数日前、新任の若い教師が学校で自殺しました。バラエティ番組などではこぞって今の病んでいる教育環境の問題を象徴する事件と色めき立ち、学校やPTA側の圧力など面白おかしく取り上げようとしたものの、いくら掘り下げても原因が不明のままなことに飽きたのか、トーンダウンした感があります。ベテラン教師も陥るGWのヤマを超えられなかったことにこじつける論理もありますが、僕は違うところにあるのではないかと…直感ですが、恋愛とか。
あくまで彼に恋人がいたことを前提にしていますが、例えば僕の周囲には、学生時代に「結婚間違いないな」という付き合いをしていて、卒業後にあっさり別れてしまう人がザラにいます。数年前に大学のクラスやゼミの仲間と再会した時、結婚したほとんどの人の相手は、違う人でした。部活もそうです。結婚や恋愛の行動範囲は500メートルという説もあります。就職や進学を期に付き合ったり別れたりすることが多いのは、行動範囲が大きく変わるからです。ということは、遠距離恋愛は荒行みたいなもので、成就させるには並々ならぬ忍耐力・精神力が必要だといえますが。
この教師も同様のトラブルに遭遇したのではないかと推測すると、別れのダメージが大きければ大きいほど、反動が大きくなります。教師になることが夢だった彼が聖地である学校で自ら命を絶ったとしても、それは全くあり得ないことではないでしょう。亡くなった方のことをこれ以上詮索するつもりはありませんが、自殺であれ失踪であれ何かしら原因があります。周囲の、例えば家族や友人が「思い当たるフシがない」と答えてもそれは周囲の人間からの目線でしかありませんから。
この日記で言いたいのは、「心の強さ」です。亡くなった若い教師が、恋愛沙汰が理由にないにせよ、自殺してしまう弱さを持っていたことは確かです。大学を出て社会経験を積まずにストレートで教員になり、次代の子供を教えるには、あまりにも荷が重過ぎると思います。かつては子供の頃からいろいろな社会経験を積ませる「世間」というものがありましたが、その機能も弱くなっていますし、社会や学校が一丸となって若い教師を育てていこうというコミュニケーションもなくなってきています。その反面、教師になる側も採用する側も頼るのは学力だけ。これは危険です。
僕は社会に出て10年が経過しようとしていますが、たったそれだけの間でもいろいろな経験をしたと思っています。10年前はきっと死ぬほど悩んだことも、今ではどうでもないことだと流すことが出来ることが結構あります。社会は人を育てます。例えば中卒の力士が横綱になる頃に立派になるのは、社会経験が彼らを育てるからです。今、若い教師を取り巻く環境にはそういうシステムがないので、それなりのケアをする機会が必要だといえるでしょう。社会にスレていない、大学卒業後ストレートで教師になる優秀な人材はなおさら。例えば難関私立大学でも本来は入学前にクリアしておかねばならない基礎学力や一般教養を重視しているように、学力と社会経験が年々乖離していっているのですから、社会を何年か経験した人間しか採用しないとか、学力重視に頼らない採用の方法も必要でしょう。
ちなみに昔、働いていた警備会社に極めて勤務態度の悪い、言い訳ばかりする奴がいました。警備先でのドタキャン、トラブル当たり前。いつも自分のことばかりしか考えていない彼は、国立大学の教育学部で成績優秀でした。「こいつが教師になったら終わりだな」と思ったら、見事ストレートで採用されました。地域によっては面接など試験以外を重視する動きもありますが、採用する側も学力重視で採用された人々です。人を見抜く力があるかというとかなり疑問です。

今となっては冥福を祈ることしかできませんが、若くして自ら命を絶った有望な男性教師の周囲の環境にもっともっと「育てる」という機能があったらと悔やまれてなりません。

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April 20, 2005

表と裏

ローマ法王庁のコンクラーベ(根競べ?)は、呆気なくドイツのベネディクト16世を選出して終了しました。歴史的瞬間ではありますが、日本のメディアが経過を含め我が事のように伝えるのは、カトリックとはおおよそ関係のない大多数がクリスマスだけ熱狂的になる日本人の国民性にも似ているような気がします。これも、宗教を超えた積極的な活動を展開したヨハネ・パウロ2世の偉業を象徴しているのかもしれませんが。
郵政民営化法案は、自民党の部会で「執行部に一任」を強行しました。強引に話し合いを切り上げたことに反対派の自民議員は「けしからん」「茶番だ」と反発していますが、同じように国会で議論を切り上げ、年金制度改悪を強行したのは自民党議員である彼らです。あんたらに言われる筋合いはないと思うのは、僕だけでしょうか。
これは、度重なる反日活動に謝罪もせず、いざ日本国内の中国関連施設での嫌がらせがおこるといけしゃあしゃあと謝罪、賠償を求める中国大使館のようです。あんたらに言われる筋合いはないといいたいところですが、嫌がらせはいけません。相手が熱くなればなるほど、紳士的な対応が必要です。日本国民のみなさんも頭に来るのは分かりますが、ここは大人になりましょう。マスメディアでは、さかんに米国の新聞の論調をひっぱりだしています。やはり中国を非難するものが多いようですが、米国が言ったから「そらみたことか」とジャイアンの背後に隠れるスネ夫のような姿勢になるのも問題です。他国の威を借るのではなく、自分の言葉で論説を張りましょう。

