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February 28, 2005

ゆーわーるど6周年

ゆーわーるどが6周年を迎えました。
昨年は5周年の節目ということだったんですが、今回はすっかり忘れていました。
ブログ中心になってしまいましたが、今後ともよろしくお願い致します。
ブログのみをご利用の方も是非、ゆーわーるどにおいで下さい。

これだけで終わるのも何なので、お蔵入りしている日記を一つ。
1ヶ月前ぐらいに書いて、タイミングを逃したものです。

情報はタダの時代

先日、街頭で派手なPRが行われていました。
若い女性が「アルバイトニュース創刊でーす」と黄色い雑誌を配る。創刊というより戻ったというほうが早いような気もします。
バブルの頃はアルバイトも全盛でした。現在は、この頃の社員が単にアルバイトに摩り替わっただけなのですから、当時のほうが待遇も良く、職種も多種多様でした。
「創刊」したアルバイトニュースは、何が違うかといえば「無料」ということです。ここに雑誌媒体の変革というものがみえてきます。
これまでのこの手の雑誌の形態はクライアント(アルバイト募集雑誌の場合は募集する側)が金を出して情報を掲載し、その情報誌を仕事を探している人が買うという雑誌を発行する側にとっては二重取りのような形態でした。
バブルの当時はフロムエーも火曜と金曜(AtoZ)の週2回、アルバイトニュースは日刊アルバイトニュースからデイリーanと名を変え、日々学生たちへアルバイトの情報を提供し続けていたのでした。
会社名の由来でもあります。学生援護会。

その形態を打ち壊したのがインターネットです。
ネットを通して「たいがいの情報はタダ」ということを学んだ一般市民は、金を払ってまで情報を買おうとはしなくなりました。
加えて不景気によりクライアントも減り、同じような職種(アルバイトが長続きしない過酷な条件も多いようです)が掲載されるようになったため発行回数も減りました。
anの頭にデイリーという言葉が抜けたのもバブル崩壊後でした。

フロムエーを発刊していたリクルートは、積極的に情報誌の無料化へ突き進みました。
「R25」は、100円ショップで買った「これが100円だとさすがに安かろう悪かろうだな」というような商品を我慢させられている寂しい感じもしますが、クーポンに特化した「ホットペッパー」は地域限定政策が好調でフリーペーパー=粗悪という概念を払拭しました。
フリーペーパーは、クライアント側が掲載料で収支が成り立ちます。
読者は無料なので気軽に手にすることが出来る。
雑誌を製作する側は、内容を良くしてさえすれば部数は伸びるということになり、努力するようになります。
テレビやラジオのスポンサーと同じような構造で、きちんと回転すれば市場はかなり成長します。
無料媒体は書店での販売ルートに乗せるわけではないので、かなりの人海戦術が必要ですが、内容が良ければ手にしてくれる確率が有料の場合とは格段に違ってきます。
寒い日に街頭で配っているティッシュは手にしても、何もおまけがついていないコンタクトレンズのビラを配られても
無視してしまうことに似ています。
街を歩く人々は一瞬で損得を勘定しています。

インターネットによる就職情報の需要の高まりの秘密はスピード感にあります。
今ではハローワークでも情報化が進んでおり、人気職種は一瞬にして埋まるという状態になっています。
例えば検索機がないハローワークの場合、数日遅れでコピーがファイルされますが、これでは遅すぎます。
これと同じように情報誌は無料化が進んでいますが、有料である新聞や雑誌を含め、どんなに頑張ってもインターネットのスピードにはついていけないような気がします。

インターネットの拡大期に発売された「じゃま~る」という雑誌があります。
紙上で物々交換やオークション、趣味の仲間や友人、恋人を募集するという内容は当時注目を集めましたが、結果的に後の出会い系風の勧誘が行われたり、表向きはバンドなどの仲間を募集して、実はマルチまがい商法などネットワークビジネスの勧誘だったという例も多発し、本来の雑誌の目的を果たすことなく廃刊されました。
後にインターネット上に出会い系サイトが林立したり、ネットオークションが急速に拡大したことを考えると、じゃま~るは先見の明があったものの登場するタイミングが遅すぎました。
まるで、経営難で味の素の傘下に下った後にカルピスウォーターがブレイクしたカルピスのようです。口惜しい。

アルバイトニュースは、無料化にあたりインターネットとの連動をPRしていますが、無料媒体が氾濫する状況のなかで雑誌の形態にこだわることなく思い切って廃刊する方法もアリなのかもしれません。
無料化が単なる延命策に過ぎず「あの時廃刊したほうがよかった」ということにならなければいいのですが。
そう考えると、アルバイト情報誌の限界を予測していたかのように多種多様な雑誌を手がけてきたリクルートに先見の明があったといえるでしょう。
nekoneko

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February 26, 2005

ローレライ

CinemaX第31回目。

ローレライ
原作:福井晴敏
監督:樋口真嗣
脚本:鈴木智
出演:役所広司、妻夫木聡、香椎由宇ほか
(公式サイトはこちら
(計測時間128分)

「美味い料理とは」

福井晴敏原作の「終戦のローレライ」を映画化。
ちなみに、原作を読んだことはありません。
公開前なので出来るだけネタばれなしでいきましょう。

舞台は終戦間際です。広島に原爆が投下された昭和20年
8月6日以降。映画が史実どおりに進めば避けられない悲劇を
ほとんどの日本人が知っています。それだけにすんなりと
感情移入が出来ます。東西冷戦が終結して007シリーズなど
スパイ映画がリアリティを欠くようになった一方、南北の対立を
争う韓国映画にリアリティを感じるように、日本の歴史において
第二次大戦中期から末期あたりが最もリアリティにSFたぐいの
話を描ける時代なのかもしれません。制作会社がこうした企画を
募集すると「実は日本政府の陰謀だった」というストーリーが
目立つと聞いたことがあります。諜報活動などは国家を守ると
いう動機で良くも悪くも人間が行う行動ですが、現代ではこう
した行動が陳腐に感じてしまうことは、それだけ今の日本は
政官財がこぞって自分のことしか考えない欲まみれの人々で
溢れているということかもしれません。
境目というのは、何事も魅力があります。時代でいえば混乱期
です。いろいろな事件が起きる激動の時代です。日本でも歴史上
戦国時代や明治維新の頃は人気があります。例えば大河ドラマ
でも平穏無事で文化が育ったような時代より、人々が争いに
明け暮れていた頃のほうが人気があります。それだけ見応えが
あるということでしょうし、人間は本来、争いを好む動物だと
いうことかもしれません。
境目の魅力は、時代だけではありません。例えば地域でみると
地域と地域の境目、つまり文化と文化の境目は非常に魅力が
あります。それはそうです。両者のパワーが絶妙のバランスで
合わさっている場所ですから。中央アジアなんかにはキリスト教
やイスラム教に影響を受けた仏教画とか、ゾクゾクするような
文化があります。アジアでもかつての隆盛により文化が広がり
あちこちの地域で変質した中国文化のようなものが点在します。
人間で言えば男女の境目、大人と子供の境目にカルトなファンが
多いような気がします。殆どの人間は世間体や社会の目で自制
しがちですが、そういうものがなければこういう志向も本来の人間
の本能の一つなのかもしれません。

さて、本編です。
まず、欠点を挙げます…CG。日本の映画はハリウッドのように
世界に展開するネットワークがないので、CGにかけるお金は
ケタがいくつも違うのかもしれませんが、あまりにバレバレで
「これでは人物を合成するとボヤける」と修正したと思しき箇所
も見受けられました…これは日本映画の宿命か。
ちなみに、僕のシナリオの先生は、かつて、この映画と同じ東宝
で潜水艦映画のプロデューサーをやっていましたが当時、潜水艦
の魚雷が命中して水柱が上がるシーンを撮影する時、海保だか
海自だかに依頼して海中で爆弾を爆破させると当たり前ですが
一定距離は立ち入ることが出来ないので、撮影してみるとどうも
しっくりいかない。そこで当時東宝にいた円谷英二に相談して
みると「よし俺にまかせろ」という。やらせてみると精巧な潜水艦の
ミニチュアを作りリアルな映像を撮ってきた。欠点は金がかかること。
他にもいくつか特撮を頼んだが、予算が何倍にも跳ね上がった
…余談です。

構成上の疑問もありました。冒頭のシーンはいつの時点の映像なの
でしょうか。例えば、連邦軍がゲルググを見て「ジオンの新型モビル
スーツです」といえば納得できますが、「ゲルググです!」と言えば
「お前が何で名前を知っているんだ」ということになります。
こんな感じです(どんな感じじゃ?)
ただ、それらの欠点を補うように原作の内容が素晴らしいらしく
潜水艦にあんな機能が搭載されたのかとか、あの女は何者?だとか
矛盾する点もナチスドイツの凶行や混乱期にある終戦間際の日本と
いう設定がカバーし微妙な説得力を持っています。終戦が先送り
され物資が揃っていれば日本でもジェット機や大型爆撃機が完成
し原子爆弾も開発していただろうと言われています。広島、長崎への
原爆投下は悲惨で許しがたい行為ですが一歩間違えば日本も同じ
ことをしていたかもしれない。戦争とは恐ろしいものです。
ちなみに旧日本軍は兵器の性能を重視し、完成度に溺れるあまり
電探(レーダー)の開発が著しく遅れたことが敗因の一つだと言われ
ていますが、この潜水艦が実際に存在したならひょっとしたら戦況は
大きく変わり今の世界は全く違ったものになったかもしれません。

この映画の最大の魅力は、強烈なメッセージです。
「大人は責任を取らない」「このままだと米国に隷属してしまう」
など当時も今も通じるところがあり、ひょっとしたら歴史は
変わっていたのかもしれないという部分を秘めています。
艦内の乗組員の作業も見所の一つです。他の潜水艦映画も面白い
ですが、海外の艦だったり、設定が新しすぎたりします。
泥臭い乗組員が行う、これまで見たこともなかった作業や聞いた
こともない用語も魅力。艦長の「ちょいブロー」「ちょい上げ」
のような極めてアナログな指示には感動すら覚えました。
役所広司はハマり役。声、言い方といい最高でした。