さて、お台場のジョイポリスで死亡事故が発生しました。亡くなったのは、30歳の足の不自由な男性でした。ニュースの第一報は「無職の30歳男性」と表現してえっ?と思いましたが、介護職員を伴って石川県から遊びに来ていた身障者の方でした。身体の不自由な方なので無職であるというのはあまり珍しくないことだと思いますが、こういう場合にもマスコミが無職という表現を使うことにどこか悪意が感じてしまうのは、僕だけでしょうか。
どういう状況で亡くなったのかは、既にご存知かと思いますので省きますが、シートベルトを締められなければ本来は断るのが筋でしょう。実際はそうもいかない部分があったようですが、マーフィの法則「失敗する可能性のあるものは必ず失敗する」にあるように、失敗(=事故)の可能性のある芽を摘むことには少し鈍感だったことは確かなようです。
今後は、裏マニュアルの存在とアルバイトと許可を出した社員の意思疎通などがポイントとなるでしょうが、現場の職員が処罰されるだけなら、東武鉄道の踏切事故と同じことになってしまいます。これは、問題です。東武鉄道の踏切死亡事故は、明らかに人災ですが、踏切利用者の圧力に負けて、危険を承知で本来の操作方法に反して開閉を行っていたこと、そして東武鉄道がそれを黙認していたのが問題です。仮に企業側が本当に知らなかったとしても、到底許されるものではないでしょう。
事故には直接的に繋がりませんが、周辺住民の「うるさい」という苦情に配慮して警報を鳴らさないのも同類です。逮捕された踏切警手は、過失を犯しましたが、毎日毎回、危険と隣り合わせの剣が峰を伝っているような操作を行っていた以上、他の警手でも事故を起こす可能性があったといえるでしょう。一方で東武鉄道は2度の家宅捜索を受けながらも知らぬ存ぜぬの姿勢です。最近は、企業がこぞって××の一つ覚えのように謳うコンプライアンスは果たして徹底できているのかいなと思ってしまいます。
世の中、何事も表と裏があります。表だけで済むのならこれほどいいことはありませんが、裏があるからこそ社会が円滑に回っているといえます。東武鉄道の裏の踏切操作しかり、ジョイポリスの裏マニュアルしかり、本来のまともな対応しても別の意味でトラブルを起こしていた可能性があります。例えば東武鉄道が早期にあの踏切を自動化していたとしても、なかなか開かない踏み切りに対して利用者とトラブルになっていたでしょうし、少し前に中央線の踏切工事で一斉に叩かれたように、テレビなどで「開かずの踏切」と諸悪の根源のように取り上げられていたかもしれません。ジョイポリスも同じです。これまでもシートベルトが締められなくても利用した客は少なくないようです。この甘い対応から推測すると、現場の人間が断っても納得しない客も多かったことが予想されます。シートベルトの長さについての不備を指摘して逆ギレした客もいたかもしれません。そういう客の圧力に対して裏マニュアルは存在していたといえます。死亡事故が起きてしまっては「悪」ということになりますが、営業を円滑に進めるための方法の一つだったのかもしれません。
同じようなことが、六本木ヒルズでも起きました。機能性とファッション性ばかりが追及された自動回転ドアは、事故後に突貫工事で法令整備が行われ、稼動を再開していますが、敏感過ぎるセンサーや定期的に減速する構造がかえって危険という指摘もあります。僕が良く使うビルの回転ドアは、一度ではとても把握できない量の注意書きが貼られています。あまりの多さにバカ正直に読もうものなら気をとられて挟まれてしまいそうです。最近では、「法令に基づく速度で運転しています」という注意書きが貼られていますが、稼動再開時に比べて明らかにセンサーの感度が落とされ、減速も緩やかになっています。これがクレームに対応して行われたのなら、何のための法整備かという感じもします。
ちなみに、警備システムに使われているセンサーも場所によっては回路を遮断して「殺されている」ものもあるようです。一般家庭を中心に爆発的に広がっているホームセキュリティですが、センサーの精度の加減が難しく、精度を上げると誤報を連発、下げるとセンサーそのものの意味がなくなります。それでも大半は誤報なので、多くの警備会社は1回程度の発報では駆けつけてくれないケースが多いらしいです。逆にあまりに誤報を連発するセンサーは、業務に支障が出るので、警備会社が精度を極端に下げたり、回路を遮断してセンサーを殺したりする場合もあるとか(警備会社と顧客の合意のもとなら問題はないでしょうが)。これが本当なら、警備業務における一種の表と裏の対応ということになります。
自動回転ドアの事故は、ビル側と施工業者の責任のなすり合い、踏切事故は、踏切警手が逮捕されてトカゲの尻尾切りのようになっています。仮にジョイポリスの事故で現場のアルバイトや許可を出した社員が逮捕されるなら同じこと。このような事故は、現場の人間だけでなく全体の責任者、つまり企業が責任をとるべきでしょう。知らぬ存ぜぬは許されません。また、このような死傷事故が発生する重大な案件であればあるほど、企業が明確に方向性を打ち出すべきだと思います。かなりウロ憶えですが、例えばTDLでは、一部のアトラクションで身長の規定に達しない子供が並んでしまった時は、将来規定の身長に達した時に優先的にアトラクションに乗ることが出来るチケット(ファストパスみたいなもの)が配布されるようです。客と会社の板ばさみになるのは常に現場の人間ですから、こういう明確な方針を打ち出すのがベストではなくても、ベターだといえます。
あまり歓迎出来ない例ですが、銀行での預金の不正引き出しに対する被害者からのクレームに対して銀行は「きちんと対応した」の一点張りだったのも企業の明確な方針だといえます。これでは被害者は立て板に水。今でこそ不正引き出しに対する対策が進んできていますし、現場の銀行員がそれで気持ち良く働けるかは疑問ですが、銀行の例はともかく、命に関わる対応については、このような頑なな対応はあってもいいのではないかと思います。

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April 19, 2005

祝・平均40ヒット

相変わらず、中国は、反日運動についていっこうに謝罪しませんね。それどころか、お前の国が火種だと子供の逆ギレのような発言を繰り返します。先日も触れましたが、何事にも冷静に対応しようとする中国「は」大人なのかなと思っていたんですが、そんな妄想も泡と消えそうです。こんな国が常任理事国で拒否権を持つ国連に多額の金を負担して、ミニ常任理事国を目指す必要があるのでしょうか。なんかバカバカしくなってきます。ニコニコしながら抗議する町村外相にもムカっ腹が立ちますが、靖国神社にホイホイと通う首相が謝罪が求めたって何も変わらないのは目に見えています。行くなとはいいませんが、少なくとも首相に在職している間は考えてほしいもの。

ライブドアとフジテレビが和解しました。劇場型買収劇は、ライブドアのボロ儲けで幕を閉じました。ホリエモンがこういう風に雪だるま式に金持ちになればなるほど、本屋に並ぶ彼の本は説得力を失うような気がします。「儲け方入門~100億稼ぐ思考法」「100億稼ぐ仕事術」「稼ぐが勝ち ゼロから100億、ボクのやり方」「僕は死なない」すごいタイトルばかりですが、とどのつまり、金持ちになるにはまず、金持ちになれといっているようなもの。負け組のフジテレビは、ニッポン放送を子会社化出来るものの、それは上場廃止に追い込むことにもなります。この親殺しのような行為と提携にともなう莫大な出費は誰かが何かしら責任をとるべきでしょう。でないと株主に合わせる顔がありません。それにしても各社の会長や社長が雁首そろえてニコニコするのは違和感があります。ついこの間までブツブツ文句ばかり言い合っていた仲なのに。自民党の総裁選の後のように勝とうが負けようが大団円でニコニコ笑いながら集まるのはどうも好きではありませんが、これが日本式の解決の仕方なのでしょう。同じ対話の場に上ることなく外野でガヤガヤと騒いで国内には反日をPRしておきながら、入ってくる金は別という、ずるい国々よりは比べ物にならないぐらいマシですが…と、ここまでが前置きです。

さて、このブログ「DiaryXXX」は平均アクセス40ヒット/日を超えました。不具合だらけのココログのおかげで途中、数日分のカウンターがゼロというアクシデントもありましたが、一昨日の夜に40.25を記録し昨年8月の開設以来、当面の目標であった平均アクセス40ヒットを超えました。加えて、本サイト「ゆーわーるど」も先週の水曜日に3度目の50ヒット超えを記録しました。今は懐かしき「静岡ヤングセンター」の開設準備で人間が出入りしまくった1999年夏の100ヒット超えと昨年8月のブログ導入時の50ヒット超え以来の記録です。50000ヒットも近づいています。
「DiaryXXX」アクセス数の伸びは、手前味噌ですが飛び散りまくるネタの内容にあるようです。外部からここに来るきっかけとなる検索ワードは、性教育、ローレライ、ひかり電話、おもいっきりテレビ、海老名泰葉とおおよそ単一のブログでは収容しきれないようなキーワードの飛び散り方です。最近は「藤子不二雄 コンビ解消 理由」をキーワードに飛んでくる人が多いようです。実際にはそれぞれの単語は別の話題の中に収められているものなので、複数の単語を一度に検索して飛んできた方々には期待に沿えないことが多いかもしれませんが。
ちなみに、検索ついでに述べますと、藤子不二雄のコンビ解消の理由は特にケンカ別れではありません。「ドラえもんを守る」という理由もあったようですが、心機一転という意味合いが最も大きかったように記憶しています。藤本弘と我孫子素雄の2人コンビの藤子不二雄ですが、共著はごく初期の作品に限られるので、コンビ解消により漫画を描くこと自体には影響がなかったようですが、共著で爆発的に売れてしまったオバケのQ太郎などは、著作権を分けられず股割きの状態になっているようです。単行本も絶版とか。個人的にオバケのQ太郎より新・オバケのQ太郎のほうが読みやすかったりします。アニメの主題歌のベースラインも秀逸ですし。機会がありましたら、どうぞ。

誤字脱字も多く、やたらとだらだら長い日記なのでお口に合わないことがあるかと思いますが、今後とも「DiaryXXX」ならびに「ゆーわーるど」を宜しくお願い申し上げます。
dekawan

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April 17, 2005

阿修羅城の瞳

CinemaX第35回目。

阿修羅城の瞳
原作:中島かずき(劇団☆新感線)
監督:滝口洋二郎
脚本:戸田山雅司/川口晴
出演:市川染五郎、宮沢りえ、小日向文世ほか
上映時間119分!
(公式サイトはこちら

「阿修羅…にあって、キャシャーンになかったもの」
原作者から分かるとおり、舞台が原作の映画化です。三谷幸喜作品など舞台を原作とする作品が多いですが、「劇場」という言葉が同じだけで、映画と舞台は別物だという見方もあります。一方でハリウッドなどでは、ミュージカルを原作にしている映画がヒットしたりすることもあり、十把一絡げに判断できないものでもあります。日本の演劇に問題があるのか、映画に仕立てる能力がないのか分かりませんが。ともあれ、「松竹も東宝みたいなことをやりやがる」というような作品です。阿修羅城の瞳にあって、同じく松竹が送り出した伝説の映画、キャシャーンにはなかったもの、それは何か。考えていきましょう。

冒頭シーンは、賛否両論あるでしょう。前菜とも言うべき部分をこれほどあっさり扱ってよいものか。タイトルが出てくるシーンは結構面白いと思うのですが、観ている側もポカーン。演じている役者も脚本の意味が分からないのか、頭の中で「?」「?」「?」を沢山浮かべながら演じている感じがします。キャシャーンと同じです。
文化文政期、江戸の町は鬼で溢れ、鬼御門という役割の連中が街中で鬼をきりまくるという時代です。この設定自体をナンセンスだと切り捨てるのは全く意味のないことなのですが、舞台脳へのシフトを完了している観客と、映画館で全く先入観のない(一部にはあるでしょうが)映画館の観客を同じように扱っているような気がします。テレビのようにあっさりとチャンネルを変えられてしまうことなく、観客を箱に閉じ込めることが出来るのは、舞台も映画も同じですが、観客の種類の違いを考えないと、映画を観ている観客は全く感情移入することなく終わってしまうことになります。この作品、著名な脚本家がついているので、このことを全く考えていないとはないでしょうが。

ストーリーをそのまま追っても意味のない映画だと思うので、まず、この映画の魅力的な部分をあげましょう。
第一に、役者です。市川染五郎の妙な色気と演技力、宮沢りえの不思議な魅力、この映画はこの2人でもっているようなものです。いくら話がメチャクチャな映画でも役者に魅力があれば、映画の魅力そのものも嵩上げされてしまいます。これは、最初にキャストありきの民放テレビドラマを擁護してしまいそうなのでシャクなんですが、阿修羅城の瞳は、今をときめくイケメン俳優やいつのまにか女優を名乗っているタレントなんかを使ったら大失敗する可能性がありました。伝説の映画、キャシャーンも主役にもう少しマシな人を使えば、ある程度伝説も薄れていたのかもしれません。いずれにしても強烈なエンジン(主題歌)に引っ張られているハリボテ飛行機という印象は拭えませんが(キャシャーンの話です)。
中村座のシーンも面白い。稽古の付け方や、当時の劇場内をしのばせる映像はこの映画の数少ない見せ場といえます。特に、まんま歌舞伎役者の役を演じる市川染五郎の演技力が光ります。宮沢りえの不思議な魅力を含め、ここで観客を引き込むことが出来たことが、阿修羅城の瞳をクソ映画に転落させずに済んだような気がしてなりません。剣が峰でふらふらしている状態ではありますが。
舞台など現実離れしたストーリー作りにおける醍醐味は、いかに史実と結びつけるかにかかっています。史実や現実と結びつけることで、観客は感情移入が可能になります。奇怪な戯曲を描く四世鶴屋南北と結びつけたのは、説得力を持たせることになっているようです。下北沢のアングラ劇で、突然タイムスリップしたり、いきなり異星の話からスタートするようなすっとんきょうな設定になっている内容が多いのも、それはそれで面白いのでしょうが、日常と離れた設定を楽しもうとか、例えば、劇団の熱狂的なファンで犬の食わないような話でも大爆笑したり号泣したり出来るような、舞台脳になっているからこそ楽しめるわけで、映画では通用しない手法だといえます。

市川染五郎の色気にも勝る役者に、宮沢りえの存在が挙げられます。婚約→解消→激ヤセと厳しい人生の修行を経験し、おそらく同年代の女性の何倍も成長しているであろう彼女は、年齢不詳の不思議な魅力を秘めている女優になりました。若き日の風船のようなパツパツ感はなく、復帰後の激ヤセぶりは世間の同情をかいましたが、今では首筋の血管や背中、腕の痛々しい細さも逆に妖艶に感じられるほどです。それでいて、時折ポカリスエットのCMに出たり、とんねるずにいじられていた頃の「少女」の宮沢りえの表情も見せる。不思議な女性です。これからが楽しみです。
一方で不味かったのは、渡部篤郎の演技です。ストーカー役でセンセーショナルに登場した彼は、いろいろな味のある役を演じていますが、個人的にはつぶしのきかないワンパターンな演技が少しくどく感じられます。笑顔まじりにボソボソとセリフを言うのが彼の演技の特徴なんですが、映画の中であの笑顔がどれほど観客を混乱させ、雰囲気をぶち壊しにしていることか。ナレーターとしては味のある人ですが、あの演技が彼自身の可能性を狭めているような気がしてなりません。

と、評価できる部分があるのは中盤までで、終盤に阿修羅城に乗り込んでからは、キャシャーンと同じ穴に篭ってしまいます。僕が話に追いつけなくなったのは、話が壮大になりすぎていること、敵味方が入り乱れて誰が何を考えているのかが分からなくなったこと。阿修羅の顔にそのままほくろが残っているのも変なような気がしますし、最後のシーンもタイタニックばりに「えっ?」と納得が出来ませんでした。登場人格が崩壊しまくるなかで、樋口可南子の顔を見ると、キャシャーンを思い出してしまうスパイラル。最初も雑なら最後も雑。なんか凄い映画でした。傷を舐めるシーンは衝撃的ですが。このシーンは、舞台には出来ない、アップでとらえられる映画ならではの迫力でした。

最終評価「C」

阿修羅城の瞳にあって、キャシャーンにはなかったもの、それは役者の演技力でした。キャシャーンは、唐沢寿明の演技も作品全体の評価には全く繋がらないほど強烈な映画でしたから。阿修羅城の瞳は、過去3度舞台で上演されているようです。1987年、2000年、2003年。松竹と共同プロデュースされた2000年以降は、市川染五郎が映画と同じ役を演じています。一日の長あり。ただ、原作モノの映画化は、話をぶち壊しにしないよう気をつけながら、どこを切り捨ててどこを変えるかがポイント。残念ながら舞台は観たことがありませんが、この辺の調整がうまくいけば、もう少し面白い作品になったのかもしれません。映画館を訪れる人々が増え、DVDソフトの売り上げも好調であるなど日本映画にとっては追い風が続くなか、松竹は、歌舞伎役者を使えるという武器があるのでもう少し頑張ってもらいたいところ。東映よりは頑張っていると思いますが。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年4月16日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:18/130席(初日でこの観客数…心配です)
感涙観客数:若干
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定
阿修羅城に乗り込む前に少し泣けるポイントがあるらしいです。

ついでに紹介!

「司馬遼太郎すべて良し」神話に釘を刺す、時代劇の決定版!