この映画に登場する3発目の原爆投下計画は、賛否が分かれる
ところです。実際に東京を計画していたという話も聞いたことが
ありますし、2発目を投下できなかった小倉に落とすという話や
日本人の士気を殺ぐために京都に落とすとかいう話もどこかで
聞いたことがあります。一方で皇居は絶対に狙わないとか文化
財が多い京都は米国内の学者の提案で空襲などの対象から
外されていたとか、さまざまな情報が飛び交っています。
どれも嘘かも知れませんし、どれも本当なのかもしれません。
当時の大統領、トルーマンが3発目以降の投下に反対していた
という話もありますが、軍が強行すれば大統領とはいえども現場
でそれを止めるのは無理なような気がします。
結果として史実では原爆は投下されず、東京、京都は対象外
だったという見方が強いですが、どれもこれも単位偶然が重なった
だけなのかもしれません。結果的に天皇制も残ったりなど微妙な
バランスで今の日本は誕生しています。

「最終評価A」

潜水艦を題材にした映画というものは、限られた空間で人と人と
の感情がぶつかりあい、それでいて逃げ場がないので緊張感が
続くためか、意外にクソ映画が少ないような気がします。
ローレライは、声や腕時計など小道具の使い方に姑息な意図が
見え見えなことや、最終シーンの設定やCGの面で不満が残り
ますが、それを払拭してあまりある原作に支えられたといえます。
料理はネタで決まるということを象徴した映画です。
大画面できるバレバレのCGは悲しいですが、潜水艦という閉鎖的な
空間を体感するにはまずは劇場で作品を味わうことをお勧めします。
欲を言えば「終戦の」は外さないで欲しかった。ローレライだけだと
何だか意味が分かりません。

東映は、純愛映画に定評のある監督をゲットし、ハリウッドの看板を
背負った男優をわざわざ日本に連れ戻し、極限まで若作りさせた
大女優(ファンの方ごめんなさい)を引っ張り出して大スペクタルを
撮影しました。テーマ曲もアレンジやカバーでうんざりするほど聞か
されているホルストの「木星」を使うなどおいしいところを集めた映画
を作りましたが、残念ながら食材がいまいち新鮮ではなかった。
結果として社内だけの大冒険になってしまいました。
今、金券ショップでは、大ヒット上映中というPOPとともに前売券が
800円(通常は1200~1300円で発売される)で売られています。
この惨状をみるにつれ、金の掛け方だけじゃないんだなということを
痛感します。料理はネタです。映画も原作です(原作モノの場合)

観客動員数を上げるためのCMとはいえ、パールハーバーやウインド
トーカーズなどのような日本を敵視して描く映画が公開された時に
設定を無視して「感動した」「面白かった」とコメントする観客には
あきれましたが、ローレライは、米国に殴りこむような映画になって
欲しいものです。そのためのエンドロールではないのですか?
(考えすぎ?)

脱線ばかりでここまで書くのは一種の才能かなとも思う今日この頃。
ローレライ、必見です。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年2月24日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:ほぼ満席/262席
感涙観客数:50%以上
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定
久々に涙がこぼれました。

ついでに紹介!

原作「終戦のローレライ」まずは1巻から。
やたら高い「Uボート」もどうぞ。

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February 21, 2005

オペラ座の怪人

CinemaXもついに第30回目。

オペラ座の怪人
原作:ガストン・ルルー
製作・作曲・脚本:アンドリュー・ロイド=ウェバー
監督・脚本:ジョエル・シュマッカー
出演:ジュラルド・バトラー、エミー・ロッサム、パトリック・ウィルソン
(公式サイトはこちら
(計測時間160分)

「富士山」

曲や存在そのものは知らない人はないはずのミュージカル。
ジャー、ジャジャジャジャジャーという曲は、CMに使われ
たり、知る人しか知らない例では、BTSJのボディパンプの
曲に使われたり、伊集院光もオールナイトニッポンの第2部を
やっていた頃のテーマ曲だったりします。この時の彼の
肩書きが「オペラの怪人」あの時は、オペラ歌手と名乗って
いたはずなのですが…。

ちなみに、オペラの怪人の曲は思い入れが強かったりします。
中学から大学まで、吹奏楽をやっていたのですが、大学3年
の時東京やそこらの大学の吹奏楽部が集まって年に1回の
演奏会「合同演奏会」っちゅうものをやるんですが、そこで
演奏した曲です。大学の吹奏楽といっても、応援団の一部
として軍隊みたいな大学と軟派な同好会みたいなところが
混ぜこぜで凄い集まりです。大学3年といえば自分が所属
する学内の吹奏楽部では運営に振り回されるわけで
この演奏会は久々にプレイヤーとして集中出来るわけです。
大学4年の時も参加しましたが、プレイヤーとしてではない
のである意味一つの節目の曲でもありました。
本番で協和音→不協和音→不協和音→協和音で終わった
後に会場内に漂った余韻が忘れられません。勝手ながら
評価もAをつけたいのですが、そうはいかないので…。

この映画は、あるアイテムをキーに過去と現在をサンドイッチ
する話です。タイタニック方式。ただ、このアイテムが極めて
重要とは思えず、時々現在(といってもすごく昔なのですが)
に戻ったりするダランと間延びする感じがしました。
それでも見物なのは、過去の輝きを取り戻していくオペラ座。
劇場での予告では嫌というほど見せ付けられた場面ですが
やはり凄い。グラディエーターの実写+CGがあまりにも
衝撃的だったので、その後の歴史モノに対して観客は免疫が
出来ていると思いますが、この映画はCGだけでなく街並みや
多くの人々が住み込んで一つの舞台を支えていた当時の
劇場をリアルに再現しています。それにしてもCGはあらゆる
ものを再現できますね。出来ないのは人の心ぐらいでしょうか。

ターン1までの評価「A」

主人公の女性、エミー・ロッサムは、幼少時よりオペラを学び
テレビ、映画にも出演するなど主役級の俳優の多くが舞台など
をルーツとしていて、歌は吹き替えなしでやっています。
役者とは全然違う声の吹き替えだとしらけてしまうものですが
吹き替え無しでやられてもそれはそれでズバ抜けた出来には
ならないわけで…。特に女性の声の張りが弱く。主役級で唯一
吹き替えだったオペラ座の看板女優の声を一層目立たせて
しまいました。吹き替えばかりで可愛そうなのか、この女優
(ミニー・ドライヴァー)はエンドロールで作曲者が作品のために
書き下ろした新曲を歌っています。声が低くてオペラ向きでは
ない感じですが味のある歌声をしています。是非お聴き下さい。

ミュージカルの実写というものは、シーンや映像的な制約を
受けないので可能性は広がりますが、一方でキャラクターが
行動する際の動機が映画に比べて薄くなる感じがします。
そりゃそうです。セリフは少なく、役者はほとんどの時間「ああ
だー、こうだー、私はこう思うー」とか歌っているわけですから。
シネマ歌舞伎のように、実際の歌舞伎の映像を切り取って
編集しているわけではないので、観客は映画のつもりで観て
内容はミュージカル…このあたりのギャップに苦しんだ人も
多いのではないでしょうか。

ファントムが現れて話に絡んできますが気になるのは主人公
「クリスティーヌ」が幼い頃の恋人である貴族とファントムの間
を行ったり来たりするわけです。ネタバレするつもりはありません
がこの話は、一人の優柔不断な女が行ったり来たりする間に
何人もの人が犠牲になる話です。何ともだらしない女性です。
その間も「私はああだー、こうだー」とか2人の悲しい男たちは
「俺はー、こんなにお前をー」とか歌っているわけです。
ふと時計を見ても一時間半ぐらいしか経っていないのにその後
は「おいおい、またこっちいっちゃったよ」「あれ?またこっち?
しかも含み笑いして」とかクリスティーヌの破天荒な行動で残り
時間をつぶしていきます。この時間が長い!これが、フランス人
の国民性なのでしょうか。少なくとも今の日本人の大雑把な
倫理観というものとは、少し外れているような気がしないでもあり
ませんが、これはこれで「女心」と評価する女性が多ければ僕の
頭の中に「こういうのも女心」とインプットしてシナリオに使います。

ターン2までの評価「B」

歌というものは、音楽+言葉という最強のコラボレーションだと
思います。小説やドラマがまともに立ち向かっても適わないもの
だとも考えています。従ってミュージカルの実写というのは映画
としては強烈なジャンルのはずなのですが存在感はあるものの
歌によって相手(観客も含む)の心を動かすことは出来ても歌を
受けた側の登場人物の心をなかなか表現するのが難しい。
「心が変わりましたー」とか歌うのは非常に滑稽なので。
ファントムや貴族の行動…特にファントムの行動は首尾一貫
しています。一方でクリスティーヌの行動を理解するのが難しい。
この映画はファントムに感情移入して観るというのが正しいの
かもしれません。実際、主人公ですし。ただ、その割には登場が
あまり早くないので、あの浮気な小娘を追っかけて置き去りに
なってしまうような気もしますが。クリスティーヌの友人を演じた
ジェニファー・エリソン、若いのに老け顔な気もする不思議な女性
ですが、綺麗でした。結局は原作があるので話を振り回すことが
出来ないと思いますが、貴族は別にクリスティーヌの知り合いで
ある必要もないと思いますしジェニファー演じるメグ・ジリーは中性
な設定なので何かしらロマンスを入れると、少し見応えが出てくる
のかもしれないと思いました…勝手ですね。

最終評価「B」

映像は最高ですが、競売で落とすアイテムや前後と途中を現在で
挟むタイタニック方式が空振り気味であったことと、上映時間が
やたら長すぎることがマイナスでした。詰めれば1時間半ぐらいで
終わる内容だと思います。長けりゃいいってものではありません。
ファントムは魅力を感じる俳優でしたが、ヤングうつみ宮土理の
ようなクリスティーヌは、絶世の美女とも言い難く(ファン&関係者
の方、すみません)、魅力があるといわれた声もこちら側は決して
そうは受け取れないのもいまいち流れに乗ることが出来ない理由
なのかもしれません。
何度も例えに出しますが、スターウォーズ(Ⅳ)のレイア姫のホロ
グラムを見て、ルークは「綺麗な人だ!」と股間を膨らませて
(ないと思いますが)命を懸けて救おうとするんですが、観客は
決して自分の命を懸けるような絶世の美女とは思えないような
ものです。そう考えると映像って両刃の剣ですね。

冒頭の富士山の意味は、皆さんでお考え下さい。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年2月20日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:約250人/549席
感涙観客度数:20%
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定

万が一、ファントムに感情移入が出来ていて、終盤のシーンで
偶然気を失って主人公たちの支離滅裂な行動を観ずに、直後の
サルがシンバルを叩くシーンで目覚めれば泣くことが出来るかも
しれません…お試し下さい。

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February 18, 2005

ネバーランド

CinemaX第29回目。

ネバーランド
監督:マークフォスター
出演:ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット
(公式サイトはこちら
(計測時間140分)

「さらっと」

前評判が高く、封切りから時間が経過しましたがやっと更新。
井筒監督は酷評、超映画批評では評価された作品です。
自分が見るまでに情報が入ると影響されないか何かと心配で
だったら試写や封切直後に見ればいいという理論になりますが
実は観た人が「ああ、そうなんだよねえ」と感想を共有出来る
ことも狙っていたりします。そんな感じでやります(どんな?)