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April 16, 2005

痛し痒し

昨日、視聴率が伸びるんだろうなという番組が2つ、ありました。
1つは、ドラえもん。声優全とっかえを強行した第一回目の放送です。数年ぶりに見るドラえもんは、やはり違和感を感じましたが、これまでもセル廃止でアメリカのアニメのようなピカピカの画面に変わったり、原作者(藤子・F・不二雄=藤本弘)が亡くなった後のストーリー展開の変化など大きな波を乗り越えてきたアニメです。声優陣の若返りは、数十年単位の長丁場を感じさせますが、是非とも数年で簡単に終わらないよう祈りたいと思います。リニューアル第一回は、オーソドックスにお座敷釣り堀でしたね。昭和54年放送開始の現ドラえもんシリーズでもかなり初期に扱われた話です。本放送前に教育雑誌やコロコロコミックでセルを公開したのもこの話のはず(ドラえもんとのび太が水中メガネをかけて溺れているシーン)ですが、どうせ再スタートを切るのなら、第一話に採用された「ゆめのくにのび太ランド」にしてもらいたかったような気がします。現シリーズと表記するのは、それ以前に放送され、半年で打ち切られた日テレのドラえもんがあるからですが。

2つめは、タイガー&ドラゴンです。正月に単発ドラマで観て、衝撃を受けましたが、連ドラとしてあらためて登場です。単発ドラマを薄めたのかと思いきや、後日談という嬉しい設定。このドラマはとにかくテンポがいい。演技につぶしのきかないクボツカ&宮藤官九郎のコンビには飽き飽きしていましたが、タイガー&ドラゴンを観て、あらためて宮藤氏の勢いを感じました。IWGPを観て「意外と面白いやんか」と感じた頃に似ています。舞台を観ていない人間が言うべきことではないかもしれませんが。
このドラマ、キャラクターは無茶苦茶な人が多いんですが、決して人間離れしているわけでなく、「想定の範囲内」で意外性のある行動、発言をします。ここがポイント。あまりに人格を離れた行動をすると、それだけでリアリティを失ってしまいますから。それでいて締める時は締めます。今、一番脂の乗っている長瀬智也は魅力なので、出ているだけで存在感がありますが、彼は今後、しっかりと演技の幅を広げていかないとクボツカ氏のように飽きられてしまいそうです。ともあれ、最終回まで楽しみなドラマです。連ドラ主力枠での放送はTBSにも意気込みが感じられますし。

おまけの日記、今日は「痛し痒し」です。うちのポストにBフレッツのチラシがやたら投げ込まれます。マンションに線を引っ張ってしまったので、あとはユーザーを集めるのに躍起になっているみたいです。100メガ「共有」と「占有」は大違いなのと、ADSLが快適に機能しているので変えるつもりはありませんが、最近、NTTは「ひかり電話」というものに力を入れています。これには少し疑問を感じています。ひかり電話を導入すると1ギガ共有(最大100メガ)になりますが、共有は共有です。「ひかり」という言葉で東京電力と間違えそうですが、NTTが展開するIP電話です。基本料が1200円も安く、通話料も安い。おまけに電話番号も変わらないのですぐに飛びつきたくもなりますが、明らかに損をすると思われるNTTにも少し思惑がありそうです。
ひかり電話を使うと、回線電話の加入権を休止しなければなりません。加入権といえば、つい数年前まで何万円かで購入していた「権利」でした。NTTは、それを最終的に廃止することにしています。本来ならNTTが買い戻すべきなのでしょうが、切り捨てです。過去には「資産」という売り込み方をしたことを考えると、重大な責任がありそうですが、どうもうやむやになっています。加入権を休止するには、面倒くさい手続きが必要で、数年ごとに更新しなければ失効してしまいます。見かけは収益を落とすひかり電話も、失効で批判をかわす材料になれば、メリットがあるといえますし、休止を行って数年経てば、加入権切り捨てに対する批判も和らいでいる可能性があります。回線電話を使って一定期間以上経過したユーザーは、加入権を切り捨てられてもそれなりのメリットがあったと諦められる部分があるかもしれませんが、最も不憫なのは、廃止発表直前に加入権を買った人々です。平等という言葉をあまり使いたくありませんが、少なくとも大企業が行うことではないような気がします。
もう一つの落とし穴は、通話料です。IP電話は、同一プロバイダは無料という触れ込みで登場しましたが、一方であまり使われていないようです。お互いにIP電話の番号を知る必要があることや、通話が切れやすいこと、音質が劣ること、携帯電話の普及でなかなか使われるケースがないようですが、無料は無料、使わないのは宝の持ち腐れともいえます。ところが、ひかり電話は、通話料もしっかりとります。回線電話「並み」の音質ですが、どうもだまされているような気もします。確かにNTTにとっては、ADSLやFTTH、IP電話の普及で収益が落ちているなかで、回線電話より少し安くても通話料が入ればそれだけで売り上げが伸びる計算になります。一種の損切りともいえます。
将来的にNTTに加入権を買い戻してもらうことは絶望的なので、本来ならひかり電話に変更して、どうせ使わないプロバイダのIP電話より、普段使う電話の通話料が安くなるのが現状では最も良い選択肢なのかもしれませんが、これほどまでに意図的な策略にまんまとはまるのはシャクなような気もします。そう考えている間もひかり電話を導入した時と比べて多く出費していることになります。意地と現実、まさに痛し痒し。

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April 15, 2005

番組作りとお笑いの共通点

中国で拡大する反日運動、ひどいものですね。僕の周囲の過激な人々も「中国は大人だ」と言っていたものですが、これでは他の国と変わりません。若者が多いのはインターネットによる煽動のあらわれといわれていますが、中国が力を入れている愛国教育が彼らを行動に駆り立てているとの見方もあります。愛国教育というのは、仮想であろうがなかろうが「敵」を作ることでさらに効果が増しますので、手っ取り早い「反日」が使われるわけです。これは、韓国や北朝鮮の愛国教育の流れと同じ。日の丸を燃やしたり、首相の人形を作って破壊したりするのも良く似ています。全くあほらしいことですが。何よりも問題なのは、止めない警官です。安保常任理事国である大国が「小日本」の大使館一つ守れないことに意図を感じてなりません。
日本製品の不買運動も起きていますが、やるのなら徹底的にやるべきでしょう。日本製品なしに生活をしてみるといいと思います。極めて不便であることが分かるはずです。例えば、日本で特定の国の農作物の不買運動をやるのと同じ。それなりの覚悟がなければやってはいけないことです。原発に反対する人々もそう。あれこれ屁理屈を唱える前に電気を使わなければいい。本末転倒といわれるかもしれませんが、口だけの人がいかに多いことか。

さて、今日は「番組作りとお笑いの共通点」です。大々的にテーマを掲げると尻すぼみしがちですが、今日はいかに。
また取り上げてしまいますが、覗きツアー報道に関する日記では、いくつか反響が寄せられました。ブレーキをかける人はいなかったのか、番組の作り方が雑ではないかなどなど。テレビ関係者の人から一般の人々まで。多くの番組が「人目を引く」ことを重視しているがために、デスクなど最終的にブレーキをかける人の判断が鈍っているのではないかということです。カミングダウトの件も同じ。これまで多くのタレントが「学生の頃、良く万引きをした」という発言をするたびに苦情の電話が殺到しているはずなので、判断が鈍っている云々の問題ではないと思うのですが。その場で笑いがとれれば映像の流し逃げをしてもいいぐらいの勢いが感じられます。ことあるごとに公共の電波を口にするテレビ局は、都合のいいときだけ電波を私物化していることにもなります。

さて、お笑いブームが今なお続いています。あまり面白くもないのにテレビに出まくる芸人をみていると、ブームより先に出てきてしまった次長課長、二丁拳銃、品川庄司ら少し上の芸人が可愛そうに思えてきます。戦国時代における武田信玄みたいなものでしょうか。日テレがせっせと種をまいて育ててきたお笑いブームは、他局が同じような番組を作って追随しているため、ちょっとやそっとじゃ終わる気配がありません。一方で質が高いかといえば、そうでもないようです。
最近のお笑いの傾向を見ると、ピン芸人とコントが多いことが分かります。ピン芸人は大変なので応援したいのですが、陣内智則のような作りこまれた笑い(これは見事だと思います)を除けば、実は「いじり」に徹している人が多いことが分かります。何となく面白いが、内容がない。そんな感じです。コントも同じ。コントは、見た目とか行動で笑わせます。ピン芸人に比べれば、2人でやるほうが楽ですし、喋くりだけで笑わせる漫才よりも楽です。最近のお笑いはこのコントが多いことが気になります。お笑い番組はよく見ますが、コントばかりだとゲーッという感じがします。
最近は、NHKみたいにベテラン芸人も織り交ぜる番組も多いので、ボケ、食いつき→ボケ、「そら、あほや」「そんなことあらへんがな」の繰り返しだけで展開する大木こだま・ひびきなどの漫才を見るとホッとします。コントでも面白い芸人はたくさんいるのですが、生き残るにはいろんなことに挑戦する必要があるでしょう。
今のテレビ番組の方向もこの「安易」に走っているような気がします。最初は手の込んだ番組も少しづつ手を抜いて作られていくのを見ると寂しくなります。数々の裏技が話題となったもののネタが尽きたのか下手にゲームを織り交ぜて時間を稼ぐ伊東家の食卓は、全く違う番組に変貌したマジカル頭脳パワーと同じ路線を歩んでいます。バラエティとして面白いと思う黒バラや銭金は、ネタ集めが大変なのでこれからが正念場となるでしょう。
今や多チャンネルの時代。安易な番組作りは数字を簡単に稼げるでしょうが、その場限りです。ライバルはCS、BSだけでなく、盛り返している映画やインターネットから情報を発信する個々人まで範囲は広がるでしょう。お笑いと同様に生き残るのなら、丁寧かつ貪欲にいろいろなことに挑戦する必要があるのかもしれません。

まとまっていますか?
hinatabokko2

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April 14, 2005

ネーミングと偏見

防空壕で中学生が亡くなりましたね。「ここでサバイバルゲームをやっていたのか?」とか「教師と生徒の対話が足りなかったのではないか」という今さら追求しても仕方のないことが穿り返されていますね。秘密基地は誰しも持ちたがるものです。僕が子供の頃も田舎には防空壕があちこちに残っていました。ゴミが詰まって自然に埋もれたものもありましたが、立派に機能していたものもありました。危ないなとも確かに思いましたが、周囲の大人から何に使ったものかを聞くことで戦争を身近に感じることが出来ました。全国各地に無数にあった防空壕も安全性の観点から今は積極的に埋められてるようですが、それだけ戦争の証拠がなくなっているようで残念な気もします。今後は管理責任などを問う声も出そうですが、そういうのを追求するのは無意味な事故ような気がしますし、誰かが責任をとるからといってどうなるものでもないように思います。恐らく、この防空壕は彼らだけが知っていたのではなくて、近所の人々やかつての中学生、つまり大人の中にも知っていた人がいるのではないかと思います。防空壕を埋めなかったことを責めるならば、閉鎖された空間で火を焚けばどうなるかということを判断できなかった被害者を責めるべきでしょう。学校や親の教育が間違っているとか言う以前の問題のように思います。前途洋々の若者が亡くなったのは本当に気の毒ですが。

このタイミングで話す内容ではないんですが、僕も小学校の頃、友人たちと秘密基地を共有していました。一つは竹やぶ、一つは小さな神社の拝殿の下。ここで何をやるかというわけではないんですが、誰も知らない空間を持っているというドキドキ感を共有しているようなものでした。自分の部屋を持っていない子供が大半なので自分のスペースが確保できるという意味もあったことでしょう。もし、亡くなった彼らが防空壕を秘密基地という認識だったなら、穴の中でサバイバルゲームをやるとは思えないんですが。ちなみに、僕らの時の秘密基地は発展し、神社の基地はいつのころからかエロ本図書館と名付けられ、どこかからか拾ったりしてきた週刊誌などを置く場所となりましたが、メンバーの一人がこの図書館を誇りに思ったのか、図書館の存在を知らない友人ならまだしも担任の先生にまで自慢してしまったため(アホ)、教師たちの家宅捜索に遭い閉鎖させられてしまいました。その後も残党により復活が図られましたが、定期的な家宅捜索で芽を摘み取られたようです。数年後、見てみるとダンボールの中で小猫が3匹ニャアニャア鳴いていました。いつの間にか動物園になったんですね。

さて、タイトルはネーミングと偏見、でしたね。ネーミングは重要です。人間へのネーミング、つまり名前ですが、古来から女性は語感、男性は漢字の意味を重視してつけられたようです。かつて女性の名前にひらがな、カタカナが多く使われた一方で男は難しい漢字を使って読みづらく、発音しづらい名前をわざわざつけたり、代々一文字づつ名前を継いでいくこともありました。
ネーミングにより、本来の意味を隠してしまうケースもあります。例えばSさんが使いまくるペンディングという言葉、先送り、保留という意味なんですが、ペンディングということで「敢えて」先送りするという雰囲気になります。何もしなくても「ペンディング」という言葉を使うとどこかえらそうに聞こえます。既に死語となりつつある援助交際もそう。れっきとした売春なんですが、援助交際という言葉に上手く隠されています。分解して考えると援助と交際は相反していることが分かります。今は援交とも略されてさらに本来の意味がカモフラージュされています。
最近よく使われるのがニートという単語です。無業者という意味で、若者を対象にすることが多いようです。働かないボンクラということですが、ニートという単語を使うことでどこかかっこ良さが伝わってきます。ペンディングと同じように「敢えて」働かないという印象もある。これが問題です。暴走族だって同じです。響きからかっこ良さが感じられるため、この名称を使えば使うほど逆効果との意見もあります。珍走団という名称を使う動きも広がっていますが、これも暴走族という単語をかき消すような存在にはなっていません。
働いていることを基準にすれば、ニートはフリーター以下ですが、フリーターは語感でフリーアルバイターという印象に繋がるため、人によっては意味が掴めないニートのほうが聞こえがいいようです。ニートの多くは親が働いているため、働かずとも養ってもらえるという構造から発生した人種です。数こそ少ないですが昔からいたはずです。ただ、一億総中流ともいわれる時代。働かずとも親のスネをかじっていられる経済状態の家庭を増えました。団塊世代に対する少子化ですから、ニートのケアはなおさら手厚くなります。
何を言っているのかが分からなくなりましたが、街中にたむろするホームレスのおじさんたちも、時代が時代ならニートとしてぬくぬくと生活出来た可能性もあるわけです。ニートの人々は、時代に感謝せねばならないでしょうし、つかみどころのないニートという言葉自体変えたほうがいいのかもしれません。プータローでは下品なので、プートとか。
壮大なテーマを予告してしまうと、得てして意味不明な日記になるものです。次回が心配。

hinatabokko1


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April 11, 2005

波紋その後

先日取り上げた、盗撮ツアー報道に対する批判は、あまり波紋が広がらなかったようです(実は、ワイドショー的な要素の高い夕方のニュースでも放送していたようです)。盗撮犯を毛嫌いする視聴者の感情が「おかしい」と感じさせなかったのか、はたまた僕の感覚がおかしいのか。多くの人の意見が集まる2ちゃんねるの書き込みも探しましたが「そういうのはワイドショーでやれ」という一文ぐらい。この問題をとりあげたブログも少なかったようです。