20世紀初頭の物語です。映像を通じて当時の風俗(それは
意味が違います)や劇場の仕組みなどがちょろちょろと観ること
が出来ます。映像はロゴの雰囲気と同じく緑のイメージが強く
ゴチャゴチャせず観やすい映像でした。映像全体の雰囲気は
「恋に落ちたシェイクスピア」みたいな感じです。

未亡人役は、タイタニックでディカプリオを海中に沈めたケイト・
ウィンスレットです。この人は何故かブレイクしません。綺麗
なのですが華がない感じがします。声も暗いんですが、どうし
ても派手な役が似合わないのかもしれません。タイタニック号
で机の上に乗っかって踊るシーンは、上流階級の令嬢が
庶民の娯楽を楽しむというシーンですが肝腎の彼女がちっとも
楽しそうな演技ではなかった記憶が甦ります。よってテレビにも
不向き。ただ、こういう陰のある役はハマります。

ターン1までの評価「B」

この映画は評価が二分されます。あのガキが何をしたのかと
いえば、何もしていませんし、ジョニー・デップ扮する劇作家の
心が動いたかといえば、そうでもありません。最後にガキが
そういう素振りを見せるだけで、単に眺めているだけの映画
だったりします。それを心地良いとみるか、そうでないとみるか。

主人公の心が動かない映画はあります。テレビですが、踊る
大捜査線は、青島刑事の心が変わる訳ではなく、むしろ不変
ともいえる彼の行動に周囲が振り回され、変化していきます。
ネバーランドも同じような見方をすると、ガキを中心として周囲の
人間が変化する…といえばそうでもありません。キャラクターが
瀬戸際に立たされるような対立がない。葛藤がない。

まともに分析しようとすると、穴は沢山あります。まず劇作家の
生活状況が分からない。いきなり失敗からスタートするんですが
成功していたころの説明も必要。主人公と未亡人の生活レベル
の格差や主人公と妻の関係がどうしてこうなっているのかとか
そういう部分の説明がないと、何故壊れるのか、壊れるのを
止めないのかとか理解することが出来ません。細かいところ
を無視して眺めることが出来れば、この映画は楽しめます。

ターン2までの評価「B」

後半は登場人物の性格が崩壊、理解できる範疇外の行動を
繰り返します。せっかく対立しようとした部分も有耶無耶に
なったり、大団円に終わったりします。とにかく、登場人物の
誰もが気の利いたセリフを言わない。ということは、誰も心が
変化していないということでしょう。そんななかであのガキが
言った「ピーターパンはこの人」は、唯一ジーンとさせるセリフ
でしたが、その後の行動が支離滅裂。付かず離れずうざい。
最後は「何だ今ごろ」という感じです。

最終評価「B」

人が死ねば悲しい、子供が演技すれば可愛い。それを除いて
評価するとこうなりました。長所は映像が綺麗なことと上映
時間が長くないこと。さらっと観ることが出来ます。日曜日の
午後のような雰囲気をプンプンとさせるピアノ・レッスンのように
眠ったりすることもないでしょう(僕だけかもしれませんが)。

史実をヒントに製作された映画で、どこまでが事実かどうかは
分かりませんが、せっかく妻との対立があるのですから最後は
ここを解決しないと。劇場の裏でほっぺにチューでは苗を植えた
まま逃走する稲作農家です。話を盛り上げられるはずの愛人
(?)の母との対立もうやむや。あのガキとの壁も中途半端に
崩壊。史実がある映画は結局は事実に振り回されて話その
ものが崩れてしまいがちです。クイズ・ショウもエリン・ブロコ
ビッチも史実に振り回されてパワーダウンしてしまった感が
あります。事実は小説より奇なり。

黒澤明の映画は、そのほとんどが内容とかけ離れた原作が
存在します。「椿三十郎」の原作「日々平安」には、椿三十郎
そのものが存在しません。原作者の山本周五郎は、完成した
映画を観て「こんな面白い映画は、私の作品ではない」と
最初は原作使用料の受け取りを拒んだといわれています。
原作をヒントにするなら、面白さを追求してここまで改変する
必要があるでしょう。僭越ながら僕がもしネバーランドをいじる
なら奥さんとの対立をもっともっと引っ張り出し最後は奥さんに
「ネバーランド」を観せます。背景に対立がないと、最後の
シーンはどうしても引き立たないので。劇中のピーターパン役
の女性は綺麗でした。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年2月13日
劇場:ワーナーマイカルシネマズ板橋
観客数:約40人/122席
感涙観客数:20人程度
※感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定

何度もいいますが、人が死ねば悲しいですし、子供が演技
すれば悲しい。この2つは飛び道具です。

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February 17, 2005

野田版鼠小僧

CinemaX28回目。

野田版鼠小僧
作・演出:野田秀樹
出演:中村勘九郎、坂東三津五郎ほか。
(公式サイトはこちら
(計測時間 未計測)

「意義ある方法」

シネマ歌舞伎とよばれるジャンル。
初めて歌舞伎に触れるような人や、桟敷やS席に座れない
貧乏人が手軽に楽しめるよう作られたような映画。例えば
一幕見で場の雰囲気を味わってシネマ歌舞伎を観れば
頭の中で桟敷並みの臨場感が合成される…はず。
CS歌舞伎チャンネルのスタッフが撮影したらしいので映画
としての撮影方法とか云々は抜きにして考えてみましょう。

まず、中村勘九郎の作りすぎたような演技はさておき先日観た
渡辺えり子作「今昔桃太郎」しかり「パンチ七之助」の演技の
上手さが目立ちます。中村福助も女形として美しいのですが
パンチはさらに若さが加わります。現状ではハリウッド進出?も
果たし、勘九郎から勘三郎へとレールが引かれた兄を超える
勢いとなったパンチ。暫くは黒子に徹するといわれていますが
軽はずみな行為で数ヶ月を棒に振るのは勿体無いですね。
特に時期が時期ですし。

本編スタート。途中、やはり寝てしまいました。
野田秀樹の演劇を舞台もしくはビデオなんかで何度か観て
いますが悉く寝てしまいまっています。こういうとファンに反感を
買いそうですが、言葉遊びみたいなのがどうも馴染めません。
上手く説明できませんが、早口で「これがあれで、あれがこれで、
ああなって、こうなって」と言うと、「だから何なの?」と突っ込みを
入れたくなる。おまけに哲学的過ぎて…それを本人がセリフを
言いながら吹き出したりなんかすると「組み立てているなあ」
と思います。毎回、そこで吹き出しているのにつられて観客も笑う。
そういうのを連発されると、くだらんネタ(しかもオリジナルでない)
を駆使して街中で若い女の子を笑わせて毒牙にはめるズボンずり
下げ男を見るような殺意がこみ上げてきます。
フォローしておきますが、基本的に面白いんですよ。
ただ、ジブリと同じように神格化して「全て良し」とする人も多い。
野田氏も人間です。そうそう面白いものばかりを作ることが出来る
わけではないと思いますから。

野田版鼠小僧は、一般的な鼠小僧とはかけ離れた話で、よくも
ここまでというぐらい雁字搦めな設定でした。それを違和感なく
するすると解いて展開していくのが彼が天才といわれる所以なの
かもしれません。後半になると眠気も吹っ飛び話に引き込まれ
ましたし、このほか、坂東三津五郎が出てくるといくらボケ役(?)
でもキッと引き締まる雰囲気など歌舞伎というものを存分に楽し
めたような気がします…そもそも、歌舞伎とは何なのでしょうか。
能に始まり歌舞伎、狂言と派生した(と習った記憶がある※)中の
歌舞伎は、少年歌舞伎をルーツとしていますが、その後派生した
女歌舞伎を含め風紀が乱れるということで禁止され、結果として
男も女形として演じる野郎歌舞伎となりました(と習いました)。
すぐに寝てしまう古典なんかは「ああ、歌舞伎だな」という感じが
しますが、こういう芝居を見ていると北島三郎や五木ひろしの座長
公演などでやる芝居などと何ら変わりがないような気がします。
違うのは一部の役者に世襲制があるように伝統があるということや
セットが大掛かり、見栄を切ると声がかかるということぐらいで
極端に言えば下北沢のアングラ劇とも変わらないといえます。
さすがに下北沢の劇場に行くのに着飾る通う紳士淑女はいません
が芝居を見ることが特別だった時代はともかくそうではない現代は
歌舞伎を観るために見栄を張る必要はないのかもしれません。
上手く説明できませんが、伝統だ何だと梨園を聖域として金持ちの
方々が取り囲み崇め奉る風潮には違和感を感じます。
十八世中村勘三郎は間違いなく国民に愛される歌舞伎役者になる
でしょうが、だからといって崇拝する必要もないと思います。
彼もそれを望んではいないでしょう。彼があちこちで新しい試みを
行い、歌舞伎を身近にしようとする行動からも推測出来ます。

さて、このシネマ歌舞伎、もっと広くやってもいいかもしれません。
NHKやCSの専門チャンネルで放送されたりしていますが、臨場感
は生の劇場には到底及びません。ところがシネマ歌舞伎はある
程度の臨場感は得られます…ちょうど中間的な存在です。
歌舞伎座で初めて芝居を観た時、初めて「親にも見せたいな」と
感じました。歌舞伎座、南座、博多座などに通えず生の歌舞伎に
触れられない人は沢山居ます。一方で地方都市での歌舞伎は
どうしても一線級の役者を揃えるのは難しい。そういう点でもシネマ
歌舞伎はいいのかもしれません。シネコン全盛のいま、スクリーンを
確保するのは大変かもしれませんが、例えば公民館などで放映する
方法も考えられます。地方都市にハコモノは多いですし。
野田版鼠小僧は、全体的に楽しめましたが、広い舞台でありながら
動きが少なかったように思います。広い劇場内では通りにくい早口の
台詞回しは、シネマ歌舞伎ではきちんと聞き取ることは出来ましたが
小さな動きもカメラでしっかりフォロー出来る。シネマ歌舞伎の長所を
引き出せたかというと少々疑問です。渡辺えり子作の今昔桃太郎は
ダンスなど見せ場が多いので是非、シネマ歌舞伎で観てみたい。

「最終評価-」
今回は評価ナシということで。番外編としてカウントすることも考え
ましたが、実績を増やすという点で第28回目終了。

~鑑賞メモ~
鑑賞日:平成17年2月4日
劇場:東劇
観客数:400人以上/435席
感涙観客数:少数
感涙観客数は観客の鼻すすり音で推定

※日本の演劇は能→狂言(現在は能と狂言がセット)と阿国(遊女)
歌舞伎(女歌舞伎)から若衆歌舞伎(少年歌舞伎)→野郎歌舞伎
(現在の歌舞伎)へと変遷…有識者からの情報。ありがたや。

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加熱報道

ライブドア対フジテレビの報道が加熱しています。
やった、やらないと水掛け論が続くNHKと朝日新聞の
ケースと違い、それぞれのトップ(特にホリえもん)が
積極的にコメントするこの2社の問題は、露出度が高く
特にマスコミや大企業の関心は高いのかもしれません。
商法改正で「明日は我が身」ともいえる問題ですし。
朝のテレビで見たので記憶が定かではないのですが
文化放送の社長は「放送業界は規制に守られ、認識が
甘いところがあったのかもしれない」と述べています。
確かに、同業者や銀行と株を持ち合う形態は国内の
様々な業界で安定…悪く言えば無風状態を作り出して
来ました。その一方で放送は公共性が高いといいながら
指標となる視聴率を調査するビデオリサーチは、広告
代理店と放送業界各社がよってたかって出資した企業で
競合関係にあった外資系のACニールセンが各局の一斉
解約で撤退させられたという経緯があるように、閉鎖的な
一面もあるようです。だから、何にも悪いことをしていない
ホリえもんを平気で降板させることが出来るのでしょう。
それはさておき、この問題では、ニッポン放送の議決権を
失くすだの、上場廃止を目論むだの、上場企業である
ニッポン放送を馬鹿にしきった方法論が飛び交っています。
100%子会社ならともかく、お互い株を過半数も保有して
いません。グループ会社なので役員はすっかりグループに
染まっているのでしょうが、プロパーの社員は臍を噛む
思いをしているかもしれません。東証二部といえども上場
というのは大企業の証。攻め側のライブドアならともかく
子供からそういう大事なものを平気で奪おうとする親の
神経がどうかしているようにも思えます…本題です。

寝屋川の事件に刺激されたのか、あちこちの小学校で
不審者が現れたというニュースが飛び交っています。
ちょこっと侵入した男が意味不明なことを言うので学校が
通報…これはまだいいですが、殺人事件が未然に防げた
ように大々的に取り上げる安易な報道は妙な気がします。
不審者はそんなに簡単に湧いて来るものなのでしょうか。
一部の学校では、侵入者を想定した訓練も行われたよう
です。前々から予定されていたのなら何も言いませんが
今回の事件を踏まえた急場しのぎなら、やる意味はある
のでしょうか。日本刀を持って典型的な「侵入者」として
暴れる男の周りでカメラを回すマスコミ…まるでお祭騒ぎ。
事件に遭った人々はこの映像を見て過去を思い出す
でしょうし、必要以上に児童を怯えさせる必要もない。
かつて、オウム真理教の信者の子供の就学問題で
「隣の市もやったから、うちもやるか」と相次いで受け入れ
拒否を打ち出した埼玉県を中心とする関東の自治体の
愚かな行動に似ています。市民の安全を守ったと言わん
ばかりですが、問題を他の自治体になすりつけて就学
出来ない不幸な子供を増やすだけの短絡的な行動は
具体的なことは何もやっていないのに突拍子もなく
「平和宣言都市」と名乗る自治体の行動に似ています。

ちなみに、お祭り騒ぎの訓練をしたのは、さいたま市の
学校だったようですね。やっぱり…。自分で住んでいて
何ですが、この県は下手に東京にくっついているだめか
変に背伸びをして目立ちたがるきらいがあります。実力が
ともなわないのに住民税や法人税が潤沢に入るのも
要因なのかもしれません。人口が増加するのも多くは
自治体の努力によるものではありません。過疎化に悩む
地方の市町村が必死こいて活性化を図るのとは違います。
それを自分の実力と勘違い…という構図なのでしょうか
「そりゃ、おかしいだろう」というようなことも平気でやる。
ブームに便乗して「たまごっちタクシー」と命名、その後
撤回したタクシー会社のようです。この会社、バンダイに
根回しも交渉もせず命名したので、クレームが入るのは
当たり前なんですが、それが分かっていない。甘さの
面では共通するような気がします。この会社は撤回後
「ひよこっちタクシー」というバッタもんみたいな名前を
掲げて営業を開始しました。その後どうなったのかは
分かりませんが、平気でニセモノのような名前をつける
神経が理解できません。かつて列強から猿真似が得意
とからかわれた国民性なのでしょうか。
埼玉は、1000年女王みたいに土地だけごっそり持ち
上げて、太平洋上に落としたりすれば、もっとまともな
県になるのかもしれません…話が逸れました。

ニュースが枯渇する時期には、報道が過熱しがちです。
溢れ出す情報を取捨択一することで問題の根幹を
見極めていく必要があるでしょう。

それにしてもくちゃくちゃ物食うおっさんが多い!@マック

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February 16, 2005

憤りはどこに

今日は出張先の小山市から、地震に揺られながら更新を
しています。自販機にコーヒーを買いに行って戻ると部屋が
ゆらゆらとゆれていました。阪神淡路大震災と同じような
時間帯ですが、やはりこのタイミングで大地震が来たら
ひとたまりもありません。

寝屋川市内の小学校で痛ましい事件が起きました。
要因については、さまざまな意見が飛び交っていますが
疑問に思うこともあるので取り上げてみました。

昨日行われた父兄への説明会で学校からの謝罪がない
ことに憤っている父兄がいたことが取り上げられました。
比率がどの程度かは分かりませんが…何ですかこれは。
職員を殺傷された悔しさは、事件後の校長による会見が
全てを物語っています。門扉を閉めていなかったことは
ある程度問題があったと思いますが「乱入」したわけでは
ないのでこの点は池田小の事件と根本的に異なります。

犯人は元担任を訪ねましたが、留守なので食事をして
再度学校へ戻っています。刺殺された教師が犯人を
職員室へ案内したのもOBという理由だからでしょう。
例えば、OBが訪れて恩師に会いたいと言われれば断る
理由はありませんし、大怪我をした教師と栄養士の2人は
手傷を負いながら非常ベルを押しました。これ以上の
対応を求めるのなら、校門に自動改札でも作り出入する
業者やOB、父兄を全て疑いこと細かくチェックしたり
1日あたり数万円をかけて警備員を立たせるような対応が
必要になります。警備員を立たせることは、抑止力の1つ
にはなるでしょうが、もちろん入口は正門だけではあり
ませんし、ある学校だけ特別にというわけにはいかない
ので単に警備強化による対応というのはあまり現実的だ
とはいえないかもしれません。
教師が殺傷されたことで心に傷を負った児童は少なくは
ないと思いますが、少なくともこれらの対応に対して謝罪を
求めるのは筋違いだと思います。煽ろうとする目的かは
分かりませんが、その意見をあえて取り上げるマスコミも
視点がズレているような気がします。

また、この事件はゲームの影響が指摘されていますが
それだけを理由にすることは全く意味がありません。
ゲーム業界はこの種のゲームを作る際は死体を残さない
人間ではなくゾンビなら殺しまくっていいなどと屁理屈の
ような自主規制でゲームを作ってきました。
かつてテレホビーといわれた家庭用ゲームは少なくとも
ここ20年ぐらいの文化なので、それ以降の残忍な事件
への関連性はゼロではないでしょうが、問題はゲームを
する人間がどう情報を消化するかだと思います。
犯人は小学校時代いじめにあったと述べています。
事実関係は分かりませんが、その後は不登校で人生を
大きく狂わされたことに恨みを抱いた犯行であるという
見方もあります。一方で当時の担任は恨まれる心当たり
がないと言い犯人の親も熱心に指導してくれたと教師を
評価しています。犯人の一方的な逆恨みの可能性も
ありますが、いじめという類のものは本来、大人の目に
つかないよう行われるものですから、実際に犯人の人生を
大きく狂わせるようないじめがあったのなら、大人と子供の
視点の差が多くの事件のカギになったと考えられます。
大人のちょっとした言動は子供に影響を与えます。
与えた側はその気がなくても受けては何かしら感情を
抱き続ける可能性もあります。かつては、このギャップを
埋めていたのが周辺の上級生や大人だったのでしょうが
都市化のなかで近所づきあいが希薄になり、そのような
機会は確実に減少しています。

携帯ゲーム機が相次いで発売されるなどゲーム業界は
競争が加熱しシェアを拡大するために各社がアイデアを
凝らした刺激的なゲームの開発が進められています。
一方でそれらの刺激的な情報を処理する能力が備わって
いない子供たちがゲームを行い、都合の悪いことは学校や
塾に任せきりで、自分の子供は「良い子だ」と信じて止ま
ない親は子供たちの変質に気づかない…そういう構図も
あるのかもしれません。殺人はいかなる理由も許されま
せんが、これらの事件に対して、短絡的に警備強化や
ゲームの規制強化に決着しないよう祈るばかりです。