もし、盗撮犯を毛嫌いする視聴者の感情が「おかしい」と感じさせなかったとするならば、問題視するべきでしょう。話は少し逸れますが、秋葉原では、オタクが銃刀法違反で逮捕されるケースが結構あるようです。もちろん、彼らが日本刀やライフルを引き摺って歩いているわけではなく、グッズなどの梱包を解くためのカッターやハサミを持っているだけで逮捕するという状況です。一部でいわれる「オタク狩り」です。日本が世界に誇ることが出来る数少ないアニメやマンガなどのコンテンツ産業を支えているといっても過言ではないオタクの人々は、個人的にもっと大事にされるべきだと思うのですが、一般市民からは毛嫌いされています。電車男で少しイメージが上がったかといえば、そうでもないようです。ましてや映画化していじってしまうことでリアルなオタクというイメージからさらに乖離してしまいます。テレビなどで面白おかしく題材にしてしまうのもネガティブなイメージの固定に大きく作用したといえるでしょう。これはあくまで推測ですが、警察にとってオタクの人々を網にかけるということは、世間から批判を受けることなく点数稼ぎをすることが出来る、おいしい手法ということになるかもしれません。

これは、歩きタバコ禁止条例を作って繁華街を囲み、最初だけサラリーマンやOLに罰金を払わせて、親方のいる霞ヶ関は取り締まりエリアにすらしない東京都某区の穴だらけ条例や、選挙の時だけ郵政民営化に賛成しながら、今さらになって反対する国会議員連中のようです。民営化の内容はともかく、前回の選挙時に明確に郵政民営化に対して考えを示さなかった卑怯者も同罪。選挙区の人々は、自分が選んだ議員が選挙時と現時点で違った行動をしていないか注視すべきだといえるでしょう。例えば、愛知万博反対を掲げて当選して、ひょいと別の政党に移った途端に賛成するメチャクチャなおばちゃん議員のように。日本だけなのか、選挙に対する投票は、政党は政策、議員は別という不可解な投票が目立ちます。政党としては莫大な票を集める民主党がいざ選挙区で戦うと役人上がりとか誰かの子供という政策や才能を無視したような候補者にあっけなく負けてしまうのがいい例です。この一貫しない行動が与党と官僚によるタッグを強固なものとした挙げ句、安易な増税、年金支給水準引き下げに繋がったともいえるでしょう。ちなみに、分煙が一般化しているオフィスにあって、最も分煙対策が遅れた場所の一つが官庁の記者クラブだったというのは皮肉なものです。張り紙無視。通達無視。ストレスがたまるからというのは言い訳。自分のことを棚にあげて利権を守る社会の縮図が記者クラブには沢山つまっています。ふふ。

オタクと盗撮犯は、一般庶民からは毛嫌いされる存在でもあります。盗撮犯は毛嫌いどころではありませんし、盗撮犯と比べてしまうこと自体オタクの方々に失礼だと思うのですが、警察官の点数稼ぎともとれるオタク逮捕と人目を引けば姑息な取材をしようが何でもアリ、という姿勢がどこか似ているような気がしたからです。盗撮ツアーの取材が「犯罪者相手なら何をやってもいい」という風潮に乗って行われたのなら、問題です。テーマではなく、取材方法が問題。昨年夏には、確かワイドショー(たぶん同じ放送局です)で海水浴場で盗撮する男たちの行動を隠し撮りして警備員に逮捕させるという同様の手法がこれまたスクープのように報じられていました。これは「盗撮の盗撮は犯罪ではないか」と批判が多かったようです。あ、今回の手法も全く同じですね。ネットを通じて犯人をおびき出したという点では今回のほうが悪質です。

書いているうちに脳に乳酸がたまってきたので今日はこのへんで。後日、今日の日記から派生した「ネーミングと偏見」「番組作りとお笑いの共通点」について考えます。何と高尚な。
sakurasaku

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April 10, 2005

ネットのチカラ2

今日もストックから。更新のタイミングを逃すと寂しいですね。

教科書検定でもめています。国家の根幹である教育に他の国がとやかく言ってくるのはおかしいと思うのですが、竹島を載せようが載せまいが、その教科書を使用する学校や教師次第でいくらでも教育は変わるということぐらいは、よく考えれば分かることです。何かがあるとすぐに国旗を燃やしたり、首相の人形を作って壊したりするのは、見ていてあほらしくなります。これ以上話すといろいろと問題発言をしそうなのでやめときますが。
性教育の内容で問題になったように、検閲とばかりに国があれこれ注文をつける検定が行われようと、副教材や授業の内容でどうにでもなるということになります。なのに、メディアは検定の問題を取り上げるばかり。役所もメディアも力の入れどころを間違っているような気がしてなりません。

さて、先日CDを購入しました。D-LOOP「Love me tender」です。シングルは廃盤。アルバムはアレンジが珍妙なうえに忌々しきコピーコントロールCDなので、どうしてもシングルが欲しかったのです。中古CD店を駆け回り、結果的にネットオークションで首尾よく購入しました。
題名もアーティストも分からないこの曲は、CMに使われていました。作詞作曲をした男性によるバージョンも何かのCMに使われたようです。一度、カラオケ屋で発見して歌おうとしたことがあるのですが、サビしか分からないので見事玉砕した記憶があります。ゆーわーるどの掲示板でも何度か情報を募ったのですが、残念ですが核心を突くものはありませんでした。
そこで、教えて!Gooで情報を募りました。①何かのCMに使われていた3拍子の曲②作詞作曲をしたと思われる男性のバージョンもある③男性の名前はカタカナ④サビに「Love me tender」というフレーズがある。
このヒントで募集をしましたが、ものの数分で回答者が現れヒット。作詞作曲は真田カオル。カタカナということもある意味当たっていました。これまでは、カタカナ表記と言うことでスガシカオ、カジヒデキの曲として探したり、サビのフレーズが曲名だと考えて「Love me tender」で検索はしたものの、華原朋美のような声のボーカルとD-LOOPという単語が結びつかず「別物」と扱っていたのでした。ネットの力ってすごいですね。何年もかかってつかえていたものを出すことが出来ました。フー。
話は変わりますが、巨大掲示板である2ちゃんねるは、役割を終えたという見方が出ています。。ブログや教えて!Gooのような相対のコミュニケーションが成立するようになったことも要因の一つといわれています。これまでも個々の日記や掲示板はありましたが、コミュニケーションはそのサイトに出入する仲間内に限られていました。
ところがブログは検索にも積極的に引っかかり(賛否両論ありますが)、トラックバックなどで多くの人とのコミュニケーションを取ることが可能になりました。
また、会員登録による制限と匿名性が微妙なバランスで保たれている教えて!Goo、Yahoo!知恵袋などは、匿名性が高い2ちゃんねるなどの掲示板に比べて信頼性は高いといえます。回答する人間が限定されたりするという弊害もあるようですが、情報を鵜呑みにせず、自分なりに噛み砕くことさえ気をつければ効果的なサイトです。中高生の恋愛に関する相談も多いんですが、相談相手がいなければ一人で悶々と塞ぎこんでいた時代に比べれば、世の中は激しく進歩したものです。インターネットは急速に進化しました。パソコン通信の頃の文字のやりとりから画像、映像の閲覧が可能になり、その後は出会い系やアダルトサイトなど「エロ」が絡んだことにより、かつてのビデオデッキのように爆発的に普及しました。