学力低下に一貫して危機感を唱える中山文科相は
ゆとり教育の見直しを打ち出しました。一説には骨抜き
教育でバカな国民を増やしエリート層が利益を吸い取る
ことが目的ともいわれるゆとり教育は、受験戦争以上に
様々な弊害を生んでいます。ゆとりを求めても足並みが
揃っている訳ではないので、学習塾は盛況で私立学校は
その間隙を縫って生徒の学力をせっせと上げ結果的に
エリートへの抜け道を作ってしまういびつな構造を作って
しまいました。そもそも教える側の教師がゆとり教育を
受けていない訳ですし、時間があると過保護な親は子供を
学習塾に通わせ、干渉しない親の下では子供たちが伸び
伸びと青空の下で遊ぶわけでもなくゲームに没頭してしまう
わけです。より近所づきあいの機会は減少してしまいます。
ゆとり教育の見直しは何らかの変化を生むきっかけになる
かもしれません。
ゲームは、種類によっては達成感を味わうことや情操教育に
似たような効果もあると思います。IT業界に関心を持つような
入口となることもあるでしょう。犯人は幼い頃、将来はゲーム
雑誌の編集やゲームの開発に夢を抱いていたようです。
ゲームに没頭していた子供が抱く夢としては、決して不純で
はない。その彼が何故凶行に及んだのかを冷静に分析する
必要があるでしょう。マスメディアによる報道が犯人や被害者
のプライバシーの掘り返しだけに終わらないことを祈ります。

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February 11, 2005

目糞鼻糞

お昼、久々に吉野家の牛丼を食べようと駅に向かうと
長蛇の列…とはいきませんが、埼玉の片田舎では
珍しい行列が出来ていました。すぐに断念。
並んでいる人々の会話を聞いていると、店の中で
食べてテイクアウトの行列にもそのまま並んでいる
らしいです。松屋など他のチェーン店の一部では
牛めし・牛丼が復活しているためそれほど盛り上がら
ないのかなと思っていましたが、ちょっと意外でした。
それにしても日本人は「限定」という言葉に弱いですね。
今回は、流通在庫の肉を掻き集めて使っただけなので
古い冷凍肉を食べているということになります。
そもそも、安全性の確認しようがないことを考えて
みれば不気味なような気もします。
ちなみに、タコはモロッコだか輸出国側の資源が枯渇
して輸入が停止されているようですね。そのまま再開
されていなければ、日本人は吉野家の牛丼のように
冷凍タコの在庫を食べ続けているということになります。
現地では悪魔の生物として嫌われるタコを獲って
日本に売ると儲かるんですから、乱獲されるのも
当然かもしれません。大手商社が脱税だかで問題に
なったのもタコだったような記憶もあります。
一部の人々には、輸入禁止になったような肉を廃棄
せず、さらに掻き集めて売りつくすとは何事かという
声もありますが、ともあれサラリーマンを中心とした
日本の人気メニューです。
大手チェーン店の牛丼販売停止が国内の米消費量
減少に大きく影響したといわれるほどですし。

今日、吉野家に車が突っ込んだ事故が大々的に
報じられています。「復活」の日に車突っ込むなど
メディアは書きたい放題ですが「牛丼を食べようとして
慌てた間抜けな客」という演出をしたくてメディアが
わざわざピックアップしているだけなので
「それほどフィーバーしているのか」と短絡的に考えない
ようにしたほうがいいかもしれません。
普段なら、メディアに黙殺されていたはずの事故です。

さて、本題です。
ライブドアが突然、ニッポン放送の乗っ取りに動き出し
ました。これがライブドアの本業といえば本業なわけで
朗らかな伊集院光のような顔してやることは怖いん
ですね。特にナベツネ憎しでライブドアなど新参者の
背中を押してイケイケドンドンだったフジテレビは
飼い犬に手を噛まれた状態です。
しかも、前シリーズのような看板番組に仕立てようと
目論んでいた平成某に堀江氏を出演させていたわけ
ですから、まさに飼い犬に手を噛まれる、です。
どこか非礼な雰囲気漂う堀江氏の行動と一流企業の
プライドありありで、社会に馴染めない小童など鼻息で
吹き飛ばせるわといわんばかりの日枝氏とその周囲の
言動は、まるでホリえもんVSナベツネの構図です。
少し違うのは、経営者がナベツネ氏のように横柄な
態度をとると社会の批判を浴びるということやライブドア
は恐ろしく金持ちだということを学んでいるから。
なので、日枝社長の対応はあくまでやんわりと。
ところが、社長の言動の裏でフジテレビは、堀江氏が
出演した平成某の放送を延期しました。番組編成上の
戦略とかいうのが理由のようですが、番組改編の時期
からも外れていますし、明らかにホリえもん外しとしか
思えません。まるで、海老沢会長の国会参考人招致を
番組編成上の都合として放送しなかったNHKとよく
似ています。もはや、こんなテレビ局にニュース番組を
放送する資格はないといえるでしょう。
第一、フジテレビにホリえもんを出演させ続けても
「引っ込めろ!」と思う人は少ないでしょう。それよりも
バレバレの報復人事(?)をする方がマイナスです。
NHKに対して同じような批判をしておいて自分たちの
学習効果はゼロ…というのは言い過ぎですかね。

吉野家の事故の件といい、都合のいいニュースは
面白おかしく大げさに報じ、つまらないニュースは黙殺
自分にとって不味いニュースに蓋をするということも
「報道の自由」つまり「表現の自由」なのでしょうか。
yoshinoyafukkatsu

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February 10, 2005

ラジオドラマ

昨夜のサッカー、見ましたか。
一夜にしてヒーローが誕生する瞬間を見ましたね。
Jリーグでの成績は素晴らしい大黒選手は
我々一般庶民には馴染みの薄い選手でしたが
たまたま代表合宿に召集されて、そのまま残って
代表初出場。しかも苦境を救ってロスタイムでのたうち
回ってボールをねじ込みました。試合後は各メディアに
引っ張りだこで知名度は全国区になりました。
もし「大黒将志」という検索数がチェック出来たら
何百倍、何千倍に膨れ上がっているのではないかと。
スポーツで国全体の雰囲気が浮いたり沈んだりする
のはサッカーぐらいかもしれませんね。
北朝鮮サポーターの感情を逆撫でしたくないのか
「みんな仲良く」という意見が多かったですが
やはりラモスの「サッカーは国と国との戦争だ」という
言葉を思い出します。

さて、南セントレアという凄い新市名をぶち上げた
愛知県の自治体が抗議が集中したことにより見直しを
決めました。公募の結果も無視してトロピカルな名称を
つけたことに全国から抗議が寄せられましたが
今週、巻頭に問題を扱った週刊SPA!などメディアの
影響が大きかったのかもしれません。
南セントレアは例外ではありません。名前に偽りありの
四国中央市、これから桜を植えるさくら市や
ミネラルウォーターみたいな南アルプス市など特別債を
目当てした合併により数々の悲劇が生まれています。
修学旅行前にバタバタと付き合い始める中高生の
ようです。付け焼刃では長持ちしませんよ。
これは、明治維新の際に藩名や古来の地名などの
多くが排除された廃藩置県に匹敵する惨状です。
そもそも、企業の合併と同様に自治体の合併には
さまざまなエゴが働き、結果として痛みがともないます。
ちなみに、成り上がり精神一杯の自治体のエゴが
足を引っ張り合って合併が進まなかったさいたま市は
その新市名もさることながら区の名称でも揉めました。
公募の結果を無視するあたりがよく似ています。
やはり、娘が大好きだった前知事が公とはいえない
公募の結果すら無視して奥秩父桃湖という名前を
つけた土地柄のようなものもあるんですかね(糞)
僕の出身の豊後高田市は合併後も名前は存続しますが
味のある町名の真玉町、香々地町が消滅します。
真玉は「またま」香々地は「かかぢ」と読みます。
ちなみに、テレビで「スゲーところでスケート」をしていた
断崖絶壁の石橋は市内天然寺の裏にある無明橋だと
思われます。修験者が行く場所で地元民はなかなか
近寄らないんですが、幼なじみのD君の父親はこの橋を
「ケンケン」で、その友人は逆立ちで渡りました。

ここからが本題です。
「君の名は」がラジオドラマでリメイクされるらしいです。
今年3月、数回だけの復刻のようですが、昭和27年に
NHKラジオで放送された「君の名は」は放送時間帯は
女湯が空になったといわれるほど日本の女性を
熱狂させましたドラマなので、テレビ、ブロードバンド
など昔とは大きく変わった状況の中で同じような反響を
得られるかどうか注目です。
ただし、元祖冬のソナタという呼び声も高いドラマを
リメイクし声優もこれまた冬ソナの吹き替えの2人を
起用するあたりはものすごく姑息な感じがしますが。
日活で石原慎太郎が弟を連れてきてヒットした
二匹目のどじょうを狙って、上原謙の子供を引っ張り
出してきた東宝みたいです。
といいながら実は楽しみにしています。
何度か触れたことがありますが、ラジオドラマは
最もリアルな表現が可能なドラマです。
例えば、ラジオは音声だけですから絶世の美女と
いえば各々の絶世の美女が連想されます。
「君の名は」は、聴取者それぞれの絶世の美男美女が
数寄屋橋でやきもきするようなすれ違いを演じることで
盛り上がったわけです。東京に住んでいなくても
それぞれの数寄屋橋をイメージ出来ます。
後のテレビドラマ化で世間一般的な美男美女である
はずの佐田啓二と岸恵子を起用してもなお
「イメージと違う」と苦情が出たのは頷けます。
(今回のナレーションは岸恵子らしいです)
冬ソナがヒットした背景には、日本の女性たちが
ペ・ヨンジュンなどの俳優に対して先入観やイメージを
持っていなかったこともあるのかもしれません。
だからこそ、青春時代の甘い恋愛を思い起こすことが
出来た。そういう点では遠からずラジオドラマと共通する
部分があるのかもしれません。
日本の俳優だと身近過ぎるうえに他のドラマの役の
イメージに影響されることが多いようです。
特にバラエティに出まくられたりするとなおさら。
リメイクされる「君の名は」は、テレビドラマではないので
圧倒的な不評を買って、染み付いた暗いイメージが
何年も払拭されずに主演の鈴木京香を長いことドラマに
使いづらい女優にしてしまった平成3年のリメイク版の
ようになることは考えづらいですが
現代の女性方にラジオドラマが受け入れられるか
どうかが注目です。ラジオの聴取率は小数点以下が
当たり前で整数になると怪物番組と呼ばれるようです。
仮にこのリメイクが整数に到達するようなことがあれば
「君の名は」のオリジナルの素晴らしさと冬のソナタの
パワーを感じずにいられないでしょう。

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February 09, 2005

ドラマの意義

先週、CSで「彼女たちの時代」が放映されました。
一夜に2話づつ放映。おかげで一週間寝不足。
最終日は4話一挙放映というサバイバル。岡田惠和脚本。
小室哲哉と乾貴美子を足したようなルックスの人です。
イグアナの娘、ちゅらさんなど数え切れないぐらいのドラマを
描いています。時代劇やサスペンスは別として女性上位の
脚本家世界の中で活躍する数少ない男性でもあります。
彼女たちの時代は、短い期間に低視聴率ドラマを連発した
今は亡きフジテレビ水曜10時枠でスタートしました。
彼女たちの時代も終始視聴率はふるいませんでしたが
椎名桔平扮するビジネスマンが壊れるオープニングが
象徴するように女性3人が騒ぐだけでなく
ずしりと重い内容がサラリーマンの共感を呼び
確実にオヤジ視聴者を獲得したドラマでした。
視聴率以上に印象が強いドラマだと記憶しています。
その後、ファンの要望が強くビデオ化され
DVD化を望む声は多いようです。

1999年の放映から5年、時代の流れを感じますが
最終話まできっちりパッケージングされた
いいドラマだと思います。
ちなみに、主役の深津絵里のナレーションに味をしめて
天気予報の恋人という鳴り物入りで成績はイマイチな
助っ人外人みたいなドラマでも同じようなナレーションが
あるのですが、作りこんだ感じがしてこちらは×でした。
彼女たちの時代でもナレーションの内容がエスカレート
して段々と意味不明になっていきました。
無理に判ろうとすると余韻に浸ることは出来ますが
よく考えると「?」みたいな感じ。

先日の日記でも触れましたが、このドラマは最も
シナリオに燃えていた時期に放映されました。
当時は肉体労働の職場で働き、過酷な交替制のため
隔週でしかシナリオ・センターに通えませんでした。
水曜日の夜(授業の時間)を楽しみに、大事に通いました。
作品を読み、放課後は先生や仲間と食事に行きました。
通える週は早番のため、眠い目をこすりながら酒臭い
満員電車に揺られて帰ったことを思い出します。
その後転職し毎週通えるようになったのですが
逆にサボったり遅刻しまくりでした。皮肉なものです。
ちなみに、彼女たちの時代のオープニングに僕が何故
シナリオライターを目指しているのかという秘密があります。
そのうち触れます(極めて単純ですが)

ここからが本題です。
毎週何となく「救命病棟24時」を観てしまいます。
進んで観ているわけでもなく、楽しみにしているわけでも
ありません。生活サイクルとは不思議なものですね。
いくら飛んでも引っかかる時は引っかかりまくる
縄跳びみたいなもの。松嶋菜々子が患者を診るシーンを
観るたびに「ああ、ライブワン」と思ったりとか。
このドラマは、雰囲気やテーマ曲、撮影手法などがERに
似ているといわれますが、そのことは100歩譲っても
作りの粗さが目立ちます。まず、登場人物が多すぎです。
まるで、登場人物満載のドラクエの馬車です。
「ERだってそうじゃないか」という人もいるでしょうが
アメリカのドラマが絶対正しいという訳でもない。
特に、研修医の弟のキャラクターの破壊ぶりが目立ち
突然今までにない行動を起こしたり、突拍子もない
反応をしたり。それ以外にも筋に関係のない部分で
映りすぎのような気がします。
ドタバタする患者や医師の姿を、ポリタンクを抱えて
笑いながら階上で見るあたりは、青山墓地に出没する
田宮二郎のようです(怖)
この俳優が、これから期待されているのか事務所が
強いのかは良く分かりませんが、無駄なキャラが
動き回るとストーリーが壊れて大変です。
だらだらとリブ・タイラーの映像ばかりが続く
アルマゲドンみたいな感じです。
東幹久似の兄の研修医もキャラクターが壊れています。
突拍子のない弟でも対立してこそドラマなのですが
そういう要素は多少はあるものの同じベクトルで引っ張り
合っている感じです。リーバイスのパッチではなくて。
唯一のドラマの可能性があるのは、仲村トオルが演じる
国会議員。人を票としか思わない男が災害を機に
どのように変化していくか…そこだけを期待しています。
このドラマは、新潟県中越地震を踏まえて作られた
ことが推測されますが、救援物資の偏り、行き渡らない
などの問題は、報道などを通じて視聴者が知っている
ことばかりです。災害伝言用ダイヤル171の使い方を
周知させるという効果はあったかもしれませんが。
(費用対効果のバランスはメチャクチャですが)
かつて、黒澤明は、凶悪な吉展ちゃん事件に憤り
製作中の映画をストップして短期間で「天国と地獄」を
完成させました。関係者は海外に飛び原作者との交渉
突貫工事の脚本製作・撮影は壮絶だったようですが
それでも、罪のない幼い子供を誘拐し殺害することの
理不尽さを直接的ではないにせよ一般庶民に伝える
重要な使命と感じていたようです。
ところが、救命病棟24時には、そういう訴えるものが
感じられないような気がします。
セットやキャストにはお金をかけているのですが
それだけでは何も伝わってきません。
もちろん、楽しいだけのドラマもアリだと思います。
視聴率が好調な「ごくせん」も仲間由紀恵扮する
主人公のキャラは、テレビ朝日の「トリック」のような
気がしなくもないですが、イベントの宝庫で前ぶれなく
濃いキャラが現れても許される飛び道具の「学校」を
舞台にしたドラマでも、視聴者が土曜の夜を楽しく
過ごすことが出来るのなら、それはそれで存在意義が
あるのだと思います。
救命病棟24時…何を言いたいのかもっとはっきりして
ほしいものです。多すぎるキャラクターのばら撒いた
エピソードを拾い集めるだけなら他の設定でも出来ます。
地震という設定をおもちゃにしたと批判されないような
ドラマを期待したいものです。

ところで、北国で寺尾聡がコーヒー淹れながら
ボソボソと哲学者みたいな独り言を言うあのドラマ
癒される人は多いんですかね?
長澤まさみは可愛いと思うのですが…余談でした。

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February 08, 2005

歴史は繰り返す

今回は出来るだけ改行をせずブログっぽい感じで書きました。
一行空けたほうがいいんですかね?ご意見募集。

★あまりの見辛さに並べ替えました(12:30)★

昨日、電車の中で前に立っている人の新聞をチラ見して卒倒
しそうになりました。某大手経済紙の社長100人アンケート
「景気踊り場年内続く、来年は良くなるは4割超す」という記事。
主要企業の社長というのがミソで不景気を肌で感じる
中小企業の苦境を黙殺して「景気は良くなる」と
一面でデカデカと報じるあたり、日本経済の大本営発表という
称号に相応しい媒体といえます。
一方でこの新聞をバイブルとしているサラリーマンも多いので
「ほう、景気は良くなるのか」と短絡的に考える御貴兄が多い
ならば、これほどおめでたい国はないのかもしれません。

この度、中古レコード屋でChoo Choo TRAINの入った
アルバムを入手しました。EXILEではなく、zooのバージョン。
1991年に登場したこの曲は僕の上京時期と重なることもあり
修学旅行の時期に聞いていた森口博子(何故?)の
ドレス・アップ・ザ・ナイトとかいう曲と並び非常に「垢抜けた曲」
としての印象が強い曲です。
Choo Choo TRAINを採用したJR東日本のCMも印象的で
脅威の実写CG合成が話題のダチョウが駆けずり回るCMが
登場するまで同じ流れを汲む映像が放映されていました。
特に、吹雪のトンネルからチラッと覗く200系新幹線とか
鏡のようなボディに雪を映しながら雪原を疾走する
山形新幹線「つばさ」はドキドキものでした。

Choo Choo TRAINはEXILEにzooメンバーがいたことが
きっかけでリメイクされたようですが、こういう早いタイミングで
再登場したのはあまり例がないのかもしれません。
歴史は巡る…この言葉は戦争好きの人類を揶揄したりする
表現に使われますが、流行も同じように繰り返すようです。
例えば、昔の曲を集めたアルバムが通販なんかを通じて
販売されています。なかにはこれまで考えられなかったような
レコード会社の垣根を超えて発売されるケースも目立ちます。
ユーザーへのサービス向上とみるか、これまでのライブラリを
垂れ流すだけで安直に見境なく稼ごうとしているとみるかは
個々の判断により分かれるところですが。
パチンコメーカーも同じような稼ぎ方をしていますね。
懐古趣味の台を乱発するブームが去った時、果たして業界に
クリエイティブな能力が残るのかどうかが非常に心配ですが。

Choo Choo TRAINは初登場から15年近くでリメイク
されましたが、恐らく、多くの流行が繰り返すスパンは、もっと
長いような気がします。アニメも歌謡曲も最近注目されている
ものは、もっと前の時代のものです。ファッションも同じです。
例えば、ケミカルウオッシュのジーンズなど二度と流行らないと
思われるものは別として、流行は長い時間をかけて醸成し
再び世に送り出されるのだと思います。
こういうものは、メーカーの扇動や有名人の趣味による影響が
大きい部分もありますが、それを受け入れる受け入れないは
やはり個々が決定権を持っています。
突然流行したマリーなる白猫のように、例えば浜崎あゆみが
ケミカルウオッシュのボンタンを履いて、大流行するかいえば
いくら若者に影響力があるとはいえ信じがたい。
例えば、爆風スランプのランナーを熱唱すると非常に恥ずかしい
感じがするように人間の感覚には何事も中途半端に古いものは
格好悪く感じるという部分があるようです。
当時、暑苦しいカラーと鳥をイメージしたヘルメットが話題だった
ダイエーホークスのユニフォームも今思うともの凄く恥ずかしい
感じがしますね。