インターネットは、一方でユーザーの質が変わってきたことも事実です。誹謗中傷や意味不明の文章をやたらと掲示板に書きまくる「嵐」という行為も、接続が従量制による課金で時間との戦いだった頃では考えられなかったことです。インターネットは大人のたしなみでもなくなりました。手軽さゆえに、いろいろな人が入り込んで、いろいろなことをする。出入する人が多いだけに問題も出てきますが、若い頃から様々な表現の可能性を秘めたツールを手に入れていることは羨ましい限りです。もちろん、使い方さえ誤らなければ。
僕が初めてインターネットという環境を手に入れた頃は、既に当時の巨大掲示板「あめぞう」のほとんどの機能が停止している状態でした。それから数年、2ちゃんねるで書き込みが止まっているスレッドを見ると、時代は着実に流れているのだなと感じてしまいます。

jingu2005

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April 09, 2005

要するに…

今日の日記はストックから。今週頭に更新予定でした。現時点では過去形にしなければならない部分もありますが、敢えて手を加えることなくアップしましたので、ご了承下さい。

ローマ法王、ヨハネ・パウロⅡ世が死去しました。
凡人だろうが変人だろうが、どんな人も亡くなった後に何かしらの偉業というものが出てくるものなんですが、偉人中の偉人ともいうべきこのお方も日を追うごとに数え切れない偉業が次々とクローズアップされてくることでしょう。次期法王も是非、亡き法王の意思を引き継いでもらいたいものです。
さて、この法王の葬儀には各国の首相など要人が参列します。ところが日本は…川口順子「首相補佐官」です。ほんと、バカにするのもいい加減にしろという感じです。以前、日本のエネルギー事情に欠かせない中東某国の要人が亡くなった際も参加したのは川口さんでした。各国は国王、皇太子などを送ったなかでレベルダウンは否めませんでした。何を言うか分からない野郎を送るよりは、ソフトでイメージの良い川口さんを送ったほうがマシですが、皇太子、せめて首相を送るべきではないでしょうか。
国家クラスでの冠婚葬祭の派遣は、国家間、国内の省庁間のメンツやしがらみが影響することも少なくはないようですが、当事者は真剣勝負(?)でも傍からみるとバカバカしく感じます。肝心の首相は靖国神社にはホイホイと足しげく通って、こういう重要な場には参加しない。郵政民営化の大きなヤマ場とはいえ、寂しいことだと感じました。

さて、今日は「要するに」という言葉についてとりあげます。僕がSさんの奇行やガキのような言い訳のオンパレードでストレスが溜まっていることは、既にご承知のことかと思いますが、最近のストレスは、初登場のXさんに集中しています。このお方、IT経験者ということで、自信満々なのですが、中途半端な知識でも知ったかぶってしまうので、余計ストレスを感じてしまいます。知ったかぶりに対する怒りは、僕の記憶では既に保育園時代から抱いていたようで、他人のそういう行為を見ると、歯をギリギリ言わせていたことを今でも鮮明に憶えていたりします。
例えば、会社のパソコン同士をスイッチングハブで接続してADSL環境を共有しようと提案すると「ルーターがないからムリ」と意味不明なことを言い出します。ちなみに家では同じ方法でしっかり共有していますが。数年前の話になりますが、ビデオカメラのテープの種類を確認しようと「DV(デジタルビデオ)ですか?」と質問している途中で「違います!」と遮る人のようなもの。ちなみに、そのカメラはDVでした。DVも知らないくせに、DVって何?って聞かなければ答えようがないでしょう。ちなみに、Xさんのエピソードではありません。
このXさんの口癖が「要するに」です。長い話を要約するという意味ですが、このフレーズには気をつけなければなりません。「要するに」は、自分の長々とした意見を簡潔にまとめますよ、という場合に使うと効果的ですが、相手の話を横取りする場合は、全く意味がなかったりします。Xさんの「要するに」は、これです。相手の話を途中で奪って「要するにこうなんでしょ?」と言います。Sさんのようにだらだらと同じことを2回も3回も言う場合は「要するに」という言葉を使いたくもなりますが、相手の話を奪うことは、自分の知識は成長しないと言うことになります。
Mさんの前任にAさんという人がいました。声のデカさだけが取り得の人だけに、とっかかりのコミュニケーションには長けているのですが、取材の途中で相手の話の腰を折って「要するに、こういうことですね」と相手の意見を要約し始める。その時点で相手は話をやめてしまいますし、Aさんは自ら新しい知識の吸収を放棄したことになります。
Xさんは「悪い人じゃないんだけど」が当てはまる人ですが、それだけにクセモノだといえます。パソコンでのファイルのコピー&ペーストもわざわざ2つのフォルダのウィンドウを開いて、移動させます。開く位置も決まっていて、ズレていると微調整します。時間の無駄。時間の無駄ですよ、と言おうものなら烈火のごとく逆切れしそうです。
最近の意見のぶつかりでは、インターネット上でのデータの配信の際に文字だけでなく画像や表をどのように表示するかということです。外部に発注するほど大げさなことではないのですが、Xさんは通常の仕事そっちのけでいろんな方法を試していましたが、この人は画像や表のデータをネット上のどこに保管するかを考えていない。自分のパソコンのハードディスクにリンクを張っておいて、ネット上の誰に見せるつもりなのでしょうか?このことを突っ込んでもまた烈火のごとく怒るか、話の腰を折られるので、それ以上は話す気にはなれませんが。ちなみにこの人、女性です。ガムをクチャクチャ言わせて噛むのが許せません。
会話とは即ちキャッチボールです。会話を通じて相手の考えていることや新しい知識を吸収することが出来ます。テレビや本で知ることが出来ないことも多いでしょう。なのに、どんな話でも自分の話にすりかえたり、自分ことばかり話すのは、それだけ自分が損をしているということになります。
知名度が直接票に繋がる政治家なら仕方ないかもしれませんが。

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April 08, 2005

何だこれは

体調が劣悪です。
更新のタイミングが合わずストックしていた日記をやっとアップしたのですが、気になることがあったので今日の日記は割り込み、です。
昨晩、テレビ(日テレ?)のニュースの中で盗撮の犯行手口をとりあげていました。渋谷で女性のスカートの中を盗撮する30代フリーター。盗撮ツアーを募る掲示板に記者が身分を隠して応募、他の参加者もなく犯人と記者の2人で渋谷の繁華街で盗撮ツアーを挙行。
先日、仕事で渋谷に行ったんですが、冬休みだからか、平日昼だというのに若い女性がたくさんいました。渋谷に慣れている人は普通のことなんでしょうが、新橋界隈をテリトリーとする僕には、刺激が強いように感じました…脱線しました。

ニュースでは、機材を持っていないということで記者は隠しカメラで盗撮犯の手口を聞いたり、実際の犯行を撮影していました。犯行が行われたことを確認すると、別の取材班に連絡して警察に通報、男は逮捕されたのでした…よく考えたら、ひどくありませんか?
盗撮は確かに犯罪ですが、記者は男を犯行に誘導したということにならないでしょうか。参加者は2人ですから、記者が参加しないと犯人1人。少なくともその日は、ツアーが行われなかった可能性が高いといえるでしょう。街中で盗撮犯を発見して、隠しカメラで撮影したのなら別ですが、ネットで安易にきっかけをつかんで盗撮犯を泳がせて、その行動を取材し逮捕の瞬間まで撮影するという卑怯な手法。まるで、2ちゃんねる掲示板を使って安易にマーケティングリサーチをするヘタレ企業のようです(そういう会社もあるようです)。