前置きが長くなりましたが、CDを聞いた感想です。
事前に入手しておいたEXILEのバージョンと聞き比べます。
すると、アレンジは殆ど同じということが分かります。
オリジナルがそれだけ秀逸だったのか、アレンジを加えることに
抵抗があったのかは分かりませんが少なくとも15年経過しても
色あせない曲ということだけは間違いないようです。
ちなみに、テレビでEXILEのバージョンが流れる度に
「絶対zooのバージョンが良い」と思ったものですが
この気持ちは見事に崩れ去りました。
EXILEの方は男ばっかりのスキー合宿みたいな感じでちっとも
都会的な感じがしないのが難点ですが、一方でzooの方は
女性ボーカルが当時感じていた以上にクセがありました。
…うーん。
ともあれ、15年というのは微妙な期間なので下手に懐古趣味を
さらけ出すとショックを受けることになりかねません。
例えば、その辺を歩いている学生はきっとオリジナルの
Choo Choo TRAINを知らないはずなので。

ちなみに僕は、学園天国といえば小泉今日子
小室といえば、小室哲哉です。

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February 07, 2005

やり場のない怒り

午前零時を回りました。
眠くて眠くて仕方がないのですが、更新します。
愛知のスーパーで残忍な通り魔事件が起きました。
刑務所を仮出所後、保護観察をすり抜けて事件を
起こしました。理由もなく幼い命を奪ったこと、母親
や執拗な暴行を受けた小さな姉の心の傷を思うと
怒りをどこにぶつけていいのか分からなくなります。
怒って怒ってどう憤っても失った命は戻りません。
犯人は極刑にすべきとの声もありますが、犯人は
神のお告げなどと不思議なことを言っているなど
今後は刑事責任を問えるか否かについてが焦点と
なることが予想されます。仮にも減刑や刑事責任
を問えないとなれば、これほど理不尽なことはあり
ません。法治国家より、仇討ちが認められていた
江戸時代のほうがまともに思えてきます。仮出所
ということは、この男は服役中は模範囚として生活
していたことになります。塀の中と外にどれだけ差
があるかということを思い知らされます。罪を償い
社会で強く生き抜くような心を持ってこそ更正です。
ただし、心の中の問題なので見た目では決して
分からないことだと思いますが。だからこそ保護
観察制度があるのでしょうが、悔しいことに今回は
機能しなかったようです。この男は出所しても仕事
が見つからなかったことも事件を起こすきっかけと
なったようです。こうした部分のケアも出来ないで
何が更正で何が保護観察制度か。社会のせいだと
軽はずみに言いたくはないのですが、例えば景気
が良く税負担増や年金保険料引き上げもなくもっと
雇用があったならば、この男も事件を起こすことは
なかったかもしれません。先進国であり、世界的に
裕福であるはずの日本では未だに各地で餓死者が
出ています。家計を苦に心中したりせっかく出来た
子供を止むなく中絶する事例も増えていると聞いて
います。そんな状況のなかでも追い討ちをかける
ように負担増を強いて、消費税に至っては打出の
小槌のように選挙の影響を避ける絶妙のタイミング
で税率が引き上げられようとしています。

そんな負担増を勝手に決める側の国会では、議員
年金の見直しを求める声が広がりつつあります。
衆参両院議長の諮問機関も負担増と給付水準の
引き下げを盛り込んだ答申をまとめました。あとは
議員自身の自浄能力を見極める必要があります。
何かと騒がれた特殊法人改革も結局は独立行政
法人という名前を変えた天下り先に衣替えしたに
すぎず、結局、こうした法人にぶら下がった企業は
切り捨てられることなく利権を求め、監督官庁が
何事もなかったように予算を計上します。赤字国債
を垂れ流しながら予算が大きく縮小されないのは
こういったぶら下がりが多すぎることが一番の理由
だといえます。どんな小さな法人も監督官庁の課も
予算をとろうとして、どうでもいいカスみたいなことに
金を使おうとします。悪い言い方をすればメンツと
利権の予算確保ゲームです。各省庁の予算項目を
みれば意味不明だったり、他と重複するような予算
も少なくはないです。無駄な法人の削減や規模の
縮小こそが予算の無駄遣いを失くして少しでも一般
庶民の生活を楽にするのだと思います。例えば一部
では過剰な手当てへの批判を避けるため、金券で
現物支給するコスい手を使う法人もあるようですし
幹部が愛人を秘書として高い賃金で雇用し、事ある
ごとに同行するような法人もあるようです。解体が
決まった社会保険庁も放っておけば見た目は解体
はされるものの受け皿団体(独立行政法人ナントカ
機構とか)に職員は流れ、天下り先もきっちり確保し
社会保険庁という名前と流用や失態などの汚点が
消え去るだけということになりかねません。議員も
官僚も特殊法人職員も人間です。一度到達した生活
水準を下げるのは難しいのでしょうが、現実に一般
庶民は負担増に身を削り生活水準を下げていること
を忘れてはなりません。同じ金を使うのなら保護観察
制度や民生委員制度などの制度が、効果的に機能
するような見直しを行う必要があるでしょう。

マスコミは今後、犯人の生い立ちや悲劇に見舞われ
た母子の身辺を穿り返して数字稼ぎに走ることが予想
されます。また、警備体制を増強すべきという天下り先
を活性化させ、警察官僚を喜ばせるような理論を展開
するかもしれませんが、これでは全く意味がありません。
同じエネルギーを使うのならこれ以上一般庶民の心を
廃れさせないよう我々と一緒に政府や国会を監視して
ください。時には記者クラブを締め出されることも厭わぬ
「漢」な報道を期待したいものです。

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February 04, 2005

風習

「恵方巻」がとうとう日本を席巻してしまいました。
席巻という言い方は大げさかもしれませんが、今年は
駅構内の寿司屋やデパートの食品コーナーで今まで
に見たこともないような行列が出来ていました。恵方
巻という存在を知ったのは、かれこれ数年前でした。
これまた関西キー局の人気番組「パペポTV」で上岡
龍太郎が熱く語っていたのを思い出します。「へえ、
そんな風習もあるんだ」と思ったぐらいでしたが、程
なくして全国に伝播していきました。コンビニなんか
だとセブンイレブンがかなり積極的だったと記憶して
います。最初の恵方巻も市営ジムの帰り、武蔵野線
を見ながら食べた記憶があります。恵方も向かず。
関西ローカルの風習が伝播したのは理由があるの
かもしれません。いつものように強引に考えてみま
しょう。

①時期
この驚異的な伝播の秘密は「時期」にあるのかもしれ
ません。日本人にとって寿司はまだまだ晴れの食べ
物です。コンビニなんかでさらっと買って食べることが
出来るようにはなりましたが、一家揃って夕食で寿司
となると「何かあったの?」となる。そういう理由付けと
して恵方巻は適していたのかもしれません。関東では
既に変質して恵方巻といっても恵方を向かず単に太
巻きを食べるだけだったり、べちゃべちゃ喋りながら
食べてしまったり。おそらく関西以外ではやがて恵方
という意識は風化して寿司を食べる日になるでしょう。
でも、いいんです。寿司を食べる理由になれば。

②豆
全国的な風習として節分には豆を撒いて食べますが
この硬い豆が現代人には苦痛です。特にお年寄りに
歳の数だけ食べるというのは過酷なことです。砂糖
がけなど豆は昔はおやつとして食べることも出来たの
ですが、現代っ子にはお菓子という意識は薄く、その
まま食べて食事の代わりというわけにはいかない
ようです。一方で柔らかく煮付けたりなんかすると撒い
た時に家の中がべちょべちょになる。豆という存在が
中途半端なこともひょっとしたら恵方巻の席巻の余地
を与える理由になったのではないでしょうか。

③関西に対する憧れ
関東の人は、関西に対する憧れのようなものがある
ようです。怖いもの観たさにも似た。渋谷なんかで
若者が似非関西弁なんかを使っていると刺し殺したく
もなりますが、ああいうのを使うと「関西=面白い」と
いう単純回路を持った女の子がポロポロと引っ掛って
いくらしいです。それだけ関西弁は強い(?)んです。
例えば、ゆーわーるどの掲示板に出入りする「げらこ」
が一念発起して上京してきた時、会社で関西弁(大分
弁が混ざってかなり変則的ですが)がもてはやされた
ことにも象徴されるでしょう。恵方巻も関西の風習なら
いっちょやったろうかという感じで。もともと関東は歴史
が浅く、お祭りといえば盆踊りで東京音頭をぐるぐる回
って踊るぐらいなので、他の土地の風習を受け入れる
ことに抵抗はないようです。うちの近所はオバQ音頭
(しかも旧バージョン)ですし。あちこちの祭りで阿波踊
りやよさこいが溢れている状況を考えてもこの見方は
決して的外れではないといえるでしょう。

④ドラえもんに流行ビールスを借りる
あり得ないんですが。このひみつ道具はいくら検索し
てもヒット数が少ないんですが、名前が間違っている
んですかね?それとも何か問題があって削除された
とか。藤子不二雄などいろんな規制が厳しくなる前の
漫画家は今の価値基準では不味い物を結構書いて
います。前にも述べましたが「ゴジラ」というガキ大将
とか、光線銃で頭をクルクルパーにするスーパーマン
とか。これらは全部設定が変更されています。ゴジラ
が登場するオバケのQ太郎はコンビ解消の際に版権
で揉めて絶版になっているようです。藤子不二雄は
コンビとはいってもオバQの初期までしか合作しては
いないわけです。マイナーな頃はともかく、メジャーに
なる時期と重なったオバQが被害に逢ってしまったと
いうことになります。後者のスーパーマンはパーマン
の親分です。つまり、あの男の子もサルもアイドルも
太ったガキもスーを取っただけのスーパーマンな訳
です。それにしても新オバケのQ太郎の主題歌の
ベースラインは珠玉でした…話が脱線しました。