以前はさかんに報道されていたスリの取材では、スリの現場を撮影しながら何故、逮捕(現行犯逮捕)しないのかという批判が視聴者から寄せられていたようです。確かに、取材班が逮捕してしまったために他のスリ仲間が散り散りになって息を潜めてしまい、警察の捜査活動に影響が出たという話も聞いたことがあります。盗撮犯を逮捕「させた」のは、こうした批判に配慮したものかもしれませんが、何となく引っかかります。
盗撮犯は、盗撮を終え、次のターゲットを探すためかデパートの中を徘徊している時に別の取材班が呼んだ警察官に逮捕されました。取材班が呼んだので、逮捕の瞬間もぱっちり撮影出来ましたが、被害者を確保するという重大なことを行っていないために男は「同意のうえの撮影」と供述して即日、釈放されました。盗撮犯の言い訳にも呆れてしまいますが、初歩的な被害者の確保ということを行っていない記者の行動も問題です。撮影したテープを差し出すということも可能でしょうし(渡してしまえば本来の目的を達成出来ないということになりますが)。

記者は、釈放された盗撮犯に取材しています。この時も解説がなかったので、記者という身分を隠している可能性があるように感じました。盗撮は犯罪で決して許すことの出来ない行為ですが、だまし討ちの卑怯な取材をスクープのように報じるニュース番組に呆れてしまったのは僕だけでしょうか。

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April 05, 2005

概況(17年3月分)

概況(17年3月分)
更新が遅くなりました。

3月の重心指数
普段の仕事:45(+5)
シナリオ:20(+10)
その他:35(-15)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~3月の概況~
「普段の仕事」5ポイント反発。
仕事が増える一方で会社の方針に不満。やろうと思えばホームページでも表の配信でも出来るのに。そんなこと業者に頼まないと出来ないと信じ込んでいる人が多いこと、まず、出来るとも思っていない人が多いこと。自慢ではないけどそんなこと屁でもない。ただ「やった者損」が目に見えているのでやらないだけ。そんなことに気がつかない会社。特にIT経験者(?)という人が曲者で…これは今後の講釈で。
みんなバカバカ!

「シナリオ」10ポイント続伸。
どさくさまぎれ、久方ぶりに応募しました。
休止中にどんなことを貯め込んだかと聞かれても、答はなかなか出てこないわけで…。

「その他」15ポイント下落。
スポーツクラブに通ったのは15日です。前月比9日増。
クラブの会員の主ともいえるKさんが沖縄に転勤しました。個人的には前の年のスタッフKさんの転勤並みに大きな出来事だと思います。この人を軸に多くの会員が回っていたと言っても過言ではないでしょう。本人が傲慢ということではなく、太陽みたいな存在とでもいいましょうか。そりゃ、夜中に家に呼んでウィルス駆除をさせながら本人はいつの間にか高いびきで寝ていたり、パソコンを買いに行くといって同行させられ、本人は関係のないコーナーに行ってしまって、僕は幼い娘さんを抱きかかえながら電気店をさ迷ったこともあります。ただ、これも決して悪意のないこと。同じことをやっても相手に殺意与えてしまうタイプの人もいますが、この人は違います。簡単に言えば、長島タイプ。だからこの人がクラブのイベントなどにいるかいないかで周囲のテンションが大きく変わってきます。
ただ、最近は他の店舗からBTSマニアの人々が押し寄せて、スタジオ内を占拠してしまうことが多かったのが残念でした。これでは草食動物系の地元(?)会員は引いてしまうのです。そのうえ、この人々かどうかはわかりませんが、某巨大掲示板に「あの人変だ」と個人を特定できるような書き込みをしてくれます。本当に余計なことはしないで下さい。その後のコメントが続かないのは、特に問題がないということなんです。郷に入れば郷に従え、なんです。
BTSマニアといえば今、アマゾン、HMVなどネットショップは大変です。BTSで曲が採用されるたびにその曲が収録されているCDが買い漁られる状況です。購入者によるプレビューにも「BTS好きの方におすすめ!」という寒いコメントがいっぱい。他のサイトには「BTSの曲に詳しいという人がいたら、このアーティストのことを聞いてみましょう。答えられなければモグリです」というマニア同士による怖いアドバイスも。スタジオでこんなこと話しているほうがよっぽど…もう少し冷静にいかないもんですかね。
音楽と一緒に運動を行うフィットネスプログラムであるBTSは、効率的で素晴らしいプログラムです。健康を扱う番組で紹介される運動の多くを網羅していますし、採用される曲の中で多くの名曲に出会うことも出来ましたが、一方で過熱気味なのが怖いような気もします。このことも執拗なコスト削減と収益向上を進める某社の狙いなのでしょうか。
思えば、不安な気持ちを抱いて入会した数年前が今は、先ほどのKさんをはじめとする前列(?)の人々、Ⅰグループの方々などいろいろと仲間が増えました。一昨日の桜がちっとも咲いていない花見も楽しめました。「任務完了」のM氏をはじめここに密かに出入りする人々にも感謝をしております。
なお、手話は少しトーンを落とそうと考えております。こちらも考えるところがたくさんあるので。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」-1㎏

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April 01, 2005

4月1日

今日は、会社で残業をしながら日記を書いています。言い訳ばかり並べていつのまにかSさんは帰ってしまい、一人です。CSに加入したのに開幕戦を見ることも出来ず、お尻が痛くて念願叶って買ったウォシュレット(INAXなのでシャワートイレ)も激安品を買ってしまい、足りないフレキパイプを秋葉原で調達して来たところです。早く帰って接続したいんですが、仕事が終わりません。こんなことしていますし。晩御飯は今しがた食べて来たうな丼ダブル。うなぎを食べながらボヤいているオヤジサラリーマンが何人かいました。そりゃ、日の当たらない部署は面白くないでしょう。
そんなことを痛感するのが4月1日、入社式の日のようです。大企業は手厚い研修があるので長くて数ヶ月、新入社員は現場に出てきませんが、中小企業は1~2週間で前線に送り出されます。とはいえ、フレッシュな人間が会社にやってくるというのは新鮮なものです。ただ、日の当たらない職業や職場、部署では関係のない一日だったりします。僕が入社式を経験したのは今から10年前です。区切りの年なんですね。
特に今年の連中は入社式1日で即、土日を迎えるので、職場の仲間に歓迎会をやってもらっても翌日を気にしなくて済みますし、学生時代の仲間と集まって早速情報交換なんてことも出来ます。僕の年は確か4月1日は月曜日で5日間、だらだらと長い研修や小雨が降る中での花見やらでへとへとになってやっと休んだ記憶があります。長い5日間の中で「そんなに長くもたないな」と思ったものです(的中しましたが)。
僕のように転職した人間からみると、4月1日の入社式なんぞは、無垢な新卒社員と転職を1回もしたことがないエリート(?)サラリーマンのお祭りみたいなもので、おおよそ無関係なもののように感じていました。今の仕事は割りと社会と関わっている職業ですが、言葉一つ交わさなくても生きていける工場労働者の頃や、社会の底辺で一般人がこちらを見る目すら変わってしまう警備員時代は、敗残兵のような気持ちで4月1日を迎えたものでした。
「シュウカツ」という言葉、どうしても気になります。僕らの時は使っていなかったような気がするんですが、7、8年前ぐらいに新聞で学生の就職活動の奮闘記みたいな特集が続いていた時に初めて聞いた単語です。今朝の通勤電車でも「シュウカツ面倒くせえよな」と交わす学生。やはりこの響きは違和感を感じます…そういう単語を使ってもニートに走らずきちんと就職活動をするだけ、まだ偉いのかもしれませんが。そういや、今日はエイプリルフールでもあるんですね。概況も書かなきゃ。
今日はとりとめなし。

shimbashistamae
黒い塊のほとんどは季節生物「新入社員」

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