ということで、これらの考えから節分における豆業界
(そんなのあるのか)の反撃と納豆の日(7月10日)
とか肉の日(2月9日)野菜の日(8月31日)など伝播
は絶望的だと思えるような記念日を設定する各業界
の打開の手段があるかもしれません。少なくともホワ
イトデーのように男に無理無理に菓子を買わせる風習
みたいなのは確立出来るかもしれませんし。

そんな僕も昨日は恵方巻を食べました。

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February 03, 2005

外に目を向けて

寒い日が続きますね。高知市で久々の積雪、みかん
の名産地三重県尾鷲市では最大の積雪…といっても
5cmですが。ちなみに、記憶が確かなら沖縄では18
世紀に4回、19世紀に2回、雪が降っています。20
世紀以降はゼロ。最近はマクドナルドで更新作業を
することが多いんですが、あれですね、サラリーマン
でクチャクチャ音を立てて食う奴が多いこと多いこと。
昨日といい今日といい、イライラしながら更新作業を
行っています。

ジャストシステムの一太郎などの機能を特許権侵害と
訴えた裁判で東京地裁は、松下電器の訴えを認めて
製造・販売を禁止しました。一太郎は国産のワープロ
ソフトの代表ともいえるもので、一時はワードと並んで
パソコンの発売時に一太郎をインストールしたモデル
も発売されたほど。妙に人助けしようとする機能が
かえって邪魔なワードに比べて、一太郎は使い勝手
はいいのですが、いかんせんハリウッド映画に立ち
向かう日活みたいなもの。今ではソフトを単独販売
するのが主流となっています。そのせいか、最近の
ジャストシステムの製品は独占欲(?)が強くなり
勝手に余計なソフトが立ち上がるわ、ATOKを一度
入れようものならIMEを侵食し、標準設定をIMEに
設定してもウィンドウを変えるたびにATOKが立ち上
がってくれます。一太郎は安いワードからの乗り換え
版が発売されていますが最後に「ワードを持っていま
すか」と確認するウィンドウが出るだけなので、多分
ワードがなくてもインストール出来るのでしょう。
ジャストシステムは徳島の企業です。少し言い方が
悪いかもしれませんがローカルな企業です。偉大な
功績を残していることは確かですが、明らかに問題
があると思われる機能や著作権に対する対応の甘さ
ということから考えると、体質はローカルなのかなと
いう感じもします。一方、松下電器はいうまでもなく
大企業ですがパソコン事業は悉く失敗しています。
これまでもPDなど目新しい機能を搭載しても他が
追随せず空振り。今のノートパソコンはDVDドライブ
の開け方が斬新ですがそれだけ。松下の特許申請と
ジャストシステム製品に機能が搭載されたタイミング
特許取得の時期が微妙にズレていることが問題を
混乱させていると思われますがグローバルな視点
から見ると日本のイマイチな企業が足の引っ張り合い
をしているようにしか思えません。特許侵害は大問題
ですが開発時に両社で意思疎通が出来ていれば
ここまで泥沼化しなかったのかもしれません。少なく
とも今後可能性があるソフトの発売禁止による被害に
比べれば軽いものなのですから。

98で世界に対抗したNECは既に一パソコンメーカー
に成り下がり家電のようなパソコンを積極的に開発して
いますし、ワード&エクセルと同様に一太郎と組み合わ
せてインストールされていたロータスは、最新版更新の
タイミングを外して消えてしまいました。アップルは日本
中を「ⅰ」というフレーズだらけにしてしまったⅰmacで
ヒットを飛ばし、少し落ちてくると変化球(ⅰPod)で息を
吹き返しています。こういう緩急織り交ぜた戦略も立派
ですが、マイクロソフトに正面きって立ち向かっているか
といえば疑問です。松下電器もジャストシステムも国内
でちまちま小競り合いをする暇があったらもっともっと
世界に対抗していってもらいたいものです。
splashmountain

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February 02, 2005

概況(17年1月分)

1月の重心指数
普段の仕事:45(±0)
シナリオ:5(±0)
その他:55(±0)
(カッコ内は前月比ポイント増減)

~1月の概況~
「普段の仕事」増減なし
過去の1月では異例の多忙さです。夜遅く残業してまで
というわけではないのですが、短期集中でヤマのように
仕事が降りかかってきます。加えて、あいかわらず引き
取り手のないM氏の担当の仕事も回ってきます。
そんな状況にありながら、平等主義者のSさんをはじめ
とする人々は、降りかかってきた新しい仕事もきっちりと
平等に分けてくれるので多忙に拍車がかかる。
こういう状況は、少なくとも3月まで続きそうです。

「シナリオ」増減なし
活動実績ゼロ。シナリオに燃えていた時期に放映されて
いた「彼女たちの時代」がCSで放送中なので、それを
観てせめてテンションだけでも高めようかと。

「その他」増減なし
スポーツクラブに通ったのは3日です。前月比2日減。
もう、仲間には行きますとか約束出来ないオオカミ少年
のような状況です。見えない壁のようなものがあって
どうしても先に進めなかった「はんどまいむ」のビデオ
編集はやっと出口が見えました。完成後は、日頃活動
しているメンバーの連絡用サイトと「はんどまいむ」の
ファン公式サイトでも立ち上げてみましょうか。
と考えてみたり。

~体位の変化(それは、意味が違います)~
「身長」±0cm
「体重」+2㎏

寒さに慣れてくると(体感的には一生慣れることはない
でしょうが)悲しいかな、飢餓細胞が働いてくれるので
ガンガン太りはじめます。賀詞交歓会や新年会で食事
にブレーキがかけられなかったこと、スポーツクラブを
サボったことなど多くの敗因の結果です。最近入らなく
なったスーツがさらに増えました。危険が危ない!

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February 01, 2005

在庫一掃

これも更新のタイミングを逃した日記です。
(1月10日前後に更新予定でした)

『いいもの見ました』

日曜劇場の枠でタイガー&ドラゴンというドラマを
やっていました。宮藤官九郎脚本。池袋ウエスト
ゲートパーク以降、フライング窪塚とのコンビが
あまりに多すぎて辟易した感じもしましたが、この
ドラマは力が抜けて実に面白かった。脂の乗った
長瀬智也演じる異色の落語家もインパクトが強い。
何度も例に挙げてしまいますが、トム・ハンクスの
パンチラインのように視聴者と寄席の観客の笑い
のツボが同じなのもいい。内容を薄めれば連ドラ
でもおかしくないのに…残念。日曜の夜はこういう
明るいドラマのほうがいいのかもしれませんね。
魔性の女のドラマは話も映像も暗く、憂鬱な日曜
の夜に追い討ちをかけられるようです。

少し遡ってこの数日前、TEAM・発砲・B-Zinの
舞台を観に行きました。「ちーむはっぽうびじん」と
読みます。友人に紹介されて観に行ったのがかれ
これ4、5年前。役者も歳を重ね、今回は主宰が
声だけの出演。最近はお涙頂戴のワンパターンの
エンディングが鼻につきましたが、今回は不思議
と嫌味に感じませんでした。正直、チケットも安くは
なくて「もういい加減観に行くのをやめよう」と思って
いましたが少し続ける気になりました。

もっと前、昨年末、今昔桃太郎を観に行きました。
中村勘九郎最後の歌舞伎。最初が桃太郎なので
最後も桃太郎ということのようです。リアルタイムに
歳を重ね、中年太りしたという設定。こういう日テレ
のドラマのような安直なアイデアは観ている側まで
面白さが伝わってこない(つまり寒い)ことが多いん
ですが、実に面白かった…渡辺えり子脚本。
まんま舞台ですが、父、勘九郎の踊りの切れ味も
さることながら、ノリのいい七之助の動きなど随所
に見所があります。歌舞伎や狂言は、堅苦しい能
から派生したもので江戸時代の大衆娯楽でした。
ところが、今では気品高いセレブや、ひょろっと背
が高く不自然に制服・半ズボンのご子息、ブランド
に身を纏ったご令嬢など。もちろん、混雑の中で
あたりかまわずタックルを仕掛けてくるおばちゃん
も健在。着飾ってお出かけというのも庶民にとって
の楽しみかもしれませんが、本当の庶民には少し
かけ離れた世界のようにも思えてきます。歌舞伎
をもっともっと一般的なものにしようとして、あちこち
で中村座を展開する勘九郎の行動は、必要以上に
お高く止まった雰囲気というものを壊そうとしている
のではないかとも思えるぐらい。過去の歴史から
見てもそういう血筋であるといえるわけですが。

時代とともに変化し続けてきたはずの大相撲や
歌舞伎はどこかで時代が止まっているようです。
温故知新、古いものを残すのも大事ですが時代
錯誤の風格や仕来りは変えていってもいいのかも
しれません。何でもかんでも男女平等という考えは
クソくらえですが、せめて表彰などの場で土俵に
女性が立つぐらいは目くじら立てなくてもいいので
はないかと。少なくとも外国人力士に席巻される
前に解決すべき問題だといえるでしょう。

<補足>
詳しくは判りませんが昨日のウオッチで「タイガー
&ドラゴンが連ドラに昇格」と紹介されていました。
4月以降に登場ということでしょうか。あちこちの
ブログやホームページでも連ドラ化を望む声が
多いようです。さて、中村七之助が大トラで大暴れ
…逮捕。日記で褒めても更新の時期を逃せば恥ず
かしいことになってしまいます。一方でタイミングが
会えば清々しい気持ちになります。先日のコナミ
スポーツの迷走を紹介した数日後、偶然にも会費
値上げの通知が来ました。詳しく述べると長くなる
ので避けますが、ストレートな値上げの他に例えば
かつて、JRが行った急行を内容も何も変えず特急
に昇格させて料金を底上げする「こっそり値上げ」も
行われているようです(使い勝手が良くなって値上
げは大いに賛成です、もちろん)
ある題材を世の中が注目するより早いタイミングで
題材にすると、それはブロガー(?)冥利に尽きるの
ですがタイミングを逃すと恥ずかしい。ともあれ今回
は2つの題材が改めて話題になったということで
掲載しました。在庫一掃セール。

